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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

生誕110日目を迎えて、やっと孫Mの「お宮参り」と「お食い初め」、そして「記念撮影」をすることができました!

 今年の梅雨入りは例年より早かったにもかかわらず、雨が降らない日が多く「空梅雨」の様相を呈している。雨嫌いの私にとって、これは大変ありがたいことである。つい先日の6月6日(日)も、午前中は薄曇りの晴れで気温も23℃程度だったので、屋外でも過ごしやすい日だった。

 

    そんな大安吉日に、私にとって二人目の孫Mの「お宮参り」が、生誕110日目を迎えてやっとできた。本当ならもっと早くしてほしかったが、何と言ってもつい先月中旬まで本県は「まん延防止等重点措置」の指定を受けていたり、月末までは念のために本県独自の「特別警戒期」が発令されたりしていて、神社の方も結婚式やお宮参りなどの行事を受け付けていなかったようである。でも、6月に入ってやっと新型コロナウイルスの感染拡大防止の警戒レベルが下がって、神社の対応策も緩和されてきたので、今回、孫Mの「お宮参り」がやっとできたという訳である。

 

 当日の午前中は、孫Mの「お宮参り」の儀式の前に結婚式が挙行されていた。私たち夫婦が神社に到着した時、新郎の友達有志によって地元太鼓台を担ぐパフォーマンスの最中。先着していた向こうの祖父母と一緒に、私たち四人はお祝い気分の御裾分けをいただくようにその様子を見学した。そうこうしていると、二女夫婦とMを乗せた普通自動車が駐車場に入ってきて、私たち夫婦は10日振りにMに再会した。先月27日(木)にも、Mの夏服を手渡し不要になった冬布団を持ち帰るために、二女の住むマンションを訪問していたのである。その際に私が話し掛けるとMは喃語をよく発していたが、この時も車のベビーシートに座っているMに対して私が「Mくん、元気だった?機嫌はどう?」などと話し掛けると、「あう、あう、あう…。」とニコニコしながら応えてくれた。 

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 しばらくして、太鼓台を担ぐパフォーマンスが終わった頃に、宮司さんが本殿前に案内してくれた。向こうの祖母にMを抱いてもらい、妻と二女が手伝ってMに晴着を着せ付けた。涼しいとは言え晴着を着付けられれば暑さを感じて嫌がるかと思っていたが、Mは何だか嬉しそうな表情をしていた。また、その後に執り行われた「お宮参り」の行事中も全く愚図ることなく、終始ご機嫌な様子であった。皆は駐車場へ戻りながら、「Mくん、偉かったね。ちっとも愚図らなかったね、すごいよ。」と口々に褒め称え、「Mくんは、我慢強く物事に動じない性格かもしれない。」などと手前味噌的な感想を語り合いながら、皆で幸せな気分を共有した。

 

 その後、向こうの実家へ場所を移し、Mの「お食い初め」の儀式を行った。テーブルの上には、大きな鯛の焼き魚と御膳が用意されていて、向こうの祖父⇒私⇒Mの父親の順に儀礼に則った「お食い初め」を行った。この時も、Mは終始柔和な笑みを湛えながら、私たちが魚身やお米などを口元へもっていく様子を不思議な表情で眺めていた。「やっぱりMくんは、気分がおっとりした大物の風情だね。」などと、ここでも私たち祖父母は孫Mの自慢を競い合うように語り合った。じじばばというのは、やっぱり孫が可愛くて仕方がない生き物なのである。その後、Mをそっとベビーラックに乗せて、私たち大人は豪華な折詰の料理に舌鼓を打った。その会食中も、Mの未来を見据えた夢や希望等を話題の中心にして、Mが誕生以来、現してきた可愛らしく賢い仕草の数々を紹介し合った。他人が見たら、ホント、我々は「じじばばバカ」そのもの!

 

 2時間ほどの愉快な会食タイムは瞬く間に過ぎ、事前予約している「フォト・スタジオでの記念撮影」の時刻が迫ってきたので、私たちは3台の車に分乗して会場へ向かった。車で15分ほどの距離に位置する大手デパートのフォト・スタジオには私たち夫婦が一番乗りし、次に向こうの祖父母、最後に二女夫婦とMたちが到着した。その店にはすでに4~5組の客がいて、さすがに大安吉日だと思わせたが、私は「密集」状態になることにやや恐れをなした。しかし、それは仕方がないと諦めて撮影前の手続きをしばらく待っていたら、ようやく「記念撮影」の時間が来た。それから約2時間、私の実家から贈った晴着姿や、二女がネットで購入した簡易用の羽織袴姿、果ては上半身裸姿の写真撮影を行った。さすがに商売上手だと思ったのは、大型のミッキーマウス人形をはじめとする小道具類の多さ。一番驚いたのは、「お食い初め」の御膳セットの小道具までも用意されていたこと。私たちじじばばは、スマホの動画撮影が許可されたので、必死でMの様子を追いかけた。孫の成長を記念に残す嬉しさが勝っていたとは言え、長時間の撮影時間のために本当に疲れ果ててしまった。

 

 記念撮影後、食べ切れなかった折詰を取りに戻るために、再度向こうの実家に寄らせてもらい、しばらく休憩してから帰路に就いた。帰路の道路事情は結構よかったので、70分ほどで帰宅することができた。私たち夫婦は昼間食べ残した折詰の料理を肴にしてビールを飲み、お互いに慰労し合った。そこには、慌ただしくも幸せな気分で過ごせた一日が終わり、肩の荷を下ろしたような安堵の気持ちに浸っている初老夫婦の姿があった…。

悪人こそ、阿弥陀仏の救いの本当の対象?~ひろさちや著『生き甲斐なんて必要ない―ひろさちやの仏教的幸福論―』から学ぶ~

 前回、柳美里氏が著した『JR上野駅公園口』を取り上げて記事を綴った際に触れなかったが、私の心の中で気になっていることがあった。それは、主人公の男性(カズさん)の息子の浩一が亡くなった時に浄土真宗に基づいて行われた葬儀やその教義等について克明に記されていた内容に関することである。特に、勝縁寺の住職が語っていた浄土真宗の教えに、私は少なからず興味を抱いた。例えば、次のような語りの部分。

浄土真宗の教えでは、亡くなるということは、往生と言って、仏様に生まれ変わるということなので、悲嘆に暮れることはありませんよ。阿弥陀仏様というのは全ての命を済うと誓ってくださった仏様です。南無阿弥陀仏というお念仏を称えてくれさえすれば、それだけでお前を済うと言ってくださっています。…(略)…」

 

 私は多くの日本人がそうであるように「自分は無宗教だ。」と思っているが、強いて身近な宗教は何かと問われれば、やはり「仏教」と答える。もちろんその理由は、お彼岸には仏壇に祀っているご先祖様に手を合わせたり、お寺での法事に参列したりすることがあり、日常的に慣れ親しんでいる宗教だからである。ただし、自分が檀家になっている寺の宗派さえ意識が乏しい人間である。そんな信心深くない私だが、「仏教」そのものには多少の興味をもっており、私の書斎の書棚にも「仏教」関係の本が数冊並んでいる。そこで今回は、前回の記事を綴った際に気になっていた浄土真宗の教えについて触てれている『生き甲斐なんて必要ない―ひろさちやの仏教的幸福論―』(ひろさちや著)を通読して、以前から私が疑問に思っていたことで特に心に強く残った内容について綴ってみようと思う。

