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孫が「乗り物」に興味・関心を示す理由と遺伝的な気質について

      気が付くと、もう3月に入った。日差しに春めいた暖かさを感じ、何だか心弾むような気分になる。日を重ねるごとに、生命感溢れる季節が近づいてくる。昔から日本人の多くは、この四季の移ろいに対して情緒的に感応しつつ、日々の暮らしを慎ましく営んできたのだ。こんなことを想う時、私は日本人に生まれて来てよかったと素直に思う。その上に、今の私には長年連れ添ってきた妻がおり、二人とも結婚して自立した娘たちがいて、また長女夫婦の間に生まれた長男、私にとっては初孫がいる。平凡かもしれないが、このような家庭環境の中で取りあえず食うに困らない程度の生活ができていることが「本当に幸せだ!」としみじみと噛みしめる。

 

 ところで、前回の記事でその初孫Hの成長する姿に触れた。ただし、それは孫がまだ1才3か月頃のことだったので、今回は2才になったばかりの今のHの成長する姿を「じじバカ」そのものの気分で綴ってみたい。他人にとってはどうでもよいことなのは分かっているつもりだが、現在の私の実存的関心のかなりの部分を占めている事柄なので、ご容赦願いたい。

 

 2足歩行ができるようになるのがやや遅かったHも、今は元気に我が家のリビングやダイニングルームなどを所狭しと元気に歩き回っている。そして、置いているおもちゃを使って楽しそうに遊んでいる。最近はリビングの絨毯の上に設置したプラレールに夢中で、機関車トーマスの仲間たちの汽車や新幹線の列車を走らせる遊びに興じることが多い。まだハイハイをしていた時期は、救急車やパトカー、郵便車などのおもちゃを手でもって床に押さえつけて走らせたり、20年以上も前に私の娘たちが使っていた汽車のプラレールで遊んだりしていた。その後、成長に伴っておもちゃの車の種類も増え、プラレールも最新式のものになったので、次第にHの興味・関心の対象が移り変わっているという訳である。

 

 一般に男の子は「乗り物」に興味・関心をもつ傾向があると思うが、Hが特に自動車に興味・関心を示すにはそれなりの理由がある。それは、私の自宅近くに民営バスの駐車場があり、乳児期から駐車場に出入りしているバスや駐車しているバスを見せていたからだと思う。何かの原因で泣き始めても、バスを見せると気分転換してすぐに泣き止む。Hの世話をすることが多い私たちじじばばは、ついついそのバスの威力に頼ることがあったのである。その際に単に見せるだけではなく、会社によって違うバスの外装の色や模様などを簡単に説明しながら指し示すようになる。すると、Hは1才頃からだったと思うが、徐々にバスの種類を識別するような反応を示し始めた。特に私が驚いたのは、阪急バスが一時的に停車する時があり、Hが他のことに気が向いている間に最初に停まっていた場所から移動したことがあった。その際に阪急バスが停車していた場所を指さしながら「ウーッ、ウーッ。」と大声で叫んで、「さっきまでいたのに、いつの間にかいなくなった!」という主旨を私に伝えたことがあった。私は「まだ発語もままならない幼な子でも、ちゃんとバスを識別したり時間的な推移を把握したりすることができるのだなあ。」と一種の感動を覚えたのである。

 

 また、私がHを抱っこして近所を散歩する際には、やはり道路を走る自動車を見つけると、救急車や郵便車はもちろん、トラック、タクシー、バイクなどをその名称で呼んでいた。特に外装に特徴のある宅配便のトラックについては固有名詞で読んでいたので、散歩途中でその会社の看板を見つけると大きな声を発して指さしする。また、近所の県立病院には時々「ドクターヘリ」が飛んでくることがあり、Hはじじばばとともにその離発着や飛行の様子を間近で見ることができる。そのために、ヘリコプターが飛んでいるTVのCMを見た時、Hはやはり大きな声を発して興奮して指さしする。さらに、Hの父親の実家は飛行場の近くにあるので、たまに飛行機を間近で見ることができる。

 

    このようにHは様々な「乗り物」を見る機会が多い。その上に周りの養育者もその時々にさらに興味・関心をもたせるような言葉掛けや働き掛けをする。最近では、私たちじじばばは2才の誕生日の記念にと、自宅近くを走る郊外電車に4駅の区間だったがHを乗せる体験をさせた。しかも、運転手さんや車掌さんの働く姿を直接見ることができる場所を確保して乗車させた。運転手さんがハンドル操作をしたり、車掌さんが発車の笛を鳴らしたりする姿を、Hは興味深く観察していた。Hが興味・関心のあることを体験させて喜ばせてやりたいという「じじばば」ならではの思いである。

 

    まだまだ描き切れない出来事があるが、今回はこの辺にして、最後にHの遊ぶ姿に私からの遺伝的な気質を感じたことを記して終わりたい。それは、先にも少し触れたがHは外界の変化を敏感にとらえる能力が高いように思うこと。私も自分を取り巻く環境の変化、例えばリビングやダイニングに置いている物が少し移動したり、無くなったりしたことが直観的にすぐ分かる。また、Hは時々、機関車トーマスの仲間たちやおもちゃの車などをテーブルの上にきちんと横並びさせて置くことに執着することがあり、その几帳面な性格のこと。私も自分の書斎や机の上、そして抽斗の中を几帳面に片付けないと落ち着かないところがある。これらの気質は誰にでもあることで特にHにあるとは言えないかもしれないが、私は自分から引き継がれた遺伝的な気質ではないかと密かに思っている。それは血が繋がっているという証しでもあるので、私はそのことが嬉しいのである。そう言えば、もう随分前に大泉逸郎という歌手が歌って流行した『孫』という曲の歌詞に、「…じいちゃんあんたにそっくりだよと、人に言われりゃ嬉しくなって、下がる目じりが下がる目じりがえびす顔」という件があるが、私も人からそう言ってもらいたい下心があるのかもしれない。