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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「無意識データ民主主義」という構想に未来を託したい!~成田悠輔著『22世紀の民主主義―選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる―』から学ぶ~

      私がたまに観る報道や討論等のテレビ番組で最近よく目にする、メガネのフレームの左右が丸と四角になっている男性コメンテーターがいる。肩書はアメリカのイエール大学助教授。聞くところによると、日本では半熟仮想株式会社の代表をしているらしい。また、経済学者やデータ科学者の肩書もある。私は“半熟仮想”や“データ科学者”という聞きなれない言葉に、興味をもった。さらに、ある番組の中でインタビュアーが「これからの社会で注目する人は、どんな人ですか。」という質問をした時、彼が「変な人です。例えば、不登校になって引きこもり、テレビゲームしかせずに生きている人とか…。」と発言したことにも、私の関心バロメーターの針が触れたのである。

 

 先月初旬頃に、妻から「書店に行った時に、成田悠輔という人が著した『22世紀の民主主義』という本にざっと目を通して、面白そうだったら買ってきて。」と、私に依頼があった。私は、妻が成田氏の本に興味をもった理由を訊いてみた。すると、「今、注目されている人で、その本がよく売れているらしいから。」という答え。「ワイドショーの中で、面白いコメントをするので興味もあるし…。」とも付け足した。私自身がそう思っていたから、数日後には三越の中にあるジュンク堂へ行ってみた。本書を手に取り、「A はじめの断言したいこと」のページを捲って、ちょっと立ち読みしてみた。「これはラディカルな内容だ!」と私は直感したので、早速、入手したという訳である。

 著者は、本書の「A はじめの断言したいこと」の中で、今の日本の政治や社会は数十年びくともしない慢性の停滞と危機に陥っており、それをひっくり返すためには「選挙や政治、そして民主主義というゲーム自体をどう作り変えるか考える」こと、つまり「ルールを変える=ちょっとした革命を起こす」ことが必要だと語っている。また、学術論文には必須のabstractのような「B 要約」の中で、今世紀に入ってから世界的に民主主義の劣化が進んでいることや、その劣化の加速度が特に速いのが民主国家であることを指摘し、その重症の民主主義が再生するための処方箋として、①民主主義との闘争 ②民主主義からの逃走 ③まだ見ぬ民主主義の構想 の三つを示している。

 

 ①の「闘争」は、民主主義と愚直に向き合い、調整や改良によって呪いを解こうとする生真面目な営みである。例えば、政治家のインセンティブを改造する「ガバメント・ガバナンス(政府の統治)」案や、選挙制度の再デザインの提案等である。②の「逃走」は、既存の国家を諦めデモクラシー難民となった個人や企業を、独立国家・都市群が誘致したり選抜したりする世界、つまり独自の政治制度を試す新国家群が企業のように競争し、政治制度を商品やサービスのように資本主義化した世界を作ることである。例えば、実際にどの国も支配していない地球最後のフロンティア・公海の特性を逆手に取って、公海を漂う新国家群を作ろうという企てがある。

 

 しかし、「闘争」という処方箋は、既存の選挙で勝って地位を築いた現職政治家が新たな選挙制度改革を行うのは無理そうである。また、「逃走」という処方箋は、民主主義に絶望して選民たちの楽園に逃げ出す資産家たちによって民主主義に内在する問題を解決していくものではない。では、どうすれば民主主義の再生を図れるか。その処方箋こそが③の「構想」である。つまり、民主主義を瀕死に追いやった今日の世界環境を踏まえた民主主義の最発明。そんな構想として考えたいのが「無意識データ民主主義」だと、著者は提案する。

 

 「無意識データ民主主義」とは、(1)エビデンスに基づく目的発見 +(2)エビデンスに基づく政策立案 と言える。言い換えれば、大衆の民意による意思決定(選挙民主主義)、少数のエリート選民による意思決定(知的専制主義)、そして情報・データによる意思決定(客観的最適化)の融合によって成り立つのである。著者は、(1)(2)の二段階による意思決定アルゴリズム(問題を解決するための手順をコンピュータのプログラムとして実行可能な計算手続きにしたもの)のデザインについて、次のような説明をしている。

 

(1)まず民意データ(選挙に限らず、インターネットや監視カメラが捉える会議や街中・家の中での言葉、表情やリアクション、心拍数や安眠度合いなどの無数のデータ源)に基づいて、各政策領域・論点ごとに人々が何を大事だと思っているのか、どのような成果指標を最適化したいのかを発見する。

(2)(1)で発見した目的関数・価値基準にしたがって最適な政策意思決定を選ぶ。過去に様々な意思決定がどのように成果指標に繋がったのか、過去のデータを基に効果検証することで実行される。

 

 私は今まで、近代的な民主主義のあり方そのものを信奉してきていた。だから、実際の民主主義を支える選挙制度や代議制等における諸問題については、個別の部分的な修正・改善によって解決していくしかないと考えていた。例えば、より多くの国民の民意を生かすための投票率アップを目指したオンライン投票やアプリ投票の実施とか、世代間格差を乗り越えるための政治家や有権者への任期や定年制度の導入とかである。また、私自身はまだよく理解していない「世代別選挙」「余命投票」、そしていわゆる「液体民主主義」と言われる選挙制度改革ぐらいが思考の限界であった。しかし、今回、本書を読んで「無意識データ民主主義」という構想を知るに至り、まさしくこれは本書のタイトルである「22世紀の民主主義」を予測したものではないかと受け止めた。もちろん実施するためには、様々な諸課題が山積していて、それを解決するには多くの労力を有するであろうが、瀕死に陥っている現在の「民主主義」を乗り越えるには、私はこの構想に未来を託したいと思った。

 

 なお、本編の「第1章 故障」「第2章 闘争」「第3章 逃走」「第4章 構想」において、私のような一市民でも理解できるように具体的な事例や詳細な議論を展開しているので、当ブログの読者で本書に対して興味・関心をもった方にはぜひ一読をお勧めしたい。

「限界哲学」という考え方って、面白い!~上原隆著『こころが折れそうになったとき』から学ぶ~

 もう一週間が経ってしまったが、10月19日(水)は私の68回目の誕生日だった。先々週の日曜日には、娘二人と孫二人が自宅を訪れてくれて、バースデーケーキを一緒に食べて前祝いをしてくれた。また、当日の夜は妻と二人で、女性に人気がある近くの居酒屋に行き祝杯をあげた。久し振りに外でアルコールを嗜みながら、少し贅沢なディナーを楽しんだ。普段の食事は妻が健康のためを考えて、塩分の少ない薄味の料理を作ってくれているので、当夜の食事は私の舌には味が濃いように感じた。でも、美味しかった。「食」は油断すると、強い欲望を駆り立てる。「美味しいものを食べたい!」という衝動に突き動かされてしまうので、健康のためには日々の節制は必要だと改めて妻に感謝した。

 

 衝動と言えば、私は好きな作家やコラムニストの未読本に出合うと、ついつい読みたいという衝動に駆られる。先日、市立中央図書館で借りた『こころが折れそうになったとき』(上原隆著)も、そのような本の一冊である。「ノンフィクション・コラム」という独自のジャンルを確立した上原氏の作品の何冊かを、当ブログの記事で取り上げたことがある。『にじんだ星をかぞえて』(2020.2.5付)『君たちはどう生きるかの哲学』(2020.9.16付)『こころが傷んでたえがたき日に』(2022.1.15付)の3冊である。それぐらい私の好みのコラムニストなのである。

