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体育・スポーツ指導における「発想の転換」の必要性

 今、スポーツの世界でこれまでの常識とは大きく異なる身体の使い方、トレーニング法が広まっている。

 

 その先鞭をつけた一人が、「『筋肉』よりも『骨』を使え!」(甲野善紀・松村卓著)の対談者の一人である甲野善紀氏。甲野氏は、スポーツの常識である「筋力に頼った身体の使い方」に疑問を投げかけ、それとは対極にある「無駄な力を使わずに最大限の効果を引き出す、日本古来の武術の身体操法」について研究し続けている武術研究家である。2002年当時、巨人の桑田真澄投手のピッチングフォーム改良を助けて、奇跡の復活劇に貢献したことで一躍有名になった方である。また、もう一人の対談者は、甲野氏の技法にヒントを得て、「骨ストレッチ」という独自のメソッドを開発した松村卓氏。松村氏は、数々の大会に出場し、自己最高10秒2という記録を持っている陸上100mの元スプリンターである。引退後はスポーツトレナーに転身し、現役中にケガが絶えなかったトレーニング法を根本から見直し、「筋肉」ではなく「骨」の動きを重視した独自のトレーニング・メソッドを開発し、現在は陸上100mで日本人初の9秒台の記録を持つ、あの桐生祥秀選手の指導にも当たっている方である。

 

   本書はこの両人の対談を編集したもので、その内容のポイントは「目に見えるわかりやすいもの(筋力)を動かすには、目に見えない、とらえ難いもの(骨)の活用が必要である。」という提案である。このことは、整体の大家・野口晴哉氏が提唱する「骨がまず動いて、筋肉はそれに従う」(骨主筋従)の考え方に通じるものである。また、この対談には「現在の身体に無理を強いるトレーニング法の問題点に目覚め、新たな方法を探究していくスポーツや身体トレーニングの専門家が出てきてほしい。」という強い願いがこもっており、高校時代に筋トレ中心の練習が元でケガをして野球部を退部した経験をもつ私には共感することが多かった。そして、デカルト心身二元論(延長する実体としての「身体」と、思惟する実体としての「精神」とに分ける考え方)により成立した近代科学主義に基づく、現代の「スポーツ科学」信仰に未だに席巻され続けている体育・スポーツ指導の弊害について再考する必要性を強く感じた。別の言い方をすれば、私が地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務していた時に薄々気付いていた、体育・スポーツ指導における「発想の転換」の必要性を再認識したのである。

 

   当時の私は、同一条件下で勝敗・強弱・巧拙を数値的・外形的に開示することを求める体育・スポーツ指導の在り方に違和感があった。それは、運動の苦手な子の指導に戸惑うことが多くあり、身体能力を数値だけでなく、感覚的にとらえることを大切にした指導の在り方の必要性を感じていたからである。ちょうどその頃、「生涯体育・スポーツ」という用語をよく見聞きするようになり、学校体育においては指導者中心の「教える」指導スタイルから運動者中心の「学ぶ」支援スタイルへと転換するスローガンとして「楽しい体育」が提唱されつつあった。私は、この流れに即して、運動・スポーツの効果的特性(その運動・スポーツのもつ体力的効果)よりも機能的特性(その運動・スポーツのもつ欲求充足機能)を重視する体育指導の在り方を実践的に研究し、その成果に多少の手応えをもっていた。しかし、具体的な運動技術の指導においては、今までの指導の在り方を批判しつつも「スポーツ科学」の成果を拠り所としており、実践研究におけるその面での実績を十分上げることができなかった。

 

   今回、本書を読みながら、「日本古来の古武術身体操法」の知見は、体育・スポーツ指導の「発想の転換」を具体化する上で大変有効なものになるのではないかと思った。これからも、体育・スポーツ指導のよりよい在り方について地道に追究していこうと考えている。