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小学校体育科でアダプテットスポーツを学ぶ意義について考える

    前回の記事で、地元の国立大学教育学部附属小学校で開催された本年度の教育研究大会における体育科・公開授業について取り上げた。私は現職の時、当附属小学校に15年間勤務したことがあり、退職後も毎年度この教育研究大会に参加している。そして、その参観所感を記録しているので、今回は昨年度の記録を基に再構成した記事をアップしたい。

 

   私が昨年度参観した体育科の公開授業は、パラリンピック競技の一つである「ゴールボール」を、5年月組の児童の実態に合わせてルールなどを変えて教材化した単元「目かくしコロコロボール」(全5時間扱い)の第3時であった。ただし、本単元を道徳「世界最強の車いすテニスプレイヤー国枝慎吾」やくすのき学習「目かくしマラソンをしよう」、さらに体育科「5-月パラスポ大会をしよう」と関連させた教科等横断的な単元テーマ「共生・共創・共感」の下に展開している点が、附属小独自の研究的な教育実践であった。

 

 では、本時の授業展開の概要とその所感をまとめながら、小学校体育科でアダプテットスポーツを学ぶ意義について考えてみたい。

 

 まず準備運動として、指示された動作をグループで合わせる「心合わせゲーム」や男女ペアで目かくしをしている相手を声で呼び寄せる「運命の糸ゲーム」を行った。「運命の糸ゲーム」は一斉に7~8ペアが行うので、声が交錯して自分のペアの声を聴き分けながら出会うのは大変そうだった。しかし、出会った時の歓声は大きかった。

 

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 次に、「ガイドの人が声で指示して、空いている所をつくらないように守ろう」という本時のめあてを確認した後、5人編成のチームごとに自分たちの課題に合った練習を行った。どのチームも主にめあてを意識した守り方の練習を繰り返していた。他のチームが練習している間に、作戦ボードを使って各自の守りの位置について確認をしたり、ガイドになる人の声の出し方やその内容等について相談したりしているチームもあった。どの子も、「目かくしコロコロボール」のゲームに対して意欲的に取り組もうとする様子が伺えた。

 

  さて、いよいよ2コートに分かれてチーム対抗のゲームになった。攻撃側は目かくしした一人のシューターが相手のゴールラインを目がけて鈴が鳴る手作りボールを投げ、守備側は3人が目かくしをしてフィールド内に入り残りの2人が目かくしをしないでガイドとして声を出して指示しながら守る。それを前後半3分間の中で交互に行い、得点の多い方の勝ちというもの。攻撃側がゴールラインをボールが通過した時、守備側がボールをキャッチできた時、それぞれ得点になるので攻守のバランスが取れているチームが勝つことが多かった。私が観戦したゲーム中の子どもたちの表情は、守備よりも攻撃によって得点した時の方が喜びの笑顔が多かったように思う。また、ガイドの声が小さかったり、適切な声掛けになっていなかったりして、全体として本時のめあてを実現しようとする意識がやや低かったように思った。しかし、ゲームの様相はどちらのコートも接戦になっていて、大変盛り上がっていた。

 

 最後に本時の振り返りとして、一人一人が体育ノートに感想を書いた後にそれを発表し合った。その中には「ガイドの人の声で得点を防ぐことができてよかった。」とか「ゲームを通して、チームの仲間の信頼関係が深まった。」とかの内容があり、本教材のもつ意味や価値を子どもたちなりに気付いているようだった。

 

 私は授業を参観しながら、本教材のようなアダプテットスポーツを小学校で学ぶ意義には次のようなことがあると考えた。一つ目は、<障がい者理解を深めることができるという福祉的意義>。二つ目は、<人と人とのつながりを深めることができるという人間関係的意義>。三つ目は、<スポーツを「する・見る・支える・知る」という視点から創り上げるという文化的意義>。ただし、これから体育科としての教材的価値を高めるためには、適度な運動量の確保と身に付けさせたい運動技能の確定、そして思考・判断の内容の吟味等、様々な面で検討が必要だと感じた。