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 私が以前から疑問に思っていたこととは、浄土真宗の開祖親鸞聖人の言葉「善人なほもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の意味内容である。普通に現代語訳すれば、「善人が極楽浄土に往生できるのであれば、ましてや悪人がお浄土に往生できるのは当然である。」となる。私にはこれがよく分からなかった。いわゆる世間的な常識で考えれば、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」ではないか。つまり、善人は極楽浄土に往生できるのは言うまでもなく、普通では極楽往生できない悪人にまで阿弥陀仏の慈悲は及ぶのだから、ありがたいということになる。ところが、親鸞聖人は、それとは真逆のことを語っているのである。つまり、悪人こそ、阿弥陀仏の救いの本当の対象である。もちろん、善人も救われるであろうが、それはまず悪人を救ったあとの話である。だから、善人が救われるのであれば、当然にその前に悪人の方が救われている。これが親鸞聖人の考え方。私はこの真意がよく分からなかったのである。

 

 今回、本書を読んでいると「Ⅳ 逆境を喜びなさい」の中で著者がこの真意を解説していたので、その解説内容について私自身の理解を確かなものにするために、なるべく簡潔に要約してみたい。

 

 仏教においては、「善人」というのは自分が迷惑な存在であることをこれっぽっちも意識していない人間、つまり自分の悪に気付いていない偽善者のことである。他方、自分の悪に気付いた人間、つまり自分が他人に迷惑を掛けている存在と気付いた人間が「悪人」である。だから、この世の中のほとんどの人間は「偽善者」であり、いわゆる善人なんてまずいない。自分が善人だと思っている人は、自分の悪に気付いていないだけである。みんな他人に迷惑を掛けて生きているのだから、その意味ではいわゆる悪人である。だとすれば、この世の中にいるのは「偽善者」と「悪人」と「偽悪者」(自分が悪人であることに気付いていながら、悪人であってなぜ悪いと開き直る人のこと)の三種の人がいることになる。親鸞聖人が「善人なほもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言われたのは、自分の悪に気付いた「悪人」のことである。仏様はそのような「悪人」を、まず真っ先に救われようとされたのである。私たちは、自分が悪人だと気付いたとき、そこに救いがあるのではないだろうか。…

 

 著者は、このような仏教の「悪人の救い」の事例として、夫を亡くし女手一つで中学生の息子を育てている女性の話を紹介している。この母親がある日、夜遅くまで残業しなければならなくなり、今のようにコンビニがない時代だったので子どものお弁当のおかずを買うことができず、やむなくかつおぶしを削っておかずにした。その翌日も、そしてその翌々日も同じ。三日続けてかつおぶしのおかず。その三日目の朝、中学生の息子が尋ねた。「お母さん、今日のお弁当のおかずは何…。」「ごめんね、昨日もお店が閉まっていたのでおかずを買うことができなかった。今日もかつおぶしよ。」「そうか、今日もかつおぶしか!?ぼく、そんな弁当はいらん!」彼はそう言って、ちゃぶ台に置いていた弁当を畳の上に投げつけ、家を飛び出て学校に行った。畳の上に散乱した弁当箱と飯を片付けながら、彼女は泣けてくる。女手一つで子どもを育てる。それがどれだけ苦労なことか。それをあの子は分かってくれない…。涙がぼろぼろとこぼれてくる。

 

 それで、母親は菩提寺に行って和尚さんにその悲しみを告げ、愚痴を言った。ところが、それを聞いた和尚は「中学生の子どもが昼になって弁当を開く。かつおぶしのおかず。子どもはとっさに恥ずかしいと思うだろう。横から覗かれている目を気にしながら、恥ずかしく思いながら弁当を食べた。そして、その翌日も、弁当を開いたらかつおぶしのおかず。子どもは、その弁当箱を抱え込むようにしながら、横から覗かれないようにあわてて弁当を食べる。そして、弁当箱に蓋をして、ほっと安心をする。他人のわしにさえ、その光景が見える。それなのに、実の母親のあんたは、子どもの悲しみに気付いていない。そして、自分のことばかり言っている。あんたはそれでも実の母親と言えるのか!?」と、彼女を叱ったのである。和尚のその言葉で彼女は目覚めて、「ごめんね。お母さんはあんたがどれだけ恥ずかしい思いをしていたか、ちっとも分からなかった。お母さんは忙しいんだから…と、自分のことばかり考えていた。悪い母親だった。許してね…。」と子どもに詫びた。すると、息子は「なあに、お母さん、ぼくももう中学生だよ。中学生にもなれば、お母さんの苦労ぐらい、よく分かるよ。気にしないでいいんだよ。ぼくの方こそ、弁当箱を投げたりして、ごめんよ。」と答えたという、ちょっといい話。

 

 私たちは、自分が「悪人」であると気付いたとき、そこに救いがある。しかし、「偽善者」には救いはない。偽善者は自分の悪に気付いていないから、他人を非難し、他人を攻撃する。そこには救いはないのである。先の事例だったら、母親が自分は子どものために一生懸命やっているのだから、子どもは私に感謝して当然-と、自分の立場を正当化している限り、彼女には真の救いはないのである。このような場合、世間のほとんどの人は偽善者らしい問題解決の方法をとる。「親の恩は山より高く、海より深い」といった調子のお説教をし、子どもに少しはお母さんの苦労を分かってあげなさいと忠告し、子どもが「すみませんでした。」と頭を下げて、それで終わり。でも、あの和尚はそんな世間一般の問題解決の方法ではなく、仏教の「悪人の救い」を教えたのである。さすがである。

 

    個人主義的な考え方が尊重される今の時代、ついつい自分本位に物事を解釈してしまい、無意識のうちに自分の言動が他人に迷惑を掛けてしまっているということに気付くこと、つまり自分が悪人であると気付くことは難しいかもしれない。でも、自分の悪に気付いたとき、それだけで私たちは救われているということを忘れないようにしたい。今回、以前から疑問に思っていた「善人なほもつて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の意味内容についての解釈を知ることをきっかけにして、「悪人の救い」という仏教的な教えについて理解することができ、普段から自分の偽善性に薄々気付いていた私にとっては有意義な学びになった。常に学び続けることは、いくつになってもよりよい自分を形成することにつながる。カメのようなゆっくりした歩みながらも、これからも精進を怠らないようにしたいものである。

日本人として知るべき実情と問い直すべき重い課題とは…~柳美里著『JR上野駅公園口』に学ぶ~

 ずっと気になっていた『JR上野駅公園口』(柳美里著)を読んだ。自宅の書棚に並んでいる柳氏の作品は『私語辞典』『家族の標本』『仮面の国』等のエッセイ集ばかり。芥川賞作家なのに今まで彼女の小説を私はなぜだか読んだことがなかった。だから、今回初めて彼女の小説を読んだことになる。読んでみようと思ったきっかけは、本書が昨年アメリカで最も権威のある文学賞のひとつである全米図書賞(National Book Award 翻訳文学部門)を受賞した作品であり、当ブログの数少ない読者登録をしてくれているkannawadokushoさんが運営している別府鉄輪朝読書ノ会において3月の課題図書として取り上げられていたからである。読了後は、「ずっしりした重荷を背負わされた」気分になった。なぜ、そのような気分になったのか。今回本書の読後所感を綴る中で、私なりにその誘因を明らかにしてみたいと思う。

