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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

日本には「愛」が存在しなかった?!~長谷川櫂著『俳句と人間』から学ぶ~

 私は、「プレバト!」というテレビ番組をよく観る。特に、梅沢富美男氏や東国原英夫氏などの芸能人がお題に沿って創作した俳句を、講師役の夏井いつき氏が「才能あり」「凡人」「才能なし」とランク付けし辛口で批評する俳句査定のコーナーが好きである。俳聖・正岡子規と同郷でなおかつ出身小学校までもが同じでありながら、今まで苦手意識から俳句に対して距離を取っていた私にとって、当番組は俳句をより身近に感じさせてくれた。もちろん夏井氏の批評ポイントが絶対的な基準とは言えないかもしれないが、俳句作りにおける一つの着眼点としては面白い。「散文的な説明の言葉は必要ないのか。」とか「場所や場面等の映像化が大切なのか。」とかと呟きながら、私はバラエティー番組として楽しむ中で俳句作りの方法を結果的に学んでいる。

 

 そんな私だが、今から10年ほど前にも一時的に俳句に関心を高めた時期があった。それは元教員のある先輩から紹介された『震災句集』(長谷川櫂著)を読んだことがきっかけになった。この著書は、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故後にまとめられたものであり、俳句に込められた作者の長谷川氏の魂に触れた私は、原発事故に対する自分自身の意識の低さや姿勢の甘さを問われたような気になった。彼の俳句がもつ言葉の力には、圧倒されるものがあった。それ以来、私は俳句についてもう少し勉強してみようと、彼の他の著書『俳句の宇宙』『決定版 一億人の俳句入門』『俳句的生活』『和の思想―異質のものを共存させる力―』等を読んだ。その中で、私は俳句だけでなく、散文的文才に溢れた彼のエッセイも好きになった。

 

 そんな経緯があって、先日たまたま市立中央図書館へ出掛けた際に、彼の最近のエッセイ集『俳句と人間』が目に留まり、私は『生きていくうえで、かけがえのないこと』(吉村萬壱著)と共に借りたのである。本書は、長谷川氏が皮膚癌の宣告をきっかけに人間の「生と死」について考えた思索の記録であり、来世など期待せず、今いるこの世界で納得のゆくように生きようという主張をテーマにして綴ったエッセイ集である。そこで今回は、本書を読みながら私がハッとしたことの一つ、日本における「愛」のとらえ方について綴ってみたい。

 著者は本書の「第3章 誰も自分の死を知らない」の中で、日本人は古代の和歌から現代の歌謡曲まで連綿として恋を歌い続けてきたと述べ、恋の震源として国産み神話の伊邪那岐伊邪那美の問答、『後拾遺和歌集』から和泉式部の三首の歌を紹介している。そして、日本人は古来より男も女も恋の達人であり猛者であったのに、一方、「愛」となると日本人ほど疎い人々も少ないことを指摘し、その理由としてこの国にはもともと「愛」などなかったからだと断定している。

 

 日本には「愛」が存在しなかった!私の頭は???となった。…著者はその理由を「こい」は訓なのに「アイ」は音だからであると言う。つまり、「こい」という言葉は中国から漢字が伝わる前から大和言葉としてあったが、「アイ」は漢字の「愛」の音として中国からはじめて伝わったと…。でも、「愛でる」という言葉があったのではないかと、私の疑問は続く。…それに対して、著者は言う。確かに古くから「愛」の字を「めでる」「いつくしむ」「いとしむ」「かなしむ」などと読ませることはあるが、それはただ大和言葉に「愛」の字を当てただけのことであり、もともとそれらの大和言葉は主に親子や男女の間の「こい」に近いこまやかな感情を表す言葉だった。これらの言葉では、「愛」という字の壮大な世界を表わすことは到底できないと…。

 

 では、現代に生きる私たちが普通に「愛」ととらえるような感情の実体を、古代から中世までの日本人はもっていなかったのか。…著者はそれを肯定した上で、王朝中世の歌人があれほど恋に執したのに、「愛」が一度も歌に詠まれなかったのはその一例に過ぎないと述べている。さらに、古代のこの欠落が長く尾を引いて日本人はいまだに「愛」の意味がよくわからないのではないかと、アイロニカルな表現を使って現代日本人の感情の在り方までも非難している。新しい言葉の誕生によって世界のとらえ方が変わることは、明治時代に欧米の原語を日本語に翻訳した際にも確かにあった。私は、「愛」という言葉が中国から伝わってきてから、日本人も「愛」という感情を次第に意識し対象化してきたのかもしれないと思い直した。

 

 当ブログの以前の記事(2019.11.14付)で、私は『愛』(苫野一徳著)を取り上げ、著者による「愛」の哲学的本質洞察(現象学的本質観取)によって得られた「愛」の本質について綴ったことがあったが、日本人の彼がこのような思考ができるようになるぐらい我が国において「愛」という感情が根付いたのであろう。このたった百数十年の間に・・・。それにしても、「愛」という概念の由来が中国だとしたら、中国では「愛」の本質が三千年も前から脈々と流れていたのであろうか。私は、またまた連鎖する疑問の前にたじろいでしまった。さて、この疑問についての解答を得るためにはどのようにして調べたらいいのか。もしヒントになることを知っている読者の方がいれば、ぜひコメント欄にてご教示願えれば幸いである。

「食べる」ことについてちょっと考えた~吉村萬壱著『生きていくうえで、かけがえのないこと』を読んで~

 『生きていくうえで、かけがえのないこと』という本を当ブログの以前の記事(2021.8.19付)で取り上げたことがある。ただし、その時の著者は批評家の「若松英輔」氏であったが、今回は芥川賞作家の「吉村萬壱」氏である。なぜ二人が同じタイトルの著書を発刊したかというと、亜紀書房ウェブマガジン「あき地」の中の「生きていくうえで、かけがえのないこと」という連載を二人が担当し、それぞれ10個(計20個)の動詞を選んで同じテーマでエッセイを執筆したものが元になっているからである。前回は同タイトルの若松氏のエッセイ集を読んだのだが、その際は吉村氏のものは読まなかった。私は「吉村萬壱」という小説家が芥川賞を受賞したことぐらいは知っていたが、まだ彼の作品を読んだことがなかったので身近に感じていなかったのである。

 今回、市立中央図書館でたまたま見つけて、『俳句と人間』(長谷川櫂著)と共に借りてみた。そして、一気に読み通した。「あき地」に連載された20編に、新たに書き下ろした5編を加えた彼のエッセイは、鋭い感性と豊かな知性、そして飾らない人柄を感じさせるものだった。私は久し振りに珠玉のエッセイ集に出合った気分を味わうことができた。そこで、今回はその中から「食べる」という動詞をテーマにしたエッセイを取り上げて、私なりに考えたことを綴ってみようと思う。

 

 著者は「食べる」というエッセイの中で、自分は空腹に対する耐性は弱いが、食べることへの関心が低いまま大人になったと書いている。私もやはり空腹には弱く、少しでも空腹感を覚えたら、食事の時間までそれを耐えることが大変辛くなる。そうは言っても、勤務中は当然それを満たすことは我慢するが、帰宅後は夕食前でもつい駄菓子を口の中に放り込んでしまう。肥満、引いては糖尿病等にならないように食生活には注意しなければならないので、間食はよくないと頭では分かっていながら、好物の「おかき」とか「芋菓子」などをつい食べてしまうことがある。少量にするように気を付けてはいるが、この食習慣は止めなければ…。

 

 ところで、私の唇の右上には小さなほくろが一つあり、小さい頃にある人から「その口元のほくろは、一生食べ物には困らない印だよ」と言われたことがある。それ以来、私は何の根拠もないその言葉を信じてきた。だからという訳ではないが、今までの人生を振り返ってみれば、日々の生活において基本的にひもじい思いをした覚えはない。もちろん決して贅沢な食事ではなく人並みのものであったが、それだけでも有難いことである。長じて公立学校の教員になり、職場の歓送迎会や忘年会等の恒例の宴会に出たり、たまに出張先で同僚と外食をしたりする機会が増え、多少贅沢な食事の味を覚えてきたが、それでも高価な食事にはあまり興味は起きなかった。元来、私は食に対して保守的なのである。でも、これは私の貧乏性の性格から来ているのかもしれないが、質素な食事でも空腹が満たされるなら、それで十分だと思っている。

