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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「泳げない子を泳げるようにする指導」の在り方について

    前回の記事で、ある方の「水泳教室」の実践記録に基づいて、障がいのある子や運動の苦手な子に対する指導法の工夫例を取り上げた。そこで今回は、今から3年半ほど前にある授業研究会において公開された小学校体育科の水泳学習の授業展開や、助言者として参観した私の所感について、当時の記録を基にして書いてみようと思う。

 

 その時の体育科(水泳系運動領域)授業研究会は、県内のある地区の小学校体育連盟の組織的な実践研究活動の一環として開催された。その地区の小体連は、当年の10月末に開催される「中・四国小学校体育研究大会」の午後の分科会において水泳系運動領域で研究発表する予定になっていた。そのために、4年前から継続研究を進めており、その年度は最終年度であった。平成24・25年度は研究領域を低学年の「水遊び」にし、昨年度と当年度は中学年の「浮く・泳ぐ運動」にして実践的な授業研究を積極的に進めていた。その中で、低学年は水に慣れる遊びや浮く・もぐる遊びを通して、基礎的な運動感覚や身に付けさせたい動きを確実に定着させる実践研究を深めてきた。また、中学年は浮く運動や泳ぐ運動を通して、いろいろな浮き方やけ伸び・初歩的な泳ぎを習得させる実践研究を進めてきていた。しかし、昨年度までの実践研究においては、水の中で進む動きとして「バタ足」(キック)を中核に位置付けて指導していた。当時、私はここに疑問をもった。

 

 果たして「泳げない子を泳げるようにする指導」は、「バタ足」(キック)を中核にした指導の在り方でいいのであろうか。泳げない子は、「なぜ泳げないのか」。この原因を根本的に考察する必要があるのではないか。私はもっと教材解釈を深めて、単元計画を構想し直す必要があるのではないかと率直に思った。

 

 ところが、事前に送られてきたその時の体育科学習指導案を見ると、この点に関する教材解釈が大きく転換していた。つまり、3年生の「浮く・泳ぐ運動」の単元展開において、水の中で進む動きとして「手の動き」と「呼吸の仕方」を中核にしていたのである。そして、本時(全11時間扱いの中の7時間目)は学習課題を「いろいろな呼吸の仕方を考え、楽に進んでみよう」と設定し、昨年度の指導の在り方とは違う実践研究をしていたのである。

  

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 授業展開を簡単に素描してみよう。準備運動とシャワーを終えた3年生は、まずスイプカドリルと称する基本的な動きを行った。具体的には、け伸びや連続だるま浮き、連続ばんざい浮きなどで、脱力することや呼吸の仕方等の運動感覚を養っていた。次に、学習課題を確認した後、一人一人がいろいろな呼吸の仕方を自由試行した。全員、腰に補助具(ヘルパー)を付け、自分で選んだ四つの「手の動き」に合わせた「呼吸の仕方」を試していた。その後、何人かの児童が紹介し合い、今度は「四つ試した中で二つ選んで、楽に進める動きを追求する段階」に移った。ここでは、バディの友達に泳ぐ様子を見てもらい、気付いたことをアドバイスしてもらっていた。そして、楽な呼吸の仕方を見つけた児童に発表させ、その後にバディの友達のよい動きをまねして試させた。最後に、本時の学習の感想を数人の児童に発表させて、授業を終えた。

 

 評価規準を明確化した目標の設定・学習課題の提示の仕方・発問や指示の内容・発表の隊形等、様々な点で課題はあったが、私は本単元の教材解釈や指導の在り方には基本的に賛成であった。つまり、泳げない原因を「呼吸が続けられないこと」に見出し、「手」と「呼吸」という二つの動きの連携が水泳では基本であるという認識の下に、本単元を構想していることに共感できたのである。「手」と「呼吸」の連携ができると、「バタ足」(キック)は自然に生まれてくる。しかし、それができるようになるまでは下半身が沈まないために、補助具(ヘルパー)を腰に付けさせる。また、「手」と「呼吸」の連携という動きを身に付けるための基礎・基本の動きを「連続だるま浮き」ととらえる。このような考え方は、まだまだ小学校現場では一般的ではないのかもしれないが、私は「泳げない子を泳げるようにする指導」の在り方としてのスタンダードになってほしいとその時に強く思ったという次第である。

障がいのある子や運動の苦手な子に対する指導法の工夫について

    前回と前々回の記事で、小学校体育科の公開授業の展開概要や参観所感について書いた。その際に、アダプテットスポーツの特性や教育的意義について述べ、その考え方は障がいのある子や運動が苦手な子に対する指導・支援の在り方を再考する上で有効であることを確認した。

 

 そこで今回は、『「体育がきらい!」って言ってもいいよ』(佐原龍誌著)を取り上げて、障がいのある子や運動の苦手な子に対する指導法について具体的に考えてみたい。

 

 本書は今から20数年ほど前に刊行された本であるが、内容は今でも通用するものである。著者の佐原氏は「体育科教育において運動技術の体得は重要だが、それは運動のもつ全ての価値ではないし、ひとつの側面にすぎない。もっと運動のもつ意味や意義、あるいは歴史性や社会性といった運動文化にも目を向けていく必要がある。また、総体としての認識能力-〈わかる〉ということも重要。できていく過程でわかる。わかることで、さらなる技術獲得が達成される。できないことを知り、わかるという道筋の中で、子どもたちはさらなる文化の継承と発展の担い手になってくる。」と述べ、特に運動の苦手な子に対する指導法の工夫の必要性を力説している。つまり、運動やスポーツを教材とする体育科教育においては、全ての子どもに〈できること〉と〈わかること〉の往還的学びを保障することが求められるのである。

