ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

孫Hの「非認知能力」を育むために…~ボーク重子著『「非認知能力」の育て方』から学ぶ~

   先日の「父の日」に、私が自宅近くの書店で新刊書にざっと目を通していたら、長女からLINEで近くの公園で孫Hと遊んでいると知らせてきた。「Hと一緒に遊んでやりたい。」という思いが私の心に溢れてきて、気が付くと自転車に飛び乗っていた。5~6分というわずかの時間だったと思うが、自転車を漕ぐ足の回転がスローモーションのように感じられた。

 

 公園に着き、ベンチに腰掛けているHと長女を見つけた私は、すぐ二人に近づいた。すると、おやつのジュースを飲み干し、顔を上げたHの目に私の姿が映った。嬉しそうに輝くHのまなざしと私のまなざしが交わった時、何とも言えぬ高揚感が私を包んだ。私は午前中の短い時間だったが、自宅近くの公園でHと遊ぶことができたのである。

 

 2歳4か月になるHは、身長約90㎝、体重約15㎏。まだまだ覚束ない足取りだが、坂道を駈け上がったり、駆け下りたりする動きに「機能快」を味わっているようだ。また、多少怖がり屋のところがあり、公園の少し大きな滑り台を滑り降りるのがつい最近まで苦手だったが、その日は果敢にチャレンジした。私と共に階段を上り、急な傾斜の滑り台からも一緒に滑り降りた。その時のHの得意満面の顔が、可愛くて仕方なかった。さらに、シロツメグサが敷き詰めたように咲いている草地では、飛び交うモンシロチョウを追いかけたり、私と追いかけっこをしたりする遊びに夢中になっていた。前日の雷雨が嘘のように晴れ渡った日曜日の公園。帽子の縁の内側に汗が滲んでくるような暑さであったが、私はHと戯れる一時を過ごすことができた充足感の方が大きく、あまり暑さは気にならなかった。

 

 今、私たちじじばばはHが将来、豊かな人間性を備えた大人に成長してほしいという願いの下、Hに対して「人に対する基本的信頼感」が培われるような接し方を常に心掛けている。具体的には、Hを一個の人間として全面的に受容しつつ、Hが好きなことを見つけて遊ぼうとする姿を見守り、励まし、褒めるような接し方をしている。その甲斐もあってか、今のところHは私たちじじばばに対して、心から気を許し、甘えるような態度を示している。また、時には私たちの身体の至る所を噛んだりつねったりする行為をするようになっている。私たちは「痛っ。痛いよ、Hくん。」と言いながらも、その甘えを反転させたような行為も許容しつつ一緒に楽しく遊んでいる。

 

 そんな私たちにとって「我が意を得たり」という本を見つけた。『「非認知能力」の育て方~心の強い幸せな子になる0~10歳の家庭教育~』(ボーク重子著)である。そこで、今回は本書から学んだ「非認知能力」を育むコツについて綴ってみようと思う。

 

 本書は、母親であるボーク重子が娘スカイを育てる上で、「非認知能力」を育む教育こそが、自分の求める“世界最高の子育て”だと確信し、具体的に様々な手立てを講じた実践内容を基にして執筆した書である。「非認知能力」とは、IQやテスト結果のような数値化できる能力ではなく、問題解決力、柔軟性、心の回復力、自制心、やり抜く力、社会性、共感力など、従来の学力とは異なる「数値化できない人間力」のことである。そして、この「非認知能力」がもっとも伸びるのは0~10歳頃の乳幼児期なのである。

 

 「非認知能力」を育む教育の価値に気付いた重子が、まず家庭でできることとして取り組んだのが、①家庭のルールづくり(世の中にはルールがあることを教え、守らせる) ②豊かな対話とコミュニケーション(表現する力と自信を養う) ③思う存分、遊ばせる(遊びの中から問題解決力を伸ばす)の3つのこと。また、子育ての過程で常に意識したのは、①子育ての目的を明確にする ②子どもが安心してチャレンジできる「安心な環境」をつくる(そのための柱は、「子どもの存在を認めること」「個性を認めること=子どもを自分とは違う一人の個人として尊重すること」「子どもが楽しむことを重視した環境」) ③子どもの持つ力を最大限に引き出すための努力は惜しまない ④自分も子どもも、ありのままの姿を受け入れ、認める という4つのこと。どれも今では当たり前のような子育て法なのだが、各家庭で本当にできているかと問われれば、なかなか実践は難しい内容なのではないか。

 

 以上のような実践内容を具体的に論じたのが第2章以下の章であるが、ここではそれらの章題を列挙することに留める。【第2章 ルールをつくる/第3章 対話する/第4章 遊ぶ/第5章 子どもを受け入れる/第6章 「好き」を見つける】詳しく知りたい方は本書を手に取ってもらいたい。ただし、第6章に関しては、私が特に共感した箇所があるので、最後に簡単にそれに触れて筆を擱きたいと思う。

 

 それは、基本的に子ども一人一人の「好き」や「楽しい」という感情を最優先するということ。なぜなら、そのことが人生を幸せと成功に導く「非認知能力」を育む入口だからである。子どもは好きだから、楽しいから自分からやろうとするものであり、それは自己肯定感を高める。さらに、そこに「何のためにやるのか」という大きなビジョン(目的意識)が加わったとき、最後までやり抜く力や共感力が発揮される。自分が情熱をかけられるもの。何よりも大好きで、夢中になれるもの、そしてそれは自分以外の誰かのためにもなる-それが「パッション」だと重子は述べている。私はこの子どもの「パッション」を見つけることが、子育てにおいて最も大切なことではないかと思う。重子は、「子どものパッションを探し支える方法」として、次の6つのことを紹介している。① さまざまなことに挑戦させる ②いろいろな人に会う機会をつくる ③子どもの「フロー状態」を見逃さない ④見つかるまで探し続ける ⑤はじめ方、やめ方のルールを決めておく ⑥「何のために」という質問を習慣にする

 

 大きなビジョンが見え、自分なりのパッションを見つけることができたとき、人は初めて「やりがい」や「生きがい」を持つことができる。私たちじじばばは、本書から学んだことを長女にも話してやり、これからも長女夫婦と共にHの「非認知能力」を育むための子育て・孫育てをしていこうと二人で確認した次第である。

