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「教養」の始まりは「いかに生きるか」であった!~~阿部謹也著『「教養」とは何か』から学ぶ~

 ここ最近の記事において、私は「教養」という言葉にこだわってきた。そして、前回は「教養」という言葉が日本でいつからどのような意味で使われ始めたかについて、『これが「教養」だ』(清水真木著)から学んだことをまとめてみた。その際、私の頭の中では「では、西欧において「教養」という言葉の始まりはどのようになっているのだろうか。」というおぼろげな問いが浮かんできた。そのモヤモヤとした気分のまま自宅の書棚に並んでいる本の背表紙を眺めていたら、『「教養」とは何か』(阿部謹也著)という書名が目に飛び込んできた。

 

 著者の阿部氏は、一橋大学経済学部を卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程を修了。小樽商科大学東京経済大学一橋大学で教鞭をとった後、一橋大学学長を2期務めたドイツ中世史を専門とする歴史学者である。私が信頼する学者の一人だったが、今から13年も前に71歳で逝去された。著書は、『ハーメルンの笛吹き男~伝説とその世界~』(ちくま文庫)『中世の窓から』(ちくま学芸文庫)『西洋中世の罪と罰~亡霊の社会史~』(講談社学術文庫)『日本社会で生きるということ』(朝日文庫)『学問と「世間」』(岩波新書)等、多数ある。私は、約20数年前に『刑吏の社会史~中世ヨーロッパの庶民生活~』(中公新書)を読んで以来、氏の歴史観・社会観・人生観等に魅入られた一人の隠れファンになった。本書は、『「世間」とは何か』(講談社現代新書)の続編であり、日本で「世間」と深く関わりながら「教養」を身に付けるにはどうしたらよいのかを考えた本である。

 

    私は約20年振りに本書を手に取り、改めて目次に目を通してみた。すると、「第2章 「世間」の中でいかに生きるか」の「1 個人の教養と集団の教養」の最初に位置付けてある【「教養」の始まり】という小見出しに目が止まった。私は、早速、おぼろげながら記憶の片隅にあった関係箇所を読んでみた。すると、とても興味深い内容が書かれていることに改めて気付いた。

 

 そこで今回は、前回までの記事内容を補足する意味で、本書に記述されている西欧における「教養」の始まりに関する内容から、私が特に興味深く読み取ったことをまとめてみようと思う。

 

 西欧において12世紀頃、都市が成立し、そこで新たな職業選択の可能性が開かれてきた。それまでは父親の職業を継ぐことが当然のこととされていた人々は、初めて「いかに生きるか」という重要な意味を持つ問いに直面したのである。著者は、これが「教養」の始まりであったと断言している。そして、この頃多少知的関心がある人は、この問いをローマ末期の作家たちに問い掛けた。当時の俗語としてのフランス語やドイツ語ではこのような問いに答えることができなかったからである。そのために、この頃の人々はまずラテン語の能力を洗練し、文法的な誤りなくラテン語を話せるようになり、その答えを考えたのである。これ以来、西欧社会の特に都市社会の住人にとってローマ末期の人々の文献がこのような問いに対する基本的な答えになった。その結果、後においても「教養」は何よりもまず古典語を学ぶことと結びつくようになったのである。

 

 しかし、都市社会の住人にとっての「教養」の始まりが「いかに生きるか」という問いであったとすれば、農業などの伝統的職業に従事していた人々は「教養」は無縁なものだったのであろうか。否と、著者は言う。そもそも「教養」があるというのは、「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のために何ができるかを知っている状態、或いはそれを知ろうと努力している状態」を表すのである。だとすると、そのような態度は人類の成立以来の伝統的な生活態度であったことが解るであろう。例えば、農業に従事していた人々は、自分たちの仕事が人々の生活を支え、社会の中でどのような位置を占めているかについては自分たちが考えを巡らせることはなくても、身体で知っていたであろう。だから、「いかに生きるか」という問いを立てる必要もなかったのである。こういう人々の人生に向かう姿勢をあえて「教養」と言うとすれば、それは集団の「教養」というべきものであろう。

 

 以上、本書における「教養」の始まりに関する内容をまとめながら、これは「教養」という言葉の一般的・辞書的な意味や、『これが「教養」だ』の中で著者の清水氏が「教養」とは「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」のことであると言っている意味の起源になっているのではないかと直観的に思った。もちろん、清水氏は18世紀後半の西欧において「教養」という考え方が誕生したと言っているので、私の直観は一見矛盾するようなとらえ方かもしれないが、やはり「教養」に関する歴史的・社会的背景をずっと古代から遡っていけば、そうなるのでないかと勝手に推測するのである。

 

 「教養」という言葉に関することをここ数回の記事に書いてきて、一つの言葉の来歴について追究するのは何だか面白いなあと私は感じた。もちろん学問的なエビデンスを立証しながら行う専門的な追究ではないが、個人的な趣味レベルの追究としては精緻な議論までは求められることはないであろう。未熟であっても、自分が何かの課題を見出し、追究する活動を行うことは、いつしかそれが学問的・専門的な追究につながっていくのではないかと思う。飛躍するかもしれないが、子どもに対する教育も教師がこのような「探究型の学び」を学校教育で保障することが大切なのではないだろうか!