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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「障害」を媒介にして人々の関係を変えよう!~伊藤亜紗著『目の見えない人は世界をどう見ているか』から学ぶ~

 前回の記事をアップした後、私は当ブログで以前に「伊藤亜紗」という美学者に関わる内容の記事を綴ったことがあったことを思い出した。それは、「スポーツは見えない?」(2019年3月20日付け)というタイトルで、彼女がNTTと共同して「目の見えない人のスポーツ観戦」というテーマで取り組んでいることを紹介したものである。具体的には、視覚障害者が手ぬぐいを活用することで、対戦者たちの「動きの質感」を再現するように柔道を観戦しようとする取組を取り上げていた。その際は、とても面白い取組だなあという程度の感想しかもてなかったが、最近読んだ『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(伊藤亜紗著)は、今まで当たり前だと思っていた世界とは全く違った世界へ私を誘うほどの身体論を提示してくれるものになった。

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 そこで今回は、本書から学んだことを基に、「障害」を媒介にして人々の関係を変えることの意味や意義等について理解した内容の概要をまとめるとともに、それに対する私なりの簡単な所感を付け加えてみたいと思う。

 

 本書は、視覚障害者やその関係者6名に対して著者が行ったインタビュー、ともに行ったワークショップ、さらには日々の何気ないおしゃべりから、晴眼者である著者なりにとらえた「世界の別の顔」の姿をまとめたものである。いわゆる福祉関係の問題を扱ったものではなく、見える人と見えない人の違いを丁寧に確認しようとした身体論の本なのである。具体的には、「空間」「感覚」「運動」「言葉」「ユーモア」という5つのテーマを設定して、見えない人がどのように世界を見ているのかを解明することを通して、「障害」に対して新しい社会的価値を生み出すこと、つまり「障害」を媒介にして人々の関係を変えることを目指しているのである。

 

 本書の中で私を今までとは全く違った世界へ誘ってくれたのは、特に第4章「言葉」で紹介されている「ソーシャル・ビュー」という美術鑑賞の取組と、第5章「ユーモア」で取り上げている見えない人が「不自由」の意味を変える発想法であった。以下、それぞれの内容をまとめてみたい。

 

 まず、「ソーシャル・ビュー」という美術鑑賞の取組について。今まで見えない人の美術鑑賞と言えば、触覚を用いた鑑賞を思い浮かべる人が多いと思うが、この「ソーシャル・ビュー」はそれとは全く異なる方法を工夫した美術鑑賞である。簡単に言うと、見える人と見えない人が混ざり合ったグループの中で、積極的に声を出して仲間とのやりとりをしながら作品を鑑賞するという方法である。ただし、それが決して「見える人による解説」ではないということ。あくまで「みんなが見る」という「ソーシャル」としての経験がそこにはあり、作品という一つのトピックをめぐって、それまで面識がなかった人が集まって対話するのである。

 

 「ソーシャル・ビュー」において見える人の仕事は、「正解」を言うことではない。「見えているもの」、つまり目の前にある作品の大きさ、色、モチーフなどの「客観的な情報」と、「見えていないもの」、つまり個人の思ったこと、印象、思い出した経験などの「主観的な意味」を言葉にすることである。特に「ソーシャル・ビュー」の面白さはこの「見えないもの」、つまり「意味」の部分を共有することにあり、その新しさは結果的に見出すゴールに辿り着くまでのプロセスを共有する点にある。だから、「ソーシャル・ビュー」は、見えない人だけでなく、見える人にとっても「筋書きのないライブ感満載」の美術鑑賞なのである。

 

 「ソーシャル・ビュー」において、見える人が自分の見方を言葉にする理由は、とりもなおさずそこに見えない人がいるからである。不慣れな人にとっては、なかなか難しいことであり、場合によってはプレッシャーに感じる。しかし、その抵抗感を越えて言葉にしてみることで、自分の見方を明確にできるし、他人の見方で見る面白さも開けてくると言う。一人だけの無言の鑑賞とは異なる、より創造的な鑑賞体験の可能性が見出せるのである。つまりここでは、見えないという「障害」が、その場のコミュニケーションを変えたり、人と人の関係を深めたりする「触媒」になっているのである。見えることを基準に考えてしまうと、見えないことはネガティブな「壁」にしかならないが、見えないという特徴を皆で引き受ければ、それは人と人を結び付け、生産的な活動を促すポジティブな要素になり得るのである。

 

 「ソーシャル・ビュー」は、単なる意見交換ではなく、ああでもないこうでもないと行きつ戻りつする共同作業。だからこそ、お互いの違いが生きてくる美術鑑賞になり、「特別視」ではなく、「対等な関係」ですらなく、「揺れ動く関係」を生成していくのである。見えないという「障害」が「見るとは何か」を問い直し、その気付きが人々の関係を揺り動かすのである。福祉とは違う、「面白い」をベースとした「障害」との付き合い方のヒントが、ここにはあるように思うと著者が語っていることに、私は強く共感した。

 

 次に、見えない人が「不自由」の意味を変える発想法について。著者は、難波さんという全盲の方の事例を取り上げている。その事例というのは、難波さんはスパゲティ用のレトルトのソースをまとめ買いするが、そのソースにはいろいろな味があるのに全てのパックが同じ形状をしていることに起因した出来事である。一人暮らしの難波さんがパックの中身を知るには、基本的に開封してみるしかなく、ミートソースで食べたい気分の時に、クリームソースが当たってしまったりする。はたから考えれば、こうした状況は全くネガティブなものである。でも、難波さんはそうとは受け取らず、食べたい味が当たれば当たり、そうでなければハズレととらえ、「くじ引き」や「運試し」のような状況として楽しむのである。

 

 つまり難波さんは、見えないことに由来する自由度の減少=「不自由」を、ハプニングの増大としてポジティブに解釈している。言い換えれば、「情報」の欠如を、だからこそ生まれる「意味」によってひっくり返しているのである。これはまさに視覚障害者がもつ「ユーモア」という武器を使って、社会に無理矢理自分を合わせなければならないプレッシャーをかわしている事例である。そして、このような「障害」を笑うような「ユーモア」は、健常者の心の中にある「善意のバリア」に気付かせてくれる。つまり、障害者による「ユーモア」は健常者との緊張した関係をほぐし、お互いの文化的差異を尊重するコミュニケーションの端緒に私たちを立たせてくれるのである。私は、この事例を知ることによって、自分の中に無意識に存在している「善意のバリア」なるものを取り払うべく、これからでも意識改革していく必要性を痛切に感じた。

 

 最後に、著者は「そもそも障害とは何か」と問い直し、自分の障害観を披露している。その中で、障害学の言葉でいう「個人モデル」から「社会モデル」への転換に触れた箇所で、「個人レベル」でとらえられた障害の概念が背景にある「障がい者」や「障碍者」という表記を、旧来通りの「障害者」と表記してそのネガティブさを社会が自覚するほうが大切ではないかと主張している。さらに、障害を受け止めるアイデアや実践がまだまだ不足していることを指摘し、日本がこれから経験する前代未聞の超高齢化社会を生きるためのヒントを探すためにも、障害を受け止める方法を開発することが必要だとも提言している。現在、曲がりなりにも特別支援教育に関係する仕事をしている前期高齢者の私としては、著者のこのような主張や提言を真摯に受け止めたいと考えている。

