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「100分de名著」における『平家物語』から組織論の真髄を学ぶ!~能楽師・宮田登氏の解説内容を基に~

   気が付けば、もう6月。あっという間に5月の1か月が過ぎ去った。ゴールデンウィーク後は、県や市の教育関係団体の定期総会への参加、中堅教員を対象とした研修講話、看護科の学生を対象とした特別講義、各種祝賀会への参加、市内の総合型地域スポーツクラブに係わる会合への参加等、本当に慌ただしい日々の連続だった。そのために、楽しみにしていた5月のEテレ「100分de名著」の『平家物語』4回分の放映を当日視聴することができなかったので、暇を見つけては購入したテキストを読んだり、休日等を活用しては毎回録画したものを視聴したりした。

 

 そこで今回は、『平家物語』にまつわる私の昔話に触れつつ、講師である能楽師宮田登氏の解説内容やテキストから学んだこと、特に組織論の視点から学んだことをまとめてみようと思う。

 

 元々、私は中学生の頃から国語科の「古典」の授業はあまり好きではなかった。というのは、何と言っても古文の言葉遣いが分かりにくく、現代語訳をするのが煩わしかったからである。また、日常生活における現実的な課題に対処するのが精いっぱいで、古い時代の事柄自体にあまり興味・関心をもつことができなかったのである。その中で、『平家物語』の冒頭のフレーズである「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。」は、なぜか今でも私の頭の中に記憶として残っている。

 

 私は中学生の頃には母子家庭になっていて、両親が揃っている多くの同級生に対する羨望と共に世間一般に対する負い目を感じていた。だから、このフレーズの中にある「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。」を勝手に解釈して、「幸せそうな家庭に育つ同級生もそれに対して優越感をもっていたら、その幸せも永くは続かない。そのような幸せは夢幻のようなものなのだ。」と劣等感に根差した偏見的な考えに私は拘泥していた。私の記憶の理由は、この負のイメージの刻印なのであろう。

 

 もう一つ、『平家物語』の記憶に対する負のイメージの刻印がある。それは、小学生の頃に観た「耳なし芳一」という怪談映画に関わる恐怖心である。私は小さい頃から幽霊話が嫌いな怖がり屋であった。そんな私が大人に連れられて「耳なし芳一」を観たのだから、その怖がり方は想像に難くないであろう。特に平家の落武者の亡霊たちが、壇ノ浦の合戦の様子を物語る琵琶法師の芳一に迫り来る場面は怖かった。また、その場面で小舟に乗った二位殿(清盛の妻、安徳天皇の祖母)が幼い安徳天皇の手を取って、真っ赤な海に共に身を投げた様子は、その怖さと共に憐憫の情を抱いた小学生の私の目の裏に焼き付いた。ただ、これらの場面が『平家物語』に由来することを知ったのは後々のことだから、きっと大きくなってから記憶を再現したのであろう。

 

 さて、そんな私が今回なぜ『平家物語』を視聴しようと思ったのか。それは、今回の講師が能楽師の宮田氏だったからである。以前に彼の著書『疲れない体をつくる「和」の身体作法』を読んで、私はその身体論に興味をもった。その彼が講師として解説するということが大きな要因になった。さらに、第一回を視聴した時に、彼の熱の入った解説と表現力豊かな朗読に魅入られてしまったのである。それ以来、第四回まで視聴して、私は『平家物語』の面白さを存分に味わうことができた。中でも、彼が『平家物語』から導き出す組織論は納得することが多かった。

 

 特に第二回放映分で語られた内容。富士川の合戦での平家の不戦敗の要因について語る際に、宮田氏は平家の大将軍が維盛という無能のリーダーだったことを挙げる。だだし、維盛はどこから見ても格好いい人であったからこそ、清盛としても組織の上に置いた。組織の長としての能力を問うよりも、いい人だから高い地位に上がってしまうということは、現在でも見られることだと彼は言う。そして、組織の人事でトップを誰に据えるかという時に、それを決定する人たちが選んだ人は、自分たちより能力的に劣る人である可能性が高い。その理由は、決定権を持つ偉い人たちが上から目線で行うからである。自分より才能がある人のことは、人は基本的に理解できない。いわゆる「優れている人」は、「理解可能な優れている人」なわけで、実はあまり優れていない可能性が高い。だから、優れている人を上のポストに就かせるという「実力主義」は、実は間違えていると言えるのである。『平家物語』には、「こういう人が組織の上に立つといいですよ」ということは書かれていない。しかし、宮田氏は「こんな人がいい」と言った瞬間に、そこでの視野や価値観が固定され、硬直化し、そのままいくとやがて組織の疲弊につながると言っている。宮田氏は、『平家物語』を組織論としてとらえる時、そんなメタ・メッセージを読み取っているのである。

 

 私は現職の時に、小・中学校の校長や全県の義務教育関係教職員のほとんどが入会している教育研究団体の会長を経験したことがある。その際に自分なりの組織論を構築しようと思案したことを今、振り返ってみて、ここで宮田氏が解説している『平家物語』から導き出した組織論は、その神髄を言い得ていると確信した。まだまだ、『平家物語』から学ぶことは他にもあるであろう。いずれは、『平家物語』自体をじっくり読んでみたいものである。