前回と前々回の記事で、小学校体育科の公開授業の展開概要や参観所感について書いた。その際に、アダプテットスポーツの特性や教育的意義について述べ、その考え方は障がいのある子や運動が苦手な子に対する指導・支援の在り方を再考する上で有効であることを確認した。
そこで今回は、『「体育がきらい!」って言ってもいいよ』(佐原龍誌著)を取り上げて、障がいのある子や運動の苦手な子に対する指導法について具体的に考えてみたい。
本書は今から20数年ほど前に刊行された本であるが、内容は今でも通用するものである。著者の佐原氏は「体育科教育において運動技術の体得は重要だが、それは運動のもつ全ての価値ではないし、ひとつの側面にすぎない。もっと運動のもつ意味や意義、あるいは歴史性や社会性といった運動文化にも目を向けていく必要がある。また、総体としての認識能力-〈わかる〉ということも重要。できていく過程でわかる。わかることで、さらなる技術獲得が達成される。できないことを知り、わかるという道筋の中で、子どもたちはさらなる文化の継承と発展の担い手になってくる。」と述べ、特に運動の苦手な子に対する指導法の工夫の必要性を力説している。つまり、運動やスポーツを教材とする体育科教育においては、全ての子どもに〈できること〉と〈わかること〉の往還的学びを保障することが求められるのである。
ところで、本書の中に「私の実践ノート」という章がある。その中に著者が学生の頃にアルバイトとしてある厚生施設のプールの指導員をしていた時の「水泳教室」の実践記録をまとめている。この内容は、著者が上述の考え方に至った原体験とも言うべき出来事である。その内容の概要を簡単に紹介してみよう。
著者たちが始めた「水泳到達度チェックリスト」を活用した「水泳教室」が3年目を迎えた頃、父親に連れられて来た重度の身体障がいをもつ4歳のカズ君(通称)と彼は出会う。初めカズ君は、プールのそばまで抱いて行くだけで火のついたように泣き叫んだ。それに対して彼は泣き叫ぶカズ君をただ無理矢理、水に入れてしまうという無茶な方法でしか対応できず、この年はカズ君の笑顔を一度も見ることができなかった。この苦い経験を反省し、彼は水泳の技術書や指導書を読み漁ったが、残念ながら当時は半身不随の人たちを対象にした水泳の書物は皆無であった。ただ、当時初心者指導の最も有効な泳法である「ドル平泳法」の考え方や理論に触れ、これまでの自分の水泳指導を根本的に考え直した。その結果、彼は「泳げるようになるとは、人間が陸上で生きていくことがごとく水上でも自然のままに呼吸ができるようになるという行為を表している。それゆえ泳ぐという行為の中でなるべく自然な呼吸法ができるような指導を考えるべきだ。」と考えるようになった。それからカズ君との水泳教室は、わずかながら進展のきざしを見せ始めた。そして、呼吸法「イチ、二、サン、パッ」の練習を境にして、カズ君は水泳に対して前向きに取り組むようになり、小学校へ上がる前の6歳の年には25mプールに入ることができた。カズ君の表情からは水に対する恐怖感はすっかり消え、安心して練習に取り組む中で、何と浮くことができたのだ!その後、カズ君の身体に合うような浮き輪やヘルパーの着け方を工夫して指導すると、さらに呼吸が楽になり、手の自由度が増してきた。その結果、専用ヘルパーを着けて25mでも50mでも泳ぐようになった!そして、このヘルパーも外して自力で完全に泳ぐようになったのは、小学生3年生、9歳になっていた。まるで「グライダー滑空泳法」のようなたくましく、力強い泳ぎ。カズ君はこの年、40分という長い時間をかけて100mを泳ぎ切ったのである!!このことは周りの多くの人々にも深い感動を与えた…。著者はこの「水泳教室」を境にして、このような実践を細々と続けながら、体育・スポーツ指導を生涯の仕事にすることにしたそうである。
以上のような事例のように、障がいのある子や運動の苦手な子の指導法を常に工夫していくことができる指導者こそが、「本物の体育教師」になることができると私は考えている。各校種で保健体育科を担当する教師は、常に「本物の体育教師」になることを目指して、日々実践的な研修に取り組んでほしいと念願している。