 

 ところで、本書の中に「私の実践ノート」という章がある。その中に著者が学生の頃にアルバイトとしてある厚生施設のプールの指導員をしていた時の「水泳教室」の実践記録をまとめている。この内容は、著者が上述の考え方に至った原体験とも言うべき出来事である。その内容の概要を簡単に紹介してみよう。

 

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 著者たちが始めた「水泳到達度チェックリスト」を活用した「水泳教室」が3年目を迎えた頃、父親に連れられて来た重度の身体障がいをもつ4歳のカズ君(通称)と彼は出会う。初めカズ君は、プールのそばまで抱いて行くだけで火のついたように泣き叫んだ。それに対して彼は泣き叫ぶカズ君をただ無理矢理、水に入れてしまうという無茶な方法でしか対応できず、この年はカズ君の笑顔を一度も見ることができなかった。この苦い経験を反省し、彼は水泳の技術書や指導書を読み漁ったが、残念ながら当時は半身不随の人たちを対象にした水泳の書物は皆無であった。ただ、当時初心者指導の最も有効な泳法である「ドル平泳法」の考え方や理論に触れ、これまでの自分の水泳指導を根本的に考え直した。その結果、彼は「泳げるようになるとは、人間が陸上で生きていくことがごとく水上でも自然のままに呼吸ができるようになるという行為を表している。それゆえ泳ぐという行為の中でなるべく自然な呼吸法ができるような指導を考えるべきだ。」と考えるようになった。それからカズ君との水泳教室は、わずかながら進展のきざしを見せ始めた。そして、呼吸法「イチ、二、サン、パッ」の練習を境にして、カズ君は水泳に対して前向きに取り組むようになり、小学校へ上がる前の6歳の年には25mプールに入ることができた。カズ君の表情からは水に対する恐怖感はすっかり消え、安心して練習に取り組む中で、何と浮くことができたのだ!その後、カズ君の身体に合うような浮き輪やヘルパーの着け方を工夫して指導すると、さらに呼吸が楽になり、手の自由度が増してきた。その結果、専用ヘルパーを着けて25mでも50mでも泳ぐようになった!そして、このヘルパーも外して自力で完全に泳ぐようになったのは、小学生3年生、9歳になっていた。まるで「グライダー滑空泳法」のようなたくましく、力強い泳ぎ。カズ君はこの年、40分という長い時間をかけて100mを泳ぎ切ったのである!!このことは周りの多くの人々にも深い感動を与えた…。著者はこの「水泳教室」を境にして、このような実践を細々と続けながら、体育・スポーツ指導を生涯の仕事にすることにしたそうである。

 

 以上のような事例のように、障がいのある子や運動の苦手な子の指導法を常に工夫していくことができる指導者こそが、「本物の体育教師」になることができると私は考えている。各校種で保健体育科を担当する教師は、常に「本物の体育教師」になることを目指して、日々実践的な研修に取り組んでほしいと念願している。

小学校体育科でアダプテットスポーツを学ぶ意義について考える

    前回の記事で、地元の国立大学教育学部附属小学校で開催された本年度の教育研究大会における体育科・公開授業について取り上げた。私は現職の時、当附属小学校に15年間勤務したことがあり、退職後も毎年度この教育研究大会に参加している。そして、その参観所感を記録しているので、今回は昨年度の記録を基に再構成した記事をアップしたい。

 

   私が昨年度参観した体育科の公開授業は、パラリンピック競技の一つである「ゴールボール」を、5年月組の児童の実態に合わせてルールなどを変えて教材化した単元「目かくしコロコロボール」(全5時間扱い)の第3時であった。ただし、本単元を道徳「世界最強の車いすテニスプレイヤー国枝慎吾」やくすのき学習「目かくしマラソンをしよう」、さらに体育科「5-月パラスポ大会をしよう」と関連させた教科等横断的な単元テーマ「共生・共創・共感」の下に展開している点が、附属小独自の研究的な教育実践であった。

 

 では、本時の授業展開の概要とその所感をまとめながら、小学校体育科でアダプテットスポーツを学ぶ意義について考えてみたい。

 

 まず準備運動として、指示された動作をグループで合わせる「心合わせゲーム」や男女ペアで目かくしをしている相手を声で呼び寄せる「運命の糸ゲーム」を行った。「運命の糸ゲーム」は一斉に7~8ペアが行うので、声が交錯して自分のペアの声を聴き分けながら出会うのは大変そうだった。しかし、出会った時の歓声は大きかった。

 

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 次に、「ガイドの人が声で指示して、空いている所をつくらないように守ろう」という本時のめあてを確認した後、5人編成のチームごとに自分たちの課題に合った練習を行った。どのチームも主にめあてを意識した守り方の練習を繰り返していた。他のチームが練習している間に、作戦ボードを使って各自の守りの位置について確認をしたり、ガイドになる人の声の出し方やその内容等について相談したりしているチームもあった。どの子も、「目かくしコロコロボール」のゲームに対して意欲的に取り組もうとする様子が伺えた。