 本書はNHK出版のウェブマガジンに掲載された稿に加筆・修正して再構成されたもので、今から約10年前に刊行されている。<Ⅰ 生きがたさの向こうに>と<Ⅱ 「私」から始める>の二部構成で、それぞれ6~8の稿が所収されている。私はⅠでは<『自死という生き方』をめぐって>の稿、Ⅱでは<限界哲学>という稿を、強い関心をもって読んだ。前者は、須原一秀著『自死という生き方―覚悟して逝った哲学者―』に衝撃を受けた著者の思索の跡を綴ったもので、人間という動物はなぜ自死するのかという疑問を問い続けている私にとって、大きな影響を与えた稿であった。後者は、鶴見俊輔氏が著書で定義した「限界芸術」という言葉から類推して著者が考えた「限界哲学」という概念について書かれていて、一生活者である私にとって大変共感することができる稿であった。

 

 そこで今回は、本書に所収されている上記の2つの稿のうち、どちらを取り上げようかと迷った末に「限界哲学」の稿を取り上げることにした。今の私には取り上げやすい話題だったからである。では、著者の考えた「限界哲学」という概念についてまとめてみよう。

 

 鶴見氏は『芸術の発展』(1960年刊)という著書の中で、「純粋芸術」「大衆芸術」「限界芸術」という3つの言葉の概念を次のように説明している。なお、( )内は上原氏の補説で、「えがく→みる」という行動の系列で考えた時の芸術ジャンルを主に示している。

〇「純粋芸術」…専門的芸術家によってつくられ、それぞれが専門種目の作品の系列に対して親しみをもつ専門的享受者をもつ。(絵画)

〇「大衆芸術」…専門的芸術家によってつくられるが、制作過程はむしろ企業家と専門的芸術家の合作の形をとり、その享受者としては大衆をもつ。(ポスターや紙芝居)

〇「限界芸術」…非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受される。(らくがき、年賀状、羽子板の絵。系列に関係なければ、日常の身振り、町並み、手紙、盆栽、家族のアルバムなど)

つまり、「限界芸術」とは、生活の中で人々の美意識が関与している全てのことやものなのである。

 

 上原氏はこの「限界芸術」という概念から類推して、次のような概念をもつ「限界哲学」という言葉を考えた。

〇「限界哲学」…人々の日常生活の中で人々を支えている考えのこと。(格言、縁起かつぎ、ことわざ、言い伝え、詩や歌の一節、座右の銘、占い、おみくじ、宗教心、プラス思考、人生論、幸福論・・・といったもの)

つまり、「限界哲学」とは、論理や体系をもつ純粋な「哲学」とは違って、論理も体系もなく、人々の暮らしに密着したところで作用しているものである。だから、それが生きている状況の中でみた時に、その価値が分かり、良くも悪くも作用している。本書の中で紹介している「限界哲学」は、「隣の芝生」「自分はまだまし」「プラス思考」だが、それらはネガ編集者やカメラ店主にとっては生きる意欲を与え、元気にしていた。「限界哲学」の第一義は、役に立つということなのである。

 

 著者は、かれらを支えている考えや言葉は通俗性をもっているが、役に立っているのなら全面的に肯定したいと思うようになったと書いている。確かに多くの人が困難に直面した時に、真っ先に駆動するのは「限界哲学」なのかもしれない。かく言う私も、今までの人生を振り返ると、「災い転じて福となす」「七転び八起き」「プラス思考」という考えや、正岡子規藤沢周平の語った言葉が、難局に面した時に私を支えてくれたように思う。著者は、それらの多くは子どもの頃から蓄積されて、すでに自分の中にあった考え方だったからではないかと言っている。もう一度、生い立ちから自分の人生の歩みを振り返って、今までの自分を支えてきた「限界哲学」について考察してみるのもいいかもしれない。

生活保護の受給申請を扱う窓口対応のあり方について~中山七里著『護られなかった者たちへ』を読んで~

 円安が止まらず、物価も高騰している。公的年金も減額されて、年金生活者の暮らしは楽ではない。幸い自宅の住宅ローンは退職金の一部を充てて完済したので、住居費はいらないから私たち夫婦は気が楽である。また、私たちは重症化している持病らしきものがなく、医療費もほとんど掛からない。だから、家計の主な支出は光熱費と食費、衣料費、さらに意外と高い各種の税金ぐらいである。今のところ、私は仕事をしてわずかの給料を得ることで、何とか現職時代の生活レベルをほぼ維持しているが、完全にリタイアした後は倹約しなければならないだろう。しかし、それでも老夫婦だけの所帯としては、世間的にはまだマシな方かもしれない。

 

 小泉政権時代に新自由主義的な政策が施行されて以来、非正規雇用層の増加に伴い過去に“総中流”と言われていた中間層が下層化し、富裕層と貧困層の格差が拡大し続けてきた。また、日本経済がデフレスパイラルに陥って低成長になり、給料もずーっと横ばい状態である。特に東北地方は、東日本大震災による津波被害によって壊滅的な打撃を受けてしまい、なかなか復旧・復興が進まず被害者の生活は困難を極めてきた。これらの社会的・自然的な原因によって、日々の生活が困窮化してしまう人々が次第に増えて、社会保障制度としての生活保護の受給者も年々増加してきた。だが、少子高齢化が進む我が国においては、社会保障費の増大が国家予算を圧迫してしまう状況になってきたので、生活保護の受給者数を抑制していく政策が取られるようになった。具体的には、生活保護の不正受給を防止するために、全国各地の福祉保険事務所では水際作戦を実行してきたのである。

 

 昨年、映画化されて話題になった『護られなかった者たちへ』(中山七里著)は、上述のような生活保護の受給に関連する社会的な事件を取り上げた社会派ミステリーだったので、私は秋の夜長ではなく“秋の朝長” の時間を活用して寝床で読み継ぎ、やっと先日読了した。ミステリーとしての面白さはもちろんだが、社会派として政治や行政のあり方を問う批判精神に溢れた作品であったので、私はついぐいぐいと引き込まれてしまった。

 そこで今回は、本書の読後所感をまとめながら、私なりの考えも付け加えてみたい。

 

 仙台市の古アパートで餓死したと思われる他殺体が発見された事件が起きる。しかし、事件の容疑者が浮かばず、担当の苫篠刑事をはじめとする捜査陣全体に焦りが起きてきた時期に、同じような餓死死体が宮城郡の森の中で発見された事件が起こる。苫篠刑事たちは殺害の手口の共通点から怨恨による同一犯人による連続殺人ではないかと考えて、殺害された二人の接点を探る捜査を開始する。その過程で、その接点となりそうな事実を掴むのだが…。

 

 本作品は典型的な犯人捜しのミステリーになっていて、それはそれで興味が尽きない展開になっており、大逆転の結末も趣向が凝らさせていて一気に読ませる上質なストーリー性がある。しかし、私が大きな関心をもったのは、餓死に至らせる二つの殺人事件の背景とも原因ともなっている、生活保護の受給に関する社会的な問題点の方である。当ブログの以前の記事(2022.1.19付)でも、柚月裕子著『パレートの誤算』を取り上げて生活保護受給者のケースワーカー(市役所の福祉保健部社会福祉課職員)の矜持について綴ったことがあったが、その際は生活保護制度の悪用、つまり不正受給に関する事件だったと思う。しかし、本作品では生活保護受給の申請や可否判断等に係わる事件を取り上げている。

