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我が故郷における原体験を想い起すと…~安野光雅著『いずれの日にか国に帰らん』に触発されて~

 私は「安野光雅」の絵が好きである。いつ頃から好きになったのかは定かではないが、娘たちが幼い頃に買ってあげた『天動説の絵本―てんがうごいていたころのはなし―』という彼の絵本が自宅の収納棚に仕舞っていたので、今から30年ほど前にはファンになっていたと思う。繊細なタッチで描かれた水彩画は、とても爽やかな雰囲気を醸し出していて、心安らぐ気分になる。私はそれ以降も彼の描いた絵を観るたびに、心が癒された。

 

 記憶を辿ってみると、彼は司馬遼太郎氏が週刊朝日に連載した『街道をゆく』シリーズにおいて挿絵を担当していた。自宅の書棚にある『街道をゆく40 台湾紀行』の中に数点の挿絵が掲載されているが、本文の中には彼のことが記されている箇所がある。「井沢修二の末裔」という項である。その中で司馬氏は彼のことを「自分のなかにわらべをのこしたまま、風霜に堪え、世俗に堪え、老いに堪え、しかも自分のなかのわらべをまるまると桃色に太らせているひと」と記している。

 

 そんな彼の著書『いずれの日にか国に帰らん』を見つけたのは、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために休館していた市立中央図書館が久し振りに再館した5月20日(水)の午後であった。日本人作家のネームプレートが街中の看板のように並んでいる書架の間を何気なく巡っていた時に、「安野光雅」というプレートが目に映った。私は彼が著した何冊かの本の背表紙に書かれている書名に目を移した。すると、以前の記事で取り上げた『それでも読書はやめられない―本読みの極意は「守・破・離」にあり―』(勢古浩爾著)の中で紹介されていた本書があった。私は衝動的に手が伸び、そのまま借りることにしたのである。

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 そこで今回は、本書の読後所感とともに、その内容に触発されて想い起した我が故郷における原体験の一部を綴ってみたいと思う。

 

 「あとがき」には、弟が13歳の頃に叔母の家へ養子に行くことになったことに反対しなかった罪滅ぼしの意味と、追悼の感慨を込めて本書を書いたと記してある。しかし、筆が走って私たちの故郷のことばかり書いたような気がするとも付け加えている。確かに本書には著者の生地・津和野やそこで過ごした子ども時代(昭和初期)の日々の記憶等について書かれた文章が多いが、その中には5歳下の弟・宗男さんへの愛情が溢れた記述も見られ、著者の温かい人柄がそのまま表れたエッセイ集になっている。また、折々に故郷・津和野の懐かしい風景が著者特有のタッチで描かれていて、ほのぼのとした雰囲気を醸し出している。さらに、教職を退職した後に挿絵画家になった宗男さんの描いた絵も最後の方に収録されている。著者のタッチとは異なるが対象を写実的に描いている宗男さんの絵も、私の感性にピッタリ合っていて、清々しい気分に浸ることができた。

 

 私は見たことがない津和地の情景を思い浮かべながら本書を読んでいったが、特に「十二 空き地」を読んでいる際には、自分の子ども時代(昭和30~40年代)の我が故郷における原体験を想い起していた。私は昭和29年生まれなので、子ども時代というのは我が国の「高度経済成長期」真っ只中の頃である。私が生まれ育った故郷は、実は現在の自宅がある町の隣町に当たる場所なので、大袈裟に故郷などと言うほどではない。しかし、当時遊び場にしていた広場や河原等は、現在は護岸工事によってきれいに整備されてその地帯全域は緑地公園へと変貌しているので、故郷のあの懐かしい景色は見ることができない。

 

    私の娘たちが幼い頃は、自宅から数分で行けるその緑地公園へ一緒に連れて行き、様々な遊具で遊んだものである。その同じ場所は私が子ども時代、雑草が鬱蒼としている広場であったが、当時は近所の悪ガキどもと一緒に三角ベースをしたり、手拭を頭巾にしてチャンバラごっこをしたりして遊んだ。また、雑草と砂地に溢れた河原では、土団子を作ったり落とし穴を仕掛けたりして遊んだ。時には、川の対岸の悪ガキどもと石を投げ合って牽制したりもした。さらに、川に架かっている民間鉄道の鉄橋付近でもよく遊んだ。今なら絶対にできないような危険な遊びもした。例えば、鉄橋の枕木を走って渡ったり、線路の上を綱渡りのようにして歩いたりする遊びを競うようにしていた。中には、鉄橋から転落して大怪我をした友達も出た。その鉄橋の下の川には自分たちで作った筏を浮かべて水遊びをした記憶も残っている。川の中に裸足で入り、ざるの様なもので川魚を獲ったりもした。その魚獲りの夢中になっていた時に、水面をくねくねとこちらに泳いでくる白い蛇を見て、大慌てで対岸に逃げたことがあった。その鮮明な記憶を蘇らせると、今でも心臓の音が聞こえてきそうになる。本当に怖かった!けど、楽しかったなあ…。 

 

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 これらの思い出以外にも、ドキドキ、ワクワクするような記憶を想い起すことができる。それは、土手の平地にあった元理容専門学校の廃校施設で遊んだ記憶である。土手の道路側からその廃校施設の天井裏に入ることができる場所があり、私たち悪ガキどもはそこに入ってよく遊んでいた。天井板の外れた所から眺めた理容用椅子や写し鏡の残骸の景色は、何とも不思議な感覚を誘い、日常的な風景とは一味も二味も違う異界の景色のようであった。また、廃校施設の屋根伝いに逃げたり追い掛けたりする鬼ごっこもスリル満点の遊びだった。時には割れた瓦に躓いて足に怪我をすることもあったが、それぐらいのリスクがあるから一層面白いのである。今の子どもたちの遊びには、このような危険と背中合わせの野外遊びが保障されているだろうか。それは無理だろうと思う。今は、安全面への配慮が第一に優先される時代。仕方がないと思う反面、子ども時代にはもっとリスクを伴う刺激のある遊びをさせてやりたいと思うのは、私のような子ども時代を生きた年代だけなのであろうか。

 

 以上、本書に触発されて想い起した我が故郷における原体験の一部を綴ってみた。本当にあの頃の私は「今、ここ」を生き切っていた。幼稚園・小学校・中学校の学校生活、特に授業場面を想い起すことはほとんどできない私だが、帰宅後や休みの日に自由に外遊びをした記憶は鮮明に想い起すことができる。そして、今、老年期を迎えた私の核になっているのは、このような原体験だとつくづく実感する。今の子どもたちにドキドキ、ワクワクするような外遊びを思いっ切りさせてやりたいものである!!