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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

私なりの「独学」の仕方について考える~白取春彦著『独学術』(『勉学術』を改題)を再読してみて~

 「生涯学習」という言葉は、もう当たり前のように世間に通用している。また、巷のカルチャーセンターでは文化・芸術・スポーツなどの各種教室が開催され、多くの受講者が「生涯学習」の実践者として日々「お勉強」や「お稽古」に励んでいる。かく言う私も、生涯スポーツ社会の実現を目指して、球技や健康づくりなどのスポーツ教室を開催する事業を実施している公益財団法人で働いている身なので、カルチャーセンターへ通う人々を批判しようと思ってこの記事を書いている訳ではない。しかし、「学ぶ」ことを「人から教えてもらう」という前提でとらえているのであれば、それは如何なものかと私はいささか疑問に思っている。「学び」とは、「独学」が基本的な在り方ではないのか。私は長年「教える」という立場で仕事をしてきた者なので、このような考え方は自己否定しているように思われる方もいるかも知れない。それにもかかわらず、人が「学ぶ」というのはどういう在り方なのかと考え続けてきた私が下した結論は、「学び」の原型はやはり「独学」ではないかということ。

 

 そんな考えをもっている私が『独学術』(白取春彦著)という本に出会ったのは、当然の帰結であった。購入時にさっと目を通して多くのことを学んだつもりであったが、最近、再読してみると大いに頷く内容とともに、はなはだ頭を傾げる内容とがあることに改めて気が付いた。

 

 そこで今回は、本書から学ぶべきことと眉唾でとらえることとを峻別しながら、私なりの「独学」の仕方について考えてみたい。

 

 著者の白取氏は生年月日が1954年4月11日なので、私と同年齢の65歳である。獨協大学国語学部ドイツ語学科を卒業後、ベルリン自由大学に留学して哲学・宗教・文学を学び、1985年に帰国してからは宗教と哲学に関する入門書や解説書の執筆を手掛けている。2010年頃に発行した『超訳ニーチェの言葉』は、それまで哲学には縁が薄かった若者たちからも支持され、100万部を超えるベストセラーになった。ニーチェ好きな私も購入して読んだ者の一人である。本書は、それ以前の2006年に(株)ディスカヴァー・トゥエンティワンから発行された『勉学術』を『独学術』と改題して携書判にしたものである。

 

 さて、本書は「自分で勉強しようにもどこか不安でおぼつかない感じを持っている人に勇気と指針とコツを与えること」を目的にして、「独学の基本的な方法」を紹介した本である。具体的には、書物の読み方や問題の持ち方・考え方・教養を身に付ける方法について著者の持論が展開されている。その中で、本物の古典にやや恐れをなして、その解説書や入門書に頼っていた私が学んだことは、次のような内容である。

○ 本というのは、今までの自分とは異なる考え方、異なる知識、異なる視点などを含んでいるから読むに値する。したがって、最初から難しい本にチャレンジするとよい。

○ 難解な本はぞんざいに、からかうような感じに扱う「眺め読み」をすると、恐怖感がなくなり、征服することができる。

○ 平易に説明すべき解説書やダイジェストのほうが返って難しいので、一冊全部読まなくてもいいから本物の古典と遊んでみるほうがよい。

今まで本物の古典へのチャレンジを避ける傾向があった私は、これらの言葉に背中を押されたように感じた。様々な古典にチャレンジする時間的な余裕はあまり残されていないので、ぜひ読んでみたい「哲学」や「倫理学」の古典には気楽な気持ちでチャレンジしてみようと思う

 

 次に、本書の中で私にとってはやや腑に落ちない内容も散見された。それは、次のような内容である。

◇ 雑誌や偏見だらけのベストセラー本しか置いていないような書店くらいしかない文化的に貧しい場所に住んでいることも独学にはまったく不利だ。

◇ パソコンは本の代わりにはならないし、パソコンで勉強することも実際には無理である。

◇ 何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、あらたな偏見を自分の中につくるだけに終わる。

◇ 真の教養の第一は聖書を読むことである。

著者はきっと「電脳社会」そのものの意義や価値をあまり認めたくないのだろう。しかし、多くの負の側面を含んでいるものの、インターネットの活用を初めとした社会のデジタル化は、人々の「独学」環境を大きく拡充したと私は考えている。「独学」する上では、インターネットによる検索結果も有効に活用できるので、これからも私は必要に応じて利用していくつもりである。もう一点、よりよく生きるという意味の教養を形成する「独学」には、聖書を読むことが絶対不可欠な条件になるというのも断定し過ぎではないかと思う。もちろんユダヤ教キリスト教が世界に及ぼした影響力は計り知れないものであることは私なりに認識しているつもりだが、聖書絶対主義的な考え方には首肯できない。もちろん聖書を読むことの意義を否定するものではないが…。

 

 最後に、本書のあとがきの中にある、次のような文章は全面的に支持したい。

◎ 人生を楽しむとは、一日一日に、自分がたずさわる事柄や仕事に、出会う人々に、かけがえのない意味を見出し、ふつふつとした喜びを感じて生きることだ。

◎ そういう人生を送るためにも独学は大きな力となる。なぜならば、独学による成長と変化は人間の内側からのものだからである。

◎ 独学して自分を内側から輝かせること、これは人間の美しさの一つである。

私は、内面的な充実感を味わいながら人生を楽しみ、より豊かにしていくために、自分なりの「独学」の仕方を見出していきたいと考えている。そのためにも、本から得た知識を基に自分なりの思考を活性化するのに役立つアウトプットのツールとして、当ブログをこれからも地道に運営していきたい。奇特な読者の皆さん、今後もよろしくお付き合いくださいネ。