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老年になった私の生き方について考える~筒井康隆著『老人の美学』を参考にして~

     俗に「高齢者」と呼ばれるような年齢になったからか、私は書店や図書館に立ち寄ると「老人」とか「老年」とか「高齢者」とかという言葉が付いた書名につい目が向いてしまう。今回取り上げる『老人の美学』(筒井康隆著)もそのような中の一冊である。他の書籍を購入するために自宅近くの大きな書店に出向いた際に、「筒井康隆」という名前とともに著者が現在85歳であるという事実にも釣られて、つい買ってしまったという次第である。

 

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 私は20代後半から30代にかけて、小説家の村松友視が書いたエッセイに紹介された「半村良」という作家のSF伝記小説群に耽溺していた。そのような時期に、ある文芸誌の特集で「半村良」と「筒井康隆」の作品を比べて批評するような文章を読んだのをきっかけにして、筒井氏のパロディの効いたナンセンスなSF小説を何点か読んでいた。今でも自宅2階の廊下に置いている本箱の中には、『にぎやかな未来』『心狸学 社怪学』『将軍が目醒めた時』『夜のコント・冬のコント』『脱走と追跡のサンバ』『俗物図鑑』『虚人たち』『フェミニズム殺人事件』『文学部唯野教授』などの筒井作品が並んでいる。私は特に『俗物図鑑』を多忙な日々の中で暇を見出しては抱腹絶倒しながら読んだ記憶が、今でも脳裏に鮮明に刻まれている。

 

 さて、このような思い出のある著者が、齢85歳になった一老人としての美学を書いたのが本書である。著者によると、「美学」と称したのは、老化によって言動・言説など生活態度や見た目や立ち振る舞いがみっともなくなることを避ける、実際的な知恵を書いているからであると言う。私も常々自分なりの「美学」をもって老年期を過ごしたいと思っているので、その生き方について本書を大いに参考にさせていただこうと思っている。

 

 まず、著者が63歳の時に書いた老人を主人公にした長篇小説『敵』において描いた、ひたすらリアルで理想的な「老人の美」とは、「抑制の美」であったと言う。それは「単に何もかもを抑制し、あらゆる欲望を我慢するだけでなく、それらを上手に飼いならして愉しみに替えたりするずるさも併せ持った抑制」である。もちろん老齢になれば性行為や食事などは、性欲や食欲が衰えるために努力なしで自然と抑制できる。反面、名誉欲や名声欲、即ち権力欲が亢進したり、我儘になり頑固になり怒りっぽくなるという老人性の退行現象が起こる。このような反美学的傾向を如何に抑制するかが、老年の生き方として問われるのである。この点、私は若い頃から取り組んできた哲学的・倫理学的な学びを継続することで、自分なりに納得した「自利自他の精神」を培い、「間人」としての相互主体的な在り方を目指していこうと考えている。その結果として、「抑制的な生き方」ができるようになり、自分なりの「老人の美学」になっていくものと考えている。

 

 次に、著者は先に紹介した『俗物図鑑』を担当してくれた編集者の実例に基づいて、単に昔の知人に会いたいというだけでなく、その知人から何かを得ようとする行為は、「老人の美学」に反する行為であると断言している。確かに、私も還暦を迎えた年に開催された中学校の同窓会に出席した時、当時あまり親しくもなかった何人かの同級生から名刺を手渡され、預金や株式投資などの勧誘をされたことがある。あれは昔を懐かしがることを主旨として催された宴会には相応しくない、ちょっと興醒めの無粋な振る舞いであったと思う。この点に関しては、「他人のふり見て我が振り直せ」のことわざの如く、卑しい気持ちで旧友との再会を企図しないように自己を諌めておきたい。

 

 また、上述の実例とも関連して、著者は「仕事をしなくてすむ境遇になった人の仕事は、孤独に耐えることである。」と、自律的な「老人の美学」を具現化した姿を描いている。例えば、毎日のようにしているルーティン・ワーク、つまり読書・テレビ視聴・ビデオ鑑賞・掃除・本棚などの整理・庭の手入れ・自分史の執筆・一人でできる新たな趣味などに無心に取り組むこと。私は70歳になるまでは第2・第3の仕事を見つけてしていこうと考えているが、その後の自律的な生活を見通して教職を定年退職してから、特に読書の時間を増やしたり、定期的にテニスをする機会を作ったり、暇を見つけては妻と共にカラオケやビデオ鑑賞をしたりするなど、様々な趣味をもって生活を楽しんでいる。また万が一、私の方が生き残ったとしても、現職中に単身赴任をして身に付けた家事全般の仕方を活かして、日常生活を自律的に過ごしていくことができると思う。くれぐれも孤独の中で人恋しさのあまり、安易に過去に世話をした人々を訪ね歩くような愚行を重ねないようにしたいものである。

 

 最後に、著者は12章で構成している本書の中に「美しい老後は伴侶との融和にあり」という章を立てて、「老人の自律的な孤独」とは一見反するような「たいていの老人にとって、伴侶さえいれば孤独ではないし、社会的な孤独にも耐えることができるのである。」と、自分たち夫婦の実例に基づいて老夫婦のあるべき姿を描いている。年老いてからも互いに心の底が信頼で結ばれている夫婦関係こそ、「老夫婦の美学」とでもいうものなのである。そのような美学を作り上げるには、結婚以来のお互いの信頼感を得る関係性がものをいう。私たち夫婦も、若い頃は家族の将来設計のイメージにズレが出ることがあり、口喧嘩をしたこともたまにはあったが、その時は本音で話し合った上で合意したことを誠実に実行してきたので、信頼がより深まってきたという歴史がある。したがって、今のところは良好な夫婦関係を築けてきたと私は思っている。日常的な対話の内容から、おそらく妻の気持ちも私と大きくズレてはいないと確信している。これからもお互いを一人の人間として尊敬し合い、老後生活を共に愉しく送り、やむなく死別するまで添い遂げたいものである。