ようこそ!「もしもし雑学通信社」へ

「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

病気の自己を客体化することとユーモアについて考える~赤瀬川原平著『増補 健康半分』所収エッセイ「病気陣営の会議」から~

 昨年11月下旬から12月初旬にかけて約1週間、私は突然発病した「虚血性腸炎」で緊急入院を余儀なくされた。約5年前にも同様な経験をしていたので、今回はわりと冷静に対応することができたが、前回は「下血」した際に「悪い病気かな、もしかしたらがんかもしれない…。」などと不安を募らせ、とても動揺したことを記憶している。私は普段から何事が起っても、その時その場の感情に左右されずになるべく冷静に対応しようと心掛けているつもりだったが、思わぬ事態に遭遇するとやはり動揺してしまうものだなあと我ながら情けない気持ちに陥った。平常心を保つには、どのようにすればいいのだろう?私は約5年前の経験以降、そのための方策を無意識の中でも探し求めてきた。そのような中、最近ヒントになりそうな本と出合った。それは、自宅近くの市立中央図書館からこの年末年始に掛けて借りていた『増補 健康半分』(赤瀬川原平著)という文庫本である。特にその中の「病気陣営の会議」という短いエッセイに強く心を惹かれた。

 

 そこで今回は、本書の著者の経歴やこのエッセイの内容に触れつつ、平常心を保つ方策として病気の自己を客体化することとユーモアについて考えてみたい。

 

f:id:moshimoshix:20200111095404j:plain

 

 著者の赤瀬川氏は、1960年代に「ネオ・ダダイズム」の前衛芸術家として活躍。一連の「模型千円札」の作品で当時世間を騒がせた「千円札裁判」の被告となった。70年代にはパロディー漫画家・イラストレーターとしても活躍した。81年には尾辻克彦というペンネームで発表した小説『父が消えた』が芥川賞を受賞。以降、「超芸術トマソン」「路上観察学会」「ライカ同盟」等の幅拾い活動をもとにして多くの著作を発表し、98年にはエッセイ集『老人力』がベストセラーとなった。2014年没。本書は、病院の待合室に置く小冊子『からころ』の巻頭エッセイ「病気の窓」に連載した文章に増補分を加えて編集して、著者の没後に初版発行したものである。

 

 本書所収の「病気陣営の会議」というエッセイは、突然起こった目まいを治す過程で、2年近く悩んだ鼻づまりが解消されたことの原因を実に面白く、ユーモアたっぷりに想像したものである。例えば、次のような箇所である。

 

 …鼻づまりと目まいが即入れ変わったのではなく、二週間のインターバルがある。たぶんこの二週間の間に、病気陣営の内部では激論が交わされていたのではないか。病気二つくらい平気だという強硬派と、いや、いちどに二つはムリだ、という穏健派とが会議を重ねて、穏健派が勝ったのだろう。…

 

 このエッセイを執筆した当時、著者は70代に入り身体のあちこちが痛み、病気がちだったと思われる。それにもかかわらず、上述の表現にもみられるように、著者は病気の自己を客体化してとらえ、その身体を擬人化するユーモアのセンスをもっている。このことは、他の「病気さんとのお付き合い」「内臓の大連立」などのエッセイにも表れており、著者が病気という思わぬ事態に遭遇しても冷静に対応をしている様子が分かる。

 

 このような著者の姿は、脊椎カリエスという不治の病に罹り寝たきりの状態になりながらも、常に自己を客体化しユーモアを忘れないで前向きに生き抜こうとした「正岡子規」の姿と重なる。子規の随想集の一つ『墨汁一滴』の中にある、次のような表現はまるで著者のようである。

 

 …この頃は左の肺の内でブツブツブツブツといふ音が絶えず聞える。これは「怫々々々」と不平を鳴らして居るのであらうか。あるいは「仏々々々」と念仏を唱へて居るのであらうか。あるいは「物々々々」と唯物説でも主張して居るのであらうか。(4月7日)…

 

 子規や著者がもつ、病気の自己を客体化しユーモアを忘れないこのような精神の根底には、思わぬ事態に遭遇しても自分の存在や人生をあるがままに受容して、自己を取り巻く他者と共に楽しく生きていこうとする心性があると思う。お二人とも自己の思想・信条に基づいて目標をしっかりと設定し、その実現に真摯に取り組みつつ、その中で仲間を大切にしてきた人生を貫かれた。私もそうありたい!