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医者の本音・ホンネ(2)~もうがまんができない!~

    前回の記事で、『医者の本音―患者の前で何を考えているのか―』(中山祐次郎著)という本を取り上げた。その矢先、何気に私の書斎(と言えるほどの広い部屋ではないが…)にある書棚を眺めていたら、同名異字の『医者のホンネ』(柴田二郎著)という本を見つけた。もう四半世紀ほど前に購入して読了したと思っていた本だ。ぺらぺらとページをめくって内容を目で追ってみたが、ほとんど忘却の彼方へ消え去っている。しかし、興味深い提言(放言?)や正論(極論?)が満載だったので、再読してみた。

 

 著者は1928年生まれなので、執筆当時は還暦を少し過ぎた年齢であったと思われる。経歴は山口医学専門学校卒業後、米国ユタ大学に学び、帰国してから山口大学医学部に奉職している。その数年後には、米国のシカゴ大学の研究員として渡米している。帰国後は再び山口大学医学部に帰り、助教授、教授、保健管理センター所長を歴任して1988年に退職。その後、山口市内で「中央クリニック柴田医院」(精神科)を開業して、その診療の傍らで執筆活動もしていたらしい。

 

 本書は、『新潮45』連載の「開業医にも言わせろ」の文章に加筆修正して編集したもので、医学界や医学関係の事柄について批判的に語る著者の歯に衣を着せぬ論調は気持ちがよい。因みに全10章の表題を次に並べてみる。「精神病に関するでたらめ」「この傲慢なる医者の態度」「薬はどれほど効果があるのか」「そもそも医学教育が役に立たない」「もともと教育についての考えが間違っている」「生きるか死ぬかは患者が決めるべきである」「人間を平等に扱えるのか」「『健康馬鹿』に告ぐ」「科学に名を借りた迷信」「医者は出しゃばり過ぎである」…この表題を見ただけで本書の内容の過激さが想像できるのではないだろうか。

 

 そこで今回は、本書を久し振りに読んでみて、改めて私の心に強く残った内容の概要を紹介しつつ、その所感を簡単にまとめてみたい。

 

 まず、私が一番心に残ったことは、著者が提言している「契約医療制度の導入」である。「契約医療制度」とは、「この病気はこういう性質のもので、このような検査をすれば確認できます、それでこういう治療をすればこういう経過を辿って、最後にはこうなりますよという契約書を医者と患者の間で取り交わして、間違っていたら治療費を返しますという制度」。現在、一般に流布されている「インフォームド・コンセント」という言葉は、「手術などに際して、医者があらかじめ病状や治療方針、今後の見通しなどを説明し、患者の同意を得ること」を意味していると思われるが、著者の提言している「契約医療制度」は患者の立場を極限にまで尊重した制度である。現実的にはこの制度を実施するのは難しいと思うが、著者はそれまでの医療の在り方が患者の意志を無視し、医者の主観を貫くため患者に我慢を強いるという方向が通念になっていると批判的に捉えていたからこその提言だと思う。「医療は患者のためにある」というこの考え方は、表題の一つにもある「生きるか死ぬかは患者が決めるべきである」という主張にも表れており、私は一患者として全面的に同意したい。

 

 次に、私の心に強く残ったことは、著者が強調している「健康と長寿を取り違えるな」ということ。WHOの健康に関する定義「健康とは病気や虚弱でないというだけでなく、肉体的、精神的、社会的に完全であるという状態」は、こうすれば長生きしますよという、いわゆる長寿法に関することに一切触れられてない。ところが、世間一般の健康に関する概念は、やはり“長寿即ち健康”という考え方に傾いている。だから、健康講座とか健康教室等は長寿法を教えるところになっている。言い換えれば、健康と長寿法が混同されているのである。このことについて、「禁煙運動」を例にして健康を長寿とすり替えていると示している論調は、まさに著者の真骨頂である。このような指摘を考慮してか、最近は「平均寿命」と「健康寿命」とを区別するようになったが、私たちもいつのまにか常識化したことについて常にそれが正しいかどうか問い直す習慣を付ける方がよいようである。

 

 最後に、全編を通じて著者が言及していることについて。それは、「がん」という病気やその治療の在り方等についての見解である。例えば、がん検診については、ノイローゼ患者を生むだけだと批判している。また、がん告知については、結局は死の宣告につながるものだから大反対と主張している。さらに、がん治療については、手術や放射線療法その他を施せば、手術前よりも患者が想像を絶する苦痛を背負い込んでしまい、必ずしも延命に繋がっていない実例が多いと警告している。このことに関しては、今の医者はともすると治らないものを前にして、無力であることを知りながら、苦し紛れにいろいろなことをやっているだけで、それで自分の安心を得ようとしているのだという、ある医師の卓見を紹介している。無駄な手術や放射線療法等によって壮絶な苦痛を味わうのはいやだなあと私は思う。がん治療に関して、もう少し踏み込んだ「医者の本当のホンネ」を聞いてみたいものだ!