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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

PV数がとうとう10,000回を突破!これからの当ブログの運営方針について展望する

 平成30年12月2日に当ブログを開設してから1年4か月足らずを経て、PV数がとうとう10,000回を突破した。私にとって、10,000回という数は夢のような数字。PV数が5,000回を突破した時(2019〈令和元〉年9月20日)には、それまでの記事の投稿数が123だったが、今回(2020〈令和2〉年3月23日)までの記事の投稿数は172なので、この半年間ほどの約50の投稿数で約5,000回のPV数を得たことになる。もちろんこの回数は単純に閲覧者数を表すものではなく、あくまで閲覧回数なので、新しく投稿した記事を同じ読者がその度に閲覧してくれた回数がほとんどかもしれない。しかし、単純に(PV数÷記事の投稿数)の計算をすると、今までの投稿記事を閲覧した平均回数は58回ほどになる。あまり実質的な意味はないかもしれないが、投稿した記事毎に約60回閲覧してくれていると考えると、今までに閲覧してくださった読者の皆様方お一人一人に対して「表現が拙く悪文だらけの当ブログの記事を読んでくださって、本当に有難うございます。」とお礼の言葉を伝えたい。

 

 そこで、PV数が10,000回を突破したことを一つの節目と考え、当ブログの今までの運営方針について前回の記事に倣って反省するとともに、これからの運営方針について展望してみたい。

 

 まず、カテゴリー別の投稿数の傾向を見てみる。当ブログの記事のカテゴリーは、「健康・スポーツ」「教育・子育て」「人生・生き方」の3つに絞っているが、今までのカテゴリー別投稿数(重複あり)を見ると、「健康・スポーツ」71回、「教育・子育て」71回、そして「人生・生き方」89回となっている。昨年9月20日の時点では「健康・スポーツ」59回、「教育・子育て」52回、「人生・生き方」57回だったので、この半年の間、「人生・生き方」のカテゴリーの記事にかなり偏っていたことになる。その理由の一つは、昨年10月の誕生日で私は65歳になり、高齢者の仲間入りをしたことによって「老年」の心境や生き様に対する関心を強めたからである。もう一つの理由は、昨年11月末から12月初旬に掛けて約1週間、思わぬ入院生活を余儀なくされ、その病床における読書経験がきっかけで「哲学対話」や「哲学カフェ」という取組に興味をもち、それに関する本を読み漁ってきたからである。私としては、この間の自分の生活史における必然的な流れに即した記事を投稿したのであり、他のカテゴリーの記事が少なくなったのもやむを得ない事情があったのである。そもそもこの3つのカテゴリーの記事をバランスよく投稿するのが目的ではなく、自分なりの興味・関心に基づいて記事を綴れば結果的に3つのカテゴリーに関する記事になるだろうと想定してのことである。だから、3つのカテゴリーの記事の投稿数のバランスを取る必要はないのである。ただ、私の性格的なこだわりからそのようにしないといけないのではないかという脅迫的なプレッシャーを感じてしまうのである。改めて自分の真面目な(?)性格からはなかなか自由になれない。困ったものだ…。

 

 次に、文章量(文字数)の傾向を見てみる。当ブログを開設した頃は、400字詰め原稿用紙4枚(1,600字)程度から多い時でも5枚(2,000字)程度であったが、途中からは400字詰め原稿用紙6枚(2,400字)程度から多い時には8枚(3,200字)程度になってきた。テーマによって文章量の違いがあるが、当ブログの記事はその多くが自分の課題意識に即して読んだ本から学んだり考えたりしたことを綴ることが多いために、著者の意見や考えをなるべく尊重して丁寧に論述すると文章量が増えてしまう傾向がある。私としては、著者の意見や考えをもっと簡潔に要約したいと考えてはいるのだが、それはなかなか容易なことではなく、ついつい駄文を重ねてしまうことになる。もっと的確な要約力を培いたいと思っている。また、テーマの主旨をもっと明確にしていくと、要約する内容も限られるためにそれに費やす文章量が少なくなると思うので、この点からも記事のテーマ性について熟考する必要がある。多くの読者に読んでもらうためには、テーマ性を明確にして、読んだ本の著者の意見や考えを的確に要約するとともに、自分なりの意見や考えを簡潔に述べるような記事を増やしていきたいものである。

 

 最後に、前述した内容と関連して、今までの記事の文体や論調についての傾向も見てみよう。昨年9月20日の記事の中で、私は「精神的に余裕をもって生き、もう少しユーモアやウェットのある文章を書きたい。」という主旨のことを記していた。しかし、実態はどうかというと、「まだまだ努力不足!」と言われても致し方がない実情がある。何とか自分の理想とする文体や論調にしようと時には著名な作家のエッセイ集を読んでみるが、「読む」と「書く」とは大違い。私は自分の無教養ぶりが発覚しないようにと、俄か勉強によって表層的に理解したことをついつい披露したくなるという情けない文章を書いてしまう。この点、無様ではあっても自分のあるがままの姿をもっと素直に晒すことに心掛ける必要がある。そこで、私は自分の殻を破るつもりで、自分の好む作家が自然体で綴った「軽やかな文体と論調のエッセイ」を真似るところから始めてみようと考えている。何事も「学ぶ」ためのスタートは「真似る」ことなのだから…。