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感染症ウイルスによる究極の生物兵器の発想は衝撃的だった!~松本清張著『赤い氷河期』を読んで~

 今年のゴールデンウィークは、東京都だけでなく日本中が「ステイホーム」週間になった。その理由は、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために発出された「緊急事態宣言」に基づいて国や各自治体から不要不急の外出自粛の要請があり、ほとんどの日本国民がそれを真摯に実行したからである。私たち夫婦も買い物のために近くのスーパ―マーケットに出掛けたり、夕食後に人通りがほとんどないウォーキングコースを歩いたりする以外は、家の中でずっと過ごしていた。そのせいか、普段よりもテレビを観る時間が多くなり、昼間は各種のワイドショーや再放送のミステリー番組、夜はドラマや報道番組等をよく観ていた。

 

    そのような中で、「松本清張」に関係する番組を観る機会が結構あった。NHK放送に限っても、Eテレで5/4(月)に100分de名著のアンコール放送「松本清張 スペシャル」、BSプレミアムで5/8(金)に新日本風土記 スペシャル「松本清張 鉄道の旅」、5/9(土)に松本清張ドラマ「黒い画集―証言―」などの番組である。私はそれらの番組を視聴しながら、20代から30代に掛けてよく読んだ清張作品のことを思い出していた。初めて読んだ作品は、『時間の習俗』。続いて読んだのは、名作『点と線』。それからは、『Dの複合』『砂の器』『歪んだ複写』『目の壁』『黒い福音』『蒼ざめた礼服』『わるいやつら』等と読み進め、中でも『砂の器』は大変感動的な作品として私の心に残った。それからしばらく間を置いて、また『霧の旗』『犯罪の回送』『落差』等も読んだ。懐かしい!書斎とは別の場所に置いている本棚に並べたそれらの作品を改めて眺めている時、購入したもののもう数十年間も積読状態にしていた作品があることに気付いた。それは、『赤い氷河期』という長編サスペンスである。私は、この機会に読んでみようと思い立った。

 

 本作品は、現代のペストと言われるエイズが猖獗を極め、患者が一億五千万人にも及ぼうとしている21世紀初頭の絶望的な状況を描いている。物語は、日本からの行政制度視察団の一員である衆議院議員が、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の都市ミュンヘンの近郊にあるシュタルンベルツ湖面で浮遊していた首なし死体を発見したことから始まる。この死体の身元は誰で、なぜ殺され首を切られていたのかという謎を解決していく過程で、ネオ・ナチ運動の動きやエイズ発生の謎、血友病患者に夥しいエイズ汚染をもたらした血液凝固因子製剤の役割、エイズウイルスとインフルエンザウイルスとを混ぜ合わせることによる新しい生物兵器の使用疑惑等、当時の世界情勢の政治的・社会的・歴史的背景を明らかにしていく。ただし、本作品はこの殺人事件を解決していく名刑事や名探偵の活躍ぶりを描くミステリー小説ではない。

 

 物語の主人公的な役割を果たすのは、スイスのチューリッヒにあるIHC(国際健康管理委員会)の調査局調査部調査課長の山上爾策と、彼の周囲で神出鬼没な行動をするアイデア販売業の福光福太郎ことヒント・コンサルタントの田代明路である。二人は、それぞれの立場や考えから、エイズの急激な蔓延に係わる問題を探索していく中で、複雑な絡み合いをしていき、結果的に殺人事件の謎を解きほぐしていくのである。また、その謎解きに重要な役割を果たしている山上の上司、調査局長のエルンスト・ハンゲマンの言動にも注意しなくてはならない。さらに、福光に深くかかわる女性陣も物語の展開を華やかに彩ると共に、思わぬ役割を果たしている点も見逃せない。本作品は長編にもかかわらず、物語がテンポよく意外な展開を見せるので、それを理解しようと必死になって読んでいる内につい時間が経ってしまう。その意味で、時間を短く感じさせてしまう傑作なのである。

 

 私は本作品を読みながら、現在の新型コロナウイルスに係わる様々な事象と同様の構造的な問題を感じてしまった。それは、ハンゲマン局長の次のような言葉である。「…しかし、14世紀のペスト流行はヨーロッパ地域に限定されていた。そして、自然と終熄した。エイズの猖獗は全世界を掩っている。熄むどころかますますさかんだ。医者はワクチンや全治薬の研究に懸命だが、ひょっとするとエイズウイルスは、癌細胞のように、人間にとって手に負えない難物じゃないかと思われるくらいだね。やはり、いまのところ、人類をエイズの災いによる破滅から救うには感染者の隔離法しかないと思うね。だが、それが可能なのは絶対主義体制の国だけです」

 

    エイズは新型コロナと同様に感染症ではあるが、エイズウイルスは新型コロナウイルスのように接触感染や飛沫感染等という日常生活の接触による感染の危険性はない。つまり、エイズ陽性者は、職場でも、家庭でも、学校でも、簡単な衛生生活を実行すれば、普通の生活を送ってさしつかえない。その意味では、上述のハンゲマン局長の言葉は、矛盾がある。しかし、現在、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスは、まだワクチンや全治薬が開発されていないので、感染防止のためには感染者の隔離法しかない。そのために、各国は都市のロックダウン対策や外出自粛要請等を講じており、その徹底を図るためには自由主義体制より絶対主義体制が有利である。もちろんフランスやイギリスなどの自由主義体制下であっても外出禁止令に従わなければ罰金刑を科すなどして、その徹底を図っている。だが、日本の場合は、あくまでも罰金刑のない外出自粛要請しかできないので、不徹底である。これは、ポスト・コロナにおける再検討課題である。

 

 私が本作品の中で最も衝撃だったのは、インフルエンザウイルスにエイズウイルスを仕込んで敵国にばらまき、風邪に罹った者は同時にのどにエイズウイルスを蓄えることになり、口中にちょっとした傷でもできればエイズに感染するという、究極の生物兵器の発想である。これは、“地獄の黙示録”のイメージであり、著者の類まれな情報力によって探り当てられた“事実”なのかもしれないのである。松本清張という作家の文学性は、このような凄みを帯びた事実のド迫力によって支えられているのでないかという解説者の岡庭昇氏の指摘に対して、私は反論する術がないほどに本作品が仕上がっていると思った。また、新型コロナウイルスの発症源に関するアメリカと中国の相互批判の中にも、この生物兵器の開発という問題が横たわっているのではないかと、私はつい勘ぐってしまった。

 

 最後になってしまったが、本作品を読み進める上で私ならではの苦労もあった。それは、私が卒業したのは商業高校だったので世界地理や世界史を履修していなかったために、ヨーロッパの地理的・歴史的な事象について描いている場面では、見慣れないカタカナ表記の地名や都市名等に戸惑い、内容を理解しながら読み通すのに苦労したことである。社会科の教員免許を取得した者としては、はなはだお恥ずかしい限りであるが、事実なので弁解のしようがない。やはり基礎的な教養は青少年時代にしっかりと修得しておくべきだと、読後に改めて自省の念に駆られた次第である。