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 本作品は、福島県相馬郡(現在の南相馬市)八沢村出身で、1964年東京オリンピック前年に出稼ぎ労働者として上野に上京、高度経済成長後、再びそこへ戻ってきてホームレスとなった男性(カズさん)が主人公の「居場所のない人に寄り添う物語」である。下に7人の弟妹がいる長男のカズさんは、1933年「天皇」と同じ日に生まれたので、終戦の時は12歳。貧農家庭だったので、国民学校卒業後はすぐに出稼ぎに行って家計を支える立場になった。その後、結婚して両親たちと同居しながら一男一女を儲ける。第二子になる息子は、「皇太子」の誕生日と同じ1960年2月23日に生まれたので、幼名の浩宮にちなんで「浩一」と名付ける。その当時、カズさんの家庭は貧乏のどん底だったので、1963年12月27日に東京へ出稼ぎに出た。それから18年後、レントゲン技師の国家試験に合格したばかりの21歳の浩一が、下宿先のアパートで寝たまま死んでしまう。その後、カズさんは60歳になった時に帰郷するが、妻が65歳で亡くなったのをきっかけとして郷里から出ていくことを決断し、67歳にして再び上野に向かう。そして、上野恩賜公園でホームレスとして生活することになるが…。物語の最後には、3.11の津波に呑み込まれる故郷が描かれている。カズさんは帰るべき故郷を失ってしまうのである。

 

 物語の始めに、カズさんが初めて上野駅のプラットホームに降り立った時の自分の姿を見ながら考え込む場面の地の文。…容姿よりも、無口なことと無能なことが苦しかったし、それよりも、不運なことが耐え難かった。運がなかった。…という箇所が、彼の人生を振り返った時の本音だったかもしれないと思った。また、物語の終盤、上野恩賜公園天皇や皇族が訪れる時にホームレスが事前に排除される「山狩り」と呼ばれる特別清掃が行われた日の彼の行動が描かれる場面の地の文。…自分は悪いことはしていない。ただの一度だって他人様に後ろ指を差されるようなことはしていない。ただ、慣れることができなかっただけだ。どんな仕事にだって慣れることができたが、人生にだけは慣れることができなかった。人生の苦しみにも、悲しみにも……喜びにも……という箇所が、彼の武骨で真面目な性格とそれ故に不器用にしか生きられなかった姿を象徴しているように感じた。しかし、もし彼が生きてきたような時代と環境の中で生きてきたとしたら、誰しも彼と同様な思いを抱いたかもしれない。その意味で、この物語は「私たち自身の物語」なのだ。

 

 それからもう一つ、触れておきたい人物がいる。それは、主人公のカズさんが上野恩賜公園で知り合った、上野の歴史に詳しいインテリ風のホームレスのシゲちゃんのこと。カズさんと同い年の彼は、いつも拾った新聞や雑誌や本を読んでいたので、きっと頭を使うお役所か学校みたいなところに勤めていたのだろう。彼が飼っている愛猫に「エミール」と名付けていることから、元教師だったのではないかと私は想像した。また、彼は几帳面な性格のようなので、そこも私に似ている。だから、シゲちゃんのことが他人のように思えなかった。ある冬の夜に彼が「カズさん、ちょっと一杯やりませんか?」と声を掛けて、二人でワンカップ大関を飲み交わしつつ身の上話を始める。しかし、カズさんは親身になって聞く姿勢を見せなかった。そして、あの夜から一月後にカズさんは居なくなったのである。私がシゲちゃんだったら、きっと深い悲哀感を味わったのではないか。せめて今まで秘密にしてきた身の上話を、カズさんにあるがまま受け入れてほしかっただけなんだと思う。

 

 でも、カズさんの受け止め方は、次のような地の文に表れている。…他人の秘密を聞いた者は、自分の秘密も話さざるを得なくなる。秘密は、隠し事とは限らない。隠すほどの出来事ではなくても、口を閉ざして語らなければ、それは秘密になる。いつも居ない人のことばかりを想う人生だった。側に居ない人を思う。この世に居ない人を思う。それが自分の家族であるにしても、ここに居ない人のことを、ここに居る人に語るのは申し訳ない気がした。居ない人の思い出の重みを、語ることで軽くするのは嫌だった。自分の秘密を裏切りたくなかった。…著者が造形した主人公はナイーブで頑なな性格の持ち主なのだと、私は再認識した。だから、著者は彼の最期の姿を明確に示さずに、あのように描いたのであろう。

 

 本作品は、在日韓国人二世である著者だからこそ書くことができた作品ではないかと思う。それは、上野恩賜公園天皇や皇族が訪れる時に事前にホームレスを排除する「山狩り」という特別清掃の実情を描くことで、我が国の天皇制に潜む問題点を指摘していると思ったからである。これは、日本人として知るべき実情であり、問い直すべき重い課題であると私は考えた。最後に改めて振り返って考えてみると、本作品に描かれた「帰る場所をなくしてしまった人」の実存性の切なさを共感的に受け止めたり、天皇制に潜む重い課題について認識を深めたりしたことが誘因になって、読了後、私は「ずっしりした重荷を背負わされた」気分になったのだと思う。でも、このことは私にとって決して不快なことではなく、むしろ日本人としての在り方を見直すよい契機を与えてくれたと著者に感謝すべきであることを記して、今回の記事はここら辺で筆を擱きたい。

老後は「回想」によって孤独を楽しもう!~五木寛之著『孤独のすすめ―人生後半の生き方―』から学ぶ~

 先日、梅雨の合間の晴れ日に、私が中学生から大学生時代に住んでいた場所辺りを散歩してみた。その場所というのは現在の自宅がある町の隣町なので、徒歩で30~40分ほどあれば回ることができる。今まで仕事をしていた頃は当時を思い出すこともほとんどなく、ましてや以前住んでいた場所辺りを回ってみようとも思わなかったが、本年2月以降仕事をしなくなった上に新型コロナウイルスの感染を回避するために「ステイホーム」状態になってしまってからというもの、室内で過ごす日がほとんどであった。そのために、何だか身体が鈍ってしまうような気がして、外出するための何らかの名目を捜していたところ、近所を散歩するための口実として思い付いたという次第である。

 

 私が小学校中学年の頃に母子家庭になったことについては、以前の記事でも綴ったことがあるが、そのことが影響してか私は小学生から大学生までの約10年間に4回の引っ越しを経験した。その内の3回の転居場所は中学生以降に住んだ所で、それまで通っていた小学校とは校区が異なる隣町であった。また、小学校の同級生と別れて私が入学した中学校は、当時各学年8~9クラスある全校生徒数1,200人を超えたマンモス校であり、生徒間はもちろん教師に対しても校内暴力が起きるような「教育困難校」であった。それまで通っていた小学校が「坊ちゃん嬢ちゃん学校」と言われるほど平和だったこともあり、その中学校へ入学してしかも粗野な生徒が多い野球部へ入部したものだから、私はあまりのカルチャーショックでしばらく登校拒否的な気分に陥っていたことがある。

 

