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「読書」を楽しむ「純文学」の読み方について~平野啓一郎著『本の読み方―スロー・リーディングの実践―』から学ぶ~

 前回の記事で、又吉直樹氏の「文芸評論」的な文章を参考にして、私は「純文学」の今までの読み方を見直す必要があると綴った。そして、その見直しの内容は登場人物の心情や場面ごとの情景等をじっくりと味わいながら深く読むことをイメージしていた。しかし、具体的にはどのような読み方をしたらよいか、まだ明確ではなかった。そんな私にとって、「読書」を楽しむ「純文学」の読み方について的確に指南してくれそうな本があった。それは『本の読み方―スロー・リーディングの実践―』(平野啓一郎著)という本。私の書棚に物静かに並んでいて、いつか私に読んでもらう機会を待っていた本である。今回、まさにその機会を得たという訳である。

 

 そこで今回は、「読書」を楽しむ「純文学」の読み方について、本書から学んだことを私なりに整理して綴ってみたいと思う。

 

 著者は本書の序「本はどう読めばいいのか?」において、読書を楽しむ秘訣は、何よりも「速読コンプレックス」から解放されることであると述べ、徹底したアンチ速読を奨励している。また、一冊の本にできるだけ時間をかけ、ゆっくりと読むことを意味する「スロー・リーディング」とは、「差がつく読書術」であるとも述べている。さらに、「スロー・リーディング」の基礎編・テクニック編・実践編の三部で構成している本文では、闇雲に活字を追うだけの貧しい読書から、味わい、考え、深く感じる豊かな読書へと転換するための本の読み方のコツを具体的に紹介している。どちらかというと速読に憧れていた私にとって、今までの本の読み方を見直す上で多くの示唆を与えてくれそうである。さて、さて…。

 

 第1部の「スロー・リーディング」の基礎編で紹介している本の読み方のコツで特に印象に残った内容は、「スロー・リーディング」の方法の一つである、「書き手の視点で読む」「書き手になったつもりで読む」という読み方。具体的には、作品の書き手はみんな、自分の本をスロー・リーディングしてもらう前提で書いているので、書き手の仕掛けや工夫を見落とさないようにすれば、「読書」は今よりも楽しいものになると言っている。そして、「作者の意図」を正確に理解し、その上で、自分なりの考えをしっかりと巡らせることができれば、読書はその人だけの個性的な体験になると言う。そう、そう…。

 

 第2部の「スロー・リーディング」のテクニック編で特に印象に残った内容を挙げると、スロー・リーディングを通じて熟考した末、「作者の意図」以上に興味深い内容を探り当てる「豊かな誤読」を勧めていること。「スロー・リーディング」の極意とは、一方で自由な「誤読」を楽しみつつ、他方で「作者の意図」を考えるという作業を同時に行うような本の読み方である。また、そのような読み方をするには、文章の中で疑問に感じた個所があったら、立ち止まって「どうして?」と考えて、言葉の森を奥へ奥へと分け入っていくことが大切だとも著者は言っている。そして、このような過程で読者は主体的に考える力を伸ばしていく。それこそが読書本来の目的なのである。私は、今までこのような過程を避けてきたように思う。単に知識を得ることを目的とした読書に無意識に偏っていたのではないか。大いに反省すべきである。ただし、著者がスロー・リーディングの技術として「黙読」や「人に話すことを想定して読む」こと、「傍線や印を付けながら読む」ことなどを挙げている点について、私は強い共感を覚えた。私の今までの本の読み方にもよい点があったのだ。ふむ、ふむ…。

 

 第3部の「スロー・リーディング」の実践編で私が特に印象深かった内容は、著者による森 鷗外著『高瀬舟』の読み方の解説である。『高瀬舟』という作品の現代的主題は、財産についての観念、つまり「足ることを知る」という心情と、ユウタナイジについての観念、つまり「安楽死」の問題があると言われている。そして、この作品は特に後者についてこれ以上ないほどの厳密な設定の中で展開して見せた小説である。私は著者の読み方の解説、つまりスロー・リーディングの結果を読み、舌を巻いてしまった。ここまで「作者の意図」を深く読み解くことができるのか。「純文学」を「スロー・リーディング」という読み方で読む面白さや楽しさがとてもよく分かった。今度は、私がやってみる番だ!さて、どの作品を読もうかな?そして、私なりに「スロー・リーディング」をした結果は、どうなるのだろう?楽しみ、楽しみ…。