腰痛持ちでもテニスを楽しむことができるよ!~酒井慎太郎著『脊柱管狭窄症は自分で治せる!』で学んだ効果的な簡単ストレッチ~

   私は20代後半頃、中学年の学級担任をしながら体育主任をしていて、そのハードな勤務実態が要因となってギックリ腰のような酷い腰痛になり、それ以来心身共に疲労が蓄積してくると腰痛に悩まされてきた。また、校長職の時には修学旅行から帰ってくると、左腰と左脚のふくらはぎに痛みともしびれとも区別がつかないような症状が出て、その度に整形外科医院のお世話になっていた。つまり、私にとって腰痛は持病のようなものになっていたのである。さらに、退職後始めたテニスのプレー中に腰を強くひねったことが原因で突出型の「腰椎椎間板ヘルニア」を発症して左腰と左脚に激痛が襲い、その完治まで3か月ほど要した経験もしている。この発症から完治に至る過程については、以前にこのブログでも数回にわたって関連記事を綴ったので、読者の皆様の中には御承知の方もいるのではないかと思う。

 

 今から約2年7か月前に発症したこの「腰椎椎間板ヘルニア」は、ヘルニア(髄核)が突出して神経根を圧迫していたので、当初は夜も眠れないほどの激痛に襲われた。しかし、担当の整形外科医の治療方針に従って療養したお陰で、私の突出型ヘルニアは体内の免疫細胞(マクロファージ)が異物とみなして食べてしまったので、3か月ほどで自然消滅してしまい、それまでに襲われていた左腰と左脚の激痛はほとんどなくなったのである。それ以後、「腰椎椎間板ヘルニア」を自力で改善する方法を実践することで、何とかテニスを再開することができる状態にまでになったのである。

 

 ところが、最近になって妻と共に実践している夕食後のウォーキングの際に、左臀部と左脚のふくらはぎにしびれ痛いような症状が出たことがあった。そこで、早速、以前にお世話になった整形外科医院を受診してMRI画像を撮影してみたところ、「腰椎椎間板ヘルニア」の病態は示してはいなかった。「なぜ今までなくなっていたしびれや痛みが出たのでしょうか。」と担当の医師に尋ねてみたら、「もしかしたら、加齢に伴う『脊柱管狭窄症』(脊柱管という背骨=脊柱の内側の管が狭くなり、その中を通っている神経=脊髄が圧迫されて痛みを引き起こす病気)になったのかもしれませんね。」という回答。その時は、あまり酷い症状ではなかったので、湿布薬を処方してもらって様子を見守ることにしたのである。

 

 このような情況の中、先日、市立中央図書館に立ち寄った際に看護師向けの本と共に、以前に読んで大変参考になった『椎間板ヘルニアは自分で治せる!』の著者・酒井慎太郎氏の『脊柱管狭窄症は自分で治せる!』という本も見つけたので借りてみた。そして、ここ数日間で読み通してみると、今まではよく理解していなかった腰痛における「痛みの特徴」と「痛みのタイプ別の簡単ストレッチの方法」について詳しく学ぶことができた。

 

 そこで今回は、その腰痛における「痛みの特徴」と「痛みのタイプ別の簡単ストレッチの種類」についてまとめるとともに、私のテニスライフとの関連について少し綴ってみたい。

 

 まず、著者は自身が考案した「腰痛セルフチェック」の診断結果によって、「前かがみになったときに痛むタイプ(腰椎椎間板ヘルニア=脊柱管狭窄症予備軍タイプ)」【筋・筋膜性腰痛、椎間板症、椎間板ヘルニアなど】と「体を後ろに反らすと痛むタイプ(脊柱管狭窄症タイプ)」【脊柱管狭窄症、腰椎分離症、腰椎すべり症など】に「痛みの特徴」を分けている。ただし、多くの現代日本人の腰痛は、この2つのタイプが混在しているので、一人一人が実践する簡単ストレッチも、個々によって異なっている「腰痛タイプの割合」に応じて行うのが望ましいということである。

 

 次に、著者が自身の経営する治療院で効果があった治療法「関節包内矯正」をもとに考案した、「腰痛解消ストレッチ」のルールは次の通りである。

①セルフチェックで分かった「腰痛タイプの割合」に合わせて行う。 ②床で行うストレッチは、畳やフローリングなどの上で行う。(仰向けで行う場合は、枕をしない。) ③入浴後、就寝前・起床時に行うと、さらに効果アップ。 ④「イタ気持ちいい」と感じるくらいの刺激を目安にする。 ⑤できるだけ毎日実践し、効果が現れやすい3週間後まで続ける。

 

 では、「痛みのタイプ別の簡単ストレッチの種類」を簡潔にまとめると、次のようになる。

 

   1番目は、全ての腰痛に効果的な基本ストレッチとして、「仙腸関節ストレッチ」と「体ひねりストレッチ」の2つ。2番目は、「前かがみになったときに痛むタイプ」に効果的なストレッチとして、「胸腰椎ストレッチ」と「肩甲骨ストレッチ」・「おっとせい体操」の3つ。3番目は、「体を後ろに反らすと痛むタイプ」に効果的なストレッチとして、「仙腸関節プッシュ」と「ねこ体操」・「股関節ストレッチ」の3つ。そして、特に痛みがひどい場合の特効ストレッチとして、「テニスボール療法」。これらの簡単ストレッチを、「腰痛タイプの割合」や「その時の症状の程度」等によって取捨選択して、自分の腰痛に応じて実践することが大切なのである。

 

 私は、今回これらの「痛みの特徴」と「痛みのタイプ別の簡単ストレッチの種類」について理解を深め、改めて自分の「腰痛タイプの割合」(「前かがみになったときに痛むタイプ」7に対して「体を後ろに反らすと痛むタイプ」3という割合)に応じて、簡単ストレッチを実践している。まだ、十分その効果を検証している訳ではないが、少なくとも週末やっているテニスの練習には全く支障はない状態である。加齢に伴う反射神経の鈍りや筋力の衰えは仕方がないことだが、私の今のテニス技能はテニスを始めた還暦頃に比べて少しずつではあるが伸びているのである。腰痛持ちでも今回紹介した簡単ストレッチを実践するだけで、週末テニスを楽しむことができる!