「道徳」ではなく「倫理」を中核にした道徳授業について~山口尚著『日本哲学の最前線』から学ぶ~

 職場で新型コロナウイルスの感染拡大防止のために時差出勤が実施されていた時期に、定時より1時間早く出勤する日があった。当然、その日は退庁時刻も早くなるので、私は久し振りに帰宅途中にある大型書店に立ち寄ることにした。2階の文庫や新書等を揃えているコーナーをうろうろと回っている時に、ふとある本に目が留まった。2か月ほど前、地元新聞紙に書評が載っていた『日本哲学の最前線』(山口尚著)という新書である。2010年代に哲学界のポピュラーな領域で頭角を現してきた國分功一郎・青山拓央・千葉雅也・伊藤亜紗・古田徹也・苫野一徳という若き哲学者たちを取り上げており、私は今までにその中の数人の著書を読んで共感することがあったので、著者の山口氏がどのような視座でこれらの哲学者の思想を意味付けているのか興味があったのである。

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 本書を入手してからすでに2週間以上過ぎてしまった。週5日のフルタイム勤務だと体力面・気力面に余裕がもてなくて、私はなかなか読み通すことができなかったのであるが、やっとこのシルバー・ウィークに入って読み終えた。著者は、日本哲学の最前線である「J哲学」(土着と輸入の二分法的な対立を離れ、普遍的な哲学に取り組むこと)の6名の思想を、<自由のための不自由論>という基本視座の文脈で取り上げて意味付けており、一般市民にも分かりやすい表現に心掛けて紹介してくれている。

 

 その中でも特に「第四章 身体のローカル・ルールとコミュニケーションの生成-伊藤亜紗『手の倫理』」の内容は、今、特別支援教育という分野で仕事をしており、今までに体育・スポーツ教育という分野にも関わってきた私にとって多くの知的刺激を受けたものであった。というのは、伊藤が『記憶する体』において、全盲や「中途障害」等の人々がその障害のある身体と向き合う中で、自分の思い通りにならない身体とどうにか付き合っていく個人的なルールについて論じている箇所は、私にとって新たな視座を得るものだったのである。また、著者は伊藤の哲学をできる限り個々の人間を抽象化せず、個別を個別として語った上で、多くの人にとって役立つ何かが結晶化させることを目指す「個別性の哲学」であると呼び、それが進んでいく領域を「他者性の倫理」という独自の<不自由論>として意味付けている点も納得できるものであった。

 

 近著の『手の倫理』の題名にも使用されているが、伊藤の使う「倫理」という語は<決まりきった「正しさ」のない領域において「よい生」を模索すること>を意味していると言う。これは、<小学校の道徳の授業で習うような「〇〇しなさい」という絶対的で普遍的な規則>の領域と特徴づけられた「道徳」と対比される。伊藤は、このような「道徳」ではなく、全体を見通せない限られた視界の中で、迷いつつ自分の考えるベストなものを選ぶという現実的な状況である「倫理」に関心があるのである。この点、私も伊藤と同様なのである。だから、私も個別的な顔をもった個人が自分固有の生き方を作り上げるという、人生の具体相を尊重したいのである。

 

 私は現職時に、徳目を教え込むような「道徳」の授業の在り方について常に疑問をもっていた。だから、日常よく出会う道徳的な価値葛藤の場面を想定して、その状況で子どもたちがどのような行為を選択しようとするのか、その行為を選択するのはどのような理由なのかについて議論するような授業を実践することがあった。そのきっかけになった道徳授業で今でも思い出すのは、地元の国立大学教育学部附属小学校で初めて3年生を受け持った時のある授業場面である。

 

 それは、「親切」という道徳的価値を主題にした授業である。その授業では、バスの座席に座っていた主人公が、重そうな荷物を持つおばあさんがそのバスに乗り込んできた時に、席を譲るかどうかを迷うという内容の資料を活用した。その資料ではバスの中は混雑していて、そのおばあさんが座る席はない状況であることが描写されているだけだった。そこで、私は、子どもたちの実態を踏まえ、主人公は通っているスイミングスクールの帰りだという条件を口頭でその資料に付け加えた。すると、子どもたちから「スイミングでは何m泳いだのか?」「その後、後何駅目で降りるのか?」などの質問が次々と出た。私は「どうしてそんなことが気になるの?」と聞き返すと、「だって、1,000mも泳いだ後なら、席を譲ってあげたくても自分の方が疲れているのでできないけど、それほど泳いでいないのなら、まだ元気なので席を譲ってあげられるから。」とか「自分がすぐに降りるのなら、降りる際に何気なく席を譲れるけど、まだ先の方なら席を譲るのに悩んでしまうから。」とかの反応が返ってきた。

 

 その時、私は3年生の子どもたちにとって困っている人に「親切」にするという「道徳」は身に付いているのだと思った。子どもたちにとって大切なのは、その場の状況に応じてどのような行為を選択することがベストなのかと考えることなのだ。つまり、伊藤の言う「道徳」ではなく、「倫理」の方が子どもたちにとっては切実な問題なのである。私は、そのような授業経験をした頃から、「道徳」の授業の在り方の一つとして、伊藤の言う「倫理」を中核にした授業構想を試みるようになった。そして、その授業実践を振り返ってみると、子どもたちにとっても私にとってもありきたりで退屈な「道徳」の時間ではなく、子どもたちがどのような道徳的行為を選択するかを活発に議論する「倫理」の時間になったように思う。

 

 今回の学習指導要領において設定された「特別の教科 道徳」の授業の在り方を示すキーワードとして、最近「考え、議論する道徳」という言葉を聞くことがある。私は、自分のこのような経験から、これからの道徳授業は伊藤の言う「道徳」ではなく、「倫理」を中核にしていくことが求められているのではないかと考えている。

改めて「ボッチャ」の魅力について語る!~東京パラリンピック2020「ボッチャ」個人の脳性麻痺BC2の決勝戦を振り返りながら~

 先週末、教育相談業務として市内の小規模校を訪問した際に、小学3・4年生の合同体育でパラスポーツの「ボッチャ」に似たゲーム大会をしていた。ジャックボール(目標にする球)や個々のマイボール(投げる球)は、新聞紙を丸めてプラスチックの買い物袋に詰めて外側を色テープで巻きつけた手作りボール。授業の前半、手作りボールを使った多様な動きや、相手の足元を狙って転がす動きに子どもたちは意欲的に挑戦していた。後半になると、体育館を二分して2チーム対抗のゲームを行った。1チーム6人で4チームを編成し、対戦チームを替えて2試合を実施していた。1エンドだけ戦うどの試合も、ゲーム展開は「ボッチャ」らしい状況変化が起きて、参観していた私にとっても結構面白かった。

 

 授業者が体育科の授業に「ボッチャ」というパラスポーツを教材化して取り入れたのは、きっと先日閉幕した東京パラリンピック2020において、日本人選手が活躍した様子をテレビで観てヒントを得たからであろう。私はとてもよい試みだと思った。その理由の一つは、子どもたちの中には知的かつ身体的な面で特別な配慮が必要な子がおり、その子が必要以上にハンディを意識せずに取り組むことができる教材になっているからである。また、「パラスポーツを通じて障害のある人々にとってインクルーシブな社会を創出すること」というパラリンピックの究極の目標を実現する一助になるからであり、それは特別支援教育の目的とも合致するものだからである。実は、私も東京パラリンピックにおける様々な種目の中で一番夢中になって応援したのが、杉村英孝選手が金メダルを獲得した「ボッチャ」個人の脳性麻痺BC2の決勝戦であった。

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 そこで今回は、まず当時(令和3年9月2日付け)の地元新聞社の関連記事を頼りにして、静岡県出身の杉村選手の経歴について簡単に触れ、次に決勝戦の様子を振り返りながら、改めて「ボッチャ」の魅力について綴ってみたいと思う。