 

  さて、いよいよ2コートに分かれてチーム対抗のゲームになった。攻撃側は目かくしした一人のシューターが相手のゴールラインを目がけて鈴が鳴る手作りボールを投げ、守備側は3人が目かくしをしてフィールド内に入り残りの2人が目かくしをしないでガイドとして声を出して指示しながら守る。それを前後半3分間の中で交互に行い、得点の多い方の勝ちというもの。攻撃側がゴールラインをボールが通過した時、守備側がボールをキャッチできた時、それぞれ得点になるので攻守のバランスが取れているチームが勝つことが多かった。私が観戦したゲーム中の子どもたちの表情は、守備よりも攻撃によって得点した時の方が喜びの笑顔が多かったように思う。また、ガイドの声が小さかったり、適切な声掛けになっていなかったりして、全体として本時のめあてを実現しようとする意識がやや低かったように思った。しかし、ゲームの様相はどちらのコートも接戦になっていて、大変盛り上がっていた。

 

 最後に本時の振り返りとして、一人一人が体育ノートに感想を書いた後にそれを発表し合った。その中には「ガイドの人の声で得点を防ぐことができてよかった。」とか「ゲームを通して、チームの仲間の信頼関係が深まった。」とかの内容があり、本教材のもつ意味や価値を子どもたちなりに気付いているようだった。

 

 私は授業を参観しながら、本教材のようなアダプテットスポーツを小学校で学ぶ意義には次のようなことがあると考えた。一つ目は、<障がい者理解を深めることができるという福祉的意義>。二つ目は、<人と人とのつながりを深めることができるという人間関係的意義>。三つ目は、<スポーツを「する・見る・支える・知る」という視点から創り上げるという文化的意義>。ただし、これから体育科としての教材的価値を高めるためには、適度な運動量の確保と身に付けさせたい運動技能の確定、そして思考・判断の内容の吟味等、様々な面で検討が必要だと感じた。

小学校体育科で扱うアダプテットスポーツの特性について考える

    今月1日(金)と2日(土)の両日に地元の国立大学教育学部附属小学校で、本年度の教育研究大会が開催された。私はその二日目に公開された6年生の体育科授業「シッティングバレーボール!―共生・共汗・共働―」を参観するとともに、その後の分科会にも参加した。

 

 私が参観した授業は、教科横断的な単元テーマ「『TOKYO 2020』を楽しもう!」に含まれる体育科の単元「アタック!バウンドキャッチバレーボール」(全8時間扱い)の第5時に位置付けられていた。単元展開においては特に「意図的な連係による攻撃」に主軸を置いていたが、本時はアダプテットスポーツ「シッティングバレーボール」(お尻が地面から浮かないように座った状態で行うバレーボール)を取り入れ、「ポジショニングを考えた守備」にも課題意識をもたせるとともに、「東京オリンピックパラリンピック競技大会」を多様な視点で楽しむことができるようなきっかけをつくることを意図していた。

 

 そこで今回は、その授業展開の概要と参観所感をまとめる中で、小学校体育科で扱うアダプテットスポーツ(運動実践者の障がいの種類や程度に合わせてルールや用具を工夫して行うスポーツ=障がい者スポーツ、パラスポーツ)の特性について考えてみたい。

 

 まず、準備運動として反応ゲームを取り入れていた。内容は、座った状態で追いかけっこや鬼ごっこを行う運動であった。児童たちは身体を腕で支持しながら移動する動きを活発に行っていた。ただ、場所が附属中学校体育館で当日、結構冷え込んでいたので、けがの防止のために手首や腕、肩等のストレッチを事前にもう少し入念にしておくとよいと思った。

 

 次に、本時「シッティングバレーボール」を取り入れるのは守備の仕方について考えるためであることを説明し、「どのように守れば守りやすいか考えてやってみよう」というめあてを確認して、狭いコートでのゲームを行なわせた。児童たちはラリーが結構続くゲームを展開することができていたが、特に守備に対する課題意識が醸成しているようには見えなかった。

 

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 そこで、教師はコートを広くしてゲームを行おうと働き掛け、引き続きゲームを行わせた。すると、得点が入りやすいゲーム展開に変化した。これは、コートが広くなったために守りのスペースが広くなり、スパイクが決まりやすくなったからである。児童たちは守備の仕方を工夫する必要性に迫られていったようだ。

 

 教師はもう一度、集団化の場を設定し、コートを広くしたことにより何が変わったかを問うた。児童からは「守りのスペースが広くなったから、守備の仕方を変えた。」という主旨の発言が出され、「守備の仕方を工夫しよう」という課題意識を全員が共有化することができていた。その後に再開したゲームの様相は、チームごとに男女が協力しながら守備のポジション取りを工夫したゲームが展開されていた。

 

 最後に、本時の活動を振り返らせる中で特に各チームの守備の仕方の工夫について発表させて、次時からの「アタック!バウンドキャッチバレーボール」のゲームにも生かしていこうと締めくくった。

 