 

 著者は、人類は常に餓死に苦しみ続けて来て、現代においても飢餓は常態であり、世界の半分が飢えていると指摘している。また、食糧は限られていて、その配分は世界の中で大きく偏っているという事実を述べている。さらに、私は現在の世界の食糧事情について思いを馳せる…。今、ロシアによる長期的な軍事侵攻により、小麦の世界的出産地であるウクライナからの発展途上国への輸出が滞っており、世界的な食糧危機が起きている。日本においてもその影響をもろに受けて小麦価格が高騰して、小麦を原料とするパンや麺類等の食品の値上がりも相次いでいる。経済のグローバル化現象は、食糧危機問題を起こす要因として大きな比重を占めていることを実感する。このような現状を鑑みれば、「美味いとか不味いとかの前に、まず飢えないこと、という重要な前提がある。その前提を忘れた時、我々は再び飢えの時代を迎えるに違いない。」という著者の言葉は、今まさに意識すべきことである。

 

 私の二人の男の孫たち(満5歳のHと満1歳のM)は、今のところ食物アレルギーはなく、何でもよく食べる。食に対する意欲は旺盛なようなので、一安心。昨日、都合により長女の代わりにHを保育園に迎えに行き、夕食をじじばば宅で食べさせることになった。Hは、妻の用意した夕食をぺろりと平らげ、デザートのスイカも大喜びで食した。Hが美味しそうに食事をしている姿を見ると、それだけで私たちじじばばはつい頬が緩んでしまう。「このまま健やかに成長してほしい」という一心である。生命は尊い、特に幼く若い生命は未来を担う宝物である。この子たちがせめてひもじい思いをするような社会や時代にしてはならない。私は「食べる」ことについて考えながら、改めて大人の責任、国家の指導者の責任、政治の責任の重大さを感じざるを得なかった。

「未来への責任」を問う倫理学の全体像について~戸谷洋志著『ハンス・ヨナスの哲学』から学ぶ④~

 なかなか筆が進まない。つくづく自分の理解力と文章力の乏しさを痛感する。しかし、老年を迎えて認知機能の衰えを少しでも遅らせようと始めたブログ記事の執筆。自分の課題意識に即して読んだ(インプットした)本を取り上げ、その内容概要や読後所感等を綴っていく(アウトプットをする)雑学スタイルを基本にすると決めた初心を忘れず、何とかここまで足掛け5年にわたって続けてきたので、今さら根を上げてしまうのは情けない。週5日でフルタイムの勤務をしながらの読書とブログ記事の執筆は、たとえ趣味の領域といっても高齢者の仲間入りしている身では時間的・体力的にキツイ。しかし、カメの如き歩みであっても続けていきたいと思っている。…何だが、遅筆の言い訳じみた書き出しで駄文を弄してしまった。トホホホ…

 

 さて今回は、『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)から学ぶシリーズの最終回(第4回)である。ヨナスが構築した「未来への責任」を問う倫理学の全体像について、本書の「第6章 未来への責任について 倫理学Ⅱ」の内容を要約しながら素描してみようと考えている。なかなか要領を得ない要約になってしまうかもしれないが、これも我が身のためだと思い自分なりの能力レベルで綴っていこうと思っているので、ご容赦願いたい。

 前回までにまとめた内容のポイントを簡単に確認しておこう。未来世代への責任を説明するためには、伝統的な倫理学の概念ではなく新たな「責任概念」の基礎づけが必要だと、ヨナスは考えた。そのわけは、今ここに存在しない者への責任を説明しないといけないからである。そして、この説明が可能な理屈として、未来世代の存在そのものが善いからと考え、それに先立って存在と当為を結びつけることができる存在論を「哲学的生命論」から説明することを試みた。その結果、「責任概念」が責任の主体と対象という2つの要素から成り立っており、前者が人間、後者が生命として特徴づけられるという知見を得たのである。

 

 ここで改めて考えてみると、責任が成り立つためにはそこに人間が存在しなければならないことになる。なぜなら、責任の主体になれるのは人間だからである。この責任の主体=人間の等式が成り立つ限り、責任の可能性=人類の存続可能性という等式も成り立つことになる。つまり、人類の存続は、責任が成立するための可能性の条件なのであり、単に人類という生物種に対する責任であるだけでなく、「責任の可能性の責任」になるのである。このことは、人間という責任の主体が存在しなくなれば、責任という現象そのものが成立しなくなるということ。また、責任が成立する時には、同時にその可能性の条件としての人類の存続への責任も課せられているということを意味しているのである。

 

 では、上述した人類の存続への責任の基礎づけから、ヨナスはどのように「未来世代への責任」を基礎づけたのであろうか。簡潔に言えば、彼は未来世代を直接的に責任の対象にするのではなく、「責任概念」の論理的な要請として人類の存続への責任を導き出し、その責任を実現するための具体的な実践として、未来世代への責任を基礎づけたのである。そして、この基礎づけを「ある特定の責任の義務、つまり人間の未来に対する責任の義務を、責任という現象それ自身から形而上学的に演繹する」ものとして提示し、それを「形而上学的演繹」と名づけた。

 

 ヨナスによるこの基礎づけの最大の特徴は、その責任があくまでも責任の可能性の存続という観点から説明されているということである。最も重要なのは、この世界に責任の可能性が開かれ続けていることであり、そのために責任能力をもった主体が存続し続けること。したがって、人類の存続への責任とは、人間があくまで責任の主体として、責任能力を保持した生き物として、いわば「人間らしく」存在することを義務づけるのである。だからこそ、未来世代への責任として、現在世代が配慮すべきことは、未来世代が責任の主体として存在できるようにすること。そして、責任能力に求められる自由を失わないでいることなのだ。

 

 では、未来世代が自由であることへの責任とは、どのような自由に対する責任なのであろうか。ここで重要なのは、「哲学的人間学」である。ヨナスは、人間の本質を「像を描く」自由として性格づけ、それによって自分自身を反省する能力の内に見出していた。ここ言う反省とは、この世界と自分の関係を、そしてこの世界において自分がどこに位置づけられるのかを理解しようとすることである。そこで不可欠の役割を果たすのが、「人間像」という概念。人間は、「人間像」を介することによって、自分自身への理解を深めることができる。ただし、「人間像」は像がそうであるように無限に多様であって、そのどれか一つが真理であると考えることはできないのである。つまり、反省は無限の多様性に開かれており、人間の自己理解を制約するものは何もない。したがって、未来世代が自由であることへの責任とは、未来世代もまたこうした無限の可能性へと開かれていることへの責任と理解できるのである。

 

 以上が、ヨナスが構築した「未来への責任」を問う倫理学の全体像の素描である。彼は、「哲学的生命論」と「津額的人間学」を理論的前提とし、それらを応用することによって「形而上学的演繹」という論証を提示している。著者の戸谷氏は「それが彼の未来倫理に、単なる科学技術文明への対症療法を超えた、哲学的な深さと奥行きを与えている。」と高く評価している。テクノロジーの課題に取り組むためには、存在、生命、人間といった、より根源的な問いと向かい合わなければならないのである。私もここ4回の『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)から学ぶシリーズの記事を綴りながら、同様の感想をもった。本書は、この後、ヨナスの未来倫理における「神」の問題も考えた論考が所収されているが、この点については私自身の課題意識が希薄なために、その概要をまとめることは私の能力では難しいので割愛する。

 

 最後に、著者は「おわりに」において、気候変動問題やそれに関連する「SDGs」(持続可能な開発目標)の話題を取り上げて、「人新世を生きる私たちだからこそ、自然と人間の関係を問い直し、ここから未来世代への責任を基礎づけたヨナスの哲学は、読み直されるに値する」と、彼の哲学・倫理学の今日的意義を強く訴えている。私は以前に当ブログの記事(2021.2.7付)で、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著)を取り上げて、資本主義の下での経済成長を前提として豊かな生活を続けながら「SDGs」による取組を実践しても、それは一時しのぎのアリバイ作りにしかならず、人新世において「気候変動による地球環境の破壊⇒人類の滅亡」は一層進むことになるという著者の主張を紹介した。今でも、私はこの主張内容には首肯するのだが、その前提として「自然と人間の関係」について深く考えることが必要だと、ヨナスの哲学・倫理学について学びながら思った。そういう意味で、多くの市民にとって本書は必読の書だと強く感じた。