 

 「脊柱管狭窄症」のための腰痛や臀部・脚のしびれなどで悩んでいる方、まだまだ希望を失ってはいけませんよ。まずは本書を読んで、自分の「腰痛タイプの割合」を知り、それに応じて組み合わせた簡単ストレッチを実践してみましょう!!

時代小説から人生の境地を学ぶ~藤沢周平著『三屋清左衛門残日録』の中の言葉から~

   前々回の記事で、葉室麟著『散り椿』を取り上げて「時代小説を読む愉しさ」について綴ったが、私が50歳を越えてから時代小説を読むようになったきっかけは、思想家・文芸評論家の小浜逸郎氏が書いた藤沢周平作品に対する含蓄のある書評を読んだことによる。

 

    御存じの方も多いと思うが、藤沢周平は1971年に『溟い海』でオール読物新人賞を受賞してデビューし、 1973年には『暗殺の年輪』で直木賞、1986年には「白き瓶」で第20回吉川英治文学賞、1989年には「市塵」で第40回芸術選奨文学賞、1989年には作家生活全体の功績に対して第37回菊池寛賞、1994年には朝日賞と第10回東京都文化賞、1995年には紫綬褒章を受章した歴史・時代小説家の大家である。

 

 また、1997年に69歳で死去した後も、サラリーマン層を始め、多くの国民に根強い人気がある作家である。私は、最初に直木賞受賞作を読んでハマってしまい、彼の初期の作品群を読み漁った。初期の作品には暗い情念や「負のロマン」を感じるものが多かった。しかし、その後に読んだ中期の作品には明るさとユーモアが目立つようになり、さらに後期の作品には集大成の境地が見出されるという特色があった。今回取り上げる『三屋清左衛門残日録』という作品は、後期の代表作といってもよいものである。

 

f:id:moshimoshix:20190613141334j:plain

 

 ところで、藤沢周平作品は今までにかなりの数が映像化されている。『たそがれ清兵衛』・『隠し剣 鬼の爪』・『武士の一分』は、寅さん映画で著名な山田洋次監督によって、また『蝉しぐれ』『山桜』『花のあと』『必殺剣 鳥刺し』『小川の辺』は他の有力な監督たちによって、すでに映画化されている。また、『立花登 青春手控え』『風の果て』『神谷玄次郎捕物帖』などを原作としたテレビドラマも数多く放映されている。本書の『三屋清左衛門残日録』も、最近では北大路欣也主演でテレビドラマ化されて、多くの視聴者と共に私もその藤沢ワールドの魅力を大いに堪能した。

 

 では、本書のストーリーと特徴をおおまかに記してみよう。

 

 三屋清左衛門は、用人として仕えた先代藩主の死去に伴い、新藩主に隠居を願い出て、国元で隠居生活に入った。隠居の日々は暇になるかと思われたが、実際には友人の町奉行・佐伯熊太が抱える事件や、知人やかつての同僚が絡む事件の解決に奔走することになる。さらには、藩を二分する政争にも巻き込まれて、陰ながら最後の御奉公をしていく…。現代風に言えば、定年退職した高齢者が、退職前の会社の内紛や人事異動等に係わりを持ちながらも、人生の黄昏に入った自分と折り合いをいかにしてつけていくかという物語である。また、別の側面からとらえると、親友の佐伯熊太との温かい友情物語、さらに料理屋・涌井の女将みさとの内に秘めた淡い恋愛物語という特徴もあると私は思う。

 

 本書のラストに記されている「衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ。」という言葉は、作家として、人間として、藤沢周平氏が達した人生の境地が刻まれている。私も今年の誕生日を迎えると満65歳になる。いよいよ世間で言うところの高齢者の仲間入りをすることになり、上述の言葉は実感として納得できる。50歳の坂を越えるまで時代小説には目もくれなかった私であったが、このような一文に出会うことができ、時代小説を読む醍醐味を味わう体験が遅まきながらできたことを有難く思う。何事も「食わず嫌い」(「読まず嫌い」?)はよくない。取りあえず「試食」(「試読」?)してみることが大切なのだ。

 

「たかが時代小説、されど時代小説!」

看護師に求められる資質・能力とは…~日野原重明著『これからのナースに実践してほしいこと―日野原重明から医療者へのメッセージ―』から~

   地元私立大学の看護科の学生を対象にした特別講義「役に立つ読解力を身に付けよう」を行っているということもあり、先日、市立中央図書館へ立ち寄った際に医療関係者や看護師向けの本を探してみた。次回の講義の際に紹介しようと考えたからである。また、「読解力」、特に「語彙力」を向上させるためには読書という活動は有効だと私は思っている。だから、学生たちにぜひ図書館を利用して、小説でもエッセイでも紀行文でもいいから本を読む習慣をまずは身に付けてほしい。その上で、看護師を目指す人たちなのだから、できれば医療関係者や看護師向けに書かれた本を読んでほしいのである。

 

 そこで今回は、看護科の学生に紹介するための教材研究の一環として、私が先日借りた本の中の一冊、日野原重明著『これからのナースに実践してほしいこと―日野原重明から医療者へのメッセージ―』の内容概要とその所感をまとめてみたい。

 

f:id:moshimoshix:20190610154914j:plain

 

 100歳を超えても現役内科医として、東京の聖路加国際病院で診療に当たり、年間100もの講演や小学校での「いのちの授業」のほか執筆活動も精力的にこなしていた「高齢者の星」・日野原重明氏は、2017年7月18日早朝に呼吸不全のため逝去された。1911年、牧師の息子に生まれ敬虔なクリスチャンになり、少年期を神戸で過ごして、京都帝大(現京都大)を卒業。1941年から聖路加国際病院に勤務。国内でいち早く人間ドックを開設し、予防医学に取り組んだ。生活習慣の改善による予防を念頭に、「成人病」の代わりに「生活習慣病」という新語を提唱。また、米国留学で学んだ医療の在り方や医療者教育を取り入れ、「患者本位の医療」も提唱。末期患者のケアの重要性を訴え、看護師教育の充実にも努めた。2000年には、高齢者が積極的に社会に参加、貢献する意義を説き「新老人の会」を設立。90歳で出版した『生き方上手』は多くの読者を得た。さらに、波乱に満ちた人生でも知られる。東京大空襲地下鉄サリン事件では、多くの被害者を病院に受け入れた。1970年の赤軍派によるよど号ハイジャック事件では、偶然乗り合わせて人質に…。「あの事件で人生観が変わった。与えられた命を人のために捧げようと思った。」と振り返り、その後の人生をこの言葉のとおりに「利他の精神」を貫いて生き切った。実に見事な105年の人生であった。