 私は授業を参観しながら、本時アダプテットスポーツ「シッティングバレーボール」を取り入れたことは成功していると評価した。それは、座って行うという「シッティングバレーボール」の特性上、身体を移動するのに腕を使うために移動スピードが足による移動よりは遅くなり、バレーボールが苦手な児童にとっても行いやすいからである。また、コートの広さを変えた働き掛けも効果的だった。それらの指導の工夫によって、守りのポジション取りを意識した「守備の仕方を工夫しよう」という課題意識を醸成し、全員で共有化するのに有効な場になっていたと思う。

 

 このように小学校体育科で扱うアダプテットスポーツの特性を生かせば、運動やスポーツの苦手な児童も含め全員が楽しく取り組むことができ、体育学習における教師のねらいを実現するのに有効な児童の課題意識を醸成・強化することができるのである。小学校だけではなく、あらゆる校種の教師は、保健体育科教育の充実を図るためにもっと様々なアダプテットスポーツ(障がい者スポーツ、パラスポーツ)の特性について研究を深め、積極的に日々の授業に導入すべきではないだろうか。

医者の本音・ホンネ(5)~「平穏死」という選択~

  「医者の本音・ホンネ」シリーズの記事は、前々回で取りあえず締め括るつもりだったが、一昨日たまたま立ち寄った古本屋で『「平穏死」という選択』(石飛幸三著)という本を見つけた。パラパラとページをめくって斜め読みをしてみると、ある意味の「自然死」を勧めている内容だったので、早速購入して読んでみた。今までの記事で取り上げた本で主張されていたように、現在の医療の在り方について懐疑的な見解が披露されていたので、同シリーズの続きに位置付けて今回取り上げてみたい。

 

 著者の石飛氏は、元々優秀な血管外科医で東京都済生会中央病院の副院長までしていた方であるが、病院理事の不正事件の調査に係わり不正を正そうとしたことで解任されてしまった。その後、縁があって特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医師になったらしい。解任後、人間としてどう生きるか、医療で人を治すとはどういうことかということを深く考え直すようになり、老いの終焉の現場に行けば、人生という物語の最終章が見えるかもしれない、高齢者に対する延命医療の限界が分かるかもしれないと思って、特養ホームの勤務医師に名乗り出たそうである。

 

 本書の内容は、著者が「芦花ホーム」に赴任以来の取組を紹介しつつ、終末期の認知症高齢者が誤嚥性肺炎を起こして口から食べ物が食べられなくなる状態になったら、「胃ろう」(腹壁に穴を開けて胃に管を入れ、直接水分や栄養を胃に流し込む方法)を造って延命させようとする当時の医療の在り方に対して異議を申し立てているものになっている。著者は言う。このような医療行為の背景には、延命の方法があるのにしなければ無責任だとか、保護者責任遺棄致死罪だといって、何かをすればそれがあたかも善であるかのような独善的思考があるのではないか。ただその生物的病態だけを診てそれを変えようとすることよりも、老衰を受容して生活の質を支援することのほうが本人のためになるのではないか、と…。そして、著者は人間の務めの最後の締めくくりとして、「平穏死」(肉体的にも精神的にも苦痛がなく、穏やかに亡くなるということ)を提唱しているのである。

 

 2011年12月に厚生労働省は「自然死」を認める方向に舵を切った。口から十分に栄養や水分を摂るのが難しくなった高齢者に人工栄養法を導入せず、自然な経過を見るという選択肢もあることを示し、導入した場合でも中止ができることを定めた指針案を公表したのである。また、2012年6月には日本老年医学会も高齢者の終末期における「胃ろう」などの人工水分・栄養補給についての新たなガイドラインを発表した。その内容の意味することは、老衰において医療がどこまで介入するか、何が大切か、本人の生きている生活の質が改めて前面に押し出され、それが認められたのである。著者たちの地道な活動や関係機関等への働き掛けが実を結んだのである。

 

 著者は医師の役目・役割として、次のようなことを言っている。「医師は老衰の終末期に発生する病態のうち、本人の緩和ケアに資するところを補い、生命の終焉の監督責任を取るのが役目です。何もしないことが本人の為であると判断したら、自然な経過を見て穏やかに最期を迎えさせるのも医師の役割です。特養における医師の役割は、黒子のさらに黒子、生命の火の消え方に最終的な責任を取る役であります。これが今求められている医師のもう一つの役割でありましょう。」

 

 高齢者の仲間入りを目前としている私としては、その時を迎えたら「もうこの辺で」と肚を決めて人生の幕を潔く引きたいと思っている。だから、その時に立ち会ってくれる医師には、上述のような役目・役割を自律的に果たしてほしいと切に念願している。一般化するのは唐突過ぎるとは思うが、日本人はそれぞれ立場が違っても一人一人が人間として自律的に行動できるようにならなければならないのではないだろうか。

プロレスって、プロのレスリングのことではないの!?

