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「精神の健康保持」と「精神の自立・自律」を可能にするために~加島祥造著『求めない』から学ぶ~

     特に東海・関東甲信・東北地方等に大きな傷跡を残した台風19号が、本日未明には三陸沖へ去って行った。まだ被害の全容ははっきりしていないが、東日本や北日本の各地に甚大な被害を与えたものと推察される。この災害によって亡くなった方には衷心より哀悼の意を表するとともに、怪我をした方や被害を受けた方には心からのお見舞いを申し上げます。早急な回復並びに復興・復旧によって、その方々が一日も早く平穏な日常生活を取り戻されることを念願しています。頑張ってくださいね。

 

    さて、平穏な日常生活と言えば、前回の記事の結びで「老後」生活を安心して過ごすためには「心身の健康保持」が大切な条件になることに触れ、それへの取組に対する決意らしきものを記した。今までに私たち夫婦は「身体の健康保持」に対する方策として、日常的に「栄養のバランスを考慮した食生活習慣の確立」や「有酸素運動としてのウォーキングの実施」、「軽い筋肉トレーニングやストレッチの実践」などに取り組んでいる。しかし、「精神の健康保持」に対する方策については、「夫婦の会話や娯楽を楽しむ時間の確保」を多少意識しているぐらいである。もちろんそれぞれのプライベートな時間の保障も大切にしており、私が読書やテニスなどの趣味に取り組むことに対する妻の干渉はほとんどない。「ほとんど」と書いたのは、テニスに関しては数年前にプレー中の無理な動きが原因で「腰椎椎間板ヘルニア」を発症したこともあり、私の健康への配慮からブレーキをかけることがたまにあることを思い浮かべたからである。

 

 そこで今回は、私の趣味の一つである読書経験の中で「精神の健康保持」との関連が深いと思う本『求めない』(加島祥造著)の内容や著者について紹介しながら、私なりに学んだことをまとめたい。そして、この成果を妻との会話の話題の一つにしようと密かに目論んでいる。でも、何だか欲張っているようで、本書の主旨を活かしていないようだが…。

 

 それはともかく、まず著者について簡単に紹介しよう。加島氏は、1923(大正12)年、東京・神田の商家に生まれた。早稲田大学を卒業後、信州大学横浜国立大学青山学院女子短期大学などで英文学を教え、フォークナーやトウェインなどの翻訳を数多く手掛けた。若い頃には詩作グループ「荒地」に名を連ねた詩人でもあった。その後、古希を迎えて「老子」に出会い、東洋思想に傾倒した。晩年は、長野県南部の伊那谷に独居し、自然に囲まれながら、詩を詠み、草花の墨彩画を制作する生活を送った。2015(平成27)年12月25日、老衰により自宅で死去。享年92歳であった。

 

 その加島氏が、晩年にふとした瞬間に湧いてきた「求めない-」で始まる詩を、チラシの裏などに記して大量に書き留めていたらしい。それを親族が知るところとなり、「まとめると本になるのではないか」と知人の編集者に相談したことをきっかけに出版したのが、詩集『求めない』である。2007(平成19)年7月に初版1万2000部でスタートしたが、当時のメディアにも大きく取り上げられたこともあってすぐ増刷。今までに文庫と合わせて累計46万部を売り上げるベストセラーとなった。私が所持しているのは、縦14㎝、横13㎝のほぼ正方形という珍しい判型の本であり、今から数ヶ月前に何気なく立ち寄った古書店で購入したものである。私はどちらかと言うと「散文」が好きな人間なので、今までは詩歌や俳句などの「韻文」はあまり目を向けなかったのだが、本書の題名と詩集という形式が気になったので、何気に入手したという次第である。しかし、本書全体に目を通したのは、つい先日である。私の汚れた(?)心が洗われるような清々しい感動を覚えたので、特に心に印象深く残った箇所を紹介したい。 

 

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「求めない-すると 心が静かになる。」

「求めない-すると 楽な呼吸になるよ」

「求めない-すると 体ばかりか心も ゆったりしてくる」

「求めない-すると 心が広くなる」

「求めない-すると ひとに気がねしなくなる」

「求めない-すると 自分の好きなことができるようになる」

「求めない-すると 恐怖感が消えてゆく」

 

 「求めない」と、「精神の健康保持」が可能になるようだ。人間は「求める」から、不安感や恐怖感を憶え、精神的な窮地に陥ってしまうのである。人間は自我があり欲望を持ってしまうから、自我が不安定になってしまうのである。本書の[はじめに]の中に著者も次のようなことを書いている。…「求めない」と言ったって、どうしても人間は「求める存在」なんだ。それを承知の上での「求めない」なんだ。…岸田秀氏の「唯幻論」ではないが、人間は本能が壊れてしまって自我という幻想をもってしまった動物なのだから、つい「求める」ものである。でも、あえて「求めない」と意識することで、自然な本能によって活かされる感覚が蘇るのかもしれない。著者は、それをイメージしているのではないだろうか。

 

「求めない-すると 自立した自分がいる」

「求めない-すると 自分の時計が回りだす」

「求めない-すると いま自分にあるものが素晴らしく見える」

「求めない-すると もっと大切なものが見えてくる それはすでに持っているもののなかにある」

「求めない-すると ひとも君に求めなくなる」

「求めない-すると ひとから自由になる」

 

 「求めない」と、「精神の自立・自律」が可能になるようだ。人間は「求める」から、何事かを行おうとする時に他者に依存してしまうのである。人間は自我があり欲望を持ってしまうから、自立・自律できなくなってしまうのである。だから、「求めない」と意識することで、他者との相互依存の必要性を認めながらも自立・自律しようとするのかもしれない。著者は、そのようなこともイメージしているのではないだろうか。

 

 私は、著者が本書に綴った「求めない」という姿勢を、自分のこれからの在り方として見習いたい。そして、「老後」生活における「精神の健康保持」と「精神の自立・自律」を出来る限り可能にしていきたい。