存在と当為を結びつける「責任」という概念について~戸谷洋志著『ハンス・ヨナスの哲学』から学ぶ③~

 いよいよ今回から2回続けて、『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)を再読しながら、彼が独自に構築した倫理学の全体像の概要をまとめてみようと思う。ヨナスは、前回までの記事にまとめた「哲学的生命論」と「哲学的人間学」を理論的基盤にして、「未来への責任」を問う倫理学を構築した。それは、現代の科学技術文明において自明視されている没価値(善いとも悪いとも言えない)的な存在論とは異なる、存在と当為(「~するべし」という規範)を接続し得る存在論の可能性を切り開くものであった。そして、彼は存在を根拠とする当為の概念を「責任」と呼んだのである。

 

 そこで今回は、まずヨナスの倫理学におけるキーコンセプトとも言える「責任」という概念について、本書の「第5章 責任について-倫理学Ⅰ」の内容を要約する形でまとめておきたい。

 

 ヨナスは、応答を示唆する概念である「責任」が成立するためには、応答をするもの(責任の対象)と、応答するもの(責任の主体)という2つの要素が揃っていないといけないと考えた。では、どのような存在がその要素としての条件を満たすのか。まず責任の対象たり得る存在は、何らかの絶対的な価値=善を現実化することを要求し、その要求を表現する存在であることが求められる。そして、その表現を認識した者(責任の主体)にとって、この善の現実化への要求は一つの当為になる。このようにヨナスは考えたのである。つまり、彼は道徳の本質を近代以降の倫理学のように行為を従う原則(ルール)のうちに見出すのではなく、その行為によって影響を受けることになる存在から説明しようとしたのである。

 

 上述のように、ヨナスによれば責任の対象は善であり、それは自らが現実化することへの要求を表現し、その表現が当為の根拠になる。彼はこの当為を喚起する表現のことを「呼び声」と呼び、善の「呼び声」は「私」を襲い、「私」に応答することを強いると考えた。つまり、「責任」は目の前にいる対象から応答を強いられるような形で喚起される。また、こうした観点から、「責任」とはこの「呼び声」に対して応答するという義務であると考えられる。これこそ、彼が明らかにした責任の形式的な構造なのである。

 

 次に、彼がこの世界において実際に責任の対象になり得るものと考えたのは、「生命」であった。もしも責任の根拠であるような善がこの世界に姿かたちを伴って存在しているのだとしたら、「生命」以外に考えられない。「責任の対象は生命」、これが彼の責任概念の基本的な命題なのである。ただし、生命であれば人間に限定されず、どのような存在でもよい。責任の主体と責任の対象の間に何らかのコミュニケーションが成立している必要はない。彼が考えている責任概念は、民主主義的な意思決定によって交わされるそれとは根本的に違い、非相互的な関係の間でも成立する概念に他ならないのである。

 

 だだし、ヨナスは生命が実際に道徳的配慮を受けるための条件を二つ挙げている。一つは、その生命が「傷つきやすいこと」。もう一つは「私の行為の圏域に入り込んでおり、私の力に晒されているということ」である。言い換えれば、「私」には傷つけられない生命や「私」よりもはるかに強力な生命は、「私」の責任の対象にはならないのである。これらのことから、責任の主体と対象は脅かす/守るものと、脅かされる/守られるものという関係にあると言える。責任の主体は常に強者であり、その対象は常に弱者であり、両者は非相互的な関係にあるだけでなく、同時に不均衡な力関係に置かれていると考えられるのである。

 

 ここまで、責任の対象に関するヨナスの分析について述べてきたが、では、最後に責任概念を構成するもう一つの要素である責任の主体について、彼が考えた内容を簡潔にまとめて今回の記事を締めくくろう。

 

 責任の主体とは責任を負うところの者であり、この主体に特有の能力を彼は「責任能力」と呼んだ。そして、この「責任能力」を「呼び声」に対する「受容の可能性」として解釈した。つまり、それは「呼び声」を聴くことができるという力ということ。また、道徳性をめぐる可能性に開かれているということ。さらに、私的な利害からの自由を前提にしているということでもある。そして、この私的利害からの自由をもつ生命は、人間に限定されると考えた。人間は自分の生命が脅かされている状況においても、他者の「呼び声」に耳を傾けることができるから、人間だけが責任の主体として認められると彼は考えていたのである。

 

    このようにして、ヨナスは責任概念の基本的な構造を明らかにした。しかし、それはかなり抽象的な印象を与える。そこで、かれは今までの議論に直感的な確かさを与えるために、一つの具体例として提示した。それが、「乳飲み子」への責任である。「乳飲み子」は、極めて脆弱な存在であり、放っておいたら死んでしまう存在であるという意味で、責任の対象として最も代表的な存在である。それゆえ、「乳飲み子」は周囲に対して「呼び声」を発し、「私」はその「呼び声」を聴いた時、その「乳飲み子」に対して責任を負う。つまり、「乳飲み子」の存在自体が善いものであるから、「私」は保護をするのである。しかし、その行為は自分にとってデメリットがある場合もある。それにもかかわらず、その「乳飲み子」を守ろうとする時にこそ、人間は自らの私的利害を超えた自由を、つまり「責任能力」を発揮することになる。ヨナスは、こうした「乳飲み子」への責任をあらゆる責任の原型として位置付けているのである。

 

 次回は、この「責任概念」を応用する時、ヨナスは「未来世代への責任」をどのように説明しているかをまとめようと思う。また、しばらくの時間的猶予をいただきたい。

「未来への責任」を問う倫理学のもう一つの理論的基盤「哲学的人間学」について~戸谷洋志著『ハンス・ヨナスの哲学』から学ぶ②~

 前回に続いて、「ハンス・ヨナス」が構築した「未来への責任」を問う倫理学の理論的基盤について綴ってみたい。前回はその一つ「哲学的生命論」の内容の概要をまとめてみたが、今回はもう一つの「哲学的人間学」の内容について、『ハンス・ヨナスの哲学』(戸谷洋志著)を再読しながら、その概要をまとめてみようと思う。前回も書いたように、ヨナスの理路はなかなか複雑なので正確に理解するのは難しいのだが、私なりに消化したレベルで要約していくしかない。この点、くれぐれもご容赦願いたい。

 

 さて、ヨナスは生命の進化のプロセスを、自由が増大していく過程として解釈し、人間を最も自由な生物種として説明しようとする。これが彼の「哲学的人間学」の基本的な発想である。彼は人間とその他の動物の本質的な違いを明らかにするためにある思考実験を行い、その結果に基づいて人間の条件を「像を描く」という能力のうちに見出す。その理由は、「像を描く」能力は無益であり、役に立たないからである。つまり、人間を動物から隔てる本質とは有益性からの自由だと彼は考えたのである。ヨスナはこのような人間観を、ラテン語で「描く人」を意味する「ホモ・ピクトル」と呼んでいる。

 

 では、「像を描く」ということは、どのような形で自由を発揮することになるのか。彼は人間に固有の自由のあり方を突き止めるために、まず「像」という概念が成り立つには「像」と「像として描かれた対象」の区別があることを指摘する。そして、この二つにおいては類似の完全性がない。このことは、より自由な表現の可能性を開くことを意味する。つまり人間はモデルが実際に存在するあり方にとらわれることなく、自由な想像力によって豊かに表現を行うことができるのである。このことはまた、一つのモデルから無限に多様な像が描き出されることを含意する。そうなのだ。像はたった一つの像だけが絶対的に真理であるなどということはないのである。ヨナスは、ここに「代謝」の自由から区別される人間の自由の独自な次元が存在すると考えたのである。

 

 ところで、ヨナスは生命の進化を自己の先鋭化の過程ととらえていたが、この「像を描く」自由も何らかの形で自己の先鋭化に関係していると考えた。人間は自分以外の対象だけでなく、自分自身を像として描き出し、自己を客体化することができる。この像こそが「私」に他ならない。ただし、この「私」は「私」を描き出す自己と一致するわけではない。自己客体化は、自己との不一致を構造的に伴うのである。だからこそ、人間は「私」を多様な形で描き出すことができる。この意味において、自己客体化は自分自身を不確定な存在として、多様なあり方をする存在として理解することができるのである。ヨナスはこのような形で、像を描く自由は、人間の自己意識の先鋭化に寄与すると説明したのである。