    先日、夕方のニュースで、北海道の小樽運河にある赤レンガ倉庫の冬景色が映し出された。私はつい懐かしい感情が湧いてきた。というのも、今から2年ほど前の晩秋に私たち夫婦が翌春に結婚を控えた二女と一緒に道南地方へ旅行した時、当該の場所を訪れていたからである。

 

 そこで今回は、その旅先で遭遇した思わぬ出来事をきっかけにして再読した『私、プロレスの味方です』(村松友視著)の所感を、その時に記した文章を再構成してまとめてみよう。

 

 道南地方への旅行の三日目に滞在した小樽市で、私たちは思わぬ出来事に遭遇した。それは、小樽出身の作家・小林多喜二氏の小説『不在地主』のモデルになったり、直木賞作家・村松友視氏の小説『海猫屋の客』の題材になったりして有名になった洋食屋「海猫屋」(赤煉瓦の倉庫を改装したレトロな店)で夕食を取った時のこと。海の幸を活かした料理に舌鼓を打って帰り支度をしていた時、マスターから「もう後、5分ほど居てくれませんか。」と言われた。私たちが何事かと訝しげな表情を浮かべている中、急に店内の灯りが消え、次の瞬間スポットライトの中にマスターの姿が浮かんだ。「皆様に40年間愛され続けてきた海猫屋は、本日をもって閉店いたします。長い間、御愛顧いただきまして本当に有難うございました。…」何と!奇偶にも私たちは由緒ある「海猫屋」の最後の客になったのだ!!

 

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    この出来事をきっかけにして、旅行後に私は書棚に並んでいる村松友視氏の著書群を再読することにした。『海猫屋の客』は旅行前に再読していたので、村松氏との出会いの書『私、プロレスの味方です―金曜午後8時の論理―』をまず読み直してみることにした。本書は、村松氏の本格的なデビュー作で、『当然、プロレスの味方です―過激な生存の哲学―』『ダーティ・ヒロイズム宣言―プロレスの味方、「悪役」を語りき―』と続く初期のプロレス3部作の一つである。発刊当時、作家・井上ひさし朝日新聞文芸時評で「この書物は高い〈知〉と、豊かな〈愉しみ〉を兼ね備えている」と絶賛したという。

 

 さて、再読して改めて実感したことは、本書は力道山亡き後、今から四半世紀ほど前の全日本・馬場、新日本・猪木のプロレス全盛時代において、関係者ではない著者が「プロレスへのこだわりをもって世間的眼差しを撃つ」ねらいで書いた演劇論的なプロレス評論なのだということ。別の言い方をすれば、自分はプロレスを見る側の過激な立場にあり、段持ちのプロレス好きという「プロレス者」であると表明する著者が、自身を「プロレスの味方」と標榜して分析的・論理的に評論した書なのである。

 

    では、著者はプロレスをどのようにとらえているのだろうか。この点を解明するために、一般大衆までもがプロレスラーになる現在にも通用する見解を披露している第3節を見てみよう。ここで著者は「プロボクシングはプロのボクシングであるが、プロレスはプロのレスリングではない。」と言い切っている。そして、プロレスはリング上で鍛えた人間の「凄み」を見せるものであって、プロボクシングのように「技術合戦」を見せるものではないと、その違いに触れている。確かに、プロレスは型のやり取りやショー的要素を含んでいるが、それだけではない「何か」があることも事実であり、その「何か」を必死で見つけるのが、観客たるものの義務であり責任であり使命であり、そして観客だけのもつ権利であり悦楽なのである。ここらが「プロレス者」の醍醐味なのであろう。

 

     続いて、プロレスは相手の得意技も披露し自分の得意技も披露し、さらにスタミナとガッツを残しているレスラーが鮮やかなフィニッシュ技を披露して終わる。このことから、プロボクサーが「殴られる」練習をする時より、プロレスラーが「受け身」の訓練をする時の重要性は大きい。「防御」する代わりに「受け身」を鍛えるのであり、これがプロレスラーの一大特長なのである。ふむふむ。

 

    本書を再読していると、プロレスを生で観戦したくなった。最近はそれぞれの地元のプロレス団体が立ち上がることもあり、生の観戦の機会も多くなったのではないだろうか。皆さんもプロレスの面白さを見直してみては…。

医者の本音・ホンネ(4)~「自然死」のすすめ~

    前回の記事で取り上げた『どうせ死ぬなら、「がん」がいい』の読書経験をきっかけにして、その著者の一人である中村仁一氏が2012年1月に出版して50万部を超えるベストセラーになったという『大往生したけりゃ医療とかかわるな~「自然死」のすすめ~』を読んでみた。

 

    著者の中村氏の簡単な経歴については前回書いたので、それ以外の経歴を紹介して著者の人となりの一端を知ってもらいたいと思う。一つ目は、「同治医学研究所」を設立して、有料で「生き方相談」「健康相談」を行っていること。二つ目は、1985年10月より、京都仏教青年会(現・薄伽梵KYOTO)の協力のもとに、毎月「病院法話」を開催して医療と仏教連携の先駆けとなったこと。三つ目に、1996年4月より、市民グループ「自分の死を考える集い」を主宰していること。主な著書は『老いと死から逃げない生き方』『幸せなご臨終-「医療」の手にかかって死なない死に方』。

 

 そこで今回は、本書の副題になっている著者の「自然死」のすすめという考え方の骨子をまとめながら、私なりの所感を加えてみたい。

 

 さて、著者のすすめる「自然死」とは、どのような死のことを表すのかをまずまとめよう。「自然死」とは、簡単に言えば「最後まで点滴注射も酸素吸入も一切しないで迎える穏やかで安らかな死」のこと。このようなとらえ方は、「死」という自然の営みは本来、穏やかで安らかだったはずだが、医療が濃厚に関与することで、より凄惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのではないかという、著者の考え方が反映されている。

 