 

 本書は、今から18年前の2001年から始めた中山書店主催の全国セミナー(六会場)で著者が講演してきたことを中心に再構成し、加筆・訂正したものである。「まえがき」は、その署名が2017年5月になっている。亡くなる約2か月前に書かれているから、著者の最後のメッセージになったのではないかと思う。そして、本章の六つの講演内容は、著者が医師になって以来、自身の頭の中で考え、それを行動しようと努力し、実践してきた思いを語っている。さらに、その思いをこれからの看護を担う医療人である看護師に引き継ぎ、実現してほしいという熱い願いがこもっているものである。

 

 では、これらの講演内容の中で、私の心に深く残ったことをいくつか述べてみよう。

 

 まず一つ目は、「21世紀の看護は、今までどおり感性をもって患者さんの側に立ったケアは絶対に必要だけれども、看護師が近代的なサイエンスを習得しなければ充分な看護はできなくなる」、さらに「これからは、看護師がプライマリ・ケアを担う時代になってくる」ということを強調している点。著者は、ウィリアム・オスラー氏の「医学はサイエンスに基づいたアートである」という言葉を発展させて、「医学・看護はサイエンスに基づいたアートである」と言っている。これからは、今までのように看護師が医師に従属した状態ではなく、「高い感性と人間性」と共に「知識」と「技術」を持つような実力をつけて、ナースとしてのアートパフォーマンスを行うことが求められているのである。

 

 次に二つ目は、ウィリアム・オスラー氏がナースに必要な徳として挙げた「機転、清潔、寡黙、思いやり、優しさ、明るさ、これら六つの要素をつなぐ慈悲の心」という七つの徳のこと。特に、著者がナースに一番大切だと考えている徳は、「機転が利くこと、頭の回転が速いこと」。そして、その次に「明るさ」。ナースが部屋に入って来ると、ひまわりが現われたように周囲がパッと明るくなる存在であってほしいのである。この点は、私も同感である。というのは、私が初めて入院生活をした際に、自分の病気のことが心配で堪らなくなり、これからの自分の人生に対して悲観的な気持ちに襲われて、不安の真っ只中でベッドに横たわっていた。そんな時に点滴を換えに来た担当のナースの明るい笑顔は、何事にも替えがたい癒しになったという経験があったからである。

 

 最後に三つ目。これからの看護師は、臨床の看護と同時に、看護を支える高いレベルの基礎医学及び臨床医学的な知識と技術を持ちながら、医師と協力して働くことが大切であるということ。そして、看護師がチーム医療に参加している医師と仲良く仕事をするために求められる資質・能力として、著者は次の八つのことを挙げている。「①協調性 ②他の職種への配慮 ③寛容性 ④責任感 ⑤時間の正確さ ⑥リーダーシップ ⑦専門知識 ⑧凛々しい行動」。これらの資質・能力は、他の職種においてもチームで仕事をする場合には必要不可欠な資質・能力だと思うが、これから看護師を目指そうとする学生たちには、ぜひ知っておいてほしいことである。次回の特別講義の中でも少しは触れたいと考えている。

時代小説を読む愉しさ~葉室麟著『散り椿』の魅力について~

   最近、朝早く目覚めた時に寝床で読み耽っている本がある。1年半ほど前に鬼籍に入った直木賞作家・葉室麟氏の『散り椿』という時代小説である。本書は、葉室氏が2012年に『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞した後、最新刊として上梓した著作なので今から7年ほど前の作品である。

 

f:id:moshimoshix:20190607191718j:plain

 

    葉室氏は直木賞を受賞したのが61歳の時なので、遅咲きの作家と言えるのではないかと思う。もちろん地方紙記者を経て、2005年に『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞して作家デビューして以来、直木賞受賞までの7年間ほど作家生活を送っているので、それなりのキャリアはあった。また、その間にも、2007年に『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞し絶賛を浴び、その後も『いのちなりけり』・『秋月記』・『花や散るらん』・『恋しぐれ』で何度も直木賞候補となっている。そして、直木賞受賞後も2016年に『鬼神の如く 黒田叛臣伝』で司馬遼太郎賞を受賞したのを始め、主に弱者や負者の視点に立った歴史・時代小説を精力的に執筆し続け、2017年12月23日に逝去するまでの5年間ほどに発刊した著作は夥しい数に達していた。享年66歳。書きたいテーマを書き続けたものの、生き急いだ感は拭えない。何らかの病を隠して、作家として燃焼し尽くしたのであろうか…。

 

 さて、私にとって『散り椿』は再読の書である。なぜ再読したのかというと、先月中旬に岡田准一主演のテレビドラマ『白い巨塔』が5夜連続で放映されたことがきっかけである。私は過去に田宮二郎主演の同ドラマを観て感動したので、岡田准一財前五郎役をどのように演じるのか興味をもってテレビ放映を観た。そして、俳優・岡田准一の熱演ぶりに改めて感動し、その際に8か月ほど前にやはり岡田准一が主演して映画化された『散り椿』のことを思い出したのである。私はその映画はまだ観ていないが、初めて『散り椿』を読んだ時の感動を再び味わいたいと居ても立っても居られない心境に陥ってしまい、書棚に眠っていた本書に手を伸ばしたという次第である。

 

 では、『散り椿』のストーリーをかいつまんで記してみよう。

 

 かつて一刀流道場の四天王の一人と謳われた瓜生新兵衛は、妻である篠と地蔵院に身を寄せていた。病気を患う篠は「散り椿」を眺めながら、故郷の「散り椿」がもう一度見たいと呟くがその願いは叶う事は無かった。篠は亡くなる直前、自分が死んだあと夫に故郷に戻ってほしいと頼み、妻の言う通り故郷の扇野藩に戻る。18年前、新兵衛は藩の不祥事を追及し故郷を逐われた過去があったためそれはとても過酷なものだった。藩では、事件の巻き添えで亡くなった者もいたが、栄進した者もいた。新兵衛の帰郷により藩内では再び抗争が巻き起こり、友人だった榊原采女と新兵衛は対決することとなる。そして過去の事件の真相や篠が託した言葉の本意を突き止めていく…。

 