 

 

 また、世界との関係から自己を客体化するということは、「私」を様々な他の像に包み込まれたものとして想像することを可能にする。その中で彼が決定的に重視するのが「人間像」であり、それを人間の行為や判断を導く規範的な役割を担う「人間という理念」という概念として語っている。ただし、それは一つの像である以上、常に無限の多様性に開かれている。このことは、「人間像」は変化しうるということ、つまり人間には既成の人間像に対して、別の新しい人間像を打ち立てることができるということを意味する。彼はこうした人間像の移り変わりを「歴史」として説明するのである。

 

 さらに、人間像を描き出すということは、人間がそのうちに位置付けられるような、この世界の全体の想像を伴うものである。この営為が宗教や倫理学形而上学等、人間の思想的営為を駆動させていく。そして、この営為によってもたらされる人間像の変移こそが、他の生物種の進化から区別された人間の「歴史」を作っていくと、彼は主張する。言い換えれば、人間像の形成には、存在との自由な出会いの能力が必要であり、その自由が展開される場が「歴史」なのである。彼のこの独自な「歴史」の定義には、人間の普遍的な本質としての自由(人間像を描く能力・存在との出会いの能力)と、その自由によって描き出される無限に多様な人間像という二つの概念構造が示されており、いわゆる進歩史観から一線を画す相対的なものとして性格付けられるのである。

 

 以上のようなヨナスの「哲学的人間学」から導き出される「歴史」の概念は、いかにして過去の理解を可能にしていくのであろうか。その答えを簡潔に言えば、過去を現在に還元するのではなく、現在を生きる人間が過去の人間像と接することによって今を生きているだけでは決して見出されることがなかった可能性が開かれるということである。その理由は、彼の哲学において「人間が普遍的に像を描く自由をもつ」と想定されているからである。彼の「人間は人間像を生きている」という言葉は、別の人間像の可能性を生きると言うことなのである。

 

 最後に改めて確認しておきたいことは、彼の歴史思想が「像」概念をめぐる分析に基づいて形成されているということ。「像」が存在論的な不完全性をもち、常に別の「像」も可能であるという形で描かれているからこそ、「像」には無限の可能性が開かれているのであり、そしてそれらの「像」は全てが等しく真理なのである。こうした「像」の構造に基づく彼の歴史思想は、いずれかの時代の人間像だけか絶対的に真理であるという歴史観を排除するものである。言い換えれば、それは異なる時代の間に優劣があることや、ある特定の時代同士の関係を目的-手段の関係としてとらえることを拒絶するものであり、いわゆる進歩史観を取らないのである。

 

 次回は、前回と今回取り上げたヨナスの「未来への責任」を問う倫理学の理論的な基盤である「哲学的生命論」と「哲学的人間学」の思想を踏まえながら構想した倫理学の全体像についてまとめてみようと考えている。また、私なりに消化するまでに時間がかかりそうなので、しばらく時間をください。

「未来への責任」を問う倫理学の理論的基盤の一つ「哲学的生命論」について~戸谷洋志著『ハンス・ヨナスの哲学』から学ぶ①~

 マルティン・ハイデガー著『存在と時間』を取り上げた4月の「100de名著」の番組の中で、指南役の戸谷洋志氏が「ハンス・ヨナス」という哲学者の業績等について解説しているのを視聴して、私は彼のことを初めて知った。師であるハイデガーから多大な影響を受けながらも、ナチスに加担したハイデガーとの対決を試み、これを克服しようと自らの独自な哲学を打ち立てた大陸系哲学者であり、応用倫理の論客でもあった「ハンス・ヨナス」。私は彼の哲学の中身について強い興味をもった。私は市内の大型書店へ出向き、戸谷氏の著書『ハンス・ヨナスの哲学』を入手して、早速読み始めた。本書は、著者が未来倫理を中心としながら彼の哲学を再構成したものであり、上述したような彼の両面性に留意しながらも、それらを同時に視野に収めることができるような一つの統合的なヨナス像を提示しており、私のような初心者向きのヨナスの入門書となっている。

 「はじめに」の中で著者は、本書を執筆する上で二つの制約を引き受けざるを得なかったと述べている。一つは、ヨナスの哲学の全体的な把握に寄与する手がかりを提供するために、彼の著作を時系列で辿ることを諦めたこと。もう一つは、彼の未来倫理を中心に据えるために、彼の全ての思想が未来倫理との関連のもとに配置され、そうした連関が比較的乏しいテーマについては周縁に置かれてしまったこと。しかし、このような制約のもとに上梓された本書であるが、複雑に入り組んだ彼の言葉を読み解きながら一つの思考の手がかりを提供すること、それによって、ヨナスの眼を借りながら、留まることのない科学技術文明の激動を、未来への責任を、世界を、新しい光のもとで眺める可能性を開くことを目指したと、著者はその思いを語っている。

 

 私はその後に続く本論の内容に対してさらに知的興味をそそられ、連日、夜間の短い時間を利用して読み継いでいった。そして、先日やっと読了したのであるが、私の頭の中は新しい用語や概念等が溢れかえり、しばらく茫然としてしまった。それで本書を再読しながらヨナスの「未来への責任」の倫理学の概要をブログの記事にまとめるという作業を通して、何とか私なりにもう少し消化したいと考えた。ただし、ヨナスの倫理学の理路はなかなか複雑に入り組んでいるので、その全貌について大胆に要約するのは難しい。そこで、私の能力で可能な方法として、まず「未来への責任」の倫理学の理論的基盤である「哲学的生命論」と「哲学的人間学」の2つの内容の概要について、それぞれ分けてまとめる。次に、「未来への責任」の倫理学に関する内容の概要について総括的にまとめるという方法を考えた。したがって、今回の記事は「哲学的生命論」の内容の概要についてまとめたいと思う。

 

 さて、科学技術文明においては、遺伝子工学の実例を見れば分かるように、現在の世代が自分の欲望を満たそうとすれば、「どこかで、未来で、莫大な数の生命に容赦なく悪影響を及ぼしてしまう」。そうした事態を回避するために、科学技術文明の倫理学は必然的に「未来への責任」を含まなければならないが、それは従来の倫理学においては真剣に考慮されることのないテーマだった。なぜなら、伝統的な倫理学において、人間の行為は常に同時代の人間だけに関わるものと想定され、行為の時空間は現在に限定されていたからである。だからこそ、こうした前提に囚われることのない、全く新しい倫理学を構築していくことが必要なのだと、ヨナスは考えた。

 

 そのために、「未来への責任」を倫理学的に基礎づけるべく、未来の他者との同意を得ることなく正当化するということ、言い換えれば、「未来への責任」は未来の他者が存在することは善いことであるから正当化されるという道筋を立てることに解決の糸口を見つけた。しかし、現在の科学技術文明は没価値的な存在論を前提としている。そこでヨスナはその前提を刷新し、そのうちに善を見出すことが可能な存在の概念を構築するという方法を選ぶのである。これこそが、生命をあるがままの姿で、死んだ物質ではなく、あくまでも生命として解明する可能性を究明した「哲学的生命論」の試みに他ならないのである。

 

 「哲学的生命論」の構想は、生命を生命として理解するために、「有機体」と「精神」とを統合的にとらえるという仮説に基づいている。そして、この仮説のもとに考察を進めていくために、ヨナスは「批判的分析と現象学的記述」という方法を採用した。「現象学的記述」とは、事象を立ち現れるままに捉えようとする哲学の方法論で、フッサールによって提唱されたものであり、その前提には私たち自身が生命であり、あくまで肉体として存在しているという事実に注目する。その理由は、私たちがすでに生きているという経験をしているからこそ、私たちは死んでいるのではなく生きていることの意味を理解することができると考えたからである。したがって、「現象学的記述」は科学的分析とは異なり、私自身が生きているという経験を根拠にした生命の理解と言える。そして、このような知見を手がかりにしながら、生命の存在の意味を検討するのが「批判的分析」に他ならない。

 

