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時代小説から人生の境地を学ぶ~藤沢周平著『三屋清左衛門残日録』の中の言葉から~

   前々回の記事で、葉室麟著『散り椿』を取り上げて「時代小説を読む愉しさ」について綴ったが、私が50歳を越えてから時代小説を読むようになったきっかけは、思想家・文芸評論家の小浜逸郎氏が書いた藤沢周平作品に対する含蓄のある書評を読んだことによる。

 

    御存じの方も多いと思うが、藤沢周平は1971年に『溟い海』でオール読物新人賞を受賞してデビューし、 1973年には『暗殺の年輪』で直木賞、1986年には「白き瓶」で第20回吉川英治文学賞、1989年には「市塵」で第40回芸術選奨文学賞、1989年には作家生活全体の功績に対して第37回菊池寛賞、1994年には朝日賞と第10回東京都文化賞、1995年には紫綬褒章を受章した歴史・時代小説家の大家である。

 

 また、1997年に69歳で死去した後も、サラリーマン層を始め、多くの国民に根強い人気がある作家である。私は、最初に直木賞受賞作を読んでハマってしまい、彼の初期の作品群を読み漁った。初期の作品には暗い情念や「負のロマン」を感じるものが多かった。しかし、その後に読んだ中期の作品には明るさとユーモアが目立つようになり、さらに後期の作品には集大成の境地が見出されるという特色があった。今回取り上げる『三屋清左衛門残日録』という作品は、後期の代表作といってもよいものである。

 

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 ところで、藤沢周平作品は今までにかなりの数が映像化されている。『たそがれ清兵衛』・『隠し剣 鬼の爪』・『武士の一分』は、寅さん映画で著名な山田洋次監督によって、また『蝉しぐれ』『山桜』『花のあと』『必殺剣 鳥刺し』『小川の辺』は他の有力な監督たちによって、すでに映画化されている。また、『立花登 青春手控え』『風の果て』『神谷玄次郎捕物帖』などを原作としたテレビドラマも数多く放映されている。本書の『三屋清左衛門残日録』も、最近では北大路欣也主演でテレビドラマ化されて、多くの視聴者と共に私もその藤沢ワールドの魅力を大いに堪能した。

 

 では、本書のストーリーと特徴をおおまかに記してみよう。

 

 三屋清左衛門は、用人として仕えた先代藩主の死去に伴い、新藩主に隠居を願い出て、国元で隠居生活に入った。隠居の日々は暇になるかと思われたが、実際には友人の町奉行・佐伯熊太が抱える事件や、知人やかつての同僚が絡む事件の解決に奔走することになる。さらには、藩を二分する政争にも巻き込まれて、陰ながら最後の御奉公をしていく…。現代風に言えば、定年退職した高齢者が、退職前の会社の内紛や人事異動等に係わりを持ちながらも、人生の黄昏に入った自分と折り合いをいかにしてつけていくかという物語である。また、別の側面からとらえると、親友の佐伯熊太との温かい友情物語、さらに料理屋・涌井の女将みさとの内に秘めた淡い恋愛物語という特徴もあると私は思う。

 

 本書のラストに記されている「衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ。」という言葉は、作家として、人間として、藤沢周平氏が達した人生の境地が刻まれている。私も今年の誕生日を迎えると満65歳になる。いよいよ世間で言うところの高齢者の仲間入りをすることになり、上述の言葉は実感として納得できる。50歳の坂を越えるまで時代小説には目もくれなかった私であったが、このような一文に出会うことができ、時代小説を読む醍醐味を味わう体験が遅まきながらできたことを有難く思う。何事も「食わず嫌い」(「読まず嫌い」?)はよくない。取りあえず「試食」(「試読」?)してみることが大切なのだ。

 

「たかが時代小説、されど時代小説!」