ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「総合型地域スポーツクラブ」による地域活性化はできているのか!?

   前回の記事で紹介した「総合型地域スポーツクラブ」(以下、「総合型クラブ」)には、「健康寿命の延伸」や「地域スポーツ環境の充実」、「地域コミュニティーの再生」、「地域経済の活性化」等という我が県の政策課題を解決する役割が秘められていると私は考えている。つまり、それらの政策課題を総括的に表現すると「地域活性化」である。果たして、「総合型クラブ」はこれらの課題解決の役割を果たすことができているのだろうか。

 

 この私の問題意識に関して大変参考になる本を市立の中央図書館で見つけた。それは、『地域活性化のポリティクス―スポーツによる地域構想の現実―』(小林勉著)という本である。著者は現在、中央大学総合政策学部教授。過去には長野県の「広域スポーツセンター」のコーディネーターとして数々の「総合型クラブ」事業に携わってきた方である。

 

    本書は、その経験を生かしてスポーツという切り口から地域の活性化を巡って行政と住民の間に働くポリティクスを解題したものである。特に「総合型クラブ」をキーワードにして、人々のスポーツ実践という視点から跡付けた論考集になっている。初版は平成25年11月1日に発行。今から5年ほど前なので、「総合型クラブ」が現在も直面している解決困難な諸課題の背景や原因等を分析していて、大変興味深い内容になっている。

 

 そこで、今回は本書の内容概要を紹介しながら、著者の主張を踏まえつつ所感をまとめてみたい。

 

    本書は、「第Ⅰ部 地域とスポーツの邂逅―政策で主題化される「スポーツによる地域活性化」―」(第1章~第3章)「第Ⅱ部 総合型地域スポーツクラブをめぐる諸アクターの問題設定―政府・自治体が看過する生活者のインスティテューショナル・メモリー―」(第4章~第6章)「第Ⅲ部 地域活性化のポリティクス―スポーツ実践をめぐりすれ違う人々の「問題」設定―」(第7章)の3部構成になっている。全体を通じて著者は、「総合型クラブによる地域活性化」を掲げる現在のスポーツ政策の方向性に問題があると主張している。

 

    そもそも人間関係の希薄化や地域教育力の低下に代表されるコミュニティーの崩壊といった地域社会の抱える問題に対して、「総合型クラブ」というスポーツ組織を全国各地に作ることで対応しようとした事の始まりは、平成12年9月に策定された「スポーツ振興基本計画」であった。しかし、それまで政府は、地域活性化の「切り札」的手段として「総合型クラブ」を考えていたというよりも、あくまで「成人の週1回以上のスポーツ実施率を50%に上げるために」、その必要不可欠な施策として位置付けていた。

 

    ところが、当時の新自由主義の立場を取る政府から推進された行政機能の縮小化や分権化、民営化、予算削減等という政策の趨勢に、住民の主体性涵養や自助努力といった「総合型クラブ」の考え方が合致し、この政策を一層推進することになった。したがって、「総合型クラブ」の創設・運営は、地域住民のニーズを優先して実施されたわけではなく、実際にはそれまで自治体が担ってきたサービスや経費、労働の多くの部分が地元住民に転嫁されたので、地域に様々な力が重層的にかかることになったのである。つまり、スタート時点から「総合型クラブ」の「理念」が地域スポーツの「実態」よりも優先されたために、様々な問題を抱えざるを得なかったのである。

 

    先進地区である八王子市を事例にして、同市の地域活性化をスポーツの領域から支えてきた諸アクターに焦点化し市民スポーツの世界を検討している第Ⅱ部の内容は、「理念」から乖離する「総合型クラブ」の「実態」を明らかにしており、十分な説得力をもっている。特に従来から市民スポーツの推進母体であった「体力つくり推進協議会」を「総合型クラブ」へと看板を付け替ることでは、目標であった「生涯スポーツ社会の実現」や「スポーツ実施率の向上」に直接結びつかないという詳細な経緯の記述は、現実の重みを実感させるものである。

 

    我が県において設置済みの41団体の「総合型クラブ」は、各地域の活性化にどの程度貢献しているのであろうか。我が県においても「総合型クラブ」の実態把握と分析及びその考察を行った上で、今後の課題と方策等を明らかにすることが強く求められている。