 ヨナスは生命の現象的記述を始めるに当たり、ある存在を構成している物質を意味する「質料」と、そのまとまりの形を意味する「形相」という概念を導入し、生命の質料と形相の間には、「代謝」によって質料が絶え間なく変化していくことにより、はじめて形相が維持されるという構造があることを示して、そこに生命の本質があることを見出した。この生命は質料の同一性から自由でありながら、同時に質料の「利用可能性に依存」しているのであり、言い換えれば質料に「困窮」し続けるというあり方(この概念を「困窮する自由」と呼ぶ)こそが生命の本質であると言え、これがヨナスの「哲学的生命論」の中心的な命題になるのである。

 

 ところで、ヨナスは「代謝」概念から生命の存在を構成する様々な側面について論じている。例えば、「代謝」という身体の機能から生命の内と外が区別されるという前提に基づき、「自己」という概念を説明している。そこでは、意識不明の状態にある人間でも、「代謝」が機能している限り、その人は「自己」を維持し続けているととらえる一方、「代謝」さえしていればそこに「自己」は芽生えているのだから、人間に限らず全ての生命が「自己」を有するととらえることになる。そのためヨナスは、植物やアメーバなどの生物まで「自己」を認め、最も原始的なものであっても「精神」的であり、最も高等なものであっても「有機体」にとどまるという、「哲学的生命論」の仮説を説明していくのである。

 

 このように「自己」を「代謝」との関連から説明することは、「自己」と外界との絶え間ない関係を必要とし、環境に組み込まれたものとして理解することを可能にする。この、生命にとって異質でありながら、生命が自らの拠り所としなければならない場として開かれた外界をヨナスは「世界」と呼び、その両義性に注目して「困窮する自由」の動的な性格と密接に結びついていることを示している。生命は「世界」に還元されない意味で「世界」から自由であるが、「世界」がなければ存在できないという意味で、「世界」に困窮しているのである。このことから分かるように、ヨナスは「自己」と「代謝」の相関関係を「世界」と「代謝」との間にも見出すのである。「世界」は生命が「代謝」の働きを通じて作り上げる場に他ならず、あくまでも生命の「代謝」によって構成されるのである。

 

 さらに、「代謝」はこのような空間的な次元だけでなく、時間的な次元をも持っている。「代謝」が質料の交換であり、その交換を継続することで生命が維持されている以上、生命は「次」という時間へと開かれており、つまり未来へと開かれていなければならない。例えば、生命が呼吸するのは、これから訪れる次の瞬間を生きるためである。ヨナスは、ここに生命の「目的論的性格」を見出している。

 

 最後に、「代謝」は常に停止の可能性を持っていることから、生命は常に「死」の脅威に晒されている存在であることに注目する。このことは何を意味するかというと、生命は常に「死」の危険にさらされており、存在するか死ぬかをその度ごとに選択しているということである。その意味で、生命にとって存在は単に所与ではなく、選択によって獲得させたものであり、「強調された意味」を持っている。このような有意味な存在としての生命を、ヨナスは「現存在」と呼んだ。そして、生命を存続する働きを持つ反面、死をも可能にする「代謝」という矛盾を生きることが生命の本質だと考えたのである。

 

 以上、ヨナスの提唱した「哲学的生命論」の仮説に基づきながら、生命の本質を「困窮する自由」という概念として説明している内容の概要を舌足らずな表現でまとめてみた。しかし、植物、動物、人間などのあらゆる生物種が全く同程度の自由を持つわけではない。この点、ヨナスは進化論を念頭に置き、生物種の進化の系譜の中で自由は漸次的に増大していくものだと考えている。生命の進化は、自由の増大であり、死の可能性の増大であり、そして自己意識の先鋭化の過程である。そして、このような意味での進化の頂点にいるものが、人間に他ならない。では、人間にとって自由が何を意味するのか。次回は、この課題に対して本書で解説しているヨナスの「哲学的人間学」の内容概要をまとめてみようと考えている。なかなか要領よくまとめることはできないかもしれないが…。

<支援>と<共治>を志向する教育委員会のあり方について~山口裕也著『教育は変えられる』から学ぶ~

 今年のゴールデンウィークも終わり、気が付けば5月も中旬になっていた。何らかの「困り感」をもつ子どもの学級担任や保護者に対する「教育相談」業務が少しずつ増えてきて、特別支援教育指導員としてやっと腰が落ち着いた勤務状況になってきた。ただし、通常の勤務場所が昨年度までの4階別室から、本年度は3階の本市教育委員会・学校教育課へ移動してきたので、職場環境の変化にはまだまだ順応できていない。この学校教育課本体は、当市の学校教育の行財政の役割を担っている教育委員会事務局として機能しており、多くの市職員と指導主事の先生方が所属している。私たち7人の指導員たちは、その方々と同じフロアで机を並べることになったのであるから、なかなかその環境に慣れないのも無理はないであろう。

 

 ただし、現職の教員時代に教育行政に携わる経験がなかった私にとって、今回の職場環境の変化は、教育委員会事務局がどのような組織で、どのような事務内容を取り扱っているかという実際を肌で感じるよい機会になっている。そして、改めて教育委員会はどうあるべきかという問いをもつきっかけになったように思う。そんな時、私は当ブログで数回前(2022.4.23付け)の記事で取り上げた『学問としての教育学』(苫野一徳著)の中で紹介されていた山口裕也氏の業績を思い出し、その内容を詳しく知るためにしばらく積読状態にしていた『教育は変えられる』に目を通すことにした。

 著者の山口氏は、2005(平成17)年に杉並区立済美教育センターの研究員として在籍して以来、同センター調査研究室長、杉並区教育委員会教育長付主任研究員と歴任し、15年間にわたって「教育委員会に常駐する研究職」という特異なポジションで同区の教育行政に携わった方である。

 

 本書は、公教育のあり方を「みんな同じ」から「みんな違う」へと構造転換することを最終目標にして、その基になる「考え方」を豊富な実例に即して示したものである。本論の構成上の特徴は、全5章を通じて公教育政策の「全体」を「順序」よく記していることで、具体的には第1章から第4章において「学びと成長」、その支えとなる「人材と組織」「施設・設備」、そしてこれらの3つを全ての子どもに確実に届けるための「行財政」を話題にし、第5章では全体をまとめるという柱立てになっているところである。

 

 そこで今回は、本書の中で特に私にとって多くの学びがあった【第4章 引き受け支え合う行財政―「無責任」から<支援と共治>へ―】の内容の概要をまとめながら、「みんな同じ」から「みんな違う」へという「公教育の構造転換」を図る上で求められる区市町村教育委員会のあり方について考えたことを綴ってみたいと思う。

 

 著者は第4章の初めに、区市町村教育委員会の仕事は学校の「設置者」であり、それゆえに、「よりよい成長のための学び」「学びを支え教育を担う人」「学びと教育が行われる場」の三つを全ての子どもに確実に届ける「管理・監督」を行うことであり、各教育委員会はその「管理・監督」の量(例えば通学の距離や時間、児童生徒数から学校を必要数設置してそこに教職員を配置し、施設や設備、厚生や福利、衛生や給食等、運営に必要な環境を整備しつつ事務を行うこと)と質(4年ごとを原則として使用する教科書を採択するとともに、教育課程や使用教材、学習指導や生徒指導等の適切さを確認、教職員の研修の一部を担うこと)の両面において基本的に適切に行っていると、以後の議論の前置きとして断っている。

 

 その上で、著者は現在、学びのあり方とともに、その支えとなる人や場のあり方も転換しつつある中、各教育委員会に求められるのは、現状維持ではなく「未来に向けた挑戦」であると述べている。続いて、この「未来に向けた挑戦」へと続く道筋について詳しく論じているのであるが、その中で特に新自由主義-教育改革の具体的な中身について述べている。そして、それらの施策や事業等によって格差が惹き起こされ、結果的に「全ての人の意志」を意味する<普遍意志>や「全ての人のよりよい生」を目指す<普遍福祉>に反するような教育行財政になってしまったことを痛烈に批判している。さらに、この問題から得られた教訓として、各教育委員会の全てのスタッフは自分の仕事を「よい公教育」という政策の全体の中に位置付けることが大切だと主張している。

 