 

 生活保護は、憲法第25条の精神に則った、人間の最低限の暮らしと自立を保障する制度である。だから、水道光熱費にも事欠くような生活を送っている人は受給が認められてしかるべきだが、社会保障費の削減のために福祉保険事務所の窓口での理不尽な対応によって、受給申請を受け付けてくれなかったり、仮に受け付けても申請拒否をされたりすることもある。そのために、もし生命を失うような人がでたら、何とも不条理なことである。しかし、その不条理なことが現実では起こっているのである。

 

 私は、政府の社会保障行政のあり方に対して、具体的な政策提言をするだけの政治的見識は乏しいが、せめて行政機関の窓口での対応のあり方について物申したい。確かに生活保護の不正受給を防止するための慎重で厳重な対応は必要であると思うが、窓口に申請しに来た人に対しては丁寧で温厚な対応をしなければならないと思う。日々の窓口対応は、そのような甘い考えでは到底務まらないと言われるかもしれないが、それが市民に対する行政サービスを提供する公務員の業務態度だと私は考える。このことが実践されるだけでも、生活保護の受給申請をしようとしている市民の尊厳を守ることにつながり、生活の自立に向けて前向きに取り組む契機になるのではないだろうか。

 

 最後に、本作品のテーマ『護られなかった者たちへ』について。「護られなかった者たち」とは、上述してきたような生活保護制度によって護られなかったり、東日本大震災による津波被害等から護られなかったりして生命を失った者たちを意味していると思うが、この人災や天災による死を、同様に理不尽で不条理な死ととらえてもいいものなのだろうか。著者は、東日本大震災という天災による被害者に関してあまり叙述していないが、あきらかに「護られなかった者たち」として位置付けていると思う。この点、私の心はモヤモヤしたものを残したままである。著者の考えについて、もう少し突っ込んで知りたいものである。

学校を「共生社会」にするために大人ができることとは?~本田秀夫著『学校の中の発達障害―「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち―』から学ぶ~

 秋らしい日が続くようになったので、私は久し振りに昼休みを利用して、職場近くのデパートに入っている紀伊国屋書店へ行ってみた。特別にはっきりした目的があったわけではない。最近、書店へ行く暇もなかったので、どのような新刊書が並んでいるのか知りたいという程度の目的であった。時間を気にしながら、足早に店内を見回っていると、興味を引く新刊本を見つけた。『学校の中の発達障害―「多数派」「標準」「友達」に合わせられない子どもたち―』(本田秀夫著)という今の仕事に役立ちそうな本である。私は、今まで本田氏の著書を数冊読んで、「発達障害」をもつ子どもたちへの適切な支援のあり方について有益な示唆を得ていた。だから、早速、本書も入手し、その日の夜から読み始め、数日後には読了した。

 そこで今回は、本書の中で特に共感したり学んだりしたことが多かった「第5章 これからの学校教育」の内容についてまとめ、自分なりの所感も付け加えてみようと思う。なお、第5章は最終章であり、著者が第4章までに主張してきた内容を前提にしているので、まず第1章から第4章までの要点を簡潔にまとめておきたい。

 

 著者は発達障害の子が学校で困ってしまうことが多いのは、「学校の標準」が狭いという現状をまず訴えている。そして、学校を居心地のよい場所にするための対策として、次のような事項を紹介している。

〇 「ユニバーサルデザイン」(誰もが活動しやすい環境の設計)・「合理的配慮」(個別の配慮が必要な人への対応)・「特別な場での個別の教育」(特有の課題に合った支援や環境の提供)という3つのステージを意識して環境を整えること。

〇 成績や学力を重視し過ぎないこと。

〇 子どもの自信やモチベーションを大事にすること。

〇 子どもがよりリラックスして、自分らしく学ぶためには、専門的な支援を受けること。

〇 特別支援教育の枠組みも、より柔軟なものにしていくこと。

 

 では、著者は以上のような事項を踏まえて、学校を「共生社会」にするために、大人はどのようなことができると考えているのだろうか。第5章の最初に、著者はその例として子どもの「登校渋り」について語っている。それによると、「登校渋り」というのは、「子どもが悩み抜いて疲れ果てて、自分でできることはすべてやり尽したという、最終段階のSOS」だから、保護者も学校の先生も、すぐに対応する必要があり、具体的に次のような対応内容が大切だと挙げている。

〇 保護者は、その日はひとまず休ませて、ゆっくり時間をとって「どうしたの?」と聞いてみる。

〇 先生は、子どもが「楽しく学校に通っているかどうか」という視点で観察する。

〇 保護者と先生がそれぞれに子どもへの理解を深め、「こういう活動がつらいと言っています」「授業中にこんな様子が見られます」といった情報を共有する。

〇 子どもの悩み事に応じて、学校側の環境をどのように調整できるかを、保護者と先生で考えていく。

 

 しかし、このような対応をしても不登校になる場合がある。著者は、その子どもの生きづらさの要因として、学校における「連帯責任」という考え方があるのではないかと指摘している。そして、集団に「連帯責任」を負わせないようにするためには、「みんな一緒に」ではなく、「お互いにリスペクト」という姿勢が必要になると主張している。これは、私なりに言い換えれば「他者を異文化として尊重する」という視座をもつことである。では、「お互いにリスペクト」できる「共生社会」をつくっていくために、大人は何ができるのか。著者は、次の2つの視点を提案している。

〇 誰もが安心して、自分らしくいられる環境をつくること。その際に注意することは、少数派の論理を軽視しないこと。

〇 みんながお互いを攻撃しないこと。お互いの立場が衝突した場合は、コミュニケーションによって妥協点を見出すこと。

 

 また、著者は集団の中にいる時の生きづらさを解消する大事なキーワードとして、「迷惑」と「失敗」という言葉を挙げている。その理由は、人に「迷惑」をかけることを恐れていると、コミュニケーションや建設的な対話が生まれないからであり、自分が「失敗」をすることを恐れていると、集団活動をうまく進めていけないからである。私も、現職時代に自分の学級経営の基本方針として、このような内容について子どもたちに話していたことを思い出しながら、共感した。

 

    誰かに「迷惑」をかけても問題にならず、一人の「失敗」をお互いがカバーして助け合える、一人一人の個性が集団の力になるような集団であれば、発達障害のある個性的な子も参加しやすくなるのである。今、私たち大人は、学校をこのような「共生社会」にしていくことが求められているのではないだろうか。当たり前のことだけどね…。

やっぱり紙の本の方がいいなあ!~塩田武士著『騙し絵の牙』を読んで~

 日々の雑用に追われ、ブログを更新することができない日々を送っていたら、もう10月になっていた。また、朝晩が涼しくなったなあと思っていたら、秋祭りの時期を迎えて急に日中の気温が20℃ぐらいになり、足早に秋本番を迎えた。“秋”と言えば、「食欲の秋」「スポーツの秋」「行楽の秋」「芸術の秋」等の言葉が思い浮かぶが、私はやっぱり「読書の秋」が一番しっくりくる。酷暑の外気に包まれた冷房の効いた室内での読書より、私は少し冷気を含んだ外気に触れながら、じっくりと本の世界に浸る方が好きである。ただし、最近は“じっくり”と過ごす時間的・精神的な余裕のない日々を送っているので、就寝前後の寝床での読書時間を少し長めに取っている。

