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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

障がい者にとってスポーツをすることの意味とは?

    今月19日(土)の午後、本県の身体障がい者福祉センターにおいて、オリンピアン・パランピアンとスポーツを楽しむ「ジャパンスポーツフェスタin○○~スポーツでみんなの笑顔をつなごう~」(障がい者スポーツ理解促進フェスティバル)が開催され、私も一市民として参加した。

 

    そのイベントの中で「車いすスポーツ体験!チャレンジ!」と称した車いすバスケットボールの体験教室が開催された。内容としてはまず、車いすバスケのパランピアンの方も入ってのエキシビジョンゲームが行われた。車いすやバスケットボールの巧みな操作に参加者は大きな拍手を送っていた。次に、グループごとに車いすの試乗体験が行われた。まっすぐに進んでコーンを回って返ってくる動きや、オリンピアンやパランピアンの方々とのスピード競争、また鬼ごっこと、単に車いすに試乗するだけでなく、徐々に車いすの操作技術を高めるような動きを取り入れていた。

 

    私はCグループの一員として、人生で初めて車いすバスケの車いすに試乗してみた。最初は緊張したが、実際に車いすを操作してみると、予想に反して軽い力で行うことができた。ただし、単に前に進むだけの動きでも、スムーズな腕の動かし方が必要である。特にスピードを上げて進もうとしたり、ターンをしたりする際には、それなりの操作技術が必要である。私は多少ぎこちない動きを繰り返しながらも、それなりにすぐに慣れていった。また、鬼ごっこをした時は、ゴールラインまで何とか逃げ切れそうになったが、最後に車いすのスピートを上げることができずに、鬼にタッチされてしまった。スムーズな腕の動きはやはり難しい。後で腕の筋肉が痛くなっていたので、無駄な力が入り過ぎたのかもしれない。この点、車いすバスケットボールという障がい者スポーツの厳しさの一端を味わったような気がする。でも、私にとっては大変楽しい体験であった。

 

    ところで、私は以前にこのような障がい者スポーツに関する『ようこそ、障害(ママ)者スポーツ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(伊藤数子著)という本を読んだことがある。本書は2010年10月から、スポーツジャーナリスト二宮清純氏が主宰するウェブマガジンの「SPORTS COMMUNICATIONS」に掲載された「障害(ママ)者スポーツの現場から」に加筆し、まとめたものである。「第1章 障害(ママ)者スポーツ新時代を担う選手たち」「第2章 知らなかった!障害(ママ)者スポーツの世界」「第3章 障害(ママ)者スポーツのこれから」の三章構成で編集されており、私は特に第3章の内容に共鳴することが多かった。

 

 障がい者スポーツの魅力を配信しているウェブサイト「挑戦者たち」の編集長である著者の伊藤氏は、次のように言う。「超エリートスポーツも、スポーツを通しての社会参加も、とても大切なことです。だからこそ、こうした動きの中で、全国障害(ママ)者スポーツ大会(以下、全スポ)の開催意義を原点から見つめ、次世代にもつながるよう、変革すべきときが来ているのです。どういう大会にしていくのか、国や地方公共団体も、出る人も、見る人も、運営する人も、奥深いこの課題に、覚悟を決めて、真摯に向き合うべきときを迎えています。…」一般にスポーツは競技スポーツと生涯スポーツとに区別され、各々の意義や行ない方等が尊重されている。したがって、身体及び精神障がい者などが行う障がい者スポーツにおいてもこの両面性が含まれるが、全スポの性格にはこれらが混在している。そのために、様々な混乱が起きているらしい。全スポの在り方を問うことは今回の記事の目的ではないが、全ての国民は当事者の立場に立って考える必要があるのではないだろうか。来年に開催を控えた「東京オリンピックパラリンピック大会」を前にして、改めて問い直したい課題である。

 

    最後に、以上のような読書経験や車いす試乗体験等を通して、私なりの障がい者スポーツに対する考え方、特に障がい者がスポーツを行う意味について自分の考えが深まってきた。私は「障がい者にとってスポーツをすることの意味は、元々リハビリとして行ってきた意味を超えて、何よりもそのことによって自分が生きているということを堂々と表現し、生きがいを実感できることにある。」と考えているが、皆さんはどのように考えているのだろうか?