 

 「ボッチャ」種目で日本人初の金メダルを獲得した杉村選手が初めてこの種目を知ったのは、試合映像を観た特別支援学校高等部3年の時だったそうである。脳性麻痺は障害の程度に幅があるが、彼は立てず、寝返りも満足に打てないほど重い症状がある。それでもスポーツが好きで「激しい動きが必要ないので気軽に取り組める」と始めたらしい。そして、狙い通りに球を投げられた時の喜びに魅了され、正確無比な投球を追い求めたと言う。その後、精進し続けて2012年のロンドン・パラリンピックに初出場したが、満足できる成績を残すことができなかった。しかし、その反省に基づいて手足に麻痺がある選手として革新的な筋トレに挑戦した。難しい寝返り動作や両腕の上下運動を繰り返して体幹を鍛え、投球時にぶれない体を作った。さらに、握力が弱く指先で球をつまむような握り方で投げる彼は、投球練習の反復で体に動きを覚えさせ、繊細な投球術を磨いたのである。

 

 決勝戦でも、彼のこの投球術が見事に生かされていた。それが象徴的に表れていたのは、4対0で迎えた第4エンドの1投目だった。先攻の彼は4分の持ち時間のうち約1分をかけて最初のボールを投げ、ジャックボールにぴたりと付けたのである。相手のワッチャラポンは序盤からミスが目立ち、この場面では大量得点で逆転するしか勝利する道はなったので、杉村選手の1投目に大いに焦られたと思う。彼の序盤の投球においても、繊細で正確無比な投球術は冴えていた。相手の投げたいコースを邪魔するような位置に正確に投球していた。全てのエンドにおいて、スパーショットを連発した圧勝だった。狙い通りに投球できた後に彼が「雄たけび」を上げた表情をテレビ画面で観て、私は彼の今までの研鑽の日々を想像した。胸の中が熱くなってきて、勝手に涙が頬を流れていた。

 

 私は以前、(公財)県スポーツ振興事業団に勤務していた時に、「ボッチャ」についての研修の中で実際にやったことがあり、なかなか思い通りに投球することができないことを体験していたので、杉村選手がほとんどミスなく投球している様子を観て、本当に感動した。また、「ボッチャ」というゲームは、各エンドで最後の6球目を投げて、相手の球よりジャックボールにいかに多くの球を近づけるかで得点を競うので、その過程で工夫した戦術を立てる思考力も必要である。そして、それを正確な投球術で実行に移せることができた時、大きな喜びを味わうことができる。さらに、このゲームは健常者と障害者が共に参加することもでき、「インクルーシブ」な社会を目指すパラスポーツを象徴する種目でもある。このような「ボッチャ」の魅力を多く人に知ってもらい、生涯スポーツとして取り組む種目の一つにしてほしいと、私は切に願っている。

「居る」を支えるケアラーとしての教師の在り方について考える~村上靖彦著『ケアとは何か―看護・福祉で大事なこと―』から学ぶ~

 9月に入り学校は2学期を迎えたが、本県はまだ「まん延防止等重点措置」の実施が継続している。当面、学校は午前中だけ授業を実施し、給食を食べてから下校という緊急的な対応策を講じている。全国的に従来株より感染力が強力なデルタ株が市中で蔓延し、子どもの感染者も急増している中、学校でのクラスターの発生が心配な状況なのである。ただでさえ2学期当初は残暑が厳しく、熱中症に対しても警戒が必要な時節なので、教師は子どもたちの体調管理に大変気を遣う。その上に新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、学校生活全般、特に各教科等の授業や給食時間において格別の対応が求められているのである。先生方のご苦労が並大抵ではないことは、想像に難くない。

 

 そのような状況下、私たち2名の指導員は、教育相談業務として市内のある小学校の特別支援学級を訪れた。Aは通常学級に在籍していたが1年生の2学期になって集団不適応のために不登校になり、3年生の2学期まで続いた。ところが、3学期から特別支援学級で学習するようになって4年生の現在まで登校できるようになった。本人も保護者も「このまま特別支援学級に在籍したい」という願いがあるらしく、学校からAの学びの場を変更することが適切かどうかを見極めるために教育相談の申請が出されたのである。

 

 Aのいる特別支援学級には、他に5名の子どもたちがいた。2学期が始まってすぐだったので、皆は2学期の「めあて」や「係活動」のカード、9月のカレンダーなどを制作していた。Aは落ち着いた様子で、それらの制作活動に取り組んでいた。途中で情緒不安定な子どもがうろうろと動き回って騒々しくなる場面もあったが、それにはあまり気を囚われることなく、マイペースで活動していた。また、その後に実施された避難訓練の際にも、その目的をしっかり理解して節度ある避難行動が取れていた。私の眼には、Aはこの学級に「居る」ことが居心地よく感じられているように映った。

 

 なぜ、Aはこの学級なら登校できるのだろうか。翌日の母親との教育相談の場で、その理由らしきことが分かった。Aは保育園の頃から、大きな声や怒鳴り声が嫌いであったり、先生から指示された活動にはなかなか取り組めず、マイペースで活動することが多かったりしたそうである。だから、小学校における学級集団の大きさや学校生活のリズムに馴染めず、精神的に不安定な状態に陥り、登校するのが辛くなったのであろう。でも、今の特別支援学級はAを入れて6名の少人数であり、また学校生活のリズムも一人一人のペースをできるだけ保障するようなゆとりがある。このような環境は、あるがままのAの存在を肯定するものだったのである。つまり、この学級はAにとって「居場所」になったのである。

 

 私はこのAの事例を知った時、最近読んだ『ケアとは何か―看護・福祉で大事なこと―』(村上靖彦著)の「第3章 存在を肯定する―「居る」を支えるケア」の内容を思い出した。そこで、今回はその内容の中で私が強く共感した部分を紹介しつつ、「居る」を支えるケアラーとしての教師の在り方についても考えてみようと思う。

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 本書は、「ケアとは何か」という問いについて、著者が対人援助職の語りを聴き、実践の現場を観察する中で学んだことのエッセンスを記したものであり、身体的なケアと心理的なケアの間に境目を設けていないだけでなく、医療と福祉を横断するような目線でケアを考えているところが特徴の一つになっている。また、「コミュニケーション」「願い」「存在の実感」「苦境への応答」「ピアサポート」という章立ては、著者が医療・福祉の現場で学んできたことを整理する中で必然として決まったものであり、本書のもう一つの特徴となっている。さらに、現象学という哲学の方法論に由来する、「患者・当事者・対人援助職の経験における内側の視点からケアを描く」という挑戦的な方針で書かれたものであり、私が今まで取り組んできた教育実践研究のスタイルと共通するものであるので、とても共感的に読み通すことができた本なのである。

 

 特に本書の第3章の内容は、ケアラーとしての教師の在り方について考える視座を与えてくれている。例えば、著者は「居場所」を「周りに気を遣うこともなく、自由にふるまえるような場所であり、何もしないでぼうっとしていてもよいし、喧嘩しても元に戻ることができる環境」だととらえ、そこには「見守りの連続性とあるがままの存在の肯定」があると記している。そして、「居場所は社会のなかでの困難を吸収してくれる安全基地として働く。」とも述べている。さらに、「自分が環境のなかに溶け込み、その人にとっては環境が自分の一部であるかのように感じる場所」のことを「あいまいな居場所」と名付け、ここでは「誰かと共に『ここに居ていいんだ』という感覚を得られることが大切になる。」と意味付けている。

 