 そのような事情があってか、私は今まで隣町でありながら以前に住んでいた場所辺りを散歩してみようとは思わなかった。でも、今回本当に久し振りに歩いてみると、当時味わった嫌悪感ではなく、甘酸っぱいような気分が蘇ってきた。そうなのだ!中学生以降の生活は決して嫌な思い出だけでなく、楽しく愉快な思い出もいっぱい詰まっていたのである。登下校の通学路が同じ級友と共に、好きな女子を言い当てるゲームをするなど他愛もない会話で盛り上がりながら通った道路を懐かしい気分で歩きながら、私はつい頬が緩んでしまった。もうあれから50数年経ったので、道路端の家並みの様子はすっかり変貌していたが、私の心は当時の通学の様子を「回想」しているだけで、次第に元気になってきたのである。

 

 「回想」と言えば、1年ほど前に読んだ『孤独のすすめ―人生後半の生き方―』(五木寛之著)の中で、高齢者になれば未来を考えるより、むしろ昔を振り返ることが大事だというようなことが書かれていたことを思い出した。そこで、私は約1年振りに本書を書棚から取り出し、ざっと目次と内容に目を通してみた。あった、あった!それは、本書の「おわりに」の中で主張されていたので、その要旨をなるべく簡潔に次にまとめてみよう。 

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 「回想」は、もともと1960年代にアメリカの精神科医が高齢者の鬱に効果があるとして提唱された療法であるが、後に認知機能の改善にも役立つことが実証され、認知症のリハビリとしても取り入れられるようになった。それは「回想」することで脳が活性化され、「回想」を語るとコミュニケーション力にも刺激を与えるからであろう。また、蘇った思い出が楽しいものであればあるほど、心理的な効果が高いと言われている。自分の人生、捨てたものではないと、肯定的な気持ちになるからである。高齢になり何となく厭世的になって生きていくのが嫌だと思う原因は、人間不信と自己嫌悪の2つあるが、これらは「回想」の力によって乗り越えられると考える。たくさんある記憶の抽斗を開けて、思い出を引っ張り出して「回想」して咀嚼しているうちに、立ち直る自分がいる。最終的には、人間とは愛すべきものだという温かい気持ちが戻ってくる。「回想」は誰にも迷惑を掛けずお金もかからない。歳を重ねれば重ねるほど、思い出の数は増えてくる。いわば頭の中に、無限の宝の山を抱えているようなもの。下山の時期を豊かにするためにも、「回想力」をしっかり育てたいものである。

 

 今回、私は中学生から大学生時代に住んでいた場所辺りを何となく散歩することを決めた。そして、その途中で昔の楽しく愉快な思い出を「回想」して心が元気になってきたが、それには著者が述べているような「回想」のもつ効用があったのかもしれない。とかく過去を振り返るのは後ろ向きだ、頽廃的だと批判する人も多いが、高齢になると前を向いたら「死」しかないということもある。だから、私はこれからさらに歳を重ねて万が一「おひとりさまの老後」に陥ったとしても、今までの楽しく愉快だった様々な思い出を「回想」することによって孤独を楽しむことができるように、今から時々は「回想」することを習慣化してもいいかなと思い始めている。

道徳教育で「いじめ」はなくなるか?~森口朗著『誰が「道徳」を殺すか―徹底検証「特別の教科 道徳」―』を手掛かりに~

 先週の土曜日も、長女に連れられて孫Hは我が家へ来て、昼食を挟んで4時間ほど遊んで帰った。午前中は、風船やフラフープを使ったり、プラレールで新幹線を走らせたりして遊んだ。また、午後から久し振りに晴れ間が出て気温も少し上がったので、背負うタンク付きの水鉄砲を使った遊びをして楽しんだ。その際に、的になった私を当てるために、Hは水を遠くに飛ばす工夫を繰り返した。おかげで私は服が少し濡れてしまったが、Hの大喜びの表情を見るのが嬉しくて一緒になって遊び呆けた。それにしても、各種の遊びを工夫してより楽しもうとするHの意欲の高さに驚いた。

 

 そう言えば、それ以外にも驚くことがあった。それは、Hが来た時に自分から「じいじ、ばあば、おはよう。」と元気よく朝のあいさつをしてくれたこと。また、自分の靴を脱いで、玄関土間にきちんと揃えて置いたこと。さらに、トイレに自分で行って用を足した後、「後の人のために、トイレットペーパーの先を少し出しておくんだよ。」と言ったこと。これらの基本的な生活習慣やトイレ・エチケットなどは、Hが通っている認定こども園の保育士さんから教わったのではないかと思う。もちろん長女夫婦もしつけをしているとは思うが、年中組へ進級してからできるようになったことが多い。きっと園生活における友達とのかかわり合いが、それらの習慣化を加速させているのではないだろうか。

 

 前回の記事でも触れたが、新学習指導要領に位置づけられた「特別の教科 道徳」が、この幼児期に培われた基礎的な道徳性を基にして、より豊かな道徳性を養うように機能してほしいなあと期待している。そこで、私は学校における道徳教育の在り方について再度考えてみようと、最近入手した『誰が「道徳」を殺すか―徹底検証「特別の教科 道徳」―』(森口朗著)を読んでみた。その中で、特に道徳教育と「いじめ」との関連についての著者の考えを知り、私なりに現職中から考えてきたことを今回、綴ってみようと思う。

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 そもそも今回の「特別の教科 道徳」の新設のきっかけは、2011年10月11日に滋賀県大津市立皇子山中学校2年の男子生徒が「いじめ」を苦にして自殺した事件であった。事件後のアンケートによると、その「いじめ」の実態が大変酷いものであることが判明した。さらに、被害者が自殺した後も加害者側の態度に反省がみられなかったことで、いじめ情報がインターネットに拡散され、社会的に大きな注目を集めた。特にこの事件で特筆すべきだったのは、学校だけでなく教育委員会の役人たちが「いじめ」隠しに奔走してしまい、最後まで被害者側に立つことを拒否したことである。それにより、多くの国民が日本の教育界に潜む深い病理に気付き、何とかしなければならないと本気で考えた。その表れこそが「道徳の教科化」だったのである。

 

 したがって、これらの経緯から鑑みて問われるべきことは、果たして新設された「特別を教科 道徳」を要とした新たな道徳教育によって「いじめ」はなくなるのかということになるであろう。ところが、著者の森口氏はこのような意見は、次の2つの点で誤りだと述べて、この議論でもって道徳教育の無用性や無効性を主張するのは早計だと指摘している。

① 社会の事象をオール・オア・ナッシングで考える点。妥当な議論は、「道徳教育によっていじめは減らせるか」でなければならない。

② いじめをなくすことだけが道徳教育の目的であることが前提になっている点。道徳教育の目的は「豊かな心」を育むことだから、いじめの撲滅や減少はその結果に過ぎない。

 

    これらの指摘内容について、私も同様な考えである。あくまで道徳教育の目標は「学校の教育活動全体を通じて、道徳的判断、道徳的心情、道徳的実践意欲と態度などの道徳性を養うこと」であることを忘れてはならない。ただし、「特別の教科 道徳」(小学校)の目標が「よりよく生きるための基礎となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる」となっていることに注意を払う必要がある。それは、道徳教育の要となる「特別の教科 道徳」の授業が、子どもたちが道徳的諸価値、特に「正義感」「友情」「寛容」「思いやり」「公平・公正」等という道徳的価値の大切さを心底自覚する授業になれば、結果として「いじめ」の撲滅や減少に繋がっていくと私が考えているからである。

