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時代小説を読む愉しさ~葉室麟著『散り椿』の魅力について~

   最近、朝早く目覚めた時に寝床で読み耽っている本がある。1年半ほど前に鬼籍に入った直木賞作家・葉室麟氏の『散り椿』という時代小説である。本書は、葉室氏が2012年に『蜩ノ記』で第146回直木賞を受賞した後、最新刊として上梓した著作なので今から7年ほど前の作品である。

 

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    葉室氏は直木賞を受賞したのが61歳の時なので、遅咲きの作家と言えるのではないかと思う。もちろん地方紙記者を経て、2005年に『乾山晩愁』で第29回歴史文学賞を受賞して作家デビューして以来、直木賞受賞までの7年間ほど作家生活を送っているので、それなりのキャリアはあった。また、その間にも、2007年に『銀漢の賦』で第14回松本清張賞を受賞し絶賛を浴び、その後も『いのちなりけり』・『秋月記』・『花や散るらん』・『恋しぐれ』で何度も直木賞候補となっている。そして、直木賞受賞後も2016年に『鬼神の如く 黒田叛臣伝』で司馬遼太郎賞を受賞したのを始め、主に弱者や負者の視点に立った歴史・時代小説を精力的に執筆し続け、2017年12月23日に逝去するまでの5年間ほどに発刊した著作は夥しい数に達していた。享年66歳。書きたいテーマを書き続けたものの、生き急いだ感は拭えない。何らかの病を隠して、作家として燃焼し尽くしたのであろうか…。

 

 さて、私にとって『散り椿』は再読の書である。なぜ再読したのかというと、先月中旬に岡田准一主演のテレビドラマ『白い巨塔』が5夜連続で放映されたことがきっかけである。私は過去に田宮二郎主演の同ドラマを観て感動したので、岡田准一財前五郎役をどのように演じるのか興味をもってテレビ放映を観た。そして、俳優・岡田准一の熱演ぶりに改めて感動し、その際に8か月ほど前にやはり岡田准一が主演して映画化された『散り椿』のことを思い出したのである。私はその映画はまだ観ていないが、初めて『散り椿』を読んだ時の感動を再び味わいたいと居ても立っても居られない心境に陥ってしまい、書棚に眠っていた本書に手を伸ばしたという次第である。

 

 では、『散り椿』のストーリーをかいつまんで記してみよう。

 

 かつて一刀流道場の四天王の一人と謳われた瓜生新兵衛は、妻である篠と地蔵院に身を寄せていた。病気を患う篠は「散り椿」を眺めながら、故郷の「散り椿」がもう一度見たいと呟くがその願いは叶う事は無かった。篠は亡くなる直前、自分が死んだあと夫に故郷に戻ってほしいと頼み、妻の言う通り故郷の扇野藩に戻る。18年前、新兵衛は藩の不祥事を追及し故郷を逐われた過去があったためそれはとても過酷なものだった。藩では、事件の巻き添えで亡くなった者もいたが、栄進した者もいた。新兵衛の帰郷により藩内では再び抗争が巻き起こり、友人だった榊原采女と新兵衛は対決することとなる。そして過去の事件の真相や篠が託した言葉の本意を突き止めていく…。

 

 私が本書の中で心惹かれたところは、扇野藩における権力抗争の渦に翻弄される中、新兵衛と妻の篠・新兵衛と篠の妹である里美の間に交わされる情愛の純粋さであり、新兵衛と甥の坂下藤吾・新兵衛と友人の采女との間に築かれる信頼の堅固さである。どの場面からそのように感じたかは、多くの方にこの時代小説を読んで当ててほしいので、挙げないでおく。だだし、読み手によって心を動かされる場面は違うものなので、私の感動を強要するものではないが、豊かな想像力と精緻な表現力で描く葉室ワールドを読む愉しさを十分に味わってほしいと願っている。

 

    次に、私が本書の魅力だと思うところは、上述した心惹かれるところとも重複するのだが、著者が別の表現で語った次の言葉に尽きる。「自分の役割や相手の思いを探っていくことで、自分の本当の思いに気づく。その過程が描きたかった。」人は、それぞれ自分の置かれた立場からでしか相手の気持ちを推し量ることはできない。しかし、次々に変化する情況の中でその思いを探っていくと、今までは自分でも気づかなかった本当の自分の思いに気づくことがある。その時、自分の思いは単なる主観的なものから、他者も共感し得る間主観的(相互主観的)なものへ止揚するのである。私はそこに人間として真摯に生きる姿を見出すのである。葉室麟氏の時代小説にはそのような精神の変容過程が見事に描かれていると実感する。それこそが、時代小説を読む愉しさにつながるのだと私は思う。次の休日には近くのTSUTAYAで岡田准一主演の『散り椿』のブルーレイかDVDを借りて、活字とはまた異なる映像による葉室ワールドを味わってみようかな…。