 Aにとっての特別支援学級はこの「あいまいな居場所」になっており、それは担任の教師が個々の子どもたちの特性を理解し、その特性に応じた個別の支援を心掛けている成果なのであろう。もちろん学校という集団生活を営む場所は、6名という少人数でも学級というまとまりが求められ、緩やかとは言え一定の決まりやルールに従わなければならない。しかし、その拘束性の強さは通常の学級に比べて弱く作用し、個々の子どもたちの自由性はある程度保障される。そのことがAのような特性をもつ子どもにとって必要なのである。私たちは、Aの適切な学びの場として、通常の学級から特別支援学級へと変更することは妥当だと判断した。

 

 最後に、ケアラーとしての教師の在り方について考える視座として、特に強調しておきたいことがある。それは、著者が述べている次のような箇所の内容に関連する。…気遣いが他の人に向かうとき、自分の存在はより深く支えられる。「私はここに居る」という感覚が、自分自身と向き合う内省によってではなく、他の人への気遣いよって裏付けられる。「誰かから見守られ、誰かを気遣うことで私は存在する。」…このことは、特別支援学級のような少人数の学級であっても互恵的な人間関係を築いていくことが、「居る」を支えるケアとして必要であることを示している。ケアラーとしての教師は、一人一人の子どもにとって自分たちの学級が「居場所」になるように、お互いのためになる役割を皆が担うように配慮することが求められるのである。本当はこのような配慮は、特別支援学級だけでなく通常の学級にも求められるのだが…。

じいじが0番目に好き!~孫Hの近況報告を兼ねて~

 毎週土曜日の半日、孫のHは我が家に遊びに来るのが習慣のようになっている。11時前に訪れた先週の土曜日は、日中の温度が35℃近くに上がったので、駐車場の空きスペースを利用してこの夏最後のプール遊びをした。カーポートの上に日差し除け用のシートを乗せて、その下に直径1.2mほどの家庭用のプールを設置したものである。私もHと一緒に入り、水鉄砲遊びに興じたり、水風船を膨らませたりして遊んだ。途中、ガーデンパラソルセットの椅子で休憩し、ソフトクリームを食べたり冷たい麦茶を飲んだりした。1時間ほどの水遊びだったが、Hは大満足していた。その後、「じいじと一緒にお風呂に入りたい。」というので、今度は風呂場で、水温の変化で体の色が変化するカブトムシやクワガタのおもちゃで遊んだり、水鉄砲でお湯を掛け合ったりして遊んだ。

 

 昼食は、ばあばが冷やしそうめんを用意した。Hだけは、特別に用意した簡易の流しそうめんセットを利用して食べた。以前にも一回使ったものだったので、Hは流しそうめんセットを見ると、「楽しそ~う!」と大きな期待を込めた声を発した。そうめんの小さな塊を自分の箸で取り上げ、水が流れる溝の中に入れる度に、そうめんは細長くなって流れていく。それをHは器用に箸ですくい上げ、おいしそうに食べた。お皿に盛り付けていた卵焼きやちくわ、キュウリ、鶏肉等もほとんど完食した。私たち大人も、Hの豪快な食べっぷりに影響されてか、あっと言う間に丼一杯のそうめんを完食してしまった。それにしても、Hは好き嫌いなく何でもよく食べる。離乳食を食べ始めた頃から食欲は旺盛なので、身体の発育はよい。今、4歳6か月で、体重は約20㎏、身長は約120cmあるらしい。すくすく健やかに育つ孫の姿を見るのは、じいじとしてはこの上なく嬉しい。

 

 嬉しいと言えば、私はHと一緒に運動遊びをしながら、Hが今までできなかった動きができるようになったり、より上手に動くことができるようになったりする姿を見るのも大変嬉しい。歩き始めた頃は、我が家の和室に設置している遊具玩具(Hはそれを「アンパンマン公園」と呼んでいる。)の滑り台を怖がって滑ることができなかった。また、ブランコも揺れる感覚が不安だったのか、最初は乗ることも嫌がった。高い所に登るジャングルジムには、見向きもしなかった。しかし、その後、私たちじじばばは近くの児童センターや子どもの家、公園等の施設に機会あるごとに連れて行っては、少しずつ慣れさせていった。もちろんHが通っている保育園でもいろいろと配慮して指導してもらったが、それらの成果も現れて、今では大人がハラハラするぐらいジャングルジムに素早く登り、一番上の所に立ち上がることもできるようになった。

 

    この「アンパンマン公園」以外にも、私たちじじばばは2歳の時のクリスマスプレゼントとして贈った「トランポリン」も設置した。最初は手を持ってやって、「跳ぶ」という基礎的な動きに慣れさせつつ、自分で自主的に取り組むのを根気強く待った。また、「柔らかいボール」をたくさん用意し、いろいろなゲーム方式の運動遊びを体験させながら「投げる」という動きにも慣れさせた。「膨らませたゴム風船」を使った遊びも取り入れて「物を操作する」という動きにも慣れさせていった。さらに、「目と足との協応動作」を素早くするために、3歳の誕生日には「スポーツ育脳マット」という優れものをプレゼントした。

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 この玩具は、幼児が体力や集中力を培うのにも最適のものである。テレビに接続したスポーツマットの上を足で踏むことで、画面に映し出された様々な対戦型や協力型のスポーツゲームを行うのだが、これが運動量も結構あり運動不足の私にとって運動をするよい機会になっている。最初の頃はわざと負けてやってHを喜ばせていたが、今では本気モードで対戦しても負けることがある。もちろん本気でやって私が勝つこともあり、その時はHが不貞腐れたり怒ったりする。私としては、Hに負けることも体験させ、自分の思い通りにいかなかった時の気持ちとの折り合いの付け方を経験させている。でも、それでもHは私と対戦するのを楽しみにしており、我が家に遊びに来たら必ず「じいじ、対戦しよう。」と声を掛けてくれる。私もHと一緒に遊ぶことがこの上なく楽しい。

 

 先日の土曜日も、やはり「スポーツ育脳マット」で共に楽しく遊んだ。その後で、ソフトクリームを頬張っていたHがそっと口にした言葉を、私は忘れることができない。その言葉とは、「Hは、じいじが0番目に好き!」…初め私は??だったが、Hがその説明をしてくれた。「0番目に好きというのは、1番目より好きということよ。」私は嬉しい気持ちと同時に、Hの順序数の概念理解に感動した。集合数なら0は何もないことになるが、順序数なら1より小さい数になるのだ。だから「0番目に好きというのは、0以下の数字を知らないHにとって最も好きということを表わしている。」Hにとってじいじは、自分と最も楽しく遊んでくれる友達なのであろう。私は、嬉しさと喜びが汗と共にじわーっと溢れ出てきた。

「読む」ことと「書く」ことについて考える~若松英輔著『生きていくうえで、かけがえのないこと』から学ぶ~

 7月に再就職して以来、なかなか集中して読書をしたりブログを書いたりすることがままならなかったが、日々の生活リズムに慣れてきた上にお盆休みで一息ついたので、少し心身共にゆとりができてきた。私は、久し振りに市立中央図書館へ足を運び、3冊の本を借りた。以前NHKで放映されたので気になっていた『マルクス・ガブリエル/欲望の時代を哲学する』(丸山俊一+NHK「欲望の時代の哲学」制作班著)、私が気に入っている作家の小説『検事の信義』(柚月裕子著)、そして題名に強く惹かれた『生きていくうえで、かけがえのないこと』(若松英輔著)である。貸出期間は2週間なので、私は以前のように主に就寝前後の時間を利用して、上述の順番にのんびりと読んでいった。その中で、今の私にとって特に考えさされることがあった若松氏の著書を、今回の記事に取り上げることにした。