 

 では、そのような「特別の教科 道徳」の授業を実現するためには、どのような授業改善が必要なのか。これは現職中に私なりに考えて実践してきた内容(特に指導方法)なので、どこまで一般的な妥当性があるかは定かではないが、いくつかその視点を示しておきたい。

○ 主な資料として読み物教材を取り上げる場合は、登場人物に自分を投影(自我関与)するように働き掛け、道徳的な問題場面における登場人物の判断や心情について多面的・多角的に考えさせるようにする。

○ 道徳的な問題場面における登場人物の判断や心情についての自分の考えの根拠や理由を問うたり、道徳的価値の意味を具体的に考えさせたりする発問をすることによって、問題解決的な学習展開にする。

○ 実際の道徳的な問題場面を実感的に理解させるために、役割演技等の体験的な活動を積極的に取り入れるようにする。

○ 「総合的な学習」や「特別活動」、「各教科」等の他領域の学習において実際に起こった道徳的な問題場面を改めて取り上げて、現実的・具体的な行動変容を促すような課題提示を行う。

 

 これらの授業改善の視点だけではなく、さらに細部にわたる資料提示・発問・話合い・書く活動・表現活動・板書・説話等における指導方法の改善もあるが、それらは全て子どもたち自身が道徳的な問題場面に直面した時に、いかに主体的に考え、自らより適切な判断ができるという実践的能力を育成するためであることを念頭に置くべきであろう。そうすれば、「特別を教科 道徳」を要とした新たな道徳教育によって、少なくとも「いじめ」の減少という結果は後からついてくると私は確信している。

道徳教育において偉人伝を取り上げることの是非について~パオロ・マッツァリーノ著『みんなの道徳解体新書』を手掛かりに~

 一週間に一度は馴染みの古書店か近所の書店に行くのが、私の楽しみの一つである。もちろん目当ての本を探索したり入手したりする目的で行くことが多いが、特に目的もなく書棚に並ぶ本をしばらく眺めて帰ることもある。ただし、そのような場合でも、著者や書名等に興味を抱き、目次や内容にざっと目を通した上で読んでみたくなれば、その本を急きょ購入することもある。今回取り上げる『みんなの道徳解体新書』(パオロ・マッツァリーノ著)も、そのような経緯で入手した本である。

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 私は「哲学」や「倫理学」という人間のよりよい生き方を探究する学問に興味をもっており、教職に就いていた頃には自分の研究教科であった「体育科」や「社会科」以外では、「道徳教育」の在り方について強い課題意識をもって自分独自の実践研究を進めていた。その後、教職を退いてからも、学校教育においてそれまでの「道徳の時間」という領域が「特別の教科 道徳」という新設教科に移行する改訂経緯に注視してきた。しかし、何分にも教育現場から距離を置いた立場なので、今の「特別の教科 道徳」の実施状況を知る機会がない。だから、どうしても近年の道徳教育に関連する本から得る情報に頼らざるを得ないので、古書店や書店へ出掛けると「道徳教育」に触れた本についつい目を向けてしまうのである。

 

 本書は「特別の教科 道徳」が実施される前の2016年11月の発刊だが、近い内に学校の教育課程に位置付くことははっきりしていた時期であり、著者はそれを承知の上で今までの「道徳のしくみ」や「道徳副読本」等について面白い見解を披露している。また、著者がイタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者であるというユニークな点、さらにちくま文庫ちくま新書新潮新書等で何冊かの著書を出版している点を見込んで、私は購入することにした。ただし、公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認という点も記載されていて、何だか怪しい気がする。だから、あまり学問的な信頼性を置いて取り上げているのではないことを、前もってお断りしておきたい。

 

 本書で著者が主張している次のような内容について、私は支持をする。

○ 社会や人間について考察する際は、道徳心はいったん脇に置き、まずは多くの事例を謙虚になって勉強し、学んだ事実を基に科学的に考えることが必要である。そのためには、一生勉強することはとても重要である。

○ 殺人の主な理由は憎しみなのだから、殺人を減らしたいのなら、いかに他人を憎まないようにするかを教えるのがもっとも効果的である。ゆえに道徳の授業で教えるべきは、いのちの大切さではなく、多様性の尊重である。

 

 しかし、著者が主張している次のような内容について、私は支持しない。

△ 偉人伝を子どもに読ませるのはやめるべきである。偉人を尊敬する子どもは、偉人でない凡人やダメな人をバカにするようになり、エラい人にはゴマをすってすり寄り、エラくない人は足蹴にする人間へと成長するであろう。

△ 偉人というのは、たまたま運良くなにかを成し遂げられた人のことで、ほとんどの人間は偉人にはなれないのだから、偉人の生涯は参考にならない。

 

 私も、偉人を目指すべき理想的な人物像として子どもに押し付けるような道徳教育には、もちろん賛成はしない。しかし、子どもたちにとって偉人の生涯は参考にならないとは思わない。なぜなら、私が現職中、勤務した小・中学校で「全校道徳」のつもりで郷土の偉人たちを話題にして校長講話を行った際に、その後に感想文を書いてくれた多くの子どもたちが、「偉人たちの生き方を参考にしたい」という内容を綴ってくれたからである。例えば、これはほんの一事例に過ぎないが、私が市内M中学校に在任時に「正岡子規の生きざまに学ぶ」と題した校長講話を行った時に、中学3年のある男子生徒は次のような感想文を書いていた。

◇ 人には人それぞれの人生がある。それは分かっていました。けれど「知る意味」がないと気にかけたことがありませんでした。しかし、今回の校長先生がされていたお話で学びました。人の人生を知ることが、今の自分に響いて、そしてまた新しい可能性が生まれる。ホトトギスが血を吐くまで泣くと言われているのは、今まで知りませんでした。それに、正岡さんの生き方で、どんな辛い時でも己の好きなものでそれを乗り越えられる。そう思いました。だから、人の人生に少し興味をもちました。その時のその人の気持ちを自分自身に重ねて、この場合はどうすればよいかな?と思ったら、先人の生き方を参考として、そこに自分らしさや考えを入れて、自分の人生につなげていこうと思います。

 

 著者は本書の中で、「自分が知らなかったことを知る、それが勉強です。新たな事実を知ることで、それまで自分が正しいと信じてきた常識や経験が、じつはまちがいだったと気づかされることもあります。」と述べている。その通りだと、私も思う。だから、著者は先のような中学3年の男子生徒もいるという事実を知って、「ほとんどの人間は偉人にはなれないのだから、偉人の生涯は参考にならない。」という常識にとらわれない方がよいのではないだろうか。少なくとも、この生徒は「正岡子規」という偉人の生涯から、自分とは違う人間の在り方を知り(つまり、人間の多様性を認めて)、そこから自分をよりよく変容させる契機にしようとしているのだから…。

 

 私は、子どもたちが今の自身の生き方や在り方を相対化し、よりよく自分を変容させる契機にするような偉人の取り上げ方をするのであれば、道徳教育において偉人伝を取り上げることは有効だと考える。読者の皆さんは、どう考えますか。