 もう少し実体的な内容を解説すると、「自然死」の実体は「餓死」(「飢餓」「脱水」)であるらしい。「飢餓」「脱水」というと、非常に悲惨に響くが、実際は腹も減らないしのども渇かないのだそうである。「飢餓」では、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持ちになって、幸せムードに満たされるという。また「脱水」は、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりとした状態になるという。つまり、本来の「自然死」は、痛みや苦しみもなく、不安や恐怖や寂しさもなく、まどろみのうちに、この世からあの世へ移行することなのだ。

 

 そして、著者はそのような「自然死」を遂げるには、「がんで死ぬのがよい」と提言している。このことについては、前回の記事でも書いたことなのでもう触れないが、がん死について著者は次のようにまとめている。「がんの発生は、長生きの税金のようなもの。ある程度まで避けられないものならば、超高齢者のがん死は、人の一生の自然な終焉の一つのパターンと考えられる。」特に「天寿がん」と分かれば、攻撃的治療も無意味な延命治療も行わず、自然に徹すれば、苦しみが伴わない死を迎えることができると…。著者は、このような「自然死」をすすめているのである。私は、もし苦痛を与えることない有効な治療法があるのなら、その治療を受けたいと思う。しかし、自分が何らかの末期がんになり、あまり痛みを伴わないような症状なら、著者の言うような「自然死」がいいなあと思う。あまりにも都合のよい考えだと分かっているが、忍耐力に乏しい私としてはやはり苦痛はなるべく回避したいのである。

 

 最後に、本書の第五章で著者が語っている次のような言葉に、人生の山を下る(「還り」の)時期になっている私は強い共感を覚えたので、ここに転記して今回は筆を擱きたいと思う。

 

…「還り」の人生においては、いやでも「老」「病」「死」と向き合わなければなりません。基本的には、「老い」には寄り添ってこだわらず、「病」には連れ添ってとらわれず、「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がけることが大切です。生き物ものとしての賞味期限が切れた後の重要な役割は、「老いる姿」「死にゆく姿」をあるがまま後継者に「見せる」「残す」「伝える」ことにあります。また、自分の都合で勝手に生きているのではなく、諸々のおかげを蒙って活かされていることに気づき、その「縁」を大切にするように心がけましょう。…

医者の本音・ホンネ(3)~どうせ死ぬなら「がん」がいい!?~

    前回の記事の最後に、がん治療に関する「医者の本当のホンネ」を知りたいと書いたが、私のその願いを叶えてくれそうな本を見つけた。それは『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(中村仁一、近藤誠著)という新書である。

 

 著者の一人、中村仁一氏は1940年生まれで、京都大学医学部卒業。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年2月より社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長。「がん死のお迎えは最高。ただし、治療しなければ…」と言い続け、2012年1月に出版した『大往生したけりゃ医療とかかわるな』が50万部を超えるベストセラーになった。もう一人の近藤誠氏は1948年生まれで、慶応義塾大学医学部卒業後、同大学医学部放射線科入局。1983年から同大学放射線科講師になり、がんの放射線治療を専門にし、乳がんの乳房温存療法を積極的にすすめた。「がんの9割に抗がん剤は効かない。患者よ、がんと闘うな」と言い続け、まさにその通りの著書『患者よ、がんと闘うな』や『がん放置療法のすすめ』他、多くの著書を上梓している。

 

 本書は、そんな過激なことを口にするお二人の対談をまとめたものである。それぞれ異なった道を歩んできたお二人であるが、結論としては同じようなことを言っている。つまり、「がんで自然に死ぬのは苦しくなくて、むしろラク。がん死が痛い、苦しいと思われているのは、実は治療を受けたためである。そして、検診等でがんを無理やり見つけ出さなければ、逆に長生きできるとも…。」

 

 そこで今回は、そのような結論に至った根拠について私なりにまとめながら、簡単な所感を付け加えてみたい。

 

 まず、「がん死はラクだ」という根拠について。中村氏は「老人ホームで体験した限りでは、がんを放置した場合に患者は例外なく、痛まずに実に穏やかに死んでいく。」と語っている。また、こうも言っている。「個人的には、手術や抗がん剤などで中途半端にがんを痛めつけるから、痛みが出て寿命が縮むんだと確信している。」さらに、近藤氏は「年齢を問わず、少なくとも胃がん食道がん、子宮がん、肝臓がんの四つのがんは放置すると少しずつ体力が衰えて、痛んだり苦しんだりしないで、枯れて眠るような自然な死を迎える。」と話している。

 

 次に、「検診等でがんを早期発見して早期治療をしたために早死にした」という根拠について。近藤氏は、長野県の「がん検診をやめた村」、泰阜村でがん死が明らかに減っている実例を挙げている。それによると、1989年に胃がんや肺がんなどの集団検診をやめたら、88年以前の6年間は胃がん死亡率が全死亡率の6%を占めていたのが、89年以降の6年間は全死亡率の2.2%と半分以下に減ったというデータが出ているらしい。このデータについては、集団がん検診でがんの発見頻度が高まり、がんもどきや潜在がんも「がん」と診断されて、治療の対象になってしまい、結果的に手術や抗がん剤の後遺症も含めた「がん死」が増えてしまうと解釈できるそうである。しかも、「早期発見、早期治療」がいくら増えても、患者の延命には結びついていないのだそうだ。特に「がんもどき」は放っておいても転移も出てこないし、死ぬこともないということが、150人以上のがん放置患者を定期的に診てきて裏付けされたらしい。