 私が本書の中で心惹かれたところは、扇野藩における権力抗争の渦に翻弄される中、新兵衛と妻の篠・新兵衛と篠の妹である里美の間に交わされる情愛の純粋さであり、新兵衛と甥の坂下藤吾・新兵衛と友人の采女との間に築かれる信頼の堅固さである。どの場面からそのように感じたかは、多くの方にこの時代小説を読んで当ててほしいので、挙げないでおく。だだし、読み手によって心を動かされる場面は違うものなので、私の感動を強要するものではないが、豊かな想像力と精緻な表現力で描く葉室ワールドを読む愉しさを十分に味わってほしいと願っている。

 

    次に、私が本書の魅力だと思うところは、上述した心惹かれるところとも重複するのだが、著者が別の表現で語った次の言葉に尽きる。「自分の役割や相手の思いを探っていくことで、自分の本当の思いに気づく。その過程が描きたかった。」人は、それぞれ自分の置かれた立場からでしか相手の気持ちを推し量ることはできない。しかし、次々に変化する情況の中でその思いを探っていくと、今までは自分でも気づかなかった本当の自分の思いに気づくことがある。その時、自分の思いは単なる主観的なものから、他者も共感し得る間主観的(相互主観的)なものへ止揚するのである。私はそこに人間として真摯に生きる姿を見出すのである。葉室麟氏の時代小説にはそのような精神の変容過程が見事に描かれていると実感する。それこそが、時代小説を読む愉しさにつながるのだと私は思う。次の休日には近くのTSUTAYAで岡田准一主演の『散り椿』のブルーレイかDVDを借りて、活字とはまた異なる映像による葉室ワールドを味わってみようかな…。

総合型地域スポーツクラブの「登録・認証制度」導入に伴う負の側面を危惧する!~本県総合型地域スポーツクラブ連絡協議会・評議員会での議論内容から~

    今月2日(日)の午後、県生涯学習センター・第4・5研修室を会場にして、本県の「総合型地域スポーツクラブ(以下、総合型クラブ)連絡協議会・評議員会」を開催した。議事の第1号議案から第5号議案までは概ねスムーズに進行したが、その他の中の「連絡協議会の入退会に関する規約の変更」と「総合型クラブの登録・認証制度」の審議には多くの時間が割かれた。

 

f:id:moshimoshix:20190605092905j:plain

 

   「規約の変更」については、規約条文の表記の仕方について慎重に審議され、会長と事務局に一任ということで了承された。ただ、「登録・認証制度」については、今月28日(金)にスポーツ庁から各都道府県の行政担当者や連絡協議会長、体育・スポーツ協会関係者への説明会が大阪で開催される予定なので、現在までに事務局が情報収集した範囲での説明に基づいた審議になった。したがって、まだ不確実な情報を基に各自が推量したり憶測したりした意見が飛び交う議論になった。

 

 そこで、今回の記事ではこの評議員会で出された議論を整理するとともに、私なりの簡単な所感をまとめてみたい。

 

 まず、「登録・認証制度」の導入目的やメリットについて。基本的には、目的は「総合型クラブの質の充実を図ること」であり、メリットは「総合型クラブの社会的認知度と信頼度を高めること」である。そのために、「登録基準」は総合型クラブの理念である「多種目」「多世代」「多志向」を満たす内容になり、「認証基準」もタイプ別(例えば、介護予防タイプ、学校運動部活動連携タイプなど)による内容になる。しかし、県内39の総合型クラブの内で「登録基準」を満たすのは、1~2割程度になるのではないか。そして、登録済みの中でその特性が明確な総合型クラブがタイプ別の認証を申請することが予想される。とすれば、そのメリットを生かせるのはほんのわずかの総合型クラブになる。確かに、登録・認証された総合型クラブには、県内市町の行政機関からそのタイプに応じた委託事業を受ける可能性があり、それは当該総合型クラブにとって事業的にも財政的にもプラスになると思われる。ただし、その恩恵を受けるのは、本当に少数なのである。それでいいのだろうか!?

 

 次に、中間支援組織について。日本スポーツ協会の原案によると、「登録・認証制度」の運用主体となる中間支援組織は、各都道府県体育・スポーツ協会になるとのこと。(現時点ではまだ確定してはいないが…)そして、育成支援する対象は登録・認証された総合型クラブになるらしい。また、一部の情報によると各都道府県総合型クラブ連絡協議会に加入できるのは、それらの総合型クラブだけになるという。とすれば、登録・認証しない、或いはできない総合型クラブは支援を受けたり連携を図ったりすることができない情況になるかもしれない。これは、事業実績の少ない経営基盤の弱い総合型クラブ、しかし細々とではあれ地域住民の生涯スポーツの機会を提供して地域活性化に何らかの貢献をしている総合型クラブが明らかに排除されることにつながる。本当にそれでいいのだろうか!?

 

 最後に、私共の広域スポーツセンターの在り方について。中間支援組織が本県スポーツ協会になった場合、私共の広域スポーツセンターの役割は今後どうなるのであろうか。県内の登録・認証しない、或いはできない総合型クラブは今まで通り、広域スポーツセンターからの育成支援を期待されると思う。しかし、もし地域スポーツの振興を図る県の担当課からの委託事業を受けることができなくなれば、今まで通りの支援を行うことは不可能である。当事業団の自主財源で総合型クラブを支援する事業は財政的に制限されている現状を鑑みれば、私共の広域スポーツセンターの機能は低下していく。とすれば、県内の8~9割の総合型クラブは育成支援を受けられなくなり、今後ますます経営が困難な情況に陥り、いずれ衰退の一途を辿ることになりかねない。本当に、本当にそれでいいのだろうか!?

