「エッセイが得意ではありません。」という書き出しで始まる「あとがき」を読んでいると、その大きな理由が「僕自身が至って平凡な人間で、平凡な日々しか送っていないため、作り話以外のことで他人を楽しませる自信がないから」らしい。何と謙虚な小説家なんだろうと思った。確かに、「所収のエッセイはその技術や工夫の仕方を意識して書かれたものではなく、身の回りで起きた事実や自分が好きな作家・その作品等についてストレートに綴っているものが多いなあ。」というのが、『3652 伊坂幸太郎エッセイ集』(伊坂幸太郎著)を読んだ正直な感想だったし、本書に対して私が好感をもつことができた理由でもあった。
つい先日まで、私の就寝前の愉しみは、睡魔が襲ってくるまでのわずかの時間に本書を読むことであった。今までは「小説→エッセイ集」という順で小説家の作品を読むのが当たり前になっていたが、本書は「エッセイ集→小説」という順で読む初めてのケースである。「伊坂幸太郎」という小説家については、ずっと以前に『重力ピエロ』という作品が映画化され、それがテレビで放映されていたのを観たことがあり、その原作者だと知ったのが最初の認識であった。その後、二女との何気ない会話の中で、「伊坂幸太郎の『ゴールデンスタンバー』という作品が面白い。」というのを聞いた時に「ああ、あの『重力ピエロ』の著者の作品か。」とちらっと思った程度だった。そんな私が、なぜその小説家のエッセイ集を小説より先に読むことになったのか。
それは本書を古書店で見つけた時に、妻と約束していた帰宅時刻が気になって慌てていたからである。そして、何よりも題名が「3652」という数字だったからである。新たな視点で描かれた警察小説で著名になった横山秀夫の作品に『64(ロクヨン)』という数字を使った題名の小説があり、その印象が強く残っていたので、私はてっきり「3652」という数字(因みに、「3652」という数字は、著者の10周年を記念して出版するエッセイ集なので、365日×10年で、さらにうるう年が2回あるので、3652日になるからと編集者が言ったから決めたタイトルだそうである。)を見た時に、その下に「伊坂幸太郎エッセイ集」とはっきりと書かれているのにもかかわらず、「これは、面白そうな小説だな。」と勘違いして、普段ならざっと目を通して中身を確認するのに、それもしないで即買いしてしまったのである。でも、それが返ってよかったのかもしれないと今では思っている。その理由は、読み進んでいく内にこの「エッセイが苦手な小説家のエッセイ集」の魅力に私が気付いたからである。
では、私が気付いた本書の魅力なるものを二つだけ綴ってみよう。
一つ目は、親しい記者からから依頼され、毎年著者を悩ませることになった「干支エッセイ」。2004年から2015年までの12年間、中日新聞の正月某日の夕刊に掲載されたものである。順を追って題名を列挙すると、「猿で、赤面」「吾輩は「干支」である」「父の犬好き」「猪作家」「逃げ出したネズミ」「牛の気持ち」「おもちゃの公約」「う・さぎの話」「タツノオトシゴの記憶」「時にはどくろを巻いて」「木馬が怖い」「メエにはメエ」。当該年の干支にまつわるエッセイなのであるが、私は壺に嵌ってしまった。その中でも「逃げ出したネズミ」「う・さぎの話」「木馬が怖い」が特に面白かった。各エッセイの最後に記される駄洒落が気に入ったのである。私は、他人からは哲学好きの堅物のように見えるらしいが、本当は駄洒落好きのお笑い大好き人間なのである。だから、これらのエッセイを読んで最後にニンマリしてしまった。なお、著者がこのエッセイの内容を構想するのに悪戦苦闘している様子が欄外に記されているが、この欄外メモもエッセイの内容とともに楽しませてくれる。
二つ目に私が気に入ったのが、「豊かで広大な島田山脈の入り口」という著者渾身のエッセイ。「本の雑誌」2013年5月号に掲載されたものである。この中で、著者は島田荘司という推理作家のいくつかの代表作について熱く語っている。御手洗潔シリーズの短編集『御手洗潔のダンス』や大長編『暗闇坂の人喰いの木』『水晶のピラミッド』『アトポス』『アルカトラズ幻想』『ロシア幽霊軍艦事件』の外、吉敷竹史シリーズの『北の夕鶴2/3の殺人』『奇想、天を動かす』『羽衣伝説の記憶』『涙流れるままに』、その他として『都市のトパーズ』『消える「水晶特急」』『灰の迷宮』『夏、19歳の肖像』等を取り上げているが、私はその中の吉敷竹史シリーズが好きでその多くの作品を読んでいた。だから、著者に対して強い親近感を憶えたのである。また、TBS系テレビの月曜ゴールデンで鹿賀丈史主演の「警視庁三係・吉敷竹史シリーズ」として放映されたので、多くの読者の皆さんもご存じなのではないかと思う。とにかく島田作品に対する著者の思い入れは並大抵ではない。そこに、私は堪らなく共感したのである。
本書を読み終わって、私は著者の小説を読んでみたいという気持ちになった。果たして小説そのものの魅力に取り付かれるようになるかは定かではないが、いつも通い慣れた古書店で先日入手した『終末のフール』と『チルドレン』から手始めに読んでみたいと考えている。愉しみ、愉しみ…