 

    また、中村氏はそもそも「早期発見、早期治療」というのは、完治の可能性がある感染症結核で成功した手法だから、がんに対して「早期発見、早期治療」という言葉を使うと、早く見つければ完治するという誤解を与えてしまうと警告している。さらに、「手術というのは、人工的な大けがだから、傷口が痛み、がんがさらにはびこることになる。」と話している。結果として、早期がんでも手術されると合併症や後遺症が非常に大きく、死亡することもあるので、手出しをせずにがんとの共存を心掛ければ、普通は穏やかに死ぬことができるらしい。

 

 本書におけるお二人の対談内容が絶対だとも全てだとも、私は言いたいのではない。また、これらの見解を相対化するために反論を試みている医師の本『「医療否定本」に殺されないための48の真実』(長尾和宏著)等、何冊か出版されている。だだ、「インフォームド・コンセント」という名目で、担当医から説明される治療方針や内容等を丸のみにしないで、この対談内容にあるような実例や考え方を知っておくことは、自分なりの死生観・人生観を大切にした最終的な決断をする上で必要なのではないだろうか。特に、私は「自然死」という概念について強い関心があるとともに、苦痛のない穏やかな死を迎えることができる事例についても知りたい。今後、これらのことについてさらに調べてみたいと考えている。

医者の本音・ホンネ(2)~もうがまんができない!~

    前回の記事で、『医者の本音―患者の前で何を考えているのか―』(中山祐次郎著)という本を取り上げた。その矢先、何気に私の書斎(と言えるほどの広い部屋ではないが…)にある書棚を眺めていたら、同名異字の『医者のホンネ』(柴田二郎著)という本を見つけた。もう四半世紀ほど前に購入して読了したと思っていた本だ。ぺらぺらとページをめくって内容を目で追ってみたが、ほとんど忘却の彼方へ消え去っている。しかし、興味深い提言(放言?)や正論(極論?)が満載だったので、再読してみた。

 

 著者は1928年生まれなので、執筆当時は還暦を少し過ぎた年齢であったと思われる。経歴は山口医学専門学校卒業後、米国ユタ大学に学び、帰国してから山口大学医学部に奉職している。その数年後には、米国のシカゴ大学の研究員として渡米している。帰国後は再び山口大学医学部に帰り、助教授、教授、保健管理センター所長を歴任して1988年に退職。その後、山口市内で「中央クリニック柴田医院」(精神科)を開業して、その診療の傍らで執筆活動もしていたらしい。

 

 本書は、『新潮45』連載の「開業医にも言わせろ」の文章に加筆修正して編集したもので、医学界や医学関係の事柄について批判的に語る著者の歯に衣を着せぬ論調は気持ちがよい。因みに全10章の表題を次に並べてみる。「精神病に関するでたらめ」「この傲慢なる医者の態度」「薬はどれほど効果があるのか」「そもそも医学教育が役に立たない」「もともと教育についての考えが間違っている」「生きるか死ぬかは患者が決めるべきである」「人間を平等に扱えるのか」「『健康馬鹿』に告ぐ」「科学に名を借りた迷信」「医者は出しゃばり過ぎである」…この表題を見ただけで本書の内容の過激さが想像できるのではないだろうか。

 

 そこで今回は、本書を久し振りに読んでみて、改めて私の心に強く残った内容の概要を紹介しつつ、その所感を簡単にまとめてみたい。

 

 まず、私が一番心に残ったことは、著者が提言している「契約医療制度の導入」である。「契約医療制度」とは、「この病気はこういう性質のもので、このような検査をすれば確認できます、それでこういう治療をすればこういう経過を辿って、最後にはこうなりますよという契約書を医者と患者の間で取り交わして、間違っていたら治療費を返しますという制度」。現在、一般に流布されている「インフォームド・コンセント」という言葉は、「手術などに際して、医者があらかじめ病状や治療方針、今後の見通しなどを説明し、患者の同意を得ること」を意味していると思われるが、著者の提言している「契約医療制度」は患者の立場を極限にまで尊重した制度である。現実的にはこの制度を実施するのは難しいと思うが、著者はそれまでの医療の在り方が患者の意志を無視し、医者の主観を貫くため患者に我慢を強いるという方向が通念になっていると批判的に捉えていたからこその提言だと思う。「医療は患者のためにある」というこの考え方は、表題の一つにもある「生きるか死ぬかは患者が決めるべきである」という主張にも表れており、私は一患者として全面的に同意したい。

 

 次に、私の心に強く残ったことは、著者が強調している「健康と長寿を取り違えるな」ということ。WHOの健康に関する定義「健康とは病気や虚弱でないというだけでなく、肉体的、精神的、社会的に完全であるという状態」は、こうすれば長生きしますよという、いわゆる長寿法に関することに一切触れられてない。ところが、世間一般の健康に関する概念は、やはり“長寿即ち健康”という考え方に傾いている。だから、健康講座とか健康教室等は長寿法を教えるところになっている。言い換えれば、健康と長寿法が混同されているのである。このことについて、「禁煙運動」を例にして健康を長寿とすり替えていると示している論調は、まさに著者の真骨頂である。このような指摘を考慮してか、最近は「平均寿命」と「健康寿命」とを区別するようになったが、私たちもいつのまにか常識化したことについて常にそれが正しいかどうか問い直す習慣を付ける方がよいようである。