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 新たに書き下ろした最後の5編以外の本書に収められているエッセイは、著者が作家の吉村萬壱氏と共に亜紀書房ウェブマガジン「あき地」の中の「生きていくうえで、かけがえのないこと」という連載で書き継いだものである。吉村氏による「まえがき」には、「若松英輔の文章には、気休めのようなものがない。どの一篇も、この世で最も深く厳しい次元にまで筆を届かそうとしている。…」と記されているが、私も本書を読みながら同様の感想を抱いた。筆者の言葉は「言霊」と評していいような迫力があり、強い説得力をもっている。そして、その中に実に限りなく優しく、美しい灯を宿しているように思う。

 

 そこで今回は、本を読んだりブログ記事を書いたりすることを趣味にしている私の心に特に強く突き刺さり、新たな希望の灯を点けてくれた本書の2編のエッセイと「あとがき」を取り上げ、そこから学んだことを綴ってみたいと思う。

 

 まず取り上げるのは、「読む」というエッセイ。著者は、「何度となく手にしながら、読み通すことができない」本の一冊として、キュスターヴ・フローベール著『ボヴァリー夫人』を取り上げ、自分の読書の在り方についての問題点を記述している。それは、このような読書は「何かを予期しつつ、調査をするような手つきでする」ものなので、時が熟していないのである。だから、「言葉を交わす程度の接点ではあっても出会いと呼ぶべき出来事にはならない。」と指摘している。そして、ただ茫然と待つだけでは十分ではなく、「本であれ、人であれ、出会うために人は、それを準備する人生の門をいくつかくぐらなければならないようにも感じられる。」と、時が熟すための必要条件を示している。私は自分の読書の在り方について振り返ってみた。どちらかと言えば、私も意図的な読書をする傾向があったが、最近は自分なりの時が熟した頃合いを見計らって、積読状態にしてあった本を読むことが多くなり、愛おしいような読書体験ができるようになった。本と本当に出会えるようになってきたのである。

 

 次に取り上げるのは、「書く」というエッセイ。著者は、「書き手」とは「書くという営みを自覚的に行おうとするときの、人生への態度」と定義付けて、「人は誰でも、心のうちにあることを真剣に書き記そうとするとき、書き手へと変貌する。」と述べている。また、「どう書くかよりも、書くとは何かを、書きながら考えなくてはならない。書くとは、生きることにおける不可欠の営為の呼び名である。」と力説し、「だから、うまく書こうとしてはならない。」とまで主張している。翻って私がブログの記事を書くときの在り方を振り返ってみると、「うまく書きたい」というスケベ心丸出しの姿勢であることを悟り、気恥ずかしい限りである。それに対して、「本当に心が宿ることを、手ではなく、心で書けばよい。」と、著者は指南してくれている。また、「これが、自分の書く最後の文章だ、と思って書くことだ。今書いている言葉は、生者だけでなく、死者たちにも届く、と信じて書くことだ。」とも述べている。私はここまでの覚悟をもって書くことがまだできていない。否、死ぬまで書くことはできないだろう。でも、少しでもそうありたいと願いつつ、今後もブログの記事を書いていこうと思った。

 

 最後に取り上げるのは、「あとがき」の文章。著者は、「本が読めないときは、自分と向き合う時機である。それは自分の人生を新しく支える言葉を、自らが紡ぎ出す時節でもある。」と述べている。そして、「書く」とは「自己とは何かを知る営み」だとも定義付けている。また、「読む」とは「文字を媒介にしながら彼方の世界を感じることであり、そこで文章を書いた者と対話することではないだろうか。」と、読者に問い掛けている。さらに、「言葉は、人間がこの世に残し得る、もっとも美しいものではないだろうか。」と、「書く」ことや「読む」ことの意味や価値を提起している。私は、著者のこのような考えを知るに至り、今一度、「読む」ことや「書く」ことの実存的・社会的な意味や価値について深く考える必要性を痛感した次第である。

お盆休みに堪能した「浅見光彦シリーズ最後の謎」~内田康夫著『孤道』、和久井清水著『弧道―金色の眠り―』を読んで~

 今年のお盆は、日本各地が自然災害に見舞われて、大変な事態に陥ってしまった。その一つが、新型コロナウイルスの変異株(インド型)が全国的に猛威を振るい、第5波の感染拡大が止まらない自然災害級の事態になっていること。二つ目が、本州付近に停滞している前線の影響で西日本を中心に記録的な大雨が降り、土砂災害や水害が起きる事態になっていること。これらの影響で私のお盆休みは、昨年に続いて「ステイホーム」を余儀なくされた三日間になってしまった。久し振りに二女や孫のMとの再会を楽しみにしていたが、その予定を断念しなければならなかった。また、別の意味で楽しみにしていた高校野球夏の甲子園大会も雨天順延の措置が続き、当初予定していた視聴時間が空白になってしまった。

 

 そこで私は、この空白時間を活用して、心身のリラックスを図るためにしばらく積読状態にしていた「浅見光彦シリーズ最後の謎」と言われている『孤道』(内田康夫著)とその完結編『弧道―金色の眠り―』(和久井清水著)を一気に読むことにした。テレビでも御馴染みの浅見光彦が探偵役を務める長編ミステリー『孤道』は、2014年12月4日から「毎日新聞」において連載されていたが、その著者である内田氏が2015年の夏に病に倒れたためにやむなく8月12日でその連載が中断されていた作品である。もちろん内田氏は自分の手でその完結に導こうとしていたが、その後病状は好転せず、彼は新しい才能にそれを任せようと決意したのである。連載されていた作品が2017年5月に毎日新聞より刊行されると同時に、完結編を公募する<『孤道』完結プロジェクト>がスタート。そして、何と百余りの応募作品の中から最優秀賞を受賞したのが、和久井氏の著した完結編『弧道―金色の眠り―』であった。

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 世界遺産に認定された紀伊半島熊野古道を舞台に展開される『孤道』の導入は、観光スポットになっている牛馬童子の頭部が盗まれるという事件の発生。現場に真っ先に駆け付けた大毎新聞和歌山支局田辺通信部の記者で、光彦の大学の後輩に当たる鳥羽が書いた記事がスクープとなり、注目を集める。一方、光彦は体調を崩した軽井沢在住の内田康夫の代参で、熊野の「権現神社」へ向かうことになり、鳥羽に連絡を入れる。すると、大阪・天満橋付近で、和歌山県海南市で不動産業を営む鈴木義弘の死体が発見されたことを聞く。こうして、いつもの如く光彦は殺人事件に関わっていくことになる。そして、義弘の祖父である義麿が書き残したノートから浮かび上がっていく古代史の謎が、『弧道』のテーマになっていく。そのノートには阿武山古墳から何かが持ち去られた出来事が記されており、それが現代の事件と結ぶ壮大な謎になる。その謎に確かな道筋をつけていくのが光彦なのである。謎をこれからどう収束させようかという前段で中断になってしまった『弧道』。その完結の見通しは、著者の内田氏ですらついていなかったと言う。

 

