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身近なところにいた「モンスターペアレント」との格闘エピソード(1)~福田ますみ著『モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い―』を読んで回想する~

    先月26日(水)と27日(木)の両日、教職員共済生活協同組合・定期総代会へ出席するため東京に出張した。その際に宿泊したホテル近くのブックオフで『モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い―』(福田ますみ著)という文庫本を購入した。本書は、前作の『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相―』と似た構図をもつノンフィクションである。そもそも私が今回、本書を購入した動機も、この前作を読んでいたことが大きく作用している。

 

 そこで、まず前作を読んだ当時に綴った読後所感の一部を紹介しておく。

 

    …(略)本書は、2003年に福岡市内の公立小学校の教師が、自分の担任するクラスの児童の親から、子どもが体罰をされたとか差別発言によってPTSDにされたなどと訴えられ、教育委員会から停職6か月の懲戒処分をうけた上、民事裁判の被告にもなったという事件(俗に言う福岡「殺人教師」事件)の真相について、福田氏自らの取材に基づいて詳細に論じている。結果的に言えば、何とこの事件は児童の両親による全くの「でっちあげ」だったのである。本書のあとがきで福田氏は、「校長や教育委員会が、実にあっさりと教師によるいじめを認定しているのだ。だがこれは、保護者やマスコミに必要以上に迎合した末の、逆の意味での真実の隠蔽である。」と言っている。私は校長として、この事件に関与した校長の対応を反面教師としてとらえることが大切だと思った。この事件の場合は、校長が自己保身を優先させて、“子どもという聖域”を盾に理不尽な要求をする保護者の言い分ばかりを聞き、当該教師の言い分に十分耳を貸さず、事態を穏便に解決しようとしたことにも大きな問題があったのではないだろうか。(略)…

 

 当時、私は市内のある中学校の校長職にあり、しかも「モンスターペアレント」の保護者と格闘中だったこともあって、前作で描かれた驚愕の冤罪事件を「他山の石」として自戒を込めて受け止めたのである。だから、今回たまたまその同じ著者による、しかも前作と似た構図をもつ本書に強い関心をもち、当該事件の内容及び経緯等を詳しく知りたいと思った。購入したのは宿泊日の夕食前で、読み始めたのはホテルのベッドの中。ほぼ読み終えたのは、復路の飛行機の中であった。様々な思いが私の心の中に渦巻いたが、本書を読み終えた現在の所感内容の概要は、次の通りである。

 

 2005年に長野県の丸子実業高校(現、丸子修学館高校)の1年生の男子生徒が自殺し、遺族の母親は彼が所属していたバレー部の上級生からいじめを受けていたが、それを学校が隠蔽しようとしたと訴えた。さらに、校長が希死念慮のある生徒を無理やり登校させようとしたことが自殺の原因であるとして、校長を殺人罪で告訴した。…しかし、事実はその真逆であった。非力で弱者のはずの保護者が、ありもしないいじめを振りかざし、虚言を弄して学校や教師を攻め立て、冤罪の罠に嵌めたのであった。「教師によるいじめ」ではなく「教師へのいじめ」だったのである。本書は、この事件(長野・丸子実業「いじめ自殺事件」)の上述したような真相について、少年の友人、学校関係者、教育委員会児童相談所などを福田氏が徹底的に取材し、証言と事実を淡々と積み上げて書かれたノンフィクションであり、2016年2月に単行本として上梓された。本書は確かに前作と似た構造ではあるが、校長の在り方は全く違った対応であったと私は思う。前作の校長は所属教員を信頼せず自己保身を優先させた対応だったが、本書で取り上げられた丸子実業高校(当時)の太田真雄校長は所属教員を信頼し自らも信念に基づいた対応をされて冤罪を晴らされた。私は、太田校長に対して心から敬意と慰労の気持ちを表したい。

 

   さて、私は本書を読みながら、自分が中学校長の当時に同様のような事件が起こったことを回顧していた。それは、まさに身近なところにいた「モンスターペアレント」との格闘エピソードである。退職後でも守秘義務があるので事件の詳細は明かせないが、可能な範囲でその概要を述べつつ当時の私の胸中の一部を明かしたいと思う。

 

 事件の発端は、私の勤務していた中学校の2年生のある女子生徒が、数学科の授業中に少し騒いでいた友達にきつい言い方で注意をした際に、周りの友達から「その注意の仕方は、ちょっと酷いのではないか。」と反論され、その後の休憩時間に校内の公衆電話から母親へそのことを告げたことから始まった。娘からの電話を「友達にいじめられたので、助けてほしい。」というSOSだと受け止めた母親は、すぐさま来校して当該教室に出向き、そこにいた級友全員に向けて「娘をいじめた奴は出でこい!」と恫喝し、その集団に向けてチョークを投げつけるという事態を引き起こした。その時は、授業担当者が母親をなだめ、事情をじっくりと聞くという対応をしてくれたお陰で何んとか事無きを得た。しかし、その後母親から学校に対して様々なクレームや無理難題の要求が続いた。…「英語科の授業担当者から娘が差別的な扱いを受けた。」「娘が不登校になったのは、クラスの中でのいじめが原因である。」「進学を控えて学校の責任で娘は不登校になったのだから、個別授業を受ける権利を保証しろ。」「修学旅行中にグループの友達から暴行を受けたので、医師に診断書を書いてもらい傷害罪で警察に被害届を出す。」「加害生徒及び校長は、謝罪文を書け。」等々…。そのほとんどはありもしない証拠に基づく虚言である。しかし、私は校長として不登校中の娘が登校できるような環境づくりを最優先して、その解決をよりよく図るべく誠心誠意の対応を心掛けた。何度も何度も校長室で娘の母親と祖母と話し合い、問題解決の出口がなかなか見えない時間を根気強く費やした。にもかかわらず、県教育委員会文部科学省まで苦情電話を掛けまくる有り様。私は本当に精神的に追い込まれうつ症状を呈するような情況になったこともあった。ただ、私は福田氏の前作を読んでから、校長として生徒の学習権を最大限保障するともともに、所属職員からの信頼感を損なわないような真摯な対応をしようと肝に銘じて、上述の困難な事態を何とか乗り切った。そのような対応ができたのは、私に対する市教育長や市教育委員会の全面的な信頼があったり、所属職員やPTA役員の心強い応援があったり、家族の温かい支えがあったりしたお陰であったと今でも心から感謝をしている。

 

 それにしても、世の中には常識では考えられないような性格をもつ人や、周りの人のことを全く考慮しない異常な言動を取る人がいるのである。それがたまたま児童・生徒の保護者であった場合に、福田氏のノンフィクションのような事件や私が遭遇したような事件を惹き起こすのである。私は本書を読みながら、身近なところにいた「モンスターペアレント」との格闘エピソードを、胃酸がのどまで逆流するような苦さを心の中で味わいながら思い出してしまった。もう二度とあのような経験はしたくないというのが本音である。