 そのためには、「誰の、何のための学びを、どのように支えるのか」という公教育政策の<全体性>を考え続ける日常のガイドとなる考え方が必要だと言い、その<全体性>を考える上での「基本領域」、つまり「学びと成長」「人材と組織」「施設・設備」「行財政」を使い、「よい公教育」を思考の始発点とすれば、前述のような問題を諫めることができると述べている。だからこそ、教育行財政が取るべき立場は、「自分たちの学校や地域に必要なことを、当事者であるみなさんが本気で考え抜いてくれたら、教育委員会は共に考えることを含め、その実現を全力で支えていく」という意味の<支援>であり、それこそが「未来に向けた挑戦」のキーワードになるのである。著者は、そのことを明確に表明している。

 

 次に、著者は「教育委員会」の制度設計を方向付けるキーワードについて述べている。それは、公教育に関わるあらゆるアクター全てが対等であることを全体とした「共にある」「共につくる」という意味を強調する<共治>という言葉である。この<共治>というキーワードは、「教育委員会」を構成する委員が学校やそこで学び生活する子どもたちの成長を通して地域社会の未来を考え、行動し続けている人たちから選出されるという考え方に基づく。つまり、教育委員会事務局は何もかもを代行するのではなく、社会的に自立した個人によって営まれる、相互承認的な共同体となるよう学校を支える。学校支援地域本部(地域学校協働本部)と学校運営委員会を母体とする地域運営学校はその中核となる施策であり、代表選出される委員が教育長とともに構成する「教育委員会」も、それがあって初めて、真に自分たちに必要な意思決定を自治として行うことができるのである。

 

 最後に、著者は<支援>と<共治>を志向する杉並区教育委員会、つまり教育行財政の具体的な実践事例を紹介している。一つは、<支援>を志向した区立の小・中学校と特別支援学校を主な支援対象とする「杉並区立済美教育センター」の取組である。2つ目は、<共治>を志向した区立の小・中学校の「学区再編」、ひいては「地域再編」への取組である。詳細については、ぜひ本書を手に取って確認してほしいが、これらの取組には杉並区が政策の根幹に「いいまちはいい学校を育てる~学校づくりはまちづくり」というスローガンを据えて、公教育政策の<全体性>を明らかにしてきたことがポイントになっている。

 

 このような杉並区教育委員会の取組は、公教育政策の全体を成す4つの「基本領域」における<多様性と一貫性><協働><応対性><支援と共治>というキーワードの下、<普遍意志>に基づいて<普遍福祉>をめがけ、全ての人に「自由と相互承認」を育む公教育の構造転換を具現化しており、私は実に素晴らしく羨ましい取組だと思った。というのも、私が「教育相談」業務として訪問した小・中学校で参観させていただく授業は、「みんな同じ」という近代教育の根本的な発想から抜き出ようとする姿勢がほとんどないものであり、それは当市教育委員会の公教育の<全体性>の第一の領域「学びと成長」において「みんな違う」という脱近代教育の発想がないことを表わしているからである。私は今の職場環境を生かす手立ての一つとして、まずは当市教育委員会がこのような「発想転換」、「構造転換」を図るきっかけにすべく、特別支援教育の根源的なあり方を起点にして全ての子どもたちの「学びと成長」を問うことから始めてみようと考えている。

自分らしい生き方を探り出すために求められる「先駆的な決意性」について~「100de名著」におけるハイデッガー著『存在と時間』のテキストから学ぶ~

 5月2日(月)を年休にしたので、私のゴールデンウィークは4月29日(金)から5月5日(木)までの7日間だった。その間、二女と孫Mが一泊したり、長女と孫Hが日中遊びに来たりしたので、久し振りに二人の孫たちとじっくりと関わる時間が取れた。満1歳2か月になったMとは、抱っこして自宅周辺を散歩に連れ出したり、自宅2階の和室や寝室の中を探検させたりして遊んだ。屋内で伝え歩きをしているMを見守りながら一緒に遊んでいる時、初めて2・3歩一人歩きをした姿を目の当たりにして、感激してしまうことがあった。満5歳2か月になったHとは、自宅近くの川沿いにある公園に行き、広い河原を歩いて水面をスイスイ進むアメンボを一緒に観察したり、石で水切りをして遊んだりしたが、その時のHの爛々とした瞳を見て、私までウキウキした気持ちになった。また、グローブを着けて子ども用の硬式ボールで、初めてHとキャッチボールをした時は、念願だった夢の一つを果たすことができて、私は楽しくして楽しくて仕方なかった。本当に充実した時間だった。

 

 こんな「充実感」に満ちたゴールデンウィークを過ごしていた私だが、他にも「充実感」を味わう時間をもつことができた。それは、遅ればせながら「100de名著」の4月号のテキストを読み、録画番組を視聴して学習することができたこと。4月はハイデッガー著『存在と時間』が取り上げられていたので、ぜひ目を通しておきかったのである。4回に分けられた番組構成に従って、まず当該箇所のテキストを読み、次にそれを確認するために番組を視聴していった。講師の関西外国語大学准教授の戸谷洋志氏は弱冠34歳の新進気鋭の哲学者だが、ハイデガー哲学のポイントを的確に押さえた解説はとても分かりやすいものだったので、視聴後の私の頭はすっきり整理されていた感じになった。

 そこで今回は、当番組の中でも私が特に強く共感した第3回の放送分から、自分らしい生き方を探り出すために求められる「先駆的な決意性」について、そのテキストで述べられている内容の概要をまとめ、それに対する私なりの簡潔な所感を付け足してみようと思う。

 

 マルティン・ハイデガーは、日常において現存在(人間のこと)は「世間」やその時その場の「空気」に合わせて、「みんな」が正しいと思うものに従い、行動しているととらえた。そして、このように自分自身ではないものから自分を理解している場合を「非本来性」と呼び、その生き方を特徴づけている「世間話」「好奇心」「曖昧さ」の三つの要素をまとめて「頽落」と称して、これは責任ある主体の生き方ではないと主張した。そこで、彼はどうすれば現存在がこの状態を乗り越え、自分を自分自身として理解して責任ある生き方をしようとする「本来性」を取り戻すことができるのかと考えたのである。

 

 彼は、現存在が「頽落」する最大の理由を問い、「空気」を読んで他者に同調することを止め、自分一人の力で人生を拓いていこうとすれば、たちまち「不安」に襲われ、その闇の中に取り残されるからだと考えた。つまり、現存在が非本来的になるのは、「不安」を安易に解消するために本来の自分自身から逃れることが原因なのである。しかし、そのことは現存在にとっていつも心地よいことかと言えば、そうではない。そこで、現存在が「本来性」を取り戻すためにどうすればよいかという問いの答えとして彼が示したのは、人間の「死」と「良心」だった。

 

 現存在が世間に迎合している時、「私」は他の誰とでも交換可能な存在になっており、何者でもなくなっている。しかし、「死」はそんな風に「みんな」に紛れて生き続けることを不可能にする。自分が死ぬということは、誰とも交換することができないのである。したがって、私たち現存在は自分の「死」に向き合うことを通じて、初めて自分を「唯一無二の存在」として理解することになる。彼は、ここに現存在が「本来性」を取り戻していくための一つの手掛かりを見出したのである。

 

 まず彼は、現存在が「死」に向き合っている時、それが実は、別でもあり得た一つの可能性に過ぎなかったと気付くことができると考えた。つまり、この意味で「死」の可能性に向き合うことは、生きることについて考えることなのである。そして彼は、現存在が「死」の可能性に直面することを「先駆」と呼び、いつ、いかなる瞬間においても「死」を迎え得るという意味において、現存在を「死に臨む存在」とも呼んでいる。例えば、今、この場に隕石が落下して突然死んでしまうかもしれないし、急な心臓発作を起こして急死してしまうかもしれない。この厳然たる事実を直視する時、私たちは自分自身の可能性から自分自身の人生を歩めるのではないか。彼はそう考えたのである。

 

 しかし、自分自身と向き合うことは「不安」を呼び起こしてしまう。だから、簡単に「先駆」できるわけではないので、それに伴う「不安」に対して何らかの特別な態度を取る必要がある。そこで、その鍵として次に彼が示したのが「良心の呼び声」なのである。一般に「良心」とは、一つ一つの行為に対して「私には別のこともできたはずだ」と私自身に迫るものであるが、彼のいう「良心の呼び声」とは、「私」の存在のあり方や生き方に対して「私には別の生き方もできたはずだ」「私は別の存在でもあり得たはずだ」ということを気付かせるものである。ただし、「良心の呼び声」は、具体的な手掛かりは何も語ってくれない。それは「本来的な自己」から「非本来的な自己」に対する「沈黙」の呼び掛けであり、「私」の内側から「おい」と声を掛けて覚醒させるだけのものである。