 だが内田氏は、『弧道』初刊本の最後に、自身の談話内容を活字にした「ここまでお読みくださった方々へ」という文章を掲載している。その中で、物語の完結へ向けての断片的な構想を述べている。ただし、それらはあくまで内田氏独自の見通しであったのだが、和久井氏はそれらを十分考慮に入れた上で、物語の舞台や軽井沢を実際に訪れて、しかも今までの内田作品で造形されてきた主人公の浅見光彦のキャラクターを損なうことなく、鮮やかな完結編を上梓した。特に古代史の常識を覆す推理や、犯人のやむにやまれぬ心情に迫ったエンディングなどは、これまでの浅見光彦シリーズにはなかったテイストがあり、内田氏本人が構想したであろう筋書きとは違ったかもしれないが、『弧道―金色の眠り―』は完結編としての完成度が高い作品になっていると思った。残念ながら内田氏は2018年3月13日に逝去されたので、この完結編を読むことは叶わなかったが、きっとあの世で自分の託した思いが新しい才能によって具現化したことに満足されていると思う。

 

 最後に、これらの作品はミステリーなのでこれ以上具体的な内容や筋書きに触れるのは慎むが、今回私の大好きな作家の一人である内田康夫氏の遺作とその内田氏の遺志を継いだ和久井氏の渾身の力作を読むことができ、昨年に引き続いた「ステイホーム」のお盆休みは、私にとって有意義な時間となった。故・内田康夫氏に対して哀悼の意を、そして両作家に感謝の意を心から表するとともに、未読の読者の皆さんには両作品をぜひご一読されることを薦めて筆を擱きたい。

特別支援教育の視点から学級づくりを考える~松久眞実氏の講演を視聴して~

 先日、特別支援教育指導員の研修の一環として、全日本特別支援教育研究連盟・第26回中国・四国地区研究大会におけるオンラインセミナーの次のような講演を視聴した。

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 講師の松久氏は、現在、桃山学院教育大学の教育学部教育学科教授で、特別支援教育・学級経営・学校心理学・教師教育を専門としている方である。堺市立特別支援学校や同小学校教諭を経て、堺市教育委員会指導主事になり、その後プール学院大学で教鞭をとった後、現在に至っている。また、教員対象の「学級づくり」をテーマにした講演会で、休日も精力的に全国を駆け巡っており、その実践的で具体的なお話は大変有益だと多くの教員から好評を得ている。

 

 そこで今回は、教員はもちろん一般市民の方々にも「特別支援教育の視点から学級づくりを考える」ことについて知ってもらいたいと思い、松久氏の講演内容を紹介しようと思う。特に私の心に強く残った講演内容の概要をまとめるとともに、いつものように簡潔な所感を綴ってみたい。

 

 まず松久氏は、自分が過去に学級崩壊状態に陥ったクラスを担任していた頃の実態について触れ、教師としての自分の在り方を反省的に振り返っている。自分は「フレンドリーな教師で、子どもとの距離を縮めて仲良くなるのは得意だが、きちんと指導が行き届かないタイプ」だったと自己評価し、「教師がリーダーになっていない。そもそも子どもが“誉めてほしい教師”になっているか」と自問している。そして、ハリー・ウォン/ローズマリー・ウォン著『世界最高の学級経営―成果を上げる教師になるために―』から、自分の学級経営の問題点を暴き出し、次のような観点を取り上げている。

〇 クラスが組織化して安定していることが必要である。

〇 ブレない「一貫性」のあるルールが必要である。

〇 優れた教師に必要なのは、「学級経営」「授業力」「子どもへの前向きな期待」である。

〇 成果を上げる教師は、「イニシアティブ」を取り、怒鳴ったり威圧的に従わせようとしたりしない。

 

 また、学級崩壊状態における子どもたちの行動について、特別支援教育の視点からその原因を探っている。例えば、「黒板の文字を写さない」という行動は、もしかしたら「眼球運動のつまずきや視覚的短期記憶の困難」とか「手指の巧緻性や目と手の協応の問題」とかが原因かもしれない。また、「悪態をつく」という行動は、もしかしたら「多動性や実行機能のつまずき」が原因かもしれない。このようなことを考えた松久氏は、子どもたちが表出している言動で判断せず、彼らの本音や背景にある心理を理解しようとすることが大切であることを強く訴えている。そして、児童心理治療施設の宮田雄吾氏の「愛情だけを頼りとする人は、虐待された子どもの支援を仕事にしはならない!」という言葉を紹介している。

 

 次に、話題を本講演の中心的なテーマ「崩れない学級づくりのための三つのフェーズ」について展開していく。「学級経営の三つのフェーズ」とは、次の通りである。

① 「秩序フェーズ(始動期;ルールの確立)」…学級の土台や秩序を作る・崩れない学級経営

② 「育成フェーズ(展開期;児童生徒の参加)」…子ども同士のつながり・教師主導から子ども主導へ

③ 「成長フェーズ(発展期;自主性の育成や自治)」…子どもの能力を伸ばす・子どもの自主性に任す

これらのフェーズの根本には、全員の子どもが楽しく「わかる・できる」授業(焦点化・視覚化・共有化)を目指すために、特別支援教育の理念や視点を教科教育に導入することが求められているのである。ただし、「これらのフェーズの適用が学級の実態と違うと、かえって学級が荒れる原因になることもある」と釘をさしている。

 

 さらに、話題は「秩序フェーズ」と「育成フェーズ」における注意事項へと展開していく。最初に松久氏は「秩序フェーズの3本柱」として、次のような注意事項を挙げている。

① 一年間を通じてブレることなく叱る基準を明確にすること。…人の心と体を傷つけた時・できることをしない時・忘れ物や給食を残した時等のレベルを区別する。

② 子どもを興奮させないように、教室の刺激を減らすこと。…教室前の掲示物を減らしたり、ロッカーにカーテンを掛けたりして、「視覚的刺激」を減らす。机や椅子の脚にテニスボールをはめるなどして、「聴覚的刺激」を減らす。また、「静寂の時間」を導入する。さらに、教師の言葉を減らす。

③ 中間層を味方に付け、誉めながら支援の必要な子どもを巻き込むこと。…学級は「優等生」「中間層」「逸脱層」に分かれている。授業を楽しそうに演技しながら進めていくと、「中間層」を味方に付けることができる。本当に優しい先生ほど「秩序」を優先する。「温かさ」と「甘やかし」の混同や、「思いやり」と「馴れ合い」の履き違いはダメ。

 

 二番目に、「育成フェードでは」として、次のような注意事項を挙げている。

〇 逸脱層の集団よりも、もっと魅力的な学級集団をつくること。…中間層の子どもにとって逸脱層の子どもは魅力的に映る。だから、多数の中間層を各種の行事や係活動等で活躍させることが大切である。

また、学級の中で「善い行い」を増やす手立てとして、次のような工夫があると示している。

① ソーシャル・スキル・トレーニング(SST)…学級集団に対して指導すると効果的。特別な支援を必要とする子どもに対して周りで文句を言う子どもの「心の器」を広げることになる。

② 子ども一人一人に対する毎日の声掛け…朝の挨拶、個人作業(机間指導)、「らくらく日記」(子どもに3行か3分程度、日記を書かせ、終わりの会後に教師が目を通してサインし、一声掛けて握手するという取組)、連絡帳に「聞いてサイン」(教室移動や休み時間、一人でいる時に、そっと声を掛けるという取組)など。

③ 好意に満ちたクラスづくり…クラス独自の合言葉・励ましパワーワード・好意に満ちた語り掛けなど。

④ 気がラクになるセリフ…深呼吸・おまじない・ことわざカルタなど。

 