 

 夏頃から、私は新書版の学術書よりも文庫版の小説を読むことが多くなった。きっかけは、8月中旬に新型コロナウイルスに感染して10日間の自宅療養中に『マチネの終わりに』(平野啓一郎著)を読んで、心揺さぶられる体験をしたこと。それを皮切りに、9月に掛けて『永い言い訳』(西川美和著)、続いて『オールド・テロリスト』『希望の国エクソダス』(村上龍著)等を読んで、ブログの記事を綴った。そして、9月末からは『騙し絵の牙』(塩田武士著)を少しずつ読み継ぎ、やっと先日読み終えた。結構、面白かった。

 そこで今回は、本書に関する読後所感をいつものように簡潔に綴ってみようと思う。

 

 本作品は、大手出版社「薫風社」で月刊誌『トリニティ』の編集長を務める速水輝也が、デジタル革命に伴う業態変化を余儀なくされている出版業界で、会社の経営方針に抵抗しながら悪戦苦闘する姿を、ユーモアを交えながらもシリアスに描かれていて、私は自然に引き込まれていった。俳優の大泉洋を主人公の速水に「あてがき」して本作品を執筆したこともあって、発表当初から話題になった著者会心の作品である。2018年本屋大賞のランクイン昨で、昨年には映画化も実現している。

 

 では、本作品の世界を少し覗いてみよう。まずは、物語の舞台となる「薫風社」の社内事情の見取り図から。社内は史上最年少でトップに就いた営業出身の社長派と、労働組合の交渉窓口に立つ編集出身の専務派に分かれており、速水の直属の上司に当たる編集局長の相沢徳郎はバリバリの専務派である。この相沢が速水に明かした社の機構改革案の内容に関する二人の考え方の違いこそが、物語展開の骨子を形作っていく。ただし、出版業界における「アナログ対デジタル」という単純な構図ではない。

 

 経営側に立つ相沢は、ずっと赤字が続く文芸誌『小説薫風』の廃刊を表明したり、カルチャー紙『トリニティ』に関連する営業実績の如何によっては廃刊もあると示唆したりして、速水に様々な無理難題を課してくる。そのプレッシャーの中、速水は『トリニティ』を死守するために相沢の要求にしぶしぶ従うように振る舞うが、彼の本音はもちろん出版物の電子化には気乗りがしない。しかし、紙の本が売れなくなり経営的に苦しくなっている「薫風社」が生き残るためには、デジタル化の波には逆らえない理屈も分かる。

 

 速水は、『トリニティ』の黒字化のために、自らが文壇の〝将軍〟二階堂大作の思い入れのある作品や、部員の高野恵に指示して文才のある女優・永島咲の連載小説を掲載することで内容の充実を図ろうとする。また、それらの作品の映像化・単行本化するなどして二次利用をして廃刊を逃れようと、持ち前のユーモアを発揮しながらも神経を研ぎ澄まして働き続ける。しかし、そのような中、社内で思わぬ不祥事が起こってしまい、事態は意外な方向へ転換していく…。

 

 いつもの悪い癖で、つい最後までネタバレをしてしまいそうになったが、ここまでで止めておこう。とにかく、本作品は出版業界の実情を知る上で大変参考になる。これからはデジタルの深い波が出版業界を襲い、小説やエッセイなどの書籍が電子図書館で閲覧できるのが普通になりつつある。それはそれで読者が様々な恩恵を受けることになるので結構な話なのだろうが、私のようなアナログ人間は手触りを感じながら読めるというだけで、紙の本の方が好きなのである。今後も書店や古書店で紙の本を手にして、著者が創造する多様な世界を追体験する幸福感を死ぬまで味わい続けたい。

約20年前の「村上龍」の学校教育に対する問題意識とは?~村上龍著『希望の国のエクソダス』を再読して~

 前回の記事で、村上龍著『オールド・テロリスト』を取り上げて、私の「村上龍」作品の読書体験の概要を述べた。その際に、私の興味内容の転換点に位置付けたのが、教育問題に対する彼の課題意識の高さを表した『希望の国エクソダス』という作品であったことに触れたのだが、では彼の学校教育に対する問題意識とは何だったのだろうか。私はそれを改めて確かめてみたい衝動に駆られて、約20年前に読んだ本書を再読してみた。

 そこで今回は、本書を再読した簡単な所感を綴った後で、約20年前の「村上龍」の学校教育に対する問題意識について、本作品の中でポンちゃん不登校の中学生グループの一つASUNAROのリーダー)が国会中継で語った言葉を拠り所にして探ってみようと思う。

 

 まずは、今回再読しての率直な所感について。それは、本物語が近未来の経済の姿を描くことがバックボーンになって展開していることについて、私は改めて深く認識したということ。昇任教頭として山間部の僻地にある小規模な小学校へ赴任とした当時、本書を職員住宅の寝床で読み進めながら、私は不登校の中学生である中村君やポンちゃんこと楠田穣一君らの言動にことさら注意を向けていた。言い換えれば、物語の意外な結末の背景にある複雑な経済事情に関する記述部分を、ほとんど無意識に読み飛ばしていたのである。ところが、最近の円安動向や先進諸国の金利政策等の経済事情をマスコミが取り上げられている中で、私自身が多少は経済にも関心をもって本書を再読したので、上述のようなことに気付いたのである。それにしても複雑な経済の仕組みについては、約20年後の今でも理解できないことが多かったが…。

 

 次は、本題である約20年前の「村上龍」の学校教育に対する問題意識について探っていこう。前回の記事でも取り上げたが、予算委員会国会中継ポンちゃんが語った「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」という言葉は、当時の国民の多くが実感していた「社会の閉塞性と実存の不遇感」を端的に表現したものであった。しかし、この言葉のインパクトに圧倒された国民は、その具体的な意味についてどれほど理解していただろうか。この言葉に続いてポンちゃんが語った言葉を少し引用して、私なりに解説してみよう。

 

…愛情とか欲望とか宗教とか、あるいは食糧や水や医薬品や車や飛行機や電気製品、また道路や橋や港湾設備や上下水道施設など、生きていくために必要なものがとりあえずすべてそろっていて、それで希望だけがない。という国で、希望だけしかなかった頃とほとんど変わらない教育を受けているという事実をどう考えればいいのだろうか、よほどのバカでない限り、中学生でそういうことを考えない人間はいなかったと思います。…

 

 戦後、特に1950年代中頃から1970年代に掛けて、我が国は「高度経済成長」を果たしてきた。そして、1980年代から1990年代に掛けて、政府の低金利政策により企業の投資等が進んで、土地や株の値段が泡のように膨らんだ「バブル経済」になった。しかし、1990年代に入ると、政府が引き締め政策をとったために、土地や株の値段が暴落して「バブル経済」は崩壊してしまい、その後、日本経済は長期的な低迷が続くことになったのである。ポンちゃんの上述の言葉には、日本経済の歴史的経緯が背景にあり、それに伴って問われた学校教育の在り方の転換が企図されているのである。

 

 では、学校教育の在り方をどう転換すればよいと、ポンちゃん=「村上龍」は考えているだろうか。そのヒントは、予算委員会におけるポンちゃんに対する参考人質問の場面、つまり最初の質問者である自民新党のサイトウ委員とポンちゃんとのやり取りの場面にあると私は思う。その部分をまた引用して、私なりの解説をしてみよう。

