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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

「ミドルリーダーとしての役割と心構え」というテーマで講話しました!

   今月17日(金)の午前中の約1時間、40歳に達した中堅教員を対象にして「ミドルリーダーとしての役割と心構え」というテーマで講話をした。私なりに長い教職経験の中で培ってきた教育観や学習観、そして今まで折に触れて展開してきた教師論や学校論等を踏まえて自由に話をさせていただいたが、終わってみると言い足りないという思いが湧きあがってきた。しかし、久し振りに教育に関する話をさせていただき、私自身は充実した時間を過ごすことができた。そこで、今回はその講話内容の概要と簡単な所感をまとめてみたい。

 

 まず講話の糸口として、私が現在の仕事をする上で抱えている「発達課題」について触れながら、個々の先生方の抱えている「発達課題」を意識化してもらった。一般に「発達課題」とは、人が年齢に応じて達成すべき課題のことを言うが、ここで私が使った意味は「人が個々のライフステージにおいて現在抱えている課題」である。人はそれぞれ人生を歩む道筋は同じではない。それは教師という職業を選んだ人間も同様である。今、教師として抱えている「発達課題」はそれぞれ違うが、それを達成しなければ次のライフステージに上がれないということを意識してほしかったのである。私はこれを「実存(未来を自らが選択していく主体性)的存在としての教師」の視座ととらえている。

 

 次に、自分を取り巻く教職員構成を踏まえた「役割」について意識してもらった。学校という職場を構成している教職員は、その職務内容によって管理職や教諭、養護教諭栄養教諭がおり、また常勤及び非常勤講師という立場の方もいる。さらに、事務職員や校務員、生活支援員等という立場の方もいるのである。これらの多くの教職員によって学校という組織は機能しているのであり、そのことをしっかりと踏まえて自分の職責を果たすことが基本である。また、年齢別の教職員構成も踏まえておく必要がある。特に現在は大量退職時代を迎えており、それに比例して新規採用者数も以前に比べると非常に多くなっている。今までは年齢構成的には若年層に位置していた中堅教員は、今やあっという間にミドルリーダーにならなければならない時代情況を迎えたのである。当然、その職責は今まで以上に重くなり、多くの若年教員の見本になりミドルリーダーとしての「役割」が期待されるのである。私はこれを「関係(社会)的存在としての教師」の視座ととらえている。

 

 このような長い前置きの後、いよいよ本日の講話の中心内容に入っていった。

 

 一つ目は、「人間力」の視点から。古来より人生における発達段階や学びの理想な姿について示されてきた。当日は、中国の思想家・孔子の言行録『論語』の中でも有名な「子日く、十有五にして学を志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。」や、幕末の儒学者佐藤一斎著『言志晩録60条』の「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。」を紹介しつつ、課題意識に即した対話や読書を日常化し、自身をアップデートし続けることの大切さを述べた。その際、ドイツの近代哲学者・ニーチェ著『曙光』より「脱皮できない蛇は滅ぶ」という箴言も紹介した。

 

 二つ目は、「実践的指導力」の視点から。私が初めて小学1年生を担任した時のエピソードを基に、子どもを知ることは自分を知ることにつながることについて「子ども体験」という概念を中核にして説明した。また、私が地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務していた時に研究していた体育学習の進め方を例に、学習は発達心理学者のピアジェの基本理論である「今の力でできる活動を行う段階」(同化)から「活動の飽和状態→転換」を経て「新しい力を使って活動を行う段階」(調節)へという発達の大原則を踏まえることが大切であることを強調した。この大原則は、一つ目で触れた内容とも重複するものであり、子どもだけでなく私たち大人になっても同様であることも付け加えた。

 

 三つ目は、「組織力」の視点から。学校という組織は、従来から職階制という構造から捉えると「なべぶた型」「文鎮型」と言われてきたが、教職員間の関係から捉えると「ウェブ(クモの巣)型」であり、ミドルリーダーの在り方を工夫すれば学校の組織をより活性化することができると強調した。実態を分析的・構造的に把握し、エビデンスをもって今学校が抱える課題を明らかにし、その解決に向けた具体的なビジョンを示すような具体性のある提案をすれば、管理職も納得させることができる。また、当然同僚の教職員の協力も得られることを示唆的に話した。

 

 四つ目は、「信頼構築力」の視点から。現在の学校を取り巻く環境について鑑みれば、学校内、学校間、学校と家庭、地域社会等との連携を深め、相互の信頼感を高める必要があることを話した。「チームとしての学校」が叫ばれる中、お互いが同僚性で結ばれた教師集団づくりは喫緊の課題である。また、義務教育学校の設置も認められる現状を踏まえた「小中連携を図る学校」、子育ての困難な情況を踏まえた「子育て共同体としての学校」、地域社会と相互作用し、共存する学校というイメージが求められる「コミュニティ・スクール」などの在り方についても、講話時間が残り少なくなったので少しではあったが触れておいた。

 

 終わりに、新学習指導要領の全面実施への対応や教員の働き方改革への対応などについて、上述した内容を踏まえて構造的な理解を図れば、一元的な課題解決の道筋が見えてくるのではないかという提案的な結びをして講話を閉じた。講話の途中で、孫育ての実例の中で一時期流行した「孫」という演歌の一節を歌ったり、現職校長の在り方についての辛口コメントをつぶやいたりしたためか、参加されていた中堅教員の先生方やお世話をされていた指導主事の先生方はあっけにとられていたようだったが、全般的には皆さん表情豊かに聴いてくださっていた。私としては、形式ばった中身の乏しい講話にだけはならないように心掛けたつもりだったが、少し羽目を外してしまったかもしれない。反省しきりのここ数日だが、まあ、この歳になっても私の性格は変わらないので仕方ないかなあ…。