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『言葉で治療する』ということ~闘病生活を支えたB医師の<言葉>~

    私が二番目の整形外科病院を初めて受診し、問診や触診、X線及びMRI検査の画像解析等から「腰椎椎間板ヘルニア」だと診断された際に、B医師は「痛みがひどく、辛そうですね。私も同じ病気で苦しみました。この病気は治り、今の激痛から解放される日は必ず来ますからね。それまで根気強く治療しましょう。」という<言葉>を掛けてくれた。最初に受診した整形外科病院のA医師の心ない<言葉>によって傷ついていた私は、B医師のこの<言葉>によってこれからの闘病生活に対して前向きの気持ちをもつことができた。

 

    それにしてもA医師の〈言葉〉を思い出すと、今でも腹立たしい気持ちになる。左下肢の激痛に耐えかねて再診した際、「この痛みはいつ頃軽減するのでしょうか。」という私の問いに「このまま薬物療法を続けて、自然に軽減したらめでたし、めでたし、ラッキーです。」と軽いノリの返答。次に、私が「神経ブロック注射をすれば少しは楽になると聞いたのですが…。」と言い掛けると、「神経ブロック注射は痛いですよ~。」とまるで脅すような対応。さらに、私が「これからもこの激痛が続くのなら手術も考えたいのですが、どのタイミングで手術を決断した方がいいでしょうか。」と問うと、「痛みに耐えられずに、ギブアップした時ですね。」「では、どのような手術をするのでしょうか。」「それは、手術をすると決めた時に教えします。」「そうですか…。」このようなA医師との会話によって、患者としての私の心は傷ついた。

 

    A医師は、関東の有名私立大学医学部卒で海外での臨床留学も経験し、今までに各種プロスポーツ選手の診療にも携わってきた、県下でもスポーツ・人工関節手術の分野で大きな業績を上げているエリート整形外科医である。それに対してB医師は、地方の国立大学医学部卒で地方都市において急性期の外傷をメインに様々な慢性疾患の治療に携わってきた、地域医療に尽力している地道な整形外科医である。外見的にもA医師は都会的なスマートさを備えた壮年医師、それに対してB医師は田舎的な人間味のある中年医師という感じ。でも、どちらの医師が患者にとって「よい医師」と言えるだろうか。もちろん私にとってはB医師の方である。

 

    長野県の諏訪中央病院で地域医療に長年携わり、現在名誉院長でテレビのワイドショーのコメンテーターとしても著名な鎌田實氏が著した『言葉で治療する』を病床で読んだ。その第1章「医療者の言葉しだいで治療の日々が天国にも地獄にもなる」において、著者に送られてきた手紙やメールの内容を引用しながら、主治医が心ない<言葉>を吐いて、がんの患者やその家族の心に傷と不信を与えた実例を紹介している。

 

    その中で「なぜ、お医者様たちは、患者や家族の感情を考えずに、自分の思ったことをストレートに言ったり、感情をそのままぶつけたりするのでしょう。医師としてよりも、まず人としての基本的なコミュニケーション能力が欠けているように思えてなりません。」という投書内容を引用している。私も同感である。私たち患者にとっては、自分たちの心に寄り添ってくれる医師であってほしい。患者の「病気」しか見ない医師ではなく、「人間丸ごと」を見てくれる医師であってほしい。そして、医学は人間を相手にする科学なのだから、何よりも<言葉>を大切にする医師であってほしい。著者は、「納得」「信頼」「共感」「聞く力」「支える」等のキーワードを基にして、医療現場における新しいコミュニケーション術の視座から<言葉>の大切さを力説している。心ある医師は、医療技術だけでなく『言葉で治療する』ものなのである。

 

 私は元教師である。現職の時、私は一人一人の子どもに対して、その子のその時々の気持ちや置かれている立場等を踏まえた〈言葉〉を語り掛けていたつもりである。また、現在の職場でも、運動施設の利用者やスポーツ教室等の受講者という一人一人の人間と心が通い合うような〈言葉〉遣いに気を付けている。これからも<言葉>によるコミュニケーション能力を高める努力を怠らず、誰に対しても誠意ある<言葉>で語り掛けることができるようにしようと思う。