 

…「それでは、どうして中学校というものがこの国に存在しているのか、ちょっとそこのところを教えていただきませんか?」

ポンちゃんはまたそう聞いた。なかなかやるなと、後藤が呟いた。

 「それはですね。法律で決められている義務教育というものがありまして、該当する年齢になったら、誰でも中学校に行かねばならなんのです」

 サイトウという議員は元大学教授らしい。自分の質問にポンちゃんが答えないことに少し苛立っている。ポンちゃんはその答えを聞いて、しばらく黙ったあと、質問者を替えて下さい、と言った。どうしてですか?と委員長がポンちゃんに聞く。

 「コミュニケーションできません」

 ポンちゃんはまったく顔色を変えずにそう言ったが、サイトウという議員は見る間に顔が真っ赤になった。垂れ下がった喉の肉が揺れているのがわかった。…

 

 ポンちゃんは、ほとんどの不登校の中学生が、今あるような中学校なんか要らないと思っているが、サイトウという議員はどうも必要だと思っているから、それはなぜかと訊いた。それに対して、義務教育というものがあると答えるのは的外れなのである。だから、「コミュニケーションはできません」と断定した。至極真っ当な反応なのである。このやり取りの場面を見て、私は教室の中の教師と生徒のやり取りの場面を想定してみた。すると、サイトウとポンちゃんとのやり取りと同じようになるのではないかと思った。言い換えると、今の学校教育において教師と生徒の間に相互主体的な対話が成立していないことを意味する。

 

    約20年前、「村上龍」は学校教育が教師から生徒への伝達に終始する「一方的なコミュニケーション」という閉塞的関係性で占められていると認識していたと思う。したがって、学校教育の在り方を転換するためには、教師と生徒とが相互に主体であることを前提とした「双方向性のコミュニケーション」という自由な関係性を構築していくことが大切だと考えていたのではないかと思う。この問題意識こそが、本書を執筆しようとした主な動機ではなかったか。

 

 それから約20年後の現在、「村上龍」のこの問題意識は、現場の教師たちによって醸成されているだろうか。学校現場へ訪問して授業を参観する機会がある私の実感は、「醸成されるどころか、この問題意識さえ共有できてないのではないか!」というものである。私は、学校教育に携わっている教師の方々に、本書をぜひ読んでもらいたいと強く願っている。

現代社会におけるマスコミの自己欺瞞について~村上龍著『オールド・テロリスト』を読んで~

 隣の市で「本」をキーワードにした活動を展開している団体が、毎月第1土曜日か日曜日に同市のJR駅近くの手作り交流市場で「古本交換会」(1冊につき1冊交換)を開催している。私は、今年になって気が向いた月には、不要になった文庫本を数冊車に乗せて、この「古本交換会」へ片道約20分掛けて行っている。もちろん気に入った古本があれば交換して帰るのだが、今までの交換本10冊ほどは積読状態になってしまっている。でも、今回読んだ『オールド・テロリスト』(村上龍著)という文庫本は、先月の交換本でありほとんど積読状態を経験しなかった本である。

 では、なぜ本書をすぐに読もうと思ったか。それは、「村上龍」が著した比較的最近の小説だったからである。1976年に『限りなく透明に近いブルー』で芥川賞を受賞し、文学界に彗星の如く登場したこの作家に、当時大学生だった私は、大変興味をもった。というのも、この作品を読んだ時に、大きな衝撃を受けたからである。それは、福生の米軍基地に近い街を舞台に、麻薬・セックスなどの風俗を道具仕立てにして青春群像を描いたセンセーショナルな題材はもちろん、視覚だけではなく聴覚や触覚などの五感全てを駆使して表現した文体にショックを受けたのである。

 

 それ以後、『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』『悲しき熱帯』『ラッフルズホテル』『愛と幻想のファシズム』『音楽の海岸』『トパーズ』『イビサ』等々、その時々の気分に応じて気ままに「村上龍」を読んできた。そして、その度に私は新鮮な感動体験を積み重ねてきた。登場人物の視点から重層的に物語を展開していく手法や、話し言葉をそのままの形で表現していく文体等、私はいつも「村上龍」の小説の内容というよりも方法に驚かされていたのである。

 

 ところが、80万人の中学生が不登校を起こし、その中のあるグループが自らの組織を活用してネットビジネスを始めたことで意外な結末を迎える『希望の国エクソダス』という小説を読んでからは、さらにその内容についても強い興味をもつようになった。特に、ASUNAROという組織のリーダーのポンちゃんが、国会のネット中継で語った「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。」という言葉が、私の心に強く突き刺さった。この小説は現代日本の絶望と希望を描いたもので、混迷する教育問題に対する「村上龍」の課題意識の高さを表していると思ったのである。これ以降、今度は「村上龍」の教育問題に対するスタンスに、私の関心の軸が移っていき、『寂しい国の殺人』『「教育の崩壊」という嘘』『最後の家族』等を読み継いできていた。しかし、最近はほとんど「村上龍」の小説を読むことがなくなった。そんなところへ本書と出合ったのだから、すぐ読みたいという衝動を抑えることはできなかったという訳である。

 

 そこで本回は、本書のネタバレすれすれのあらすじ紹介をした上で、特に私の心に印象深く残った登場人物たちの言葉を取り上げ、その簡単な所感を綴ってみようと思う。

 

 物語は、2018年フリーの記者になったセキグチ(『希望の国エクソダス』に登場していた「関口哲治」のこと)がNHKに対するテロの予告電話に応じて現場取材に当たり、実際に実行されたテロに遭遇する場面から始まる。その後、第2・第3のテロが起こり、セキグチは「キニシスギオ」という老人たちからなる組織の存在に行き着く。彼らのテロの目的は、現代日本をリセットするという大それたものであったが、そのレポートを依頼されたセキグチは老人たちの考えに共感しつつも、書くべきか書かざるべきか深く悩んでしまう。そして、彼らの真の標的は何と…。

 

 ネタバレすれすれのあらすじのつもりが、ついつい筆が滑ってしまった。それにしても、「気にし過ぎ」という言葉からもじった「キニシスギオ」という組織名は洒落が効きすぎていて、ちょっと興醒めになりそうだったが、本書を通じて「村上龍」が本物語に込めた思いや考えには共感することが多かった。特に「キニシスギオ」のリーダーであるミツイシに語らせている次のような言葉は、我が意を得たりの心境に陥ってしまった。少し長い引用になるが、お許しいただきたい。

 

 「わたしは、この国のあらゆるものを信じていない。政治しかり、経済しかり、社会システムしかり。ですが、もっとも大きな不信感を抱いているのは、マスコミだ。どう思いますか。彼らは、正義を言う。権力を批判し、弱者の側に立つと言う。だが、日本で、平均してもっとも高額な給与を得ているのはマスコミの人間ですよ。フジデレビの社員の給与は世界一だとも言われている。ワーキングプア孤独死など、貧困と孤独をテーマに特別番組を作るのが大好きな日本放送協会、つまりNHKですが、平均年収は一千万円を優に超えて、サラリーマンの平均の三倍近い。朝日新聞日本経済新聞なども同様。講談社小学館など、出版社も同様。すべてのマスコミは、弱者を擁護し、権力を批判する資格などない。いやいや、セキグチさん、勘違いしないでいただきたい。金を稼いではいけないということではない。金ならわたしたちも稼いでいる。彼らマスコミが偽善者だと言うつもりもないし、嘘を報じると言うつもりもないし、権力の側について事実を隠蔽していると言うつもりもない。単に、能力がないのです。事実を報じる能力がない。世界的にパラダイムが変わってしまっているのに、気づくことができない。その理由がわかりますか。あなたならわかるでしょう。」

