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「子育て問題」を解決する新たなコミュニティの動きについて

    ここ最近の記事において、初孫Hの成長に伴う私の孫育て経験談を「じじバカ」丸出しで思いのままに綴ってきた。このような記事が書けるのは、孫の両親、つまり長女夫婦が共稼ぎなので、私たちじじババが孫の世話をする機会が多いという事情が背景にある。孫にとってはじじババが世話をする環境にあることが特に恵まれているとは言えないかもしれないが、世間一般では核家族の世帯における子育て環境は決して恵まれているとは言えない。いわゆる「孤立化した子育て」という現実に、今の若い親たちは直面しているのである。その結果の一断面が、昨今マスコミを賑わせている親による児童虐待事件なのではないだろうか。

 

 そこで今回は、この「孤立化した子育て」から脱却するために、言い換えれば「子育て問題」を解決するために立ち上がっている新たなコミュ二ティの動きについて、以前の記事でも紹介した落合陽一氏が最近上梓した『日本進化論』の中で述べている関連内容の要旨をまとめながら、それに対する私なりの所感を加えてみたい。

 

 本書は、2018年7月に衆議院議員小泉進次郎氏と落合陽一氏の共同企画で開催された「平成最後の夏期講習(社会科編)-人生100年時代の社会保障とPoliTeck(ポリテック)」というニコニコ動画の生放送番組と、その現場で展開された議論のまとめがきっかけになっている。番組での課題設定や参加者の議論を下敷きに、落合氏が改めて考えたこと、平成の次の時代を生きる人たちに伝えたいと思ったことが綴られている。また、本書は序章「テクノロジーと日本の課題を探る-『現在』から『次の時代』のために」、第1章「『働く』ことへの価値観を変えよう-AI・高齢化時代の『仕事』を考える」、第2章「超高齢社会をテクノロジーで解決する-『免許証を取り上げなくても済む』社会のために」、第3章「孤立化した子育てから脱却するために-『新しい信頼関係』に基づくコミュニティで子育て問題を解決する」、第4章「今の教育は、生きていくために大事なことを教えているのか?-『詰め込み型教育』と『多様性』を共存させる」、第5章「本当に、日本の財源は足りないのか-高齢化でもGDPが増えているデンマークに学べ」、第6章「人生100年時代の『スポーツ』の役割とは?-『健康』のための運動から『Well-Being』へ」というように、多様な視点からの構成になっている。どの章の内容も私にとって興味・関心の対象ではあるが、今回取り上げるのは、第3章の内容である。

 

 著者は、まず「子育て問題」の解決策として2つの方向性を示している。1つ目は、手が空いている人材に子どもの面倒をみてもらえる仕組みをつくること。2つ目は、隣人たちと共同で子育てに携われる地域コミュニティを再構築すること。具体策については、それぞれ次のような内容を紹介したり提案したりしている。

 

 1つ目の方法として、近年、ベビーシッターのマッチングサービス「キッズライン」のように、お金を払って子育てを手軽にサポートしてもらう仕組みを紹介している。条件の合致するベビーシッターに、1時間単位で子どもの世話をお願いできるらしい。インターネットで見知らぬ人に育児を依頼するのは抵抗があるという人もいるかもしれない。しかし、最近はWeb上で「信頼」が可視化されることによって、安心して子育てを依頼できるネットワークが生まれているらしい。

 

 2つ目の方法として、人口に占める割合の多い高齢者が、子育て世代である勤労者を支えるような仕組みづくりを提案している。これからの時代、「子育ては親の仕事」ではなく、地域社会全体で子育てができる、デジタルベースの新しい“町内会”的コミュニケーションをつくっていくことが求められ、実際にそうしたコミュニティは出現しているらしい。オンラインサロン「箕輪編集室」はその一例であり、下は高校生から上は60歳まで、困った時はFacebookに投稿して助け合っているそうである。こうしたテクノロジーに支えられた相互扶助的なコミュニティを整備していくのが、今後の子育て問題解決のカギとなるであろうと著者は結んでいる。

 

 私は、著者が示した「子育て問題」の解決策の2つの方向性について基本的には賛同する。だが、それぞれの具体策については多少の不安や心配を感じる。

 

    まず、1つ目の方法について「信頼」の問題はやはり残るのではないだろうか。著者は、SNS上での個人のレピュテーション(評判)が可視化されるようになったことで、ネット上での行動にも制約が生まれ、信頼関係とも呼べるようなものが、昔のローカルコミュニティのように醸成されつつあると言っているが、果たしてそれはどこまでの「信頼度」なのであろうか。一度でもいい加減なベビーシッターに預けてしまったら、我が子の身の危険を保障することができないのである。私は現状をほとんど知らないので決定的なことは言えないが、まだそこまでの「信頼度」は担保されていないのではないかと不安である。

 

    次に、2つ目の方法については高齢者のテクノロジーに対する抵抗感を払拭できるのかという点が心配である。テクノロジーに支えられた相互扶助的なコミュニティ形成には、特に高齢者のデジタル機器への適応能力の向上が不可欠だと考えるが、それはまだまだ十分とは言えないのではないか。この問題に対する適切な解決策こそが今、強く求められているのではないだろうか

 

 ともかくも、「孤立化した子育て」を背景にした親による児童虐待事件が社会問題化している現状を鑑みた時、「子育て問題」を解決するために、このような最新のテクノロジーを有効に活用した新たなコミュニティの動きが起こっていることは喜ばしいことである。「子育て」を社会全体で担う時代が再びやってきている!