 

 さらに、彼はこの「良心の呼び声」というのはどんな時でも絶え間なく「私」に対して発し続けられていると考えた。だから、ずっと部屋にかかっているBGMのような「良心の呼び声」に対して、現存在は無視続けるのか、それともそれに耳を傾けるのかを自ら選んでいると言える。ただぼんやりとしていては、聞こえてこない。それが聞こえるようになるためには、「良心の呼び声」に耳を傾けることを自分で決意しなくてはならないのである。彼は、現存在によるこの選択を「決意性」と名付けた。彼のいうこの「決意性」は、狭まっていた視野を解き放ち、それまで「これしかない」と思っていたもの以外の、様々な選択肢や可能性が見えてくることを示しているのである。

 

 以上のように、ハイデガーは『存在と時間』において、現存在がどのようにして「非本来性」から「本来性」を導き出すのかを、「死」からは「先駆」、「良心」からは「決意性」というものを引き出して一体的に説明している。そして、この「先駆」と「決意性」が一体となった現存在のあり方を、「先駆的な決意性」と呼び、これこそ現存在が自分らしい生き方を探し出していく時の生き方なのだと主張したのである。ただし、ここでいう自分らしい生き方とは、単に人と違う生き方をしようとすることだけを意味するのではなく、未来の自分の人生と共に過去の自分の人生も含めた上で、「自分の人生を、自分の人生として責任をもって引き受ける」という生き方のことである。

 

 このような「先駆的な決意性」という現存在のあり方について、私は30代前半で自覚するようになり自律的に生きることができるようになったと思っているが、今回の学習によって改めて自分のこれからの人生においてもより意識していくことが大切だと強く感じた。それは、自分自身が高齢になり残された時間が少なくなっていることも作用していると思うが、何よりも今回のロシアによるウクライナへの武力侵攻によって多くの一般市民たちがかけがえのない一回きりの生命や人生を理不尽に奪われている現実を目の当たりにしたことも大きく影響していると感じる。今、平和が守られている日本という国で現に生きていて、孫たちと一緒に遊び、彼らの成長を見守りながらその発達を促すように関わっていることを、「先駆的な決意性」の具体的な営みとして意識的に受け止めていきたいと考えている。それがまた、私にとっての「世代間倫理」の具現化を意味しているのだから…。

「栗本慎一郎」から受けた思想的インパクトを回想する!~仲正昌樹著『集中講義 日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか―』を再読して~

 私は千葉雅也著『現代思想入門』を読んだことをきっかけにして改めて日本における「現代思想」について振り返ってみたくなり、書棚に並べていた仲正昌樹氏の著作群の中から『集中講義 日本の現代思想ポストモダンとは何だったのか―』を取り出し、先月中旬頃から暇を見つけては再読していた。「再読」と言っても、今から15年ほど前に、私の関心の高かった箇所だけを拾い読みしたようなものだったので、全体を通読したのは今回が「初読」と言ってもよい。その中で、1980年代に私がハマった「現代思想」の輸入経緯や日本における具体的展開等について、改めて確認することができた。特に、日本における戦後マルクス主義大衆社会におけるサヨク思想等の実情について、今まで以上に理解を深めることができた点は再読の価値があった。

    本書は、そもそも西欧諸国における資本主義が大量消費社会へ移行しつつある現状の中で、理論的にも実践的にも衰退していったマルクス主義の代替としての意味合いがあったフランスのポストモダン思想が、1980年代に日本に紹介されてからブームになった「現代思想」の何を、後世のために遺産として書きとめておくべきか、その考えるヒントを提供するために、金沢大学法学部教授の仲正昌樹氏によって著されたものである。それまで私は『「みんな」のバカ!―無責任になる構造―』『「不自由」論―「何でも自己決定」の限界―』『なぜ「話」は通じないのか―コミュニケーションの不自由論―』『「プライバシー」の哲学』『「自由」は定義できるのか』『知識だけあるバカになるな!―何も信じられない世界で生き抜く方法―』等の著書を読んで多くの知的刺激を受けていたので、同氏が本書を発刊した時は日本における「現代思想」について俯瞰的に理解したくて、すぐに入手したことを覚えている。

 

 さて、本書を読み進めていく途中で、私は1980年代当時に思想的インパクトを強く受けた人物のことを回想していた。その人物とは、当時、明治大学法学部教授で経済人類学の旗手として活躍していた「栗本慎一郎」その人である。栗本氏を初めて知り、その思想的インパクトを強く受けたきっかけは、光文社のカッパサイエンスから刊行していた著書『パンツをはいたサル―人間は、どういう生物か―』を読んだ時であった。その後、私はカッパサイエンスのパンツ・シリーズ『パンツを捨てるサル―「快感」は、ヒトをどこへ連れて行くのか―』『パンツを脱いだロシア人―国家と民族の「現在」を問う―』『パンツをはいたサル、国会へ行く』をはじめ、『都市は、発狂する―そして、ヒトはどこへ行くのか―』『鉄の処女―血も凍る「現代思想」の総批評―』等、同氏が著した様々な著書を読み継ぎながら、その問題意識と追究成果等について後追い的理解を図ってきた。当時「栗本慎一郎」の思想的な動向と足跡をマークしていけば、自分なりの思想を形作ることができるのではないかと考えてのことだった。それぐらい彼の思想的インパクトは強かったのである。

 

 そこで今回は、本書の中で解説されている「栗本慎一郎」の思想内容に関する記述を参考にして、1980年代当時、私が彼から受けた思想的インパクトの中身について回想しつつ、改めて私なりの思想形成にとってそれがどのような意味があったのかを考えてみたい。

 

 栗本氏は、もともとハンガリー出身の経済史家・ポランニーに依拠しながら、市場における人々の振る舞いの儀礼的・幻想的な性格を分析する経済人類学的な仕事をする一方、「蕩尽論」を唱えるフランスの思想家・バタイユにも通じていた。バタイユによると、人間が労働するのは単に生活に必要な物を作り出すためではなく、過剰に生産した物を破壊し消費しようとする欲求が潜んでおり、そうした破壊と消費の大々的な形態が、非日常としての「祝祭」であると考えた。現在、ロシアがウクライナへ軍事侵攻しているが、そのような戦争や殺戮も物だけでなく人間自体も蕩尽されると考えられて、広い意味での「祝祭」なのである。このような考えは不謹慎のような考えだが、バタイユは非日常的な「祝祭」において「過剰」を処理することによって人間社会は成り立っていると主張したのである。彼をマスコミ的に有名にした、1980年刊行の著書『幻想としての経済』はこのような理論に基づき、様々な社会・経済事象を分析したものである。

 

 彼はその翌年(1981年)に、パンツによって性器・性欲を隠しながら生きていくことに象徴される、自己の欲望を隠蔽する技術を覚えたサルとしての「人間」をテーマにした『パンツをはいたサル』という俗っぽいタイトルの本を刊行した。パンツというのは、「人間」の身体の一部ではなく、簡単に取り外し可能な外的な附属物であり、そのパンツによって隠されている欲望というのが、バタイユ的な「蕩尽」への欲望であるということが、ポイントになっている。そして、経済、法律、道徳等のあらゆる社会制度を、「蕩尽」へと向かう欲望を蓄積し、強度を高める「パンツ」として分析することを試みているのである。

 

 なぜ私が同書で示された内容に強い思想的インパクトを受けたかというと、彼の言う「パンツ」を穿いたことによってことによって、人間が社会的な秩序を守る「理性的な動物」に完全に変貌したのであれば、西欧近代の「理性的人間」像とさほど矛盾しないが、彼はあくまでも、どこかで「一気に蕩尽」するための「パンツ」であるという立場であり、この「蕩尽論」に結び付る形で、一見、無駄に消費しているとしか思えない過剰な消費行動も人間にとって必要な「労働」として再評価していた点であった。言い換えれば、「理性的人間」としての「生産的に労働する人間」観から「蕩尽的に消費する人間」観へパラダイム・シフトを企図していた点なのである。ただし、私は同書に出合う数年前に、当時、和光大学人文学部教授でフロイド派心理学者の岸田秀氏の著書『正続・ものぐさ精神分析』を通していわゆる「唯幻論」と出合っており、経済や法律、道徳等の社会制度は全て「幻想」だとする知的ショック体験をしていたので、同書によって「パンツ」と称された概念やそれを下ろすタイミングなどについての理解はそれほど抵抗感がなかったと思う。