 

 以上のように、今回の「登録・認証制度」導入に伴う負の側面は大きい。私はこのことを大変危惧するのである。今後スポーツ庁から示される制度設計の詳細についてしっかりと把握した上で、負の側面が拡大しないような具体的な方策を講じていきたいと考えている。

「100分de名著」における『平家物語』から組織論の真髄を学ぶ!~能楽師・宮田登氏の解説内容を基に~

   気が付けば、もう6月。あっという間に5月の1か月が過ぎ去った。ゴールデンウィーク後は、県や市の教育関係団体の定期総会への参加、中堅教員を対象とした研修講話、看護科の学生を対象とした特別講義、各種祝賀会への参加、市内の総合型地域スポーツクラブに係わる会合への参加等、本当に慌ただしい日々の連続だった。そのために、楽しみにしていた5月のEテレ「100分de名著」の『平家物語』4回分の放映を当日視聴することができなかったので、暇を見つけては購入したテキストを読んだり、休日等を活用しては毎回録画したものを視聴したりした。

 

 そこで今回は、『平家物語』にまつわる私の昔話に触れつつ、講師である能楽師宮田登氏の解説内容やテキストから学んだこと、特に組織論の視点から学んだことをまとめてみようと思う。

 

 元々、私は中学生の頃から国語科の「古典」の授業はあまり好きではなかった。というのは、何と言っても古文の言葉遣いが分かりにくく、現代語訳をするのが煩わしかったからである。また、日常生活における現実的な課題に対処するのが精いっぱいで、古い時代の事柄自体にあまり興味・関心をもつことができなかったのである。その中で、『平家物語』の冒頭のフレーズである「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」は、なぜか今でも私の頭の中に記憶として残っている。

 

 私は中学生の頃には母子家庭になっていて、両親が揃っている多くの同級生に対する羨望と共に世間一般に対する負い目を感じていた。だから、このフレーズの中にある「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。」を勝手に解釈して、「幸せそうな家庭に育つ同級生もそれに対して優越感をもっていたら、その幸せも永くは続かない。そのような幸せは夢幻のようなものなのだ。」と劣等感に根差した偏見的な考えに私は拘泥していた。私の記憶の理由は、この負のイメージの刻印なのであろう。

 

 もう一つ、『平家物語』の記憶に対する負のイメージの刻印がある。それは、小学生の頃に観た「耳なし芳一」という怪談映画に関わる恐怖心である。私は小さい頃から幽霊話が嫌いな怖がり屋であった。そんな私が大人に連れられて「耳なし芳一」を観たのだから、その怖がり方は想像に難くないであろう。特に平家の落武者の亡霊たちが、壇ノ浦の合戦の様子を物語る琵琶法師の芳一に迫り来る場面は怖かった。また、その場面で小舟に乗った二位殿(清盛の妻、安徳天皇の祖母)が幼い安徳天皇の手を取って、真っ赤な海に共に身を投げた様子は、その怖さと共に憐憫の情を抱いた小学生の私の目の裏に焼き付いた。ただ、これらの場面が『平家物語』に由来することを知ったのは後々のことだから、きっと大きくなってから記憶を再現したのであろう。

 

 さて、そんな私が今回なぜ『平家物語』を視聴しようと思ったのか。それは、今回の講師が能楽師の宮田氏だったからである。以前に彼の著書『疲れない体をつくる「和」の身体作法』を読んで、私はその身体論に興味をもった。その彼が講師として解説するということが大きな要因になった。さらに、第一回を視聴した時に、彼の熱の入った解説と表現力豊かな朗読に魅入られてしまったのである。それ以来、第四回まで視聴して、私は『平家物語』の面白さを存分に味わうことができた。中でも、彼が『平家物語』から導き出す組織論は納得することが多かった。

 

 特に第二回放映分で語られた内容。富士川の合戦での平家の不戦敗の要因について語る際に、宮田氏は平家の大将軍が維盛という無能のリーダーだったことを挙げる。だだし、維盛はどこから見ても格好いい人であったからこそ、清盛としても組織の上に置いた。組織の長としての能力を問うよりも、いい人だから高い地位に上がってしまうということは、現在でも見られることだと彼は言う。そして、組織の人事でトップを誰に据えるかという時に、それを決定する人たちが選んだ人は、自分たちより能力的に劣る人である可能性が高い。その理由は、決定権を持つ偉い人たちが上から目線で行うからである。自分より才能がある人のことは、人は基本的に理解できない。いわゆる「優れている人」は、「理解可能な優れている人」なわけで、実はあまり優れていない可能性が高い。だから、優れている人を上のポストに就かせるという「実力主義」は、実は間違えていると言えるのである。『平家物語』には、「こういう人が組織の上に立つといいですよ」ということは書かれていない。しかし、宮田氏は「こんな人がいい」と言った瞬間に、そこでの視野や価値観が固定され、硬直化し、そのままいくとやがて組織の疲弊につながると言っている。宮田氏は、『平家物語』を組織論としてとらえる時、そんなメタ・メッセージを読み取っているのである。

 

 私は現職の時に、小・中学校の校長や全県の義務教育関係教職員のほとんどが入会している教育研究団体の会長を経験したことがある。その際に自分なりの組織論を構築しようと思案したことを今、振り返ってみて、ここで宮田氏が解説している『平家物語』から導き出した組織論は、その神髄を言い得ていると確信した。まだまだ、『平家物語』から学ぶことは他にもあるであろう。いずれは、『平家物語』自体をじっくり読んでみたいものである。

本市における総合型地域スポーツクラブに係わる新たな動向について

   今月27日(月)の夕方、私と係長の二人で当市スポーツ協会を訪問した。目的は、本市内の総合型地域スポーツクラブ(以下、総合型クラブ)への補助金制度導入の要請と、それに関連して我が国における総合型クラブの設立理由や経緯等についての説明、総合型クラブの「登録・認証制度」導入に伴う対応等についての情報交換を行うことである。

 

 一つ目の「本市内の総合型クラブへの補助金制度の要請について」は、総合型クラブ「~かるスポ~○○村」の創設に伴った市スポ協への働き掛けの一つである。現在、市スポ協は市内の総合型クラブの実態について十分把握していない情況なので、それへの補助金制度を導入することは全く考えていないとのことであったが、まずは総合型クラブについて知ってもらうことが大切だと思った。

 

 f:id:moshimoshix:20190529124105j:plain

 

 そこで、二つ目の「総合型クラブの概要説明について」は、私が我が国において総合型クラブを設立することになった理由や経緯等を次のように説明した。

 

