若人のすなる遊びはさはにあれど ベースボールに如 (し)く者はあらじ 子規
夏草やベースボールの人遠し 子規
近代短詩形文学を確立した郷土の偉人・正岡子規は、幼名にかけて「野球(ノ・ボール)」という雅号を付けたり、日本で初めて野球に関係のある短歌や俳句を詠んだり、新聞「日本」紙上に本格的な野球論を掲載したりするなど、文学を通じて野球の普及に貢献してきた人でもある。彼のこれらの業績が評価され、没後百年にあたる平成14年(2002年)に新世紀特別表彰で野球殿堂入りを果たしたことは御承知のとおりである。また、子規のベースボールの歌九首は、東京ドームにある野球体育博物館に展示されている。
最近読んだ『子規、最後の八年』(関川夏央著)によると、子規は明治19年(1886年)頃、初めてベースボールを知り、自らもピッチャーやキャッチャーをするなどして夢中になって興じていたらしい。明治22年末頃には、子規が音頭をとり常磐会の寄宿生を糾合して「ボール会」を設立し、上野公園や隅田川河畔でベースボール大会を催したそうである。そして、明治29年7月、新聞「日本」に三回に分けて野球論の記事を書いた。その中で子規は、ベースボールというゲームの原理を次のように述べている。
「ベースボールには只一個の球あるのみ。而して球は常に防者の手にあり。此球こそ此遊戯の中心となる者にして、球の行く処、即ち遊戯の中心なり。球は常に動く、故に遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は、瞬も球を離るるを許さず。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者も亦、球に注目せざれば終に其要領を得ざるべし。」
ここに書かれたベースボール観は、俳句や短歌の「座」の要諦とも受け取れる。子規は俳句を、句会すなわち「座」がつくり出す花の妙と見た。皆が平等であって、ただ相互に刺激し合う。そのとき意外な境地が生まれ、演劇的になり、ゲームのようになる。これがベースボールの面白さに通じるのである。
俳句の場合は、球の代わりに「題」があり、座に介した者たちが詠む「句」がある。一座は、それをベースボールの球のように片時も目を離さず、ベースボールの試合のような緊張感を楽しむのである。もし子規が今年百周年を迎えた夏の甲子園大会の様子を観戦したら、きっとこの感を一層強めることであろう。高校野球は一度負けたら終わりという緊張感の中で、筋書きのないドラマが展開する場だから…。
白球の百年の夏また始まる 櫂(かい)
いつせいに団扇のとまる一打かな 櫂
永遠なれまだ少年の汗の顔 櫂
平成27年8月11日付朝日新聞『長谷川櫂さんが詠む「甲子園」』という記事を読むと、朝日俳諧選者の俳人・長谷川櫂氏は平成27年夏に開催された第96回全国高校野球選手権大会の開幕日に球児たちの夢舞台を訪れ、熱戦を観戦しながら上のような俳句を詠んだと書いている。そして、その中で野球と俳句との共通点について次のように語ったという。
「球が投じられるまでにピッチャーとバッターが相手の考えを探り合う『間』がある。俳句も間が大切な文学。似ていますね。」
野球に限らず、スポーツ全てに『間』は大切であり、試合の勝敗を決めるメンタル面の重要さを教えてくれる。私も現在の職場に勤務するようになって以来、テニスに親しむようになり、このことを痛感している。今度は俳句にもチャレンジしてみようかな…。