 

 しかし、このミツイシの言葉に対して、つい感情を吐露してしまったセキグチの次のような言葉は、小市民たる私に対する批判のようにも感じてしまい、今後の生き方について真摯に問い直すことを要請する凄みがあった。

 

 「そうです。あの連中は、自分を否定したことがないし、疑うこともない。わからないことは何もないとタカをくくっている。わかるという前提で報道し、記事を書く。だけど、たいていのことはわからないんだ。わからないことはないというおごりがあるので、絶対に弱者に寄り添うことができないんだ。くそったれ。」

 

 本物語は、後期高齢者たちが虚構にまみれた現代日本をぶち壊したいという衝動をもち、ついには原発テロまで画策するという荒唐無稽な話であるが、私にある種のリアリティを感じさせた。特に社会的弱者や底辺に生きる人々は、このような破壊衝動を心の中に秘めているのではないだろうか。そういう意味で、本物語は現代日本サイレント・マジョリティが無意識に求めていた願望を小説という文芸の世界で実現させたものである。がしかし、週刊誌記者の職を失い、妻子に逃げられた54歳のセキグチという人物が、老人たちの途轍もないテロの実施と大それた計画の実行を前にして苦悩したり苦悶に喘いだりする赤裸々な姿に、等身大の人間らしさを見出して共感を抱いたのは、私だけなのだろうか…。

子どもは小さな科学者!~現代教養講座(放送県民大学)で学んだこと~

 9月4日(日)の午前中、私は本県の生涯学習センターが主催するコミュティ・カレッジを初めて受講した。なぜ受講してみようと思ったかというと、本講座のテーマが「小さな科学者としての子ども―幼児教育の再発見―」だったからである。特にサブテーマに即した内容に興味を惹かれた。私が地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務していた頃に低学年を担任することが多く、そのために同じ敷地内にある附属幼稚園と連携して「幼年教育研究」を進めていたことがあり、一時は研究責任者を任されたこともあった。また、現在の仕事においても、保育園や幼稚園、小学校低学年の子どもたちと接することがよくあり、私は幼児教育に対してずっと課題意識をもち続けてきたので、本講座のテーマは魅力的だったのである。そこで今回は、本講座の内容の簡単な紹介と、その中でも私が特に興味・関心をもった内容の概要についてまとめてみたいと思う。

    講師の地元国立大学国際連携推進機構の副機構長・隅田学氏は、まずコロナ禍で気付いたこと、例えば、子どもだけでなく親やその他の多く人々が学校の役割を再認識したことや、オンライン学習による新たな学びの場を創造することができたこと、教育環境の格差がさらに子どもの学力差を広げてしまったことなどを挙げた。そして、遺伝子構造が99%程度同じだと言わるチンパンジーと人間の違いについて、具体的な実験内容を映像で紹介しながら、それらの本質的な相違点について説明された。その本質的な相違点とは、簡単に言えば「文化の継承」の有無、つまり「現世代が得ている知的財産を次世代へ教えるという営み=教育」を行うか否かということである。人間の社会的・文化的な発展は、教育という営みに支えられているのである。

 

 次に、科学教育を専門にしている隅田氏は、自身が主催している「キッズアカデミー」という教育実践例を三つ挙げて詳しく解説された。一つ目は、コロナ禍前の「幼年教育研究」で取り上げた<テントウムシの活動から広がる学び>について、二つ目は、オンラインで実践したウインタースクールでの<「音」を題材とした学び>について、三つ目は、同じくオンラインで実践したサマースクールでの<「人体」を題材とした学び>について。

 

 これらの教育実践例の中で特に私が興味・関心をもったのが、一つ目と二つ目だった。一つ目の実践事例は、私にとって思い出深い場所である地元国立大学教育学部附属幼稚園での事例だったこと、5歳の孫Hが昆虫好きであることなどが、興味・関心をもった主な要因になっている。また、二つ目の実践事例は、やはりHが音楽好きで「音」に対する感性が豊かであること、妻や長女(Hの母親)は音楽を専門的に学んだ経験をもっていることなどが、その主な要因になっている。どちらの実践事例の内容も、Hの祖父である私にとって興味深く、かつ日々のHとの関わり方を見直す上で役立つものであった。

 

 もう少し具体的な内容に触れてみよう。一つ目の実践事例は、少し気弱で大人しい年中の男児Aを中心とした、テントウムシの活動の展開についてであった。ある日、Aは先生の服の袖を摘みながら、園の隣にあるズッコケランド(草花が咲いている小山)へ出掛ける。Aはそこで友達がテントウムシを採っているのを見て、自分も採りたいとテントウムシを探し始める。しかし、その日も翌日もいくら探してもなかなか見つけることができなかったが、やっとのことでナナホシテントウムシを1匹見つけるのである。飛び上がって大喜びするA君の姿を、園の先生は初めて見たと語ったという。講師の隅田氏は、これだけ一つの活動に集中して当初の目的を達成する体験は、Aの成長にとって大きな意味があったのではないかと語った。私も同感であった。

 

 その後、Aはそのテントウムシを飼う活動を始める。飼育ケースの中に住み家と餌になる草とアブラムシを入れて、友達と一緒にテントウムシを観ることに夢中になる。その中で、テントウムシは飛ぶことや黄色の体液を出すこと、いろいろな種類がいること、ザリガニのように変態していくことなどに気付いていく。そして、自分が発見したことを友達と積極的に情報交換したり、皆と一緒に昆虫図鑑でテントウムシのことを詳しく調べたり、それらの活動によって得た知識を園の先生や保護者に興奮しながら話したりするようになる。あの気弱で大人しかったAが!

 

    しばらくこのような飼育・観察活動を続けたAは、ある日飼っていたナナホシテントウムシを逃がしてやる決心をする。A君は餌として捕まえていたアブラムシが可愛そうになり、元々いた自然の中に戻す方がいいのではないかと考えたのである。隅田氏は「どこの園でもあるような実践事例だが、このような活動によって様々な位相の学びを経験していることの意味や意義は大きい。科学教育の視点からも幼児期のこのような活動は不可欠なものである。」と締めくくられた。

 

 私の孫Hも昆虫好きで、よく一緒にセミやトンボ、チョウなどを採りに行く。でも、隅田氏のいうような科学教育の視点から適切なアドバイスをすることは、元教員であるにもかかわらず、今まであまり意識したことがなかった。一つ目の実践事例を聴きながら、Hが小さな科学者として自分なりの課題を追究していくような活動をさりげなく支援していく関わり方について、改めて自覚した私であった。

 

 二つ目の実践事例は、コロナ禍で対面の学びができなくなったので始めたオンラインで実践したサマースクールのキッズアカデミー<「音」を題材とした学び>であった。隅田氏は、「参加者宅へ事前に糸電話を作る材料を郵送し、当日までに作ってもらっておいた。」と語り始めた。材料の中には、糸だけでなく、ビニルテープや針金・細いゴムも入れておいたそうである。そして、当日はそれらで作った糸電話を、参加者の幼児(小学校低学年の子も含む)とその保護者に実際に使ってもらい、その結果を発表してもらったそうである。その際に、必ず「予想→結果→気付いたこと」という科学的な手順を踏んでもらうようにしたとのこと。