馴染みの喫茶店で飲むコーヒーの味は?~池永陽著『珈琲屋の人々』を読んで~

 月に3~4回、妻と一緒に行く馴染みの喫茶店がある。ほとんどの時は、午前9時過ぎに訪れ、食前の味噌汁が付く美味しいモーニング・セットを注文する。もちろん、ブレンド・コーヒーを付けて…。舌をちょっと刺激する酸味とわずかな苦みが上手くミックスされた、この店独特のコーヒーの味は私好みである。また、その時々の店内の壁面に展示してある絵画や写真等はオシャレな雰囲気を醸し出している。さらに、静かに流れるクラッシックのピアノ曲も気分を落ち着かせてくれ、目を閉じてコーヒーを飲んでいると、何とも言えぬ心地よい幸福感に浸ることができる。

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 つい3日前も、そんな至福のひとときを過ごしていると、ふとコーヒーが物語の重要な役割を果たすある本のことを思い出した。それは、当ブログで以前(2020.7.28付け)池永陽著『コンビニ・ララバイ』を取り上げた記事を綴ったが、その際に同著者による『珈琲屋の人々』のシリーズも読んでみたいと書いていたことである。その記事を投稿した後、私は通い慣れた古書店で同書シリーズの3巻まで入手していたので、なるべく早いうちに読もうと考えていた。だから、今回読む決心をし、まず第1巻を昨日読了したので、その所感を綴ってみたくなった。

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 NHK・BSプレミアムで、東京下町の「ちっぽけな商店街」にたたずむレトロな喫茶店を舞台にした『珈琲屋の人々』というドラマが再放送されたのは、昨年の5月末から6月末にかけてであった。私たち夫婦は、この約1か月間に放送された全5話のドラマを楽しみに視聴していたので、内容をよく記憶している。だから、今回その原作を読んで驚いたことがあった。それは、テレビドラマでは人を殺めた過去をもつ「珈琲屋」の店主・宗田行介と恋仲に陥ったのは行介に殺された男の妻「柏木冬子」だったが、何と原作で恋仲に陥ったのは行介と小学校からの幼馴染で元恋人だった「辻井冬子」だったのである。もちろん、行介に殺された男の妻も出てくるが、彼女の名前は「青野朱美」である。きっとテレビの脚本家がこの二人の女性像を一体化させた方がドラマの展開上よいと判断したのであろう。

 

 それ以外の点は、テレビドラマの内容はほぼ原作をそのまま生かしたものになっていた。だから、原作を読んでいると、亡き父の遺志を引き継いで特製のブレンド・コーヒーを淹れ続ける行介の姿は、どうしても行介役の高橋克典を想像してしまう。また、冬子と同様に行介と小学校からの幼馴染の『アルル』という洋品店(テレビでは花屋だったかな?)の主人・島木雅大役の八嶋智人も、いい意味でそのイメージが投影されてしまった。さらに、寝たきりの老妻を介護している元会社員(テレビでは元刑事だったかな?)・秋元英治役の小林稔侍も、強い印象が残ったのでその幻影が付きまとってしまった。このようなことは、先にテレビドラマを観て後から原作を読む場合にはよく起きる傾向だが、その良し悪しの客観的な基準はないと思う。私にとっては、今回は特に違和感がなかったのでよかった。

 

    さて、本作品には、暗い影を背負いながらも懸命に生き抜こうとする登場人物たちが、「珈琲屋」で行介がコーヒーサイフォンで淹れた熱々のコーヒーを飲む場面が多く描かれている。私は、このコーヒーの味は一体どんな味なのだろうかと勝手にいろいろと想像しているが、その際に何か参考になる特徴的な表現はないかと、ざっと読み返してみた。すると、第1章「初恋」の中に見つけた。行介に殺された男の妻・朱美が初めて「珈琲屋」特製のブレンド・コーヒーを飲んだ時の会話の場面で、次のようなことを言う箇所だ。「諏訪湖って氷が張って裂けるけど、それにそって氷が盛り上がる御神渡りっていうのが見られるんだけど、行介さんのコーヒーの味って、あの不思議な現象を思い出させるような、優しい味がするわ」

 

 私は「御神渡りという現象と一緒の味って、どんな味?優しい味というのは?…」と、かえって困惑してしまった。そこで、さらに別の場面でのコーヒーの味の表現を捜していると、第5章「手切れ金」の中に見つけた。それは、洋品店『アルル』の店員で主人の島木と不倫をしている千果が、「珈琲屋」特製のブレンド・コーヒーを飲む場面における地の文で<芳醇な香りと濃厚な味が心地よい>と<熱いけれど、舌の上にじんわりと、こくのある苦みが染みわたっていくのがわかった>という二箇所。うむうむ、これだと少し分かったような気になる。そうそう、コーヒーの味って、熱さ加減とか香り如何とかによって随分と違ったものに感じる。特に「珈琲屋」のコーヒーは、アルコールランプでコーヒーサイフォンを熱して淹れるので、熱々なのである。きっとそれが味を引き立てるのだろう。

 

 私たち夫婦がよく通う喫茶店のコーヒーはドリップ式の淹れ方なので、それほど熱々ではないが、私は好きな味である。でも、味わえるものなら、行介が淹れた「珈琲屋」特製のブレンド・コーヒーも一度でいいから味わってみたいものである。きっと、本書のように、やさしく包み込んだり、しゃきっとさせてくれたりするような味に違いない!

警察組織の闇の部分を明らかにする正義とは?~柚月裕子著『朽ちないサクラ』を読んで~

 二女と孫Mが自宅マンションへ帰ってから約1か月、就寝前後のわずかな時間を活用して、私は「柚月裕子」の作品を次々と読んできた。そのラインナップは、『臨床真理(上・下)』『最後の証人』『検事の本懐』『蟻の菜園~アントガーデン~』『朽ちないサクラ』『合理的にあり得ない~上水流涼子の解明~』である。主人公の職業が臨床心理士・弁護士・検察官・フリーライター・警察職員・探偵というように異なっているが、私の期待を裏切らない、質の高いミステリーが多かった。ただし、途中で読むのを止めてしまった作品が一つある。それは、今までの柚月氏の代表作とも言われ映画化もされている『孤狼の血』。あまりの凶暴さと男臭さが、私の好みに合わなかったのである。でも、いずれ気が向いたら続きを読んでみようとは思っている。

 

    想い起せば、去年の今頃に初めて読んだ彼女の作品は、家庭裁判所調査官補・望月大地が様々な案件に四苦八苦しながら挑む中で少しずつ成長していく姿を描いた『あしたの君へ』だった。その後に続けて読んだのは、正統派のリーガル・サスペンスである佐方貞人シリーズの第三作『検事の死命』だった。これらの作品があまりに面白かったので、少し時期が開いたが、今度は元警察官・神場智則が現職中に遭遇し解決していた幼女誘拐殺人事件が冤罪ではなかったとその真相を追及していく執念と矜持を描いた『慈雨』を読んだ。感動した。痺れた。私は完全に柚月作品の世界にハマってしまった。そして、私はこの三作品に関連する記事を以前に綴った。(2020.5.19/5.22/10.04)

 

 そこで、私は今回も柚月作品の面白さについて綴ってみようと思っている。取り上げる作品は、約半月前に読了した『朽ちないサクラ』。なぜ本書を取り上げようと思ったかというと、テレビ朝日系の木曜ドラマ『桜の塔』のテロップを観ていた時に、この題名から連想した記憶がふと蘇ってきたからである。どちらの題名にも公安警察の暗号名である「桜(サクラ)」を使用しており、その闇の部分が物語の重要な構成要素になっている共通点に気付いたのである。

