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「反逆」物語としての娯楽性と「差別-被差別」問題の根源性に驚嘆!第160回直木賞候補作の今村翔吾著『童の神』~第163回直木賞発表日を明日に控えて~

 2020年上半期、第163回芥川賞直木賞の発表を明日に控え、今、私はこの記事を書いている。世間的には純文学を対象とした芥川賞の方が、大衆文学を対象とした直木賞よりも文学的価値が高いような評価基準があると思うが、私の興味・関心は直木賞の方が高い。その理由は、老年期という年代になって、私は小説を読む愉しさに娯楽的な楽しさを求める傾向が強くなったからに他ならない。特に時代小説を読む醍醐味というものを深く味わった経験が、大きく影響していると思う。

 

 以前の記事にも書いたことがあるが、私は50代になるまではほとんど時代小説というものに興味も関心ももっていなかった。しかし、50歳を少し越えた時期にたまたま読んだ評論家・小浜逸郎氏の文章の中で、第69回直木賞受賞作の藤沢周平著『暗殺の年輪』について論評している箇所に興味を覚え、初めて時代小説なるものを読んだ。それ以来、藤沢作品の虜になり、今までにほとんどの作品を読んできた。その後も、同じく直木賞受賞作家の山本一力氏や乙川優三郎氏・葉室麟氏・青山文平氏等が著した、人情味溢れる時代小説を機会あるごとに読み、その醍醐味を深く味わってきた。

 

 そのような私が、あるきっかけで読み始めた、2017年3月に『火喰鳥』でデビューした大型新人作家・今村翔吾氏の〈羽州ぼろ鳶組シリーズ〉に、最近ハマっている。現在、第3巻を読み終えたばかりで、さあ次は第4巻を読もうと思っていたところ、ツイッターのタイムラインの中で「第160回直木賞候補作になった今村翔吾著『童の神』がもう文庫化した」というツイートをたまたま目にした。そこで、私はすぐに近所の大型書店に行き購入した。私は〈羽州ぼろ鳶組シリーズ〉第4巻『鬼煙管』と『童の神』のどちらを先に読むべきか悩んだが、今村氏の作家としての実力を別の作品で確認したいという願望の方が勝って、ここ数日間で『童の神』を読み切った。本書は平安時代を背景にした史実・伝承・物語等を題材にして描いた娯楽性満載の歴史時代小説でありながら、「差別-被差別」の問題についても深く考えさせられる、今村翔吾という作家のスケールの大きさを実感した作品であった。

 

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 そこで今回は、第163回直木賞発表日を前にして、その候補作になっている今村氏の『じんかん』ではなく、第160回直木賞候補作の本書の方を取り上げて、その読後所感を私なりの視点から綴ってみたいと思う。

 

 まずは、「角川春樹事務所ランティエ」(2019年3月号)に掲載された文芸評論家の三田主水氏の書評を参考にしながら、本物語の簡単なあらすじを紹介してみよう。

 

 時は平安時代、朝廷に属さない先住の人々は「童(わらべ)」という総称で呼ばれていた。彼らは、鬼・土蜘蛛・滝夜叉・山姥等の恐ろしげな名前で呼ばれ、京人から恐れられ、蔑まれ、虐げられていた。ある時、「童」との共存を図ろうとする源高明の蜂起の企てが起こったが、協力者の源満仲の裏切りによって瓦解してしまい、鬼や土蜘蛛の「童」たちは多大なる犠牲を払い、多くの者が捕らえられてしまう。その企てに加わっていた安倍清明は満仲との関係から疑われ、結果的に裏切り者と見なされてしまう。しかし、清明は折しも発生した日食を空前絶後の凶事と断じることで、辛うじて捕らえられた者たちの恩赦を勝ち取る。

 

 その日食の最中に生を受けたのが、本物語の主人公である桜暁丸(越後の郡司の息子)である。彼は凶事に生まれたことと、異国人の母から受け継いだ異貌によって、「禍の子」と呼ばれる中で育ちつつも、父と師に支えられ逞しく成長していく。しかし、日食から十数年後、凶作から民を救うために尽力していた父が謀反人の汚名を受けた末、父やその故郷の人々は京人に滅ぼられてしまう。そのような中、桜暁丸は、かつて「童」たちの蜂起に参加していた師に助けられ、一人生き延びる。激しい復讐の念を抱いて京に出た彼は、やがて役人ばかりを狙う盗賊・花天狗として恐れられるようになる。

 

 ある晩、満仲の子・頼光に仕える渡辺綱坂田金時と対峙し、追い詰められた彼は、庶民を救うために貴族から奪っては施しを行う義賊・袴垂に助けられる。それを契機に彼は袴垂と行動を共にするようになり、いつしか袴垂を兄とも慕い、同じ夢を追うようになる。しかし、思わぬことから正体が露見し、二人は追い詰められる…。

 

 この調子であらすじを全て紹介していくと、未読の方が本作品を読もうという意欲を削ぐと思われるので、ここらで止めておくが、桜暁丸はこの先も様々な出会いを経て、他の「童」の仲間たちと共に「自由」を求めて朝廷軍に戦いを挑んでいくのである。その戦いのシーンは臨場感に溢れ、男の私ですら惚れ惚れするほど彼らはカッコよく描かれている。そして、そこには哀しい別れもあり、熱い愛もある。また、父母を想い、妻子を想い、仲間を想う姿は、人間としてのあるべき姿として美しく強く描かれている。改めて言うが、本作品は歴史エンタメ小説として本当に抜群の作品なのである。

 

 さて、少し大きな視点からとらえると、本作品は世の権力者たちに追われた者たちが「自由」の新天地を求める、「反逆」の物語の系譜に位置付けられると思う。しかし、他のそれと異なるのは、桜暁丸の戦いの目的が、単に支配されないということではなく、自分たち「童」もまた人間であるということを認めさせる「自由」を求めている点にこそある。さらに、本作品が被征服者や異民族の喩えである「童」からの視点で描くことによって、彼らが理不尽な「差別」をされる酷い情況や、逆に「差別」する者たちの傲慢や社会の無情等を力強く浮き彫りにしている点である。そのようなことから、本作品は「反逆」を描いた物語の中でも、「差別-被差別」の根源的な問題を描いている稀な物語なのではないだろうか。

 

 最後に、今回、私は第160回直木賞候補作の本書を読んで、改めて今村翔吾という歴史・時代小説の新人作家の素晴らしい力量を実感した。明日に控えた第163回直木賞発表では、この弱冠36歳の歴史作家としての計り知れないポテンシャルがきっと評価され、今後の華々しい活躍ぶりが期待されて、戦国時代の武将・松永久秀を描いた候補作『じんかん』が受賞するような予感がする。まあ私としては、彼が直木賞を受賞するかどうかには関係なく、『じんかん』という歴史時代小説を早く読みたい。〈羽州ぼろ鳶組シリーズ〉第4巻『鬼煙管』を読むのが、また遅れてしまうけど…ネ。