 

 私がこの実践事例の内容の中で特に興味・関心をもったのは、実験後に他にも調べてみたいことを発表してもらった子どもたちの内容であった。「次は、いろいろな形や材料のコップでやってみたい。」「糸の太さや長さを変えてやってみたい。」など、子どもたちの科学的に多様な発想に私は驚いた。こういう体験に基づいて、子どもたちは科学的な思考を広げたり深めたりするんだなあと、改めて子どもたちの豊かな学びの可能性を感じた。

 

 心に残った内容が、もう一つある。それは、隅田氏が私たち受講者に配ってくれた更紙を使って、ユーチューブの「紙でリズム」という動画を視聴しながら実際に体験したことである。まず、私たちは更紙を使って「音」を出す活動をした。各自で紙を叩く、振る、くしゃくしゃに丸める、破るなどの活動を自由にして様々な音を出した。その後、動画を視聴しながら、更紙を使って「音」を出しながら「南の島のハメハメハ大王」のリズム打ちをして楽しんだ。これが、とても面白かった。楽しかった。ピアノを習い始め、簡単なリズム打ちができるようになり、園で行う秋の演奏会で三つの小太鼓を担当することになったHにもやらせてみたい。また、小学校の音楽専科をしている長女にも紹介したいと、私は思ったのである。

 

 約2時間の講座だったが、本当に楽しく、学びの収穫の多い内容だった。心身の休養を保障する貴重な休日の午前中だったが、私は満足顔で帰りの車を気持ちよく走らせていた。いくつになっても常に学ぶ姿勢を持つ続けることは、自分の気持ちを明るくさせることになり、引いてはそれが他者の幸せにつながっていくのだと実感した次第である。

人生は、他者だ!~西川美和著『永い言い訳』を読んで~

 10日間の自宅療養期間が終わって、23日(火)に久し振りに出勤したら、その翌日から当市の教育支援委員会が2日間予定されていた。今回の教育支援委員会は、来年度小学校へ就学する幼児で何らかの「困り感」がある子にとって、どのような学びの場が適切かを判断する会議である。事前に対象児の保護者や園の先生等と教育相談をしたり、対象児と面談をしたりした内容に基づいて、調査員が適切だと考える学びの場や支援内容等を書いた資料を作成する。そして、教育支援委員会の場にその資料を提出し、医療や福祉・教育等を専門とする委員さんたちに内容の妥当性や是非について慎重に審議していただき、決定してもらうのである。

 

    私たち特別支援教育指導員は、当日の教育支援委員会(午前と午後の部ごとに8つほどの分科会を開催)を運営する事務局として司会や記録を担当するのだが、中には調査員の役割も兼務する者もいる。実は私も調査員として4名の対象児を担当していたので、出勤した日は翌日からの会議の準備に追われた。しかも、午後からはある小学校の1年男児の保護者の教育相談があったので、まだ体調が万全でない中、大変忙しい1日になった。また、翌日からの教育支援委員会自体も慎重な審議が求められ、終日、ピリッとした緊張感の中で過ごした2日間になった。さらに、26日(金)は自分が担当した教育支援委員会の記録の整理や、対象児の審議資料の訂正等の仕事で、勤務時間は無駄なく費やすことになった。

 

 そのような中、昼間の仕事のストレス解消のために、私が就寝前後に読んでいたのは、『永い言い訳』(西川美和著)という小説だった。「長い」ではなく、なぜ「永い」なのだろうか?「言い訳」とは、何に対するどんな言い訳なのだろうか?タイトルを目にした時に様々な疑問を持った私が、やく1か月ほど前に馴染みの古書店でつい衝動買いした本だった。自宅療養中に読んだ『マチネの終わりに』(平野啓一郎著)に触発されて、また小説を読んでみたかったのである。この一週間ほどで読了。家族・幸福・生死等に関して、いろいろと考えさせられた作品だったので、私なりの簡単な読後所感を綴ってみたい。

 本作品は、夫婦関係が冷え切っている子どものいない衣笠家と幸せな4人親子の大宮家という二組の家族から、それぞれ妻と母(妻でもある)がバス事故で亡くなるところから物語が動き出すのだが、私はその前に語られる人気作家・津村啓こと衣笠幸夫の名前の由来に纏わる部分を読んでいる時はちょっと鼻白んだ気分になっていた。何となくありきたりな感じがしたのである。しかし、その後の物語の展開部分は、複数の登場人物の視点で語られる構成も相俟って、私は「真に幸せな家族とは?」と問い続けながら、その答えを求めるようにぐいぐいと引き込まれていった。

 

 特に、妻の親友の夫・大宮陽一に子どもたちの世話を申し出た衣笠幸夫が、母親を亡くした慎平君と灯ちゃんの兄妹との間に通わす心温まる交流場面は、新しい「幸せな家族」の関係性を私に感じさせた。でも、作者の西川氏は実はこの関係性を肯定も否定もしない書きぶりをする。そうなのだ。「真に幸せな家族」というものを簡単に実体化しようとしてはいけないのである。

 

 ただ、幸夫が亡き妻へ宛てた手紙にした最終章において、私の心に実感として突き刺さった言葉がある。それは、「人生は、他者だ。」という言葉。つまり、人間が生きていくためには、自分にとって「あのひと」と想うことの出来る存在=他者が必要だということ。この場合の「他者」とは、自分と異文化な存在というような形而上学的な意味ではなくて、自分にとってなくてはならない存在という生活世界的な意味で使われている。今まで私という実存を間違いなく支えてくれたのは、「親、妻、子どもたち」という家族であったし、これからもそれらの家族と共に「孫」という家族になると思う。そう考えると、「人生は、他者だ。」という言葉の重みを、改めて噛みしめてみることが大切だと思った。

 

 最後に、本作品のタイトルに対する私の幾つかの疑問の回答内容について触れておきたい。それは、本書を解説している翻訳家の柴田幸元氏の解釈を援用すると、次のようになる。

〇 「永い言い訳」とは、「永遠に続く、自他共に納得させるための自分についての言い訳」である。

まあ、別の言い方をすれば「人生が終わるまで続くのが自己了解」であり、「これで終わりということはないのが自己了解」であるといってもいいのかな…。

「子どもを苦しめる親」について考える~水島広子著『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』から学んだことを基に~

 私の自宅療養期間も今日で終わる。「濃厚接触者」だった妻が倦怠感や発熱等の症状が出始めたのは15日(月)で、お盆休みの中やっと見つけた病院で抗原検査を受けて陽性の判定が出たのは16日(火)。それから既に1週間が経った。今では二人とも平熱になり、自宅で隔離されている以外は比較的自由な生活を送っている。食事については、生活協同組合の宅配と妻の姉による買い出しによって何とかなっているので、私たちはある意味でのんびりとした日常を過ごしていると言ってもよい。

 

 そのような中、数日前に私はそろそろ仕事に復帰する心身の準備をしようかなと考えていた。すると、私の脳裏に、ある場面が突然フラッシュバックしたように蘇ってきた。それは、もう1か月以上も前になるが、市内の某小学校の会議室で、保護者と教育相談をした時の場面である。

 