 以上、松久氏の講演「研修シリーズ」の中の「学級づくりの神髄」と「学級づくりの3つのフェーズ」を再構成した講演内容の概要をまとめてみた。「学級づくり」の前提として、限局性学習症(LD)や注意欠陥・多動症ADHD)、自閉スペクトラム症(ASD)等の発達障害のある子どもたちが通常学級に在籍していることを想定している内容だったので、まさに「特別支援教育の視点に立った学級経営論」とも言える内容であった。私にとっては現職で学級担任をしていた頃に拝聴しておれば、発達障害のある子どもたちにもっと配慮した学級経営ができていたかもしれないと、反省しきりの時間になった。

 

 私は今回オンラインセミナーで視聴したので、約2時間17分間の講演だったとは言え、実際は二日間で時には場面を止めてメモを取ったり、疲れてきたら少し休憩を入れたりするなどして、余裕をもって研修することができた。そのお陰で視聴後は、頭の中の記憶が意外と整理されていたので、スッキリした気分であった。今回、本記事をまとめたことによって、さらに確かな記憶として残ったので、今後の教員との教育相談の際には、必要な場面で今回学んだ講演内容を生かしていきたいと考えている。

コロナ禍で開催されていた東京オリンピック2020を振り返って…

 「ゴォーッ、ゴォーッ」という強風の音で目覚めた私は、すぐに階下に降りてテレビのリモコン・スイッチを入れ、NHKの台風情報を見た。8月8日の夜間、九州に上陸した台風9号は、今朝には広島県へ再上陸して北上しているところだった。県下には、まだ土砂災害警戒情報と大雨警報等が発令されており、私が新聞を取りに行こうと玄関を出た際は強風で身体が押されるような感じになった。駐車場を見ると、自転車が倒れていたり、生け花を入れておくためのポリバケツが吹き飛ばされていたりしていた。また、雨は小雨になっているとは言え、横殴りに吹き付けてきて、台風9号の影響はまだ残っている状況だった。

 

    私は朝刊に目を通そうと、急いで家の中に戻った。我が家で購読している地方紙の一面を飾っていたのは、“東京五輪 閉会式”“困難の中 選手熱戦”“感染拡大下「祝祭」に幕”と共に、“バスケ女子 躍進「銀」”の大きな見出しであった。私は前日の東京五輪最終日8日に行われたアメリカとの決勝戦をテレビの前で応援していたので、男女を通じて初めてのメダルを手にした日本女子チームの快挙に心から拍手を送った。オリンピック7連覇を達成したアメリカには負けたが、準々決勝、準決勝と格上の強豪国を撃破して決勝の舞台にまで進出したことは、体格差に劣っている日本女子の高い技術や巧みなチームプレーなどが世界に通用することを証明してくれたと思う。私は日本人として誇らしい気持ちになった。そして、その他の種目の日本人選手の様々な活躍の場面や姿等が想い起されてきた。

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 そこで今回は、17日間実施された東京オリンピックを振り返りつつ、特に私の心に強く残った場面や目に焼き付いた日本人選手の姿等について綴ってみたいと思う。

 

 まず、最初に取り上げたいのは、13年ぶりに採用された「女子ソフトボール」と「野球」の競技である。以前にも当ブログの記事で何度か紹介したが、私は幼いころから草野球に親しみ、中学校・高校と野球部に所属していた。また、教職に就いてからもソフトボールを通じて、教員仲間や保護者、地域の人々等と触れ合う機会をもってきたので、「野球型」のスポーツにはつい関心が向いてしまう。だから、今回の東京オリンピックに復活した両種目においても、開催前から日本の戦いぶりをぜひテレビで観戦し、しっかりと応援しようと決めていた。

 

    「女子ソフトボール」では、予選リーグ第2戦のメキシコ戦において延長タイブレイクの末、3対2でサヨナラ勝ちしたゲームと、同じく予選リーグ第4戦のカナダ戦において再び延長タイブレイクの末、1対0でサヨナラ勝ちしたゲーム、さらに決勝戦において2対0で勝利して13年越しでオリンピック連覇を達成したゲームが、本当に息詰まる試合展開であり、私の心に印象強く残った。各試合で先発した上野由岐子投手の成熟した巧みな投球は素晴らしかったが、それ以上に上野投手を救援した左腕の後藤希由投手の力強い投球は頼もしかった。上野投手の後継者として期待される逸材だと、私はそのマウンド度胸と切れのある球筋を見て思った。私の心の中では後藤投手こそ、日本チーム連覇の立役者である。

 

 「野球」(侍ジャパン)では、オープニンググラウンド第1戦のドミニカ戦において最終回に一挙3点を奪い、4対3でサヨナラ勝ちしたゲームと、ノックアウトステージ準々決勝のアメリカ戦において延長タイブレイクの末、7対6でサヨナラ勝ちしたゲーム、また同じく準決勝の韓国戦において同点で迎えた8回裏、山田哲人選手の殊勲の3点適時打によって5対2で勝ったゲーム、さらに決勝戦で再び対戦したアメリカ戦において2対0でアメリカを完封して悲願の優勝を達成したゲームが、大変な緊張感のある試合展開であり、私の心に印象強く残った。各試合ともいい場面で適時打を放った打者たちによって勝利をもぎ取った訳だが、私はやはり先発・中継ぎ・抑えの役割をしっかり果たした投手陣を称賛したい。特に守護神として緊迫した場面で力投した栗林良吏投手の活躍は、本当に素晴らしかった。私の心の中では栗林投手こそ、侍ジャパン悲願の優勝の立役者である。

 

 「女子ソフトボール」も「野球」も、個々の選手の高い技術と逞しいメンタルによって優勝を勝ち取ったのは間違いないが、やはりチーム・スポーツの競技なので「信頼感に支えられたチームワーク」こそが優勝の原動力になったと思う。両種目とも、様々な国際大会を経験しているベテラン選手とその経験の浅い若い選手が、うまく噛み合って機能するようなベンチワークも光っていた。「女子ソフトボール」の宇津木監督と「野球」の稲葉監督の優勝に賭ける熱い思いと、各選手の技量や特性等を熟知した上での巧みな起用術、そして選手の自主性を尊重したチーム作りなど、その指揮官としての高い資質を賞賛すべきであろう。

 

 次に取り上げたいのは、メダル獲得は確実だと前評判が高く、オリンピック開催前からメディアに注目されていながら、その期待に十分応えられないまま終わってしまった選手たちである。競泳男子の200mと400mの個人メドレーリレーに出場した瀬戸大也選手、体操男子の鉄棒に出場した内村航平選手、バドミントン男・女シングルスに出場した桃田賢斗選手や奥平希望選手・山口茜選手、トランポリン女子に出場した森ひかる選手、さらに陸上男子100×4mリレーに出場した多田修平選手・山県亮太選手・桐生祥秀選手・小池祐貴選手、等々。新型コロナウイルスの感染拡大のために、1年延期されて開催された東京オリンピック。汗にまみれ血を流すほどの猛練習を繰り返し、メダル獲得の期待というプレッシャーとの闘いを続けてきた5年間の努力が、結果として報われなかった選手たち。きっと私たちには分からない口惜しさと悲しみに、打ちひしがれているに違いない。でも、そんな彼らに私は言いたい。「切望した結果は得られなかったかもしれないが、それを目標にして励んできた日々はあなたという人間を大きく成長させてきた足跡である。この経験は、必ず今後の人生の大きな糧になる。否、糧にしなければならない。人生には決して無駄なことはないぞ!」彼らのこれからの人生に幸多かれと、私は心より願うばかりである。

 

