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大学入学共通テストにおける「国語の記述式問題」について考える~紅野謙介著『国語教育の危機-大学入学共通テストと新学習指導要領』を参考にして~

     大学入学共通テストにおける「英語の民間試験導入」について、萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言で紛糾した後の11月1日、文科省は来年4月からの実施を見送る方針を固めた。また、その問題と並行して、以前から問題構成や採点方法等のあり方について課題があると批判を受けていた「国語の記述式問題」についても、受験者である高校生をはじめ多くの教育関係者から中止を求める声が高まっている。一体、どのようなことが具体的に問題になっているのだろうか。私は、それらの問題点もさることながら、そもそも今回の大学入試改革にはどのような背景があるのか知りたくなり、その参考になる本はないか近所の書店へ探しに行った。

 

 私が参考になりそうだと選んだのが、『国語教育の危機-大学入学共通テストと新学習指導要領』(紅野謙介著)という新書である。著者の紅野氏は、日本近代文学を専攻している日本大学文学部教授で、我が国の国語教育の第一人者と言われている方である。本書は、その著者が大学入学共通テストにおける国語の問題の分析と評価を通して、国語教育の危機について考えるという内容である。今回の大学入試改革の背景や「国語の記述式問題」の課題についても述べているので、本記事ではその部分を参考にしつつ私なりに考えたことをまとめてみたい。

 

   まず、著者は今回の大学入試改革の背景には、「学習指導要領」の歴史的な大改訂を含めた高大接続改革の政策を進めるという政府の方針があると言う。文科省は、いわゆる「ゆとり教育」で足りないと指摘された基礎学力もつけた上で、特に「思考力・判断力・表現力」という学力の育成を目指して、2017年以降、順次、幼稚園から高等学校までの新「学習指導要領」を告示した。そして、その目的を成就するために、大学入学選抜制度を変更することにした。1990年以来実施してきた、いわゆる「センター入試」は2020年1月の入試を最後にして、2021年からは「大学入学共通テスト」を実施することにしたのである。しかし、高等学校の新「学習指導要領」は、2022年度から年次進行による実施予定である。したがって、本来であれば学年進行に合わせて3年後の2025年度の大学入学選抜制度から変えるべきであるが、文科省は性急な改変を求めた。この改変はその間に移行措置があるとは言え、あまりに無謀な措置であると言わざるを得ない。しかも、今までは「マークシート式問題」で行ってきたが、今回は新「学習指導要領」の中核である「思考力・判断力・表現力」という能力判定の出題方法として新たに「記述式問題」を追加して行おうとしているのである。受験者から高い信頼性を得ることができる大学入学選抜制度の設計に費やす時間としては、あまりにも拙速である。私はここに大きな問題点があると思った。

 

 次に、高等学校の教科内容が大きく変化した「国語」「数学」「英語」の3教科の中でも、「学習指導要領」改訂に伴う位置付けが特に大きく変わった「国語」における「記述式問題」の課題について見てみよう。著者は、2017年5月に発表された「大学入学共通テスト」の「国語」の記述式モデル問題例や、同年11月に一部の高校生を対象に実施された「試行調査(プレテスト)」の「国語」記述式問題を分析・評価した上で、次のような課題を指摘している。

① 記述式モデル問題例の作成者たちは、これまでの「国語」の教材や試験問題がどのような考えのもとに生み出されてきたか、歴史も思想も考慮することなく、「実社会とのかかわりが深い文章」を材料としなければならないという与えられた課題にただひたすら応えるためだけに作問したとしか思えない。

② 資料複合型の問題文を作成しているため、問題文の分量がそれまでとは比較にならないほど増えている。これでは「思考力・判断力・表現力」の育成につながらない。

③ 大学入試センターが提示した記述式問題の見本は、論理的な思考や創造的な発想を問うというよりは、複雑な情報の中から必要な情報を取捨選択することばかりを求めている。また、現在の日本の政治・経済・社会によって規定されている「公共」の概念を絶対条件として受け入れようという作成者の思想(イデオロギー)が反映している。

④ 非常に多数の受験者数の答案を採点する場合、採点者が多数になればなるほど「同じ基準」を保ちにくくなる。また、それを解決するために「同じ基準」による採点の厳密化を目指せば目指すほど、「正確に採点することが可能な問題」作りが必須となる。しかし、そうなれば、「正答の条件」をシンプルにして条件の組み合わせも分かりやすくしなければならず、それは結果的に高い正答率となる。そうなれば、試験問題としての「識別力」において効力がなくなり、記述式問題の意義を小さくしてしまう。これでは、かける労力に全く見合わない。

 

    以上の中の①~③は、記述式問題における出題内容に関する課題であり、このことは受験者に多大の負担を強いたり、無意識に保守主義的な考えを潜在化させたり、そもそも問題構成が記述式問題を出題する目的から外れたりすることになる。一体、何のための記述式問題なのかという根本的なことが問われているのではないだろうか。また、④は採点方法の妥当性や信頼性に係わる課題であり、受験者にとって公平・公正な採点方法になっているかどうかが問われている。受験生の将来を決めかねない大学入学選抜制度において、採点者の恣意的な判断によって受験者の中には不利益を被る者が出るかもしれない。どちらの課題も簡単に解決するようなものではなく、じっくりと取り組んだ上で適切な結論を出すべきことである。このままで見切り発車をしてしまうと、受験生には納得できない大学入学選抜制度の改悪という結果になってしまうのではないだろうか。

 

 最後に、著者は「大学入学共通テスト」における「国語の記述式問題」の導入について、次のように総括している。

○ これは導入するという目的のためのみ行われるものであって、選抜試験としての役割を果たしていないし、「国語」の能力開発にも直接、結びついていない。壮大な実験を行い、結果的に国語教育を危うくすることになる。

○ これよりも、実際の「国語」の授業の中で、記述式問題の要素を増やしていく、あるいは「思考力・判断力・表現力」の育成を目指して、小論文形式の課題を取り入れていく方がはるかに効果的である。

 

 本年度、私は地元の私立大学看護学部看護学科の学生に対して「役に立つ読解力を身に付けよう」というテーマで10回の「国語」の授業を担当した。特に後半は看護や介護等に係る医療関係の「意見文(小論文)」を書かせる授業を行ったが、それまでの「基礎的な読解力」を育成する授業に比べて、学生たちの「意見文(小論文)」に取り組む態度は集中していたし、書かれた内容もかなり自由な発想で書かれたものがあった。「国語」において「思考力・判断力・表現力」を育成しようと思えば、著者が言うように普段の授業の中である程度の人数の生徒に対して、小論文形式の課題を取り入れる方が効果的であると実感した。

 

 文科省はこれまでに膨大な予算をつぎ込み、何十万人もの高校生をつき合わせて、「大学入学共通テスト」に「国語の記述式問題」を導入する準備をしてきたが、上述のような解決困難な課題が見出されたのだから、ここは日本の官僚主義集団主義的な思考を止めて、「英語の民間試験導入」と同様に実施の延期あるいは中止という英断をすべきではないだろうか。