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「草木国土悉皆成仏」という思想とは?~梅原猛氏が唱えた「人類哲学」~

    今月12日の午後、私が青年期以来、敬愛し続けてきた哲学者の梅原猛氏が93歳で死去された。心よりご冥福をお祈りしたい。

 

    梅原氏は、立命館大教授や京都市立芸術大教授、同大学長を歴任され、国際日本文化研究センター設立に尽力し、初代所長を務めた。また、1997年から6年間、日本ペンクラブ会長でもあった。さらに、東日本大震災後は、政府の復興構想会議の特別顧問も務めた。若い頃には実存哲学の研究に埋没し、その後は古代史や文学、宗教等を横断して「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立て、近年は「スーパー歌舞伎」「スーパー能」を創作するなど幅広い活動を行い、1999年には文化勲章受章の栄に浴された。

 

 私は20代後半頃、ある先輩教師から梅原氏の著書である『学問のすすめ』を紹介されて読んだことをきっかけにして、『哲学する心』『精神の発見』『日常の思想』『文明への問い』『地獄の思想』『隠された十字架』『水底の歌』等の著書を読み漁った。そして、既成の概念にとらわれず独創的な視座から歴史的・文化的事象へアプローチする、その真理追究に向かう情熱的な姿勢に感銘して氏の大ファンになった。また、孤立を決して怖れず自己の信念を貫き通す、その確固たる生きざまに憧れて氏は「私の人生の師」と仰ぐ人物にもなった。

 

 そこで今回は、梅原氏の近年の著書『人類哲学序説』を取り上げて、西洋文化の行き詰まりを解決し、新しい人類の指針になるであろう、日本文化の原理「草木国土悉皆成仏」という思想のエッセンスを中心にして内容の概説をしつつ、私なりの所感を簡単にまとめてみたい。

 

 最初に、梅原氏は「草木国土悉皆成仏」という思想とはどのようなものなのかを問い、それは天台密教の思想(天台本覚思想)であり、具体的に表現すれば「人間や動物はもちろん、草木や国土も仏性を持ち成仏できるという思想」と言っている。また、この思想は日本だけでなく、同時に世界の原初的文化の狩猟採集・漁労採集文化の思想ではないかと推察する。そして、このような原初的文化の思想から、人類が存続する上で危機に瀕していると言われる現代社会の原理である西洋文化の思想を、どう見るかということを問う必要があると主張しているのである。

 

 二つ目に、氏は近代哲学の祖であるデカルトや、その批判者であるニーチェ及びハイデッカーなどの西洋哲学を省察した上で、概ね次のような結論を提示している。「西洋哲学は理性や意志、言葉を尊重して成り立っており、基本的に自然を支配する人間中心主義であるために、自然との共生・循環を考える哲学ではない。そのような哲学は、これからの人類哲学とはとうてい言えないのではないか。」と…。

 

 三つ目に、氏は近代西洋文明に対して、その親文明である「ヘブライズム」(ユダヤ文明)と「ヘレニズム」(ギリシャ文明)がどのような影響を与えたか考察し、その伝統がデカルト哲学をつくり出し、科学技術文明を生み出して人間の徹底的な自然支配が始まったと述べている。これは人類に大変豊かで便利な生活を与えた半面、近代合理性の限界を示している環境破壊と言う影を落としてしまったのである。そのような中、氏はもう一度、人間が太陽と水の恩恵を肌で感じ、太陽の神、水の神に対する尊敬を取り戻すことが必要ではないかと主張している。

 

 四つ目に、氏は縄文時代以来の「草木国土悉皆成仏」という思想と、弥生時代以降の太陽と水を崇拝する思想がどのように結びついているか考察し、共に生命の流転の考え方、循環の思想である「森の思想」が媒介となっていることを指摘している。そして、それらの思想が自利と利他の調和を説く思想であり、近代西洋的な人生観に替わって、人類の思想になる必要があると強調している。

 

 最後に、氏は今後、本格的に西洋文明、特に西洋哲学を研究し、より正確でより体系的に論じた著書を書かねばならない。そして、その書が「人類哲学」の本論になるはずであり、本書はその序説であると「あとがき」で述べている。果たして氏が本論を書き上げることができたのかどうか私は知らないが、私たち残された者が氏のこの遺志を何らかの形で引き継いでいかねばならないのではないだろうか。合掌…