 

    しかし、私はそれまで受けてきた学校教育によって意識的であれ無意識的であれ西欧近代の「理性的人間」を理想とし、自分もそうありたいと願っていたのだから、その私の生き方を相対化するこの思想的インパクトはあまりにも強いものであったのである。また、その生き方に基づいて「理性的人間」の育成を目標としていた私の教育観も再構築しなければならないと自覚するきっかけになったと思う。そのような意味でも、その後の教育活動や教員生活の在り方を大きく左右するような強い思想的インパクトだったのである。

教育学のメタ理論体系について~苫野一徳著『学問としての教育学』から学ぶ~

    昨年7月から本市教育委員会の学校教育課で特別支援教育指導員として勤務し始めて、この4月で10か月目を迎えた。年度が変わって職場環境が4階の学校教育課分室から3階へ移動し、7名の指導員の座席も通路を挟んで4名と3名の2つに分かれるという変化があったので、本当に新たな気持ちでスタートすることになった。しかし、まだ年度当初ということもあり、今のところ本来の教育相談業務よりも環境整備や事務の補助等の業務をすることが多い。

 

 昨年度は、勤務したばかりの頃から教育相談業務が中心だったが、本年度になっての今までの業務内容はこれからの教育相談に向けての雑用的な業務のような感じである。本来の日常的な教育相談の業務内容は、何らかの「困り感」がある子どもの行動観察等に基づいて当該児に対する適切な支援内容や方法等について、担任の先生や保護者へ助言するのが主で、例年5月以降に派遣申請を受け付けるそうである。ところが、4月下旬になって急遽、特例的な派遣申請があり、私は市内の小学校と中学校の2校へ出向くことになった。中学校では入学早々の1年生の男子生徒が、学校行事や授業等への参加を拒否して活動場所から逃走する事態になっていた。年度初めから教育困難な情況に陥った学校側からの派遣申請で、今後、学校体制での対応策を講じる必要がある事案になりそうである。

 

 ところで、昨年度からこのような派遣申請を受けて久し振りに学校現場を訪れ、当該児のいる授業を参観するようになって、改めて学校現場のあり方について強く感じたことがある。それは、日本の学校は今でも基本的に「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」というシステムを続けている現実があるということ。「そんなこと、当たり前じゃないか!」と叱られそうだが、今までに出会った何らかの「困り感」のある子どもの学習実態等を踏まえても、上述のような学校教育のシステムを改革・改善すべきではないかという感を強く意識するようになったのである。

 

 そんなことを考えていた時、私のTwitterのタイムラインに興味ある本が紹介されているツイートを見つけた。哲学者で教育学者の苫野一徳氏が、この2月に『学問としての教育学』という新刊書を出版したとのこと。同氏は本書を約8年以上前から構想していたらしい。私は今までに機会を得ては、公教育に関する同氏の著書群『どのような教育が「よい」教育か』『教育の力』『「学校」をつくり直す』等を読んできたので、すぐにこれらの著書で主張していたことを学問的な体系へ再構築したものではないかと直感し、早速読んでみた。予想した通りの本であった。

 そこで今回は、本書の中核的な内容である「教育学のメタ理論体系について」の概要をまとめた上で、いつものように私なりの簡潔な所感を付け加えてみたいと考えている。

 

 まず、<はじめに 教育学を〝役立たせる〟>の中で著者は、教育学は誕生以来、二流学問だと言われ続けてきたが、本来は非常に高度な総合学問であり、役に立つ応用学問でもあり得るはずだという確信があったと語っている。この確信に基づいて、教育学に現象学という哲学的土台を敷き、科学性を担保した上で、実践に役立つ理論や方法をいかに開発するかを明らかにすることで「学問としての教育学」を作り上げる、それが本書を書いた目的だと明確に示している。

 

 もう少し具体的に言えば、教育学は教育とは何か、それはどうあれば「よい」と言い得るかという哲学的探究をまず底に敷き、その上で、そのような教育はいかに可能かを、実証的・実践的に探究していくことが必要だということ。だとすれば、このような観点から、教育学の三部門である「哲学部門」「実証部門」「実践部門」が構成されることになり、それぞれ次のような課題が設定されると著者は言っている。

〇「哲学部門」(教育哲学)を、教育の本質解明を可能にするものとして鍛え上げること。

〇「実証部門」を、この哲学に支えられた上で、十分な科学的妥当性と科学的価値をもったものとして鍛え上げること。

〇「実践部門」を、様々な教育現場に〝役に立つ〟実践理論や具体的な実践方法を構築・開発し得るものとして鍛え上げること。

 

 次に、<第1章 教育学の根本問題>では、改めて本書の目的を、教育の本質およびその「正当性」の原理-「公教育=教育学の構想指針原理」-をもとに、「学問としての教育学」を体系化することであり、それは「教育学のメタ理論体系」を作り上げることであるとも語っている。ここでいう「メタ理論」とは、様々な個別理論をより上位で包括する理論のことであり、実業家で人間科学博士でもある西條剛央氏の比喩でいうと、個別理論がコンピュータのソフトであるとするなら、メタ理論はそれを有効に動かすためのOSになる。そして、「メタ理論体系」とは、教育学の三部門における各メタ理論を明らかにし、それら相互の原理的関係もまた明示した「体系」を意味するものである。

 

 具体的な三部門のメタ理論とその体系化した内容およびその解説については、<第2章  メタ理論Ⅰ 哲学部門―「よい」教育とは何か><第3章 メタ理論Ⅱ 実証部門―教育はいかに「科学」たりうるか><第4章 メタ理論Ⅲ 実践部門-有効な実践理論・方法をいかに開発するか>そして<第5章 教育学のメタ理論体系とその展開>に詳しく論じられているので、ぜひ未読の読者は本書を手にして確認してほしい。ただし、この中の「メタ理論Ⅰ」(哲学部門)に関する内容は、当ブログの以前(2019.8.10/同年8.14/同年8.18付け)の記事で基本的な内容を取り上げているので、ここでは本書の結論的な内容を次に挙げておきたい。

 

(1)「現象学=欲望論的アプローチ」により、(2)公教育の本質は、「各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の<教養=力能>を通した実質化」として、またその政策の正当性は<一般福祉>の原理として定位される。(公教育=教育学の構想指針原理)

 

 この「メタ理論Ⅰ」(哲学部門)は、「実証部門」にとっても「実践部門」にとっても「メタ理論」になる。その理由は、それぞれの実証・実践研究は、そもそも何のために、何を目指して行えばよいかについての指針を提供するものだからである。したがって、この内容について十分に理解し、納得することができるかどうかが、「教育学のメタ理論体系」の整合的・協働的関係を把握する上で不可欠である。特に(1)の「現象学=欲望論的アプローチ」のもつ哲学的な意味と意義は、ぜひ多くの人々に知ってほしいと私は念願している。とは言っても、私自身が十分に理解をしているとは言い難いので、偉そうなことは言えないが…。

 

 最後になったが、著者自身が様々な研究者と協働して行いたいと考えている研究の一つ「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」の理論について。この理論は、著者が本書で示した「教育学のメタ理論体系」を土台として「実証部門」および「実践部門」においてより精緻化したいものとして提案したものである。著者による別の言い方をすれば、「公教育=教育学の構想指針原理」を踏まえた上で、デューイ以来の新教育の理論や学習科学等の研究、また国内外の先進的な実践の蓄積をもとにその本質をまとめ直したものである。この実践理論の効果の「実証」や、より具体的な実践方法の開発は今後の課題になっているが、私は本市でもこの課題に果敢に挑んでほしいと希望している。そうすれば、本市における公教育の実質を「よりよく」することができ、結果的に何らの「困り感」のある子どもはもちろん、全ての子どもたちの育ちと学びを「より豊か」にすることができるであろう。