    事の始まりは、平成12年9月に策定された「スポーツ振興基本計画」において、「成人の週1回以上のスポーツ実施率を50%に上げる」というスポーツ行政課題を達成するための必要不可欠な施策として位置付けていたのである。当時、新自由主義の立場を取る政府は、行政機能の縮小化や分権化、民営化、予算削減等という政策の趨勢に、住民の自主性涵養や自助努力といった総合型クラブの考え方が一致したので、この政策を一層推進したのである。言わば行政主導の政策として、最初はとにかく量的拡大を目指してきた。その成果として、平成30年度までに全国で3,500ほどのクラブが設立し、総市町村数の約80%で総合型クラブが育成されている。しかし、その活動内容や財政状況等の質的な面ではまだ十分でないという課題が残った。そこで、文部科学省は平成29年に「第2期スポーツ基本計画」を策定し、その中で総合型クラブの質的充実を図ることを謳い、そのための一つの施策として「登録・認証制度」の整備を施策として示したのである。

 

    ここで、三つ目の「総合型クラブの『登録・認証制度』導入に伴う対応等について」、私から次のような内容を説明した。

 

    「登録」とは総合型クラブからの申請に基づき、制度の運営主体が「登録基準」に合致したと判断した場合に名簿に記載する手続きで、「認証」とは登録手続きを完了後に当該クラブからの申請に基づき、制度の運営主体があらかじめタイプ別に用意した「認証基準」のいずれかのタイプに当該クラブをはてはめ、タイプに応じて名簿に記載する手続きである。この制度の概要や運用方法等についての説明会が、6月末にスポーツ庁主催で行われるので、それを経てからまた詳しい説明をしたい。ただ、問題なのは運営主体としての「中間支援組織」を本県ではどこの組織が担うかである。今まで県内の総合型クラブの創設及び運営等の支援事業を行ってきたのは私共の「広域スポーツセンター」であるが、スポーツ庁や日本スポーツ協会の案でそれを今後は「本県スポーツ協会」が担うことになった場合は、様々な難題を克服する必要がある。また、成り行きによっては市スポ協が市内の総合型クラブからの申請受付や登録料徴収等の事務を担う可能性もある。そのための準備作業も視野に入れておく必要がある。

 

    ほとんど私がしゃべりまくった感じだったが、市スポ協の方々は総合型クラブに関する現状や課題等について認識を深めてくださったようであった。今後とも情報交換を密にしていくことが約束できた点は、今回の訪問の大きな成果だと思う。これからもスポーツ関係団体等との連携をより図っていきたい。

定年退職後、あなたはどのような生き方をしますか?

     先週末、連チャンで祝賀会的な飲み会があり、久し振りに懐かしい方々と親しく会話することができて本当に愉快な一時を過ごすことができた。

 

    一つは、私が校長として在任した市内のある中学校で一緒に勤務した二人の先生が、市立中学校長を最後にして昨年度末に定年退職したことをお祝いする宴会だった。この会は元々、4年前に私が定年退職した際にその祝賀会として発足し、それ以後私の名前に因んだ「○○会」と称して毎年定期的に催されてきた会である。当日の会話の内容は、どうしても二人の定年退職後の近況になる。一人は市立幼稚園長をして、園児たちと毎日楽しく関わっているとのこと。「在園する全ての園児のベストショットを撮り、パソコンに一人一人の園児別フォルダを作ってストックしている。」と園長の顔になって、喜々として語っていたのが脳裏に焼き付いた。もう一人は市立小学校に中学年の外国語活動や高学年の外国語科(英語科)の専科教員として再任用され、週22時間の授業を担当しているとのこと。「高学年の子はともかくも中学年の子の扱いには戸惑っている。でも、また教え子が増えるのが嬉しい。」と教師の顔になって、苦笑いをしながら語る姿が印象的だった。また、二人とも「お陰で血圧が下がって、体調がよくなったのが有難い。」と、血色のよい顔で照れ笑いをしていた。

 

 もう一つの会は、今年の春の叙勲や昨年度の文部科学大臣表彰、県教職員選賞を受賞された先生方の祝賀会だった。受賞者8名の中には私が現職中に特に関わりの深かった先生が5名もいたので、ぜひお祝いの気持ちを表したくて参加したのである。この会は、県内義務教育関係者の中で春や秋の叙勲等を受けた方々をお祝いする会で、年に2回開催され今回で「第127回」を数えている。私は現職最後の年に本県義務教育関係の教職員のほとんどが入会している教育研究団体の会長職に就いていたので、本会の会員名簿に名を連ねている。退職後もできるだけ参加させてもらい、多くの先輩から人生の極意を教えられたり、多くの後輩を激励したりする有益な交流の場とさせていただいている。当日は、受賞された先輩から陰で私を高く評価してくれていたある先輩の話を聞かせていただき、感銘する場面があった。その先輩とは現職中、教育実践のスタンスに違いがあり口論することもあったので、私としては嫌われていたと思っていただけに、その話を聞いて驚くと共に感謝の念が湧き上がってきたのである。また、受賞された後輩の中の一人からは私が従来から大切にしている人生観や教員観等についての共感的なコメントを聞く場面もあり、ついついよい気分になって盃を重ねてしまった。さらに、受賞された別の後輩との会話の中では、退職後の生き方について触れることもあった。その方は今、地元の教職院大学に勤務しているが、あまりに収入額が低いのを嘆いていた。6月からは本県教育会の事務局員も兼務するらしい。定年退職後の生き方はそれぞれだが、公的年金満額受給までの生活費をどのように確保するかというのは定年後の大きな経済的課題なのである。

 

 ところで、定年退職後丸4年を経た私は、現在、生涯スポーツ社会を実現するための事業を展開している公益財団法人に勤務しているが、ここも本年度末には定年退職することになっている。65歳が定年退職の年齢なのである。しかし、私としてはまだまだ心身共に健康であり勤労意欲も衰えていないので、65歳以降の就職先を何とか探したいと考えていた。そのような中で、先の春の叙勲等を受賞された方々の祝賀会の席において、ある先輩から有難い申し出を受けた。それは、来年度から本県教職員に関係する生活協同組合の県支部長を引き受けてくれないかという打診であった。私はその勤務体制や職務内容等の概要を伺って、願ってもない就職先だと判断し、すぐさま受諾する意思を示した。今後、さらに詳しい勤務及び給与条件等について日を改めて伺うことを約束した。本当に有難いことである。若い頃は自己主張を正当化して他者を批判するような利己的な考え方や生き方をしていた私だったが、不惑の年齢に達した頃から他者との望ましい関係性の在り方について問い直し、利他的な生き方を大切にするようにしたことが、結果としてこのような人間関係を築くことにつながったと思う。やはり望ましい人間関係の構築は、人間の一生をより豊かなものにしてくれるのだなあと改めて実感する日になった。

