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痛みを解消するには「統合医療」という方法が有効!

  私は妻に「あなたは発熱や痛みに対する耐性力が乏しく、大袈裟だ。」とよく言われている。確かにちょっと熱が出たりすると、「しんどい、しんどい。」という言葉が口をつく。また、持病の腰痛が起こったりすると、「痛っ、痛っ。」と無意識に言ってしまう。自分でも「少し大袈裟なのかな。」と思う時もある。しかし、そんなことを私に言う妻にも、2年ほど前にこんなことがあった。

 

 勤務を終えて帰宅した私に、妻が「商店街にあるドラックストアに行きたいけど、足が少し痛いので車で連れて行って。」と言うので送迎した。その時、妻は左足を少し引きずるような様子だったが、私は自分のことを棚に上げて「ちょっと大袈裟じゃないの。」と思った。しかし、その夜、症状は急激に悪化。股関節横の左足外側に強い痛みが襲い、一人で歩くことができないどころか、私が介助して体重移動を少しするだけでも数10分かかり、妻は痛みのためにあぶら汗が流れ、一睡もできないほどになった。それでも、妻は私とは違い、じっと耐えているようだった。

 

 翌日私はどうしても手を離せない仕事があったので、それを手早くやり終えて午前中には早退し、妻を近くの整形外科病院に連れて行った。受付から1時間半ほど待ってからやっと受診。レントゲン撮影後、診断を受けた。痛みの原因は左腰骨の外側に石灰化によるトゲが出て、神経を圧迫しているらしい。治療法は患部へのシップと投薬。その結果、翌朝には痛みが軽減し、妻は何とか自力で歩けるようになった。「やはりあなたは痛みに対して耐性力が強かった!」

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 そこで、この出来事を契機にして、私は以前購入していた『痛みの力』(永田勝太郎著)を読んでみた。当時多くのことを学ぶことができたので、今回はその学びの内容の一部を私なりに簡単にまとめてみたい。

 

 人間の痛みには、身体の痛み・こころの痛み・環境からくる痛み・生きる意味(実存性)を失うことからくる痛みなどがあると言う。これらは取りも直さず人間の「生きざま」そのものが原因の痛みである。これらの要素が複雑に絡み、人間の痛みをわかりにくくする。そのもつれた糸を解きほぐし、できるだけシンプルな形にすると、痛みを解消しやすくなるらしい。

 

 また、問題の解決には、西洋医学のパソジェネシス(病因追究論=悪いところを見つけて、そこを除去することが主な治療になる病気中心の考え方)に加え、東洋医学や心身医学等のサルトジェネシス(健康創生論=どこか病んでいる臓器があっても、他に健康な臓器があるなら、そこをもっと活性化させて人間全体のバランスをとっていく全人的な考え方)の智慧も導入した「統合医療」という方法が有効らしい。

 

 次に、身体の痛みで苦しんでいると、こころも痛んでくる。その時、救ってくれるのは「痛い!」という叫びを「傍にいて!」と理解し、受け止めてくれる人である。つまり、医療の一番の基本は「doingよりもBeing」(何かするよりも絶えず傍にいること)なのである。私は、一晩中痛みに苦しんでいる妻に対して「何もしてやれない」という無力感ばかりに苛まれていたが、常に傍にいて支えたことは「大きな救いになっていたのだ」と思えて何となく嬉しくなった。

 

 最後に、機能的病態(漢方医学で言う「未病」)が器質的病態に進行すると、強い痛みが出てくる。そして、西洋医学は器質的病態にまで進行した病態が治療の対象になる。一方、伝統的な東洋医学はその人の身体が「今、ここ」でどういう状態かを医師が診断し、身体全体のバランスをとる補法(その人に合った補剤による方法や心理療法による方法)を中心とした治療を行う。これは、あまり強い痛みのない「未病」のうちの治療法として有効である。特に痛みを伴う病は「未病」のうちに治してしまうことが大切なのである。したがって、痛みを未然に防ぐ医療としても、「統合医療」という考え方や方法が有効だと言えそうである。