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西部邁氏の「自裁死=自殺」の真意とは…~西部邁著『死生論』から探る~

      前回の記事において、2月のNHK・Eテレ「100分で名著」で取り上げられているオルテガ著『大衆の反逆』のテキストの中で講師の中島岳志氏が解説している内容をまとめながら、西部邁氏の主張について言及した。その記事を執筆している時に、昨年1月に自殺した同氏に関する記事を執筆していたことを思い出したので、今回はその文章を再構成して掲載したい。

 

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 昨年1月21日、「保守派の評論家として知られる西部邁氏が、東京都大田区多摩川で溺死しました。河川敷には遺書らしきものが見つかり、入水自殺をしたようです。」と夜のニュースで聞いて、しばらく心の動揺が治まらなかった。というのは、私は若い頃から西部氏の著書群を愛読しており、私の思想・信条の形成に少なからず影響を与えた人であったからである。

 

 西部氏は、東大在学中に自治委員長として60年安保闘争の指導的役割を果たし、卒業後は横浜国立大学助教授等を経て、東京大学教授(専門は社会経済学)になった。しかし、人類学者の中沢新一氏を助教授として東大教養学部に招き入れる人事が教授会で拒否されたことに抗議して1988年に辞任。その後、テレビの討論番組等で「大衆社会論」を軸に保守の論客として活躍しつつ、論壇誌「発言者」と後続の「表現者」を主宰。一昨年には顧問を引退していた。近年、周りの知人や家族に「自裁死=自殺」を選択する可能性を示唆していたらしい。曖昧なことが大嫌いだった西部氏らしい、ある種の絶望感に陥った上での覚悟の自殺だったのか…。

 

 私はこの西部氏の訃報に接し、その「自裁死=自殺」の真意を探るべく既に自決を予告していた『死生論』(1996年刊)を再読してみた。本書の内容は、「死の意識」「死の選択」「死の意味」「死の誘惑」の4章で構成されている。その中の第1章「死の意識」の中で氏は次のように述べている。「自分の死を意識しつつ死ぬこと、それが人間に本来の死に方であり、その最も簡便な形が『自殺』ということなのである。このことは、論理の完璧主義を期していうのではない。『人間』として死ぬか『動物』として死ぬかというごく簡単な選択において、人間(意識体)は前者をとらずにおれないのだということをはっきりさせたいだけのことだ。」

 

    また、第2章「死の選択」の中では「自分が自分でありつづけている(と思い込んでいる)うちに死ぬこと、現代にあってはそれを可能にしてくれる最も簡便な方法は『自殺』である。」とも述べている。つまり、著者である西部氏は、既に20年ほど前から自分の死に方を「自裁死=自殺」と決めていた節がある。その理由は、自分が単なる生命体でしかなくなった後まで自分を生き永らせることが耐えられないからである。したがって、今回の自殺は意識のある間に自分の生命体をおしまいにするという人間的な選択をしたのであろう。

 

   そう言えば、一昨年12月に刊行された最期の書『保守の真髄~老酔狂で語る文明の紊乱(びんらん)~』においても「病院死を選びたくないと強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり、弄り回されたくないからだ。」と述べていた。その上に、5年前に妻を亡くしたこと、その後咽頭がんを手術で切除したこと、皮膚病の一つである掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)や頸椎磨滅・腱鞘炎の合併による神経痛等によって手足に強い痛みを感じていたことなど、老齢期(享年78歳)になり心身共に不自由な状況下にあったことも「自裁死=自殺」を選択する意志を強めていく誘因になったのではないかと思う。

 

 最後に、『死生論』の中で私の心に最も響いた文について記したい。それは「おわりに」の中にある「生と死が表裏一体であることに気づけば、よくできた会話は生を語ることによって死を照らしだし、死を想うことによって生を輝かせるような種類のものとなる。」という文である。ともすると近代化の洗礼を受けた私たち日本人は死の恐怖から逃れるために、「死をめぐる会話」を避けてきたと思う。しかし、本当は死の恐怖を和らげるためにこそ、特に世代間において「死をめぐる会話」の場や方法を創造するべきなのである。私たちは、もっと日常的に死について語り合うことが必要なのではないだろうか。