 

 さて、私が最近寝る前に読んでいる『定年バカ』(勢古浩爾著)という本の中で、著者は次のようなことを主張しているので、紹介してみたい。…定年後は「資金計画を立てなさい」「できるだけ仕事を続けなさい」「健康管理を怠らないように」「現役時代から趣味をもちなさい」「地域社会に溶け込みなさい(地域デビュー)」「家族(特に妻)との関係を見直すように」「ボランティアをしなさい」「交友を広げなさい」というように、多くの定年本には「~しなさい」と提唱されている。そして、それらの一つ一つが全てごもっともである。しかし、定年後どう生きたらいいかについては、「自分の好きにすればよい!」の一言で足りる。…人に誇るべきことは何もしていないが、それなりに満足して「何もしていない生活」を送っている多くの定年後の後衛の人が、ダメの見本として不当に貶められている現状に対して著者は異議申し立てをしているのである。仕事をしている人、地域活動をしている人、高尚な趣味に親しんでいる人などは定年後の前衛の人であるが、前衛も後衛も「好きなこと」をしているということでは、全くの同等の価値である。だから、全ての定年後の人はいろいろな強迫観念から解放されて、楽になるとよい。自由が一番なのであると、本書の最後に結んでいる。

 

 私はどちらかと言えば、今まで定年後の前衛たろうとし過ぎていたのかもしれない。もちろん、経済的な面でやむを得ず仕事はできるだけ続けたいと思っているが、他の面では自分が現在していることが本当に「好きなこと」なのかについて、じっくりと再考してみたいと本書を読んで思った。少なくとも、「何もしていない生活」を送っているように見える人に対して、上から目線で眺めるような精神性に陥らないように心掛けたいものである。

看護科の学生を対象にした「役に立つ読解力を身に付けよう」という特別講義を行いました!

 今月21日(火)の午後、地元の市立大学看護学部看護学科の1回生35名を対象にした特別講義「役に立つ読解力を身に付けよう」を行った。教室空間で教科の授業を行ったのは、何年ぶりだったろうか。小学校の教頭職の時、「習字」の授業を行って以来だから、およそ13・4年ぶりかなあ。授業の最初に出欠確認をする際には、何ともいえぬ緊張感を意識した。そのような私を凝視していた学生たちも表情が強張っているように感じた。「いかん、いかん。この歳になって、情けないぞ。」と私は心の中で自分に活を入れた。

 

 最初の講義なので、まず私の自己紹介から始めた。7年ほど前に、市内のある小学校に校長として着任して臨んだ新任式で、その後子どもたちが私をフルネームで呼んでくれるほど記憶に残ったあいさつ内容を紹介した。それは、イソップ童話の中でもよく知られている「ウサギとカメ」の話を使った自己紹介だった。学生たちもそのダジャレ的な内容を笑顔で受け止めてくれた。この辺りで私の話術はいつもの調子になり、精神的にも落ち着きを取り戻してきた。それに対応するように、学生たちの表情も柔らかくなったようだ。

 

 その和やかな雰囲気を生かして、次に、「読解力」に係わる学力テスト問題やあるリーデングスキルテスト問題、そして私が勤務している公益財団法人が主催している幼児対象のイベントの参加料計算問題を、学生たちに約15分間で解いてもらった。私はその間、机間巡視をしながら、学生たちの解答内容を確認してみた。すると意外にも苦戦している学生が多かった。特に、慣用句を使った短文づくりや参加料計算問題。なぜ参加料計算問題が「読解力」に係わるのか不思議に思った方もいるのではないか。その理由はこのイベントチラシの中に参加料規定が書かれていて、「未就学児」とか「2歳以上」「1歳未満」とかの規定に応じて計算しなくてはならないので、テクスト(情報)の中から問題解決に必要な情報を取り出し、それを正確に読み取る過程が含まれているからである。

 

 学生たちが概ね自分なりの解答を書き込み終えたのが、ちょうど約15分経った頃だったので、順次答え合わせをしていった。その中で、学生たちと解答内容に絡んだ対話を楽しみつつ、問題文を正確に読み取ることの大切さや、その際に語彙力が必要になることを事例を通して意味付けていった。学生たちは今まで概念的には分かっていた「読解力」の内容を、具体的な事例に即応して理解を深めていったようだった。

 

 そこで、今度は「読解力」を活用して解く必要がある看護師の国家試験の過去問題3題に、約10分間でチャレンジしてもらった。今までの国家試験の問題はそのほとんどが4択の選択問題になっている。私は学生たちに「自分が正解だと選択したら、必ずその理由や根拠が言えるように考えておいてください。」と指示した。その後、答え合わせをする際には、学生に解答の理由や根拠を発表させる中で、「QOL」や「Open-ended question〈開かれた質問〉」の概念について、また「8歳児が白血病の終末期で症状が安定していること」の意味について解説を加えながら、選択問題の解き方のポイントを押さえていった。

 

 残り20分になった時点で、時間の都合で後回しにしていた「読解力」の定義について、プレゼンを活用して解説した。社会人になって「読解力」がないと起こる困り事を押さえた上で、特に「PISA型読解力」の必要性について強調した。また、役に立つ「読解力」とはどのようなものかについても具体的な事例を紹介し、「読解力」を身に付けることの必要性をできるだけ実感的に理解させようとした。さらに、新しい国語科の方向性についても触れようと思ったが、最後に自己評価カードを書かせたかったので、次時の最初に取り扱うことにして本時では省略した。

 

 残り5分ほどになったので、最後に学生たちに自己評価カードを書かせた。「まず自己紹介をしてから、本時の講義を振り返って感想を書こう。」と働き掛けていたので、後で書いている内容を読んでみると、短いながらも自分の好きなことや特技などを記入している学生が多かった。また、「国語や読解が苦手だ。」と書いている学生も結構いたが、そのほとんどの子が「本時の講義は楽しかった。面白かった。90分間があっと言う間に感じた。」と書いてくれていたので、私としては疲労感の中にも久し振りの教師としての充実感を味わうことができた。次回は、指導内容をもう少し精選し、できるだけ効率的・効果的な展開になるようにしっかりと授業準備をして臨まなくてはならない。…何だか“教師根性”が蘇って来たような気分である。