    普段、保護者と教育相談をする際は、対象児の担任と当該校の特別支援教育コーディネーターが同席するぐらいである。ところが、その時の教育相談の場では、それとは比較にならないぐらいの参加者数があった。何よりも特別だったのは、一人っ子だと言う対象児も参加していたこと。それに伴って対象児が最も信頼している教師、対象児の心のケアを担当している外部機関の方々、それに通級指導教室の先生までが同席していた。また、学校側からも担任以外に校長、教頭、学年主任らが参加していた。合計で14名。まるでケース会議の様相であった。

 

 なぜ、こんなに多人数の教育相談の場になったか。元々その時の教育相談は、「今まで我が子の特性に応じた支援を行ってほしいと、何度も学校へお願いしたにもかかわらず、適切な支援をしてもらえていない。だから、市の教育相談を受けたい。」という母子家庭の母親からの強い要請が発端だったらしい。だから、母親は教育相談の場に、学校の管理職や学年主任にも参加を求めたし、我が子の思いを知ってほしいとの考えから対象児の参加も望んだ。そして、対象児が安心して発言するためには、それを支えるメンタルケア的存在も必要であるとの判断から、上述のような人々の参加も要請したのである。

 

 ただし、今回、私が突然フラッシュバックした理由は、この教育相談に参加した人数が多かったからではない。その時の母親の常軌を逸した言動こそが、主な理由なのである。母親は、教育相談の進行役をするコーディネーターやアドバイス役の私の所に事前に電話を掛けて、自分の都合で決めた当日の進行スケジュールを私たちに予告していたにもかかわらず、実際の場ではそれを全く無視し感情の赴くままに不規則な発言を繰り返した。また、時には狂気を孕んだ目をして、自分の拳で長机を何度も叩きながら、過激な教師批判をした。しかも、我が子が居る前で!私は「この母親自体が対象児を苦しめているのではないか!」と思い、母親の発言の合間を見つけては、何度も本会の目的や進行スケジュールなどを確認したり、学校側の適切な支援内容や方法等についてアドバイスを試みようとしたりしたが、そのほとんどは母親の一方的な主張によって遮られた。私は、あまりにも無力感に打ちひしがれた。しかも、その教育相談に要した時間は、約4時間!おそらく参加者全員が心身共に疲労困憊になってしまったと思う。それ以後、この体験は私のトラウマのようになっていたのである。

 

 私は、この時の体験を単なるトラウマにしないで、何とか意味付けたり価値付けたりして経験化しなくてはいけないと思い、職場近くの書店で購入した『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』(水島広子著)という本を少しずつ読み進めていた。そのような時に、今回の新型コロナウイルスの陽性判定である。中断を余儀なくされていたが、この際に続きを読み進めていこうと考え、この二日間で読了した。そこで、今回は本書から学んだ「子どもを苦しめる親」について、その背景やその精神医学的事情等に焦点化した内容の概要をまとめてみようと思う。

 著者の水島氏は、対人関係療法という精神療法を専門とする精神科医(特にトラウマ関連障害を持つ人を対象にしている)である。本書は、著者のその精神医学的な臨床経験に基づいて、「毒親」被害を少しでも改善しようという目的で執筆されたものであり、それ故に私にとっては上述の母親のとらえ方について大変参考になる情報を提供してくれた本である。特に参考になったのは、著者が本書で「毒親」を定義する上で大切な視点として挙げている3つの「愛着スタイル」と、「毒親」が抱える4つの精神医学的事情に関する情報である。以下、それぞれについて簡潔に要約していこう。

 

 元々「毒親」という言葉は、1996年に日本で翻訳されて出版された『毒になる親(TOXIC PARENTS)』(スーザン・フォワード著/1989年出版)が出所になっており、「子どもにとてつもない害を及ぼした親」のことを言っているが、本書では「子どもの不安定な愛着スタイルの基盤を作る親」と定義付けている。そして、イギリスの精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した「愛着(アタッチメント)理論」に基づいて、次の3つの「愛着スタイル」を紹介した上で、「安定型」以外を不安定な愛着スタイルとしている。

①「安定型」…「母親的役割」の人に愛情を提供されて育ち、情緒が安定している、困ったら人に助けを求める。

②「不安型」(とらわれ型)…「母親的役割」の不安定な育て方から、「見捨てられるのでは」という不安を感情の基本に持つ。

③「回避型」(愛着軽視型)…「母親的役割」の人がいない、あるいは情緒的なやりとりなしに育つ。人に助けを求める発想がない。

 

 次に、著者は親が「毒親」になった4つの精神医学的事情について、次のようにまとめている。

a)発達障害タイプ…自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如・多動性障害(ADHD

b)不安定な愛着スタイル…「不安型」、「回避型」

c)うつ病などの臨床的疾患…トラウマ関連障害、アルコール依存症

d)DVなどの環境問題…深刻な「嫁姑問題」、親になる心の準備不足、障害のある子の育児など圧倒的な余裕のなさ、子育てより大事な「宗教」等

 

 著者が臨床的に診てきた「毒親」の中で最も数が多かったのは、a)の発達障害の人たちだそうである。そして、彼ら(彼女ら)としてはむしろ一生懸命育児をする中で、結果として「毒親」となってしまうらしい。ただし、彼ら(彼女ら)はそれなりに社会で機能しているので「障害」という言葉は当てはまらないかも知れないが、「非定型発達」であることは間違いないと言っている。

 

 私は本書を読みながら、最初に紹介した母親はもしかしたらa)の発達障害タイプ、かつc)うつ病などの臨床的疾患だったのかも知れないと推察していた。もちろん彼女のことについてほとんど知らないし、精神科医でもない私が、勝手に思い込むことは危険である。ただ、そのように理解したら、あの場面での彼女の過激な言動の多くが納得できるのである。他者(我が子も含めて)の気持ちを想像することが難しいこと、自分の考えに執拗に拘って他者批判を繰り返すこと、過去の出来事に対して今起こっているような感情的反応をしてしまうことなど…。これは、私自身の精神的な安寧にとって都合のよい解釈なのかもしれないが…。

 

 もう一つ、私の頭の中に鮮明な記憶として残っている彼女の断片的なある言葉がある。それは、彼女がどのような文脈で口走ったのかはもう忘れたが、「私には反抗期がなかったので、今が私の初めての反抗期だ。」という言葉である。一体、これをどう解釈すればいいのだろうかと思案しながら本書を読み進めていると、<第8章 「大人」としとて親を振り返る>の中に、次のようなハッとする箇所を見つけた。…「毒親」を持つ多くの人は、通常の意味での反抗期を経験していないことがほとんどです。

 

 もしかしたら、彼女の親も「毒親」だったのかもしれない。そのために、彼女は親の何らかの事情を考えて、自らの意思で反抗期を選択しなかったことで「大人になる」ことを遅延する事態に陥ってしまったのではないだろうか。だとすれば、世代間に負の連鎖が繰り返される可能性がある。対象児の主治医は今、対象児のメンタルケアのために外部機関の方々を、週に数回訪問させるような対応をしている。おそらく私が想像したような事態を推測しているのではないだろうか。私は、それだけでも対象児をあの母親から救い出すための一縷の望みになっていると思う。しかし、より根本的には、できるだけ早く彼女も精神医学的な診察の場に連れて行くことが、当該親子が抱える関係性の闇から二人を救い出すことに繋がるのではないだろうか。