「いつから教師は尊敬されなくなったのか?」という問いは、以前は尊敬されていたが今は尊敬されなくなったという歴史的経緯を考察することになる。確かに私自身の経験でも、昔は教師に対して保護者や子供たちは尊敬の念を抱いていたと言える。少なくとも、今から45年ほど前に私が教師になった頃は、まだ教師に対する信頼感のようなものを感じた。しかし、今から5年ほど前に私が教職生活を終えた頃にはもう以前のような教師に対する信頼感は薄れているように感じた。人に対して「尊敬」という感情を抱くには、何よりもその人に対する「信頼感」がないといけないと私は思うが、その「信頼感」そのものがこの半世紀ほどの間でも薄れてきていたというのが、私の実感なのである。
前々回の記事で、学校再開と教育改革の狭間でジレンマを抱いている教師の役割や対応策等について綴っていた際、私はふと「でも、この役割を果たすためには、保護者や子どもたちが教師に対して尊敬の念やその基本となる信頼感をもっていることが前提だが、果たしてそれは保たれているのかな。」という疑問が沸いてきた。そして、数か月前にある古書店で購入した『尊敬されない教師』(諏訪哲二著)という本を思い出した。遅ればせながら読んでみると、「いつから教師は尊敬されなくなったのか?」という問いに対する的確な回答になっている箇所があり、私にとって腑に落ちるものであった。
そこで今回は、本書のその箇所から学んだことをまとめながら、公教育を担う教師の在り方について私なりに考えていることを綴ってみたい。
まず、著者の経歴と著書等について簡単に触れておこう。諏訪氏は、埼玉県の公立高校で英語の教員を40年近く勤め、2001年3月に定年退職。 現在、「プロ教師の会」(旧・埼玉教育塾)名誉会長。「プロ教師の会」は、1980年代後半に「ザ・中学教師」シリーズを刊行して反響を呼んだ。諏訪氏はその理論的支柱であり、一方の実践的支柱であった河上亮一氏と共に健筆を振るい、長年にわたり教育分野で問題提起を続けてきた方である。私が地元国立大学教育学部附属小学校に赴任して2・3年目頃に、『イロニ-としての戦後教育』という本を読み、戦後民主主義教育の理念を疑ってなかった私は、最初その主張に強い違和感を抱いたことを今でも覚えている。しかし、著者の教師としての強い信念のようなものには何か惹かれるところがあったので、その後も『反動的! 学校、この民主主義パラダイス』『学校の終わり』『<平等主義>が学校を殺した』『ただの教師に何ができるか』『学校に金八先生はいらない』『教師と生徒は“敵”である』『学校はなぜ壊れたか』『教育改革幻想をはねかえす』『プロ教師の見た教育改革』『オレ様化する子どもたち』『学校のモンスター』『学力とは何か』『間違いだらけの教育論』『生徒たちには言えないこと 教師の矜持とは何か?』『いじめ論の大罪 - なぜ同じ過ちを繰り返すのか?』『「プロ教師」の流儀 キレイゴトぬきの教育入門』等の著書群を今まで読み続けてきた。本書は、これまでの主張をベースにした総括的な教師論になっている。
次に、本書の内容の概要を掴むために全体の構成にも触れておこう。「はじめに」の後、「第1章 教師への誤解」「第2章 混迷する教育現場」「第3章 子どもはなぜ変わったか」「第4章 教育を動かすちから」「第5章 教師が尊敬されない国に未来はない」という5部構成になっており、最終章の表題が著者の一番主張したいことである。日本において教師が尊敬されなくなった歴史的経緯については、特に第1章の後半に触れているので次にその内容の概要をまとめてみたい。
著者によると、近代の産業社会に貧しい段階から離陸しようとしている国々や地域では、教育は重視され、教師は尊敬されると言う。日本では「農業社会的な近代」から「産業社会的な近代」に移行・発展しようとしていた時期(75年前ごろ)には、学校ないしは教師の「権威」は確立していた。ところが、日本で教師が尊敬されなくなったのは、「近代への離陸」が完成する「消費社会的な近代」へ入っていく時期(40年前ごろ)からだと言っている。このような歴史的な経緯の概要を分かりやすく示すと次のようになる。
① 「農業社会的な近代」…明治から1960(昭和35)年くらいまでは、都市化、工業化は進みつつあったが、社会構造的には農村共同体的なものが中心になっており、個人の利益より共同体的なつながりが重視された。このような共同体的な社会では、「親」や「教師」の権威は自ずと高く、学校が子どもを一人前にしてくれるのは国や社会による恩恵的なものと考えられ、そういう行為をしてくれる教師はみんなから尊敬されることになったのである。
② 「産業社会的な近代」…1960(昭和35)年くらいから1975(昭和50)年くらいまでは、産業化(工業化)がどんどん進み、都市に人口が集中して、給与生活者が増えてきて、核家族の時代に入る。これに伴ってそれまで力をもっていた共同体のちからが後退し、人間関係や社会構造は個人と個人の関係が基本になっていくと、「親」や「教師」の権威が喪失し始めて、尊敬されなくなっていくのである。
③ 「消費社会的な近代」…1980(昭和55)年くらいから現在までは、それまでに「普遍的なもの」を媒介とする要素を欠いた利己的な利益主体になった子どもたちが、さらにそれを堂々と自己主張する一人前の社会人と自己規定するようになり、「教師」の権威は子どもの位置から見て完全に失墜し、尊敬されなくなってしまったのである。
上述のような歴史的な経緯は、あくまで全体的な流れを素描したものであるので、大都市と地方都市、同一の自治体でも人口密集地と過疎地によってはかなりの時間的なズレがあると思う。本県は伝統的な保守県であるので、①→②のような傾向は時間的に遅く現れてきたし、私が勤務した学校所在地の中でも山間及び島しょ部と都市部によってもその現れ方にはタイムラグがあった。しかし、日本を全体的に俯瞰してとらえた場合には、概ね妥当する区分ではないかと私は考える。そして、総括的に言えば、「尊敬されない教師」が誕生したのは、個々の教師がダメになったからではなく、市民社会レベルの人と人との関係(契約関係、商取引の関係)が学校に持ち込まれたからだと言える。つまり、日本の近代化における「農業社会」→「産業社会」→「消費社会」の移行・発展によって、教師に敬意を払う社会的習慣がなくなってきたからなのである。
最後に、著者は最終章において、「消費社会的な近代」における公教育を担う教師の在り方として、次のような「教員のちから」のイメージを提示している。
○ 「教員のちから」は、子どもに文化や生活の型を強いるものであり、思考方法と知識を強いるものである。
○ 「教員のちから」が一番心すべきは、「子どものちから」との相克、衝突を個人と個人との争いに転換しないことである。
○ 教師は「教員のちから」の一環として子どもに認知されることが大切であり、「尊敬される」よりも敬意を持たれ、むしろ「畏敬される」ことこそが大切である。そして、子どもたちの自我と同じ水準ではなく、ずっと高い位置から子どもの個々の固有性を大切にしつつ、対応していくべきである。
つまり、教師は子どもを近代的な個人にさせることが使命であり、そのために行使しなくてはならない権力性を自覚しつつ、個々の子どもの個性を認めた上で適切に指導することが求められるのである。したがって、教師は本質的に孤独であり、子どもにチヤホヤされることを望んではならないのである!