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 まず、本作品のあらすじを簡単に紹介しよう。米崎県警・平井中央署生活安全課のあきれた怠慢のせいで、ストーカーに女子大生が殺害されるという警察不祥事のスクープ記事が地元新聞紙に掲載された。新聞記者である親友の津村千佳に裏切られた?口止めした県警広報広聴課職員の森口泉は愕然とする。情報漏洩の犯人探しで県警内部が揺れる中、秘密を漏らしていないと泉に訴えていた千佳が、遺体となって発見された。泉は、警察学校の同期・磯川俊一刑事と独自に調査を始める。次第に核心に迫る二人の前にちらつく新たな不審の影。事件の裏には思いも寄らぬ県警の深い闇が潜んでいた。果たして泉と磯川は真実を解明することができるのか…。

 

 事件の発端となった事件は、“桶川ストーカー殺人事件”という実在した事件を思わせるもので、犯人側の理不尽な動機や警察の不誠実さなどの闇を描いている。また、事件の背景に蠢くカルトや公安警察等の組織の成り立ちや、そこに属する人物の内面にも光を当てて、それらの闇の深さを著者は見事に描き出している。その闇の部分を明らかにしていく主人公に、県警広報広聴課職員という第三者と当事者の視点を併せ持つ森口泉というキャラクターを当てた点が、他の柚月作品とは少し趣向が違う。題名の『朽ちないサクラ』の意味が、事件の解決とその結末によって明らかになる訳だが、私としては何だかモヤモヤした気分が残りやや物足らなく感じた。しかし、現実はこのようにグレーゾーンなのかもしれない。

 

 そう言えば、今から約15年前に、我が県・県警の現職巡査部長が組織的な「裏金」づくりを内部告発し、新聞やテレビなどのマスコミで連日取り上げられたことがあった。そして、『現職警官「裏金」内部告発』という本まで刊行されて、その内実を明るみにしたにもかかわらず、この真相はグレーゾーンのままに秘匿されたように感じた。内部告発した巡査部長は、それから36年間出世の道を閉ざされ、上司から「組織の敵」と罵られたことをはじめ様々な嫌がらせを受けながらも、満60歳の定年まで警察官人生を全うした。私は、彼こそ警察官の使命と矜持をもち、身体を張って正義を守った本物の「警察官」だと確信する。

 

 主人公の森口泉が「-犠牲の上に、治定があってはならない。」という確固たる意志を胸の中に秘めて、警察官になろうと決めた最後の場面に、何ともやりきれない気持ちになる本作品においてわずかに灯った希望の明かりを見た思いがする。「正義が当たり前に実現する社会になること」を心から祈りつつ、私は本書を静かに閉じた。

「充実した人生」という言葉に惑わされてはいけない!~勢古浩爾著『60歳からの「しばられない」生き方』に学ぶ~

 昨日の5月9日(日)、私たち夫婦は近くのデパ地下で豪華な弁当5折を買って、車で約15分間の距離にある妻の実家を訪問した。「まん延防止特別措置」の適用期間中ではあるが、「母の日」のお祝いのために満92歳の義母や義姉夫婦と一緒に昼食を食べたようと考えたからである。そして、義母の希望を叶えるために、昼食前後には、私は義母と卓球のラリーをして楽しんだ。今日の最高回数は60回ほどであったが、つい2か月前には100回を超えることもあった。義母は今回の記録にやや不満そうであったが、疲労感には勝てなかったようで、それぞれ20分程度で切り上げた。私ができるだけ打ちやすい球を返すようにしているとは言え、92歳の高齢である。私としては体調が急変することを心配してほどほどにしたいのだが、負けず嫌いな性格の義母はなかなか止めようとしない。でも、そんな義母の卓球のラリー相手となることで、義理の関係とは言え私としては親孝行の真似事をしているつもりになっている。だから、こんな日は「充実感」を味わうことができる。

 

 一昨日は一昨日で、長女と孫Hが午前中から私たちの自宅に来て、夕方頃まで過ごした。もうすぐ4歳3か月を迎えるHと一緒に私は風船突き遊びをしたり、様々なごっこ遊びをしたりして楽しんだ。運動能力が高まり、ますます活発になってきたHは、前回した時よりも玩具用のラケットで風船を連続でつく動きが上手になってきたので、私と競うように夢中になって遊んだ。また、ゴジラになったHは本物そっくりな鳴き声を発しながら、キングキドラの私に果敢と立ち向かう。その際、Hは以前に比べて力強く押すことができるようになった。私もHに負けないように、互角の戦い方をして楽しむ。その他、プラレールで新幹線を走らせたり、トミカの道路セットで車を走らせたりする遊びも一緒にする。Hの世界に入り込んで対話しながら遊んでいると、私自身が幼児に戻ったような感覚になることがあり、それはそれで別の「充実感」を味わうことができる。

 

 このように中味は異なるが、私の老後はそれなりの「充実感」を味わう日がたまにある。しかし、仕事をしなくなってからの日々は、興味をもった本を読んだり、ブログの記事を書いたり、テレビのミステリー・ドラマやスポーツ番組を観たりして過ごすことが多い。また、隔日の夕食後には、夫婦揃って約50分間のウォーキングをする。これらの活動は言うなれば、自分の趣味であったり、したいからしていることであったりする。だから、他者のために何かをするという「充実感」を味わっているとは言い難く、何となく物足りない感じがする。こんな老後でいいのだろうか?

 

 そこで、私は巷に溢れている様々な「定年本」や「老後本」から学ぼうとして多くの本に目を通してみた。すると、たいていは定年後も何らかの仕事を続けたりボランティア活動を始めたりして豊かな老後を過ごし、「充実した人生」を送るべしというような内容が書かれている。私も最初は「その通り!」と手を打って同意し、そのような「ロマン主義的な生き方」をしようと考え実践していた。しかし、「疎外」と「パワハラ」のために前の職場を半年で退職して、それが実現できていない情況になった。それで、少し焦っていた。ところが、このような私の「老後の生き方パラダイム」を転換し、新たな方向性を示唆するような本に出合った。一冊目は4月9日付けの記事で紹介した『仕事なんか生きがいにするな-生きる意味を再び問う』(泉谷閑示著)。そして、二冊目が今回紹介する『60歳からの「しばられない」生き方』(勢古浩爾著)である。勢古氏は「定年本」を何冊か刊行しており、私は今までに『定年後のリアル』『定年後7年目のリアル』『定年バカ』を読んでおり、本書はそれらの著書の主張とほぼ同様であるが、これらの中では最も新しいものなので今回取り上げてみようと思った次第である。

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 「定年後人生」の異端者と呼ばれる著者の主な主張内容は、いたって簡単で「定年後は、様々な社会のしばりから解放されて、自分のしたいことをし、したくないことはしないという自由で気ままな生き方をすればよい。」である。「様々な社会のしばり」とは、「常識」であり「世間」であり「言葉」であり「メディア」などのしばりのこと。本書の第4章「言葉にしばられない」の中の“「豊かな老後」や「充実した人生」”という言葉に惑わされない”という節は、私にとって「目から鱗」の内容であったので、次になるべく簡単に要約してみたい。

 

