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身近なところにいた「モンスターペアレント」との格闘エピソード(2)~福田ますみ著『モンスターマザー―長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い―』を読んで回想する~

 前回の記事では、私が市内のある中学校に校長として在任していた当時の、身近なところにいた「モンスターペアレント」との格闘エピソードについて回想したことを綴った。そして、最後の一文には「もう二度とあのような経験はしたくないというのが本音である。」と記した。ところが、実際はその後「もう一度」似たような事件に出会ってしまったのである。それは、教職生活最後の勤務校となった市内のある小学校で遭遇した出来事である。

 

 そこで今回も、本当は思い出したくもない回想ではあるが、読者の皆様に何らかの参考になるかもしれないと思い、身近なところにいた「モンスターペアレント」との格闘エピソード(2)として、守秘義務違反にならない範囲でその出来事の概要を述べつつ当時の私の胸中を少しだけ明かしてみたい。

 

 事件の発端は、小学5年生のある女児の母親が対外的な業務を担当するPTA役員になり、その業務を円滑に遂行することができないような情況になったために、PTA役員を解任されるという事態に至ったことからである。役員を解任された母親は、その恨みからか他のPTA役員の自宅に様々なクレームの電話を掛け、時には相手の子どもの安否を気遣うようなことを仄めかしながら恫喝するようなことまでしたらしい。さらに、その矛先を学校のPTA事務担当者や教頭、そして校長の私にまで向け始め、電話口であることないことを論い悪口雑言の限りを尽くすようになったのである。ある時には職員室において興奮のあまり暴れるという事態になったこともあった。

 

 その後、この事態はさらに悪化を辿った。5年生の女児を学校に登校させないで、「娘は学校でいじめにあったので、不登校になった。学校はいじめ問題があることを隠蔽しようとしているのか。早急に解決しろ。」という無理難題を、学校へ突き付けてきたのである。私はそのクレームが最初に来た時に、教頭に対して娘が不登校に至った経緯及びその際に学校側として対応した内容等、事実関係を正確に把握して報告するように指示した。その結果、いじめと認定されるような事実はないこと、娘が不登校傾向になった際に学級担任や学年主任から再三、家庭訪問を要請したにもかかわらず母親から拒否され、電話か郵便での連絡を希望されていたことなど、明らかに母親の都合によって娘を登校させないようにしている事実をはっきりと掴んだ。そこで、私は父親の方へ面談したい旨の連絡を取った。そして、実現した面談時には今までの経緯及び現状について父親と共通理解を図り、今後の母親と娘への対応策についても相談することができた。その面談中に、父親は家庭環境や親戚等との関係等の実情についても正直に話してくれたので、私と父親との信頼関係は深くなった。この点、暗闇の中に一点の光明を見出した思いだった。しかし、その後の展開も決して一筋縄では上手く行かず右往左往の連続だったが、何とか年度末には事態が収束する方向性が見えてきた。5年生の娘は6年生に進級したら必ず登校すると約束してくれ、母親からは私へ和解の意志を示すような対応があったのである。私はその年度末で定年退職することになっていたので、その後の対応については教頭を介して次に着任する校長にお願いすることになった。

 

 年度が改まり、私は現在の職場に就職することになった。ただ、この事件に関するその後の推移については気がかりだったので、5月下旬になってから他の所用も兼ねて同小学校の校長室を訪問した。その際、後任の校長から「娘さんは6年生に進級して、何事もなかったように登校していますよ。新しい学級にもすぐに慣れて学習に対して前向きに取り組んでいるし、友達とも仲良く交流している様子です。修学旅行も楽しく行ってきました。また、母親からも今のところクレームらしいクレームは言ってきていません。」という話を聞いて、私は胸の中に引っ掛かっていた塊が氷解する思いだった。娘はやや自己本位的な言動が見られる傾向はあったが、もともと大変明るい性格だったので、本来の姿を示し始めたのであろう。私は、「やはりあの時は母親の手前、学校を休まざるを得なかったのだろう。」と、妙に納得することができた。

 

 1990年代後半頃から「モンスターペアレント」という用語が流布されるぐらい、学校に対して自己中心的で理不尽な要求をする親が増える事例が多くなった。学校はそれに対して自己防衛的な対応をせざるを得ないことになり、正常な教育活動の妨げになることが起きるようになった。中には、そのクレーム対応に追われて、精神的な疾患に罹る教員まで出るようになった。たった一人でもそのような親が出現すると、本当に学校の機能がマヒしそうになるのである。また、この事態は校長にとって学校経営や教員組織等のマネジメント上、看過できない大きな課題になり、そのよりよい解決を図るための具体的な手立てや態勢づくりに奔走することで過度のストレスを受けることになる。ただし、私の場合は学校管理者としての使命感や矜持を見失わなかったこと、また信頼できる方々や人生・生き方の糧になる良書等から多くの教訓を学んだことによって、何とかそのような事態から無事に脱することができた。今更ながら、本当に幸運なことであったと思う。

 

 最後に、次のことは学校や教員に対して申し上げたい。私のTwitterのタイムライン上には、保護者であろう方からの教員への非難的なツイートが散見される。学校や教員の在り方に対する正当な非難や要望等については、学校側は謙虚に耳を傾け、指摘された課題が的を得たものであれば、その課題をよりよく解決するために誠心誠意の対応をすることは言うまでもない。学校側が自己中心的な言い分や論理を通すために、真っ当な保護者の非難や要望等を無視したり軽視したりすることは許されない。つまり、学校や教員が使命感に燃えつつも、子どもや保護者の立場や気持ちを尊重した教育活動を展開することが大前提である。その上で、誰が見ても「モンスターペアレント」であると認定できる保護者に対しては、断固として毅然とした対応をすることが大切なのだということを再確認して、今回はそろそろ筆を擱きたい。