 

 最後に、全編を通じて著者が言及していることについて。それは、「がん」という病気やその治療の在り方等についての見解である。例えば、がん検診については、ノイローゼ患者を生むだけだと批判している。また、がん告知については、結局は死の宣告につながるものだから大反対と主張している。さらに、がん治療については、手術や放射線療法その他を施せば、手術前よりも患者が想像を絶する苦痛を背負い込んでしまい、必ずしも延命に繋がっていない実例が多いと警告している。このことに関しては、今の医者はともすると治らないものを前にして、無力であることを知りながら、苦し紛れにいろいろなことをやっているだけで、それで自分の安心を得ようとしているのだという、ある医師の卓見を紹介している。無駄な手術や放射線療法等によって壮絶な苦痛を味わうのはいやだなあと私は思う。がん治療に関して、もう少し踏み込んだ「医者の本当のホンネ」を聞いてみたいものだ!

医者の本音・ホンネ(1)~医者は患者の前で何を考えているのか?~

    本年1月5日の記事の中で、医者の中には患者に対して傲岸不遜な態度を取り、心を傷つけるような〈言葉〉遣いをする者が少なからず存在する実例を踏まえて、医者に対する批判的意見を述べた。実際に私自身に起こった出来事だったので、その時には「一体全体、医者は患者の心について考慮しないで何を考えているのだろうか!」と腹立たしい思いをした。そのような思いを心の中でずっと引きずっている中、ある書店で『医者の本音―患者の前で何を考えているのか―』(中山祐次郎著)という本が私の眼に飛び込んできた。そう言えば、ツイッタ―で「中山祐次郎‘医者の本音’10万部御礼」というアカウント名を見たことがあった。「これはきっと患者目線で書いた医者の売れ筋の本だな」と思い、早速購入した。

 

 実は以前に私は、著者が初めて著した『幸せな死のために一刻もあなたにお伝えしたいこと―若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日―』という本を市立の中央図書館で借りて読んでいた。その時に、「この若い医者は誠実に患者と向かい合っているなあ。文章から伝わってくる彼の誠意は本物だ!」という率直な感想をもった。今回、本書を購入したのは、この読書経験が大きく影響している。

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 そこで今回は、本書の中で私の心が大きく揺さぶられた内容の概要を紹介しつつ、簡単な所感をまとめてみたい。

 

 まず、著者が本書を書こうとした動機として、次のようなことを考えている。

「患者さんと我々医者のあいだには、どうしてこんなに大きな溝があるのだろう」

「医者の本音を書けば、医者がどんな人々で、いつも何を考えているかが少しは伝わるのではないか」

「そうすれば、とっつきづらい医者とのコミュニケーションが、少しは円滑になるのではないか」

「さらには、医者の襟を正すような発言ができないか」…

そして、「医療とは理想的な病院と社会を作ることではなく、あくまで問題だらけの現実社会の、絶え間ない改修だ」と考え、「今あるこの世界をどう切って縫い直せば、より良くなるのかと思って、書きづらい内容にも踏み込んで本書を書き上げた」と述べている。著者の「患者さんと医者の関係を、同じ病気に立ち向かうパートナーへと変えたい」という熱い願いがひしひしと伝わってくる。私も職業は違うが、現職の教師の時に「保護者と教師の関係を、同じ子どもをよりよく育てるパートナーへと変えたい」という思いをもって教育実践に取り組んでいたので、著者の熱い願いに強く共感した。

 

 次に、本文の全5章の中で私が一番心惹かれたのは、第5章の『タブーとしての「死」と「老い」-人のいのちは本当に平等か?』であった。その中でも最終節の「人間が死ぬ確率は100%である」は、「人生、いかに生きるべきか」を若い時から考え続けてきた私にとって納得できる内容であった。

 

 筆者は今までの医者としてのキャリアを踏まえて、次のような考えに至っている。

「人間をやっている以上、高齢者になるまで生きる以上、がんを完全に防ぐことは不可能である」

「あなたの生命や健康は、思うようにはコントロールすることができない」

「あなたは死ぬのです。必ず、しかもいつか突然に」

「だから、あなたは生きたいように生きるべき」

一人の医者として正直な見解だと私は思う。私たちは、病気や怪我をしたら、医療機関に診てもらおうとする。つまり、自分の生命や健康を守るために医者に依存しようとする。しかし、医者である著者自身が言うように、実際はそれらをコントロールすることはできない。死をコントロールできないのである。だとすれば、私たちはもっと自分の生命や健康を守るために、以前の記事で紹介したように五木寛之氏のような自律的養生法を見出すことが大事になるのではないだろうか!

 

 最後に、「おわりに」の中で著者は、「この本を、医者の言動で傷つくすべての皆さんに捧げます。」という言葉で締めくくっている。私も患者として同様の出来事を経験していたので、本書の全編を通じて「なるほど医者はこのような事情を抱え、このような情況の中で実存的に生きているのだなあ」という感想をもち、医者の置かれている立場について多少は理解することができた。これからは、以前のような理不尽とも言える医者の言動に出合った時でも、少しは冷静に対応することができそうである。誰しも患者という立場になる可能性がある。その時のためにも本書を未読の方に、ぜひ一読をお勧めしたい。