 人生に「こうすればこうなる」なんてことはない。だから、こうすれば老後は豊かになる、人生は充実する、輝く、なんてことはない。人生にあるのは「こうするつもり」とか「やってみせる」という意志だけである。すべての甘言は疑似餌である。ただし、「私は老後のいまが人生で一番楽しいよ」とか「毎日が楽しい、充実しているよ」という人がいると思うが、それはその人の勝手だし、言ったもん勝ちである。何だって言える。だが、それは私やあなたには何の関係もない。もし「豊かな生活」や「充実した人生」を送りたければ、自分でつくるしかない。一人一人「豊かさ」や「充実」の中味が違うからである。あなたの人生を知っているのは、あなた以外にいないのである。それにしても「豊かな生活」や「充実した人生」という言葉は、中味のない、ただ聞こえのいいだけの空語ではないのか。そんなものはどうでもいい、と思った方がいっそすっきりするのではないか。

 

 私は、著者の言う「すべての甘言は疑似餌である」という言葉が特に胸に刺さった。「定年本」や「老後本」を書いている人が「作家だ、学者だ、コンサルタントだ」と言って、人生の達人であるわけがなく、彼らも自分の人生を生きるのに精一杯なのである。私たちはそのような人が語る偽りの希望の言葉に食いつく義理はないのである。「自分のことは自分で決める。今まで無意識に身に付けてきた様々な社会のしばりから解放されて、自分のしたいことをし、したくないことはしないという自由で気ままな生き方をする。」これが、定年後の生き方として無理がないのではないか。私は本書を読んで、重い肩の荷を下ろしたような身軽い感じになり、とてもすっきりとした気分を味わうことができたのである。

桃栗三年、柿八年、柚子(ゆず)は九年で花が咲く!~重松清著『峠うどん物語(下)』を読んで~

 全国的に新型コロナ・ウイルスの変異株が猛威を振るい始め、大都市圏はもとより地方都市にも感染が急激に拡大している。そのために、当該都府県には「緊急事態宣言」を発令したり「まん延防止等重点措置」を適用したりして、政府及び各地方公共団体はその対応策を必死で講じている。現在、本県でも「まん延防止等重点措置」が適用され、私の住んでいる市はその措置地域に指定されている。しかし、それにもかかわらず県内全体では連日20~30人ぐらいの新規感染者が出て、医療提供体制は逼迫しつつある。だから、知事や市長は市民に対して「飲食店等の時短要請」や「不要不急の外出自粛」、「感染回避行動」等の徹底を強く呼び掛けており、私たちは我慢の日々が続いている。

 

    とは言うものの、実は私について言えば、それほど“我慢”しているという意識は低い。その理由は、私の趣味は屋外で楽しむ「スポーツ」だけでなく、屋内で楽しむ「読書」や「ブログ」等もあり、ホームステイをしていてもそれらの趣味を十分楽しむことができるからである。このGW中も、前半は『峠うどん物語(上)』(重松清著)を読んでブログにその所感を綴る活動に取り組んだ。そして、後半に入ってからはその下巻をのんびりとした気分で読み、今、当記事を綴っているという次第である。

 

 前回の記事では、私が心を強く惹かれた上巻の第5章「メメモリ」という話を取り上げ、その中で「メメント・モリ」(死を想え)という題名の藤原新也氏の写真集について触れながら簡単な所感を綴ったが、今回は下巻の最初の章である第6章「柿八年」という話を取り上げてみようと思う。というのは、前回と同様にこの題名から連想したある本について少し触れてみたかったからである。

 

    その本とは、第146回直木賞受賞作家の葉室麟氏が著した『柚子の花咲く』。恩師・梶与五郎が殺害された真相を探るべく、隣藩への決死の潜入を試みる若き筒井恭平の恩師への思いとその行動を中心に描かれた感動の長編時代小説である。物語の最後に、日坂藩の郷学、青葉堂村塾の教授を務めることになった恭平が、恩師の与五郎も常々語っていた「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」という言葉を塾生たちに語り掛ける場面がある。私はそれを思い出したのである。私は書斎にある移動式書棚の中から同書を取り出して、1枚だけ緑色の付箋を貼っているページを捲ってみた。すると、そこには私の心に強く残った別の言葉が記されていた。それは、この物語の登場人物の一人、永井清助が許嫁のさなえに語った「自分を嫌うことは自分を大切に思っているひとの心を大事にしないことになる。」という一言。この一言は、実存的存在としての自分だけでなく、関係的存在としての自分も大切にすることの意義を説いており、当時の私には重たい言葉だった。「読書は自分の人生の支えになる」と、強く実感させてくれた本だったのである。 

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 さて、話を本書の「柿八年」へ戻そう。今から50年前の10月下旬、淑子たちのすむ街に大型の台風が上陸し、記録的な大被害をもたらした。今年の9月、地元のローカル新聞とテレビ局では、その当時のことを振り返り、これからの防災に活かしていこうという『語り継ぐ大水害の記憶』という企画が始まった。新聞には体験者の手記を掲載するコーナーが設けられ、その中に千恵さんという66歳のおばあさんから次のような気になる投稿があった。「…水害の翌日、住まいや家族を失ってしまった人たちに路上で無料のうどんが振る舞われた。若いうどん職人があり合わせの材料でつくってくれた、心づくしのうどんだった。もちろん卵や天ぷらといったネタはない素うどんだ。薬味のネギもなかった。ただ、そのうどんには、色づいた柿の葉が一枚載っていた。…」新聞社は、この「柿の葉うどん」をつくった善意の職人さんを捜す企画を始めた。淑子は、そのうどん職人は若かりし頃の祖父ではないかと思い、父母や祖父母に尋ねてみるが…。

 

 物語の展開が中盤に差し掛かったところで、祖母が祖父と出会った頃のことを淑子に語る場面がある。…紡績工場で働いていた20代半ば過ぎの駒子(淑子の祖母)は、一人前のうどん職人になって独立するにはまだまだ時間がかかりそうな修吉(淑子の祖父)と出会い、要領の悪い点が似た者同士だったので付き合うことになった。その時に自分たちの将来にほんの少しだけ不安を感じた駒子と修吉は、「二人で柿八年を目指そうー。」と誓い合った。この「柿八年」という言葉は、このあたりで昔から言い継がれてきた「桃栗三年柿八年、枇杷びわ)は九年でなりかねる、梨の大ばか十八年―。」という言葉からの引用である。では、その意味はというと、自分たちはすぐ芽が出る「桃栗3年」のようにはいかないが、だからと言って「梨の大ばか十八年―」までのんびり待つ訳にはいかない。せめて「柿八年」くらいでは将来の夢の実現に向けて何とか目鼻をつけたいという意味なのである。

 

 私は「桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなりかねる、梨の大ばか十八年―。」という言葉が好きだが、「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」という言葉も好きである。どちらかといえば、後者の方をリズミカルな口調でつい口ずさんでしまう。そして、自分の今までの人生を振り返ってみると、「桃栗三年」を目指したものの、結果的には「柿八年」も叶わず、やっとのことで「柚子は九年で花が咲く」人生ではなかったかととらえている。また、これから先どれだけ生き永らえるか分からないが、まだ実現したい夢をもつ梨好きの私としては「梨の大ばか十八年―」の人生でもいいなあとのんびりと構えている今日この頃である。