 最後に、開催の是非についても様々な意見があり、開催の有無自体がなかなか決められなかった事情があった上、コロナ禍にあって無観客で開催されることになり、さらにバブル方式という閉鎖的な空間で自由な行動が制限された選手たちには、本来の実力を出し切れなかった東京オリンピック2020になったかもしれない。でも、それにも拘らず、自己の精一杯のパフォーマンスを発揮すべく、最大の努力を傾けて競技を行った全ての各国各地域の選手たちに対して、心からの敬意を表したい。また、本大会を陰になって支えてくださった多くの医療関係者やボランティアなどの方々に、心から感謝の意を述べたい。お陰で私はテレビ観戦ではあったが、アスリートたちの懸命な姿から多くの「勇気」と「希望」をいただいた。本当にありがとうございました。

「自閉症」のこころの世界はどうなっているのだろう?~特に村瀬学著『自閉症―これまでの見解に異議あり!―』を再読して

 前回の記事は、『「こころ」の本質とは何か―統合失調症自閉症不登校のふしぎ―』(滝川一廣著)を再読して、「自閉症」の本質について私なりに理解したことをまとめてみたが、その際に「自閉症」のこころの世界について十分に触れることができなかった。「発達障害」のある子について理解を深めるためには、その子のこころの世界について知ることが不可欠になる。特別支援教育指導員の職務を考えると、私にとってこのことの重要性は大きい。だから、まず本書の著者である滝川氏が描く「自閉症」のこころの世界のとらえ方について簡潔にまとめてみる。

 

 本書において著者は、「自閉症」のこころの世界の特性として「依存性の乏しさ」「不安緊張の高さ」「感覚・知覚の過敏さ」「情動の混乱しやすさ」「強いこだわり」の5つを挙げて、それらの特性には合理的な理由と必然性があることを筋道立てて解説している。そして、これらの特性は互いに循環的に絡み合って、「自閉症」独特のこころの世界を形づくり、一見極めて特異な行動の在り方を見せるが、それは「共同性・関係性」を前提としている私たちのこころの本質上、特殊で異常なこころの世界ではないのだと主張している。私にとってこの主張内容はとても分かりやすく、十分に納得できるものであった。

 

 本書を再読している時に、私は以前にも「自閉症」のこころの世界について説得的に解説した本の記憶が蘇って来た。それは、『自閉症―これまでの見解に異議あり!―』(村瀬学著)という本である。今から約15年前、師走も押し詰まった時期に近くのデパートで催された「山下清とその仲間たちの作品展」を妻と共に鑑賞したことをきっかけにして、本書を入手し一気に読了したことを思い出したのである。私は、本書をここ1週間ほどかけて再読してみた。初読時、私は一体何を学んだのだろうと反省するほど、「自閉症」に関する根源的・本質的な認識が深まったことを自覚した。

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 そこで今回は、本書の中で著者の村瀬氏が披露している「自閉症」のこころの世界についての見解を私なりにまとめ、いつものように簡単な所感を加えてみようと思う。

 

 著者はまず、ローナ・ウィング著『自閉症児』や「報道特集・うちの子は自閉症」というテレビ番組の内容を紹介し、それぞれの「家族の苦労」から「自閉症」のことだけではなく、私たちの生きる仕組みのことをもっと受け止める必要があると述べている。また、これらの事例から、「自閉症」と呼ばれてきた子供たちは「並んでいるもの」が変化することに不安を感じていることを読み取っている。

 

    次に、「物を一列に並べる」「部屋の中の並んでいる物を動かすと怒る」「道順にこだわる」「同じ行動をいつまでも続ける」というような行動を示す、「同一性保持」や「変化への抵抗」と呼ばれている「自閉症」の症状について考察している。また、「自閉症」以前の問題として、人類が作り出した三大叡智と言われる「数・暦(カレンダー)・地図の発見」について取り上げて、「順序」や「配列」が損なわれると人は誰でもある程度のパニック状態になることを具体的に論じている。

 

    特に私の心に印象深く残った内容の一つは、自閉症児が「カレンダー」に関心を寄せるこころの世界を解釈している箇所である。次に、その概要をまとめてみる。…彼らが「カレンダー」に関心を示すのは、社会の規則性をうまく把握できないところからくる「不安定さ」があったからである。その「不安定さ」から自分を守るために、比較的分かりやすくできている「規則性」、例えば家の中の配置や、散歩する道の順番とか、そういう「空間の規則性」に注意を払うことで、手作りの安心感を得ようとしていた。さらに、そこから「時間の規則性」、つまり「カレンダー」に関心を寄せて安心感を得るという方向性を取るように、自然に関心が動いていたのである。

 

 もう一つ、私が強いインパクトを受けた内容がある。それは、多くの自閉症児が「家出」や「放浪」、「一人旅」を繰り返すことに対する解釈である。著者は、彼らのこころの世界を解釈するには「地図」が手掛かりになると考え、その意味論的な考察をしている。次に、その概要をまとめてみる。…「地図」とは「目印」の「順番」の意識であり、その「目印」をさらに「配置(座標)」として組み合わせたものである。だから、「地図」には必ずそれらの一定の「規則性」がある。自閉症児の「地図」にはあまり一般性がなくても、その描き手の頭の中に一連の「つながり」としてある限り、他人が見ても「地図」として見えるものになっていく。「先」の読めない状況下で生きている彼らは不安が高く、とにかく少しでも「先」の読めるものを探そうということになり、周囲の順番にならんでいるものや配置に関心を向けることになるのである。その一つが「地図」なのである。

 

 「順番」や「配列」が損なわれる傾向をもつ自閉症児は常に「おそれ」があり、この「不安定さ」から自分を守るために、「時間の規則性」をもつ「カレンダー」や「空間の規則性」をもつ「地図」に注意を向けていたのである。一般の子供たちは最も身近にいる「親」の笑い方やしゃべり方・動き方にその親なりの一定の「規則性」に強い関心を示していくが、自閉症児は絶えず動き回る「親」に一定の「規則性」を見出すことは難しい。だから、彼らが「親に関心を示さない」と言われてきたのは、関心を示さないのではなく、動き回る人間に一定の「規則性」を見つけることが上手にできにくいからであると、著者は指摘する。彼らはよく「対人関係がとれない」と言われるが、それは「関係がとれない」のではないし、「対人関係に無関心」なのでもなく、「人間の行動の規則性」が読み取れにくい故の不安が先立っているだけなのである。

 

 著者はこのような考察を基に、自閉症児と私たちは決して断絶しているのではなく、むしろ同じ地平に立っていると主張する。これまでの自閉症=特殊論に異議を唱え、彼らの生の在り方は誰にでも共感でき、理解できるものであることを強く訴えている。つまり、従来「自閉症の謎」などとして不思議がられてきたものは、その原因を訳の分からない「脳障害」や「知覚・言語・認知障害」などに求めて特別視しなくても、身近な自分たちの「記憶」の現象を突き詰めるだけでも、私たち自身のもつ「謎」と共通しているものであることが理解してもらえるはずなのである。

 

 以上のような「自閉症」のこころの世界についての著者の見解を今回再認識して、私は自分自身の今までの「自閉症」に対する認識の浅さを痛感した。「自閉症」を「病気」ととらえ、自閉症児が示す特徴的な行動を「症状」と見なしてしまう発想から脱し、彼らを一人の人間としてあるがままとらえ、彼らの示す特徴的な行動を誰にでも大なり小なりもっている「特性」だととらえることが大切なのである。そのことにより、自閉症児を「生活=社会」の中の「関係」としての存在としてとらえる視座が確保され、新たな「相互関係性」の地平が拓かれていくのである。私は本書を再読しながら、特別支援教育指導員という今の立場を鑑みて、さらなる「研修と変容」が必要であると痛感した。