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小学校をもっともっと幸せな環境にする道筋とは…(1)~苫野一徳著『「学校』をつくり直す』から学ぶ~

 以前に私が高い教育的な関心をもって読んでいた『どのような教育が「よい」教育なのか』と『教育の力』の著者・苫野一徳氏が、最近『「学校』をつくり直す』という新書を発刊した。本書は、システムとしての学校教育の在り方を問い直し、「小学校を、本気で、もっともっと幸せな環境にする」道筋を明らかにする目的で書かれた本である。長年、小学校に勤務してきた私としては大変気になる本だったので、早速購入して読んでみた。私が常々、今までの学校教育のシステム上の課題だと思っていたことの解決策について具体的かつ要領よくまとめている上に、その根拠になる新たな教育学的な知見や先進的な取組事例等も紹介されており、私にとって学ぶべき点が大変多かった。

 

 そこで今回は、本書から学んだことのエッセンスをまとめながら、著者の考えている小学校をもっともっと幸せな環境にする道筋の前半を私なりの所感も交えながら明らかにしていきたい。

 

 まず、著者は今、学校が抱えている問題の本質について、次のような指摘をしている。

 

 公教育が始まって約150年、学校教育は「みんなで同じことを、同じペースで、同質性の高い学級の中で、教科ごとの出来合いの答えを、子どもたちに一斉に勉強させる」というシステムで運営されてきた。しかし、そのシステムが今、限界を迎えている。例えば、「落ちこぼれ」・「吹きこぼれ」、「小1プロブレム」、「体罰」、「いじめ」などの問題は、主に今までの学校教育のシステムが起因になっている。

 

 次に、そのシステムを転換するために求められる公教育の本質と、それを踏まえた上で問うべき実践的な課題を、次のように提起している。

 

 公教育の本質は、全ての子どもに「自由の相互承認」の感度を育むことを土台に、全ての子どもが「自由」に生きられるための“力”を育むことである。そして、私たちが問うべきは、学校はどうすれば「自由」と「相互承認」を実質化できるかという問いであり、これをより具体化すると、① 現代において「自由」に生きるための“力”は何か? ② その“力”はどうすれば育めるのか? ③ 「自由の相互承認」の感度はどうすれば育めるのか?の三つの問いになる。

 

 上述の公教育の本質については、前回の道徳教育に関連した記事においても触れた内容であり、これからの公教育を支える根本的な学力観とも言える。また、三つの実践的課題については、教育実践を進めるに当たって当然問われるべきものであり、これからの学校教育の具体的方略に当たるものなのである。

 

 では、特にこの三つの実践的課題の中の①と②への対応策について著者が提案している内容を、私なりに思い切って要約してみよう。

 

 一つ目の問いについては、一言で言えば「探究する力」である。次に、二つ目の問いについては、「探究する力」を育むために学校教育においては今までの学びから「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」への転換が必要になる。特に、カリキュラムの中核を「プロジェクト」あるいは「探究」へと転換すること。言い換えれば、出来合いの問いと答えばかり学ぶ学びではなく、「自分(たち)なりの問いを立て、自分(たち)なりの仕方で、自分(たち)なりの答えにたどり着く」という「探究型の学び」への転換であり、それを実現するためには、学校教育における学びを「プロジェクト化」していく必要がある。具体的には、「探究」を中核にした時間を小学校でも全体の時間数の4~6割くらいの時間は確保してほしい。

 

 かなり大胆な提案である。現場の教師からは当然、様々な問題点が指摘されて実施の不可能性を主張するであろう。著者はその様々な問題点を想定して、解決していく基本的な考え方や方策等について丁寧に説明しており、私としてはかなり納得する部分が多かった。特に現行の学習指導要領における様々な教科を横断した「合科的・関連的指導」の趣旨や、新学習指導要領の目玉の一つである「カリキュラム・マネジメント」の趣旨を生かせば、「探究」を中核にした時間を4割くらい確保することが可能であることを論証している部分はとても説得力がある。今後、各学校で前向きに取り組んでくれることを私は心より期待したい。

 

 なお、次回は今回に引き続き、著者が考えている小学校をもっともっと幸せな環境にする道筋の後半を、「ゆるやかな協同性」に支えられた「個」の学びの視点からまとめてみたいと考えている。