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「刑法第39条」の是非を問う社会派心理ミステリーの醍醐味~深谷忠記著『無罪』を読んで~

 久し振りに社会派心理ミステリーの傑作を読んだ。『無罪』(深谷忠記著)という作品である。著者の深谷氏は、1982年にジュニア向けミステリー『おちこぼれ探偵塾』(後に『偏差値殺人事件』と改題)でデビューし、その後80年代中頃からは大人向けミステリー『甲子園殺人事件』『西多摩殺人事件』(後に『成田・青梅殺人ライン』と改題)『殺人ウイルスを追え』(後に『一万分の一ミリの殺人』と改題)等を発表して注目されてきた。そして、彼がミステリー作家としての立場を確立したのは、『信州・奥多摩殺人事件』から始まったトラベルミステリーシリーズである。慶明大学の助手(後に講師→准教授)である数学者の黒江壮と、彼の恋人(後に妻)の出版社「清新社」の編集者である笹谷美緒のコンビが殺人事件を解決していく、旅情と切れ味のよいトリックが融合したこの壮&美緒シリーズは、大人気になっていった。さらに、90年代中頃からはトラベルミステリー以外の作品『運命の塔』『十五年目の序章』等を始め、冤罪をテーマにした『自白の風景』『目撃』、薬害問題を扱った『ソドムの門』等の社会問題を取り上げた重厚なミステリーを上梓していくことで、深谷氏は一層注目を集める作家になった。

 

 私は、深谷氏がデビュー前に第28回江戸川乱歩賞に応募し最終候補に残った『ハーメルンの笛を聴け』という作品を読んで以来、今までの約25年間で50冊ほど作品を読んだ程度のファンであったが、ここ数年間は読んでいなかった。ところが、先日たまたま立ち寄った古書店で本作品を見つけて、懐かしさのあまりつい購入して今回読んでみたという次第である。本当に久しぶりの深谷作品であったが、やはり期待は裏切られなかった。

 

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 そこで今回は、本作品の簡単なあらすじを紹介しつつ、率直な読後所感を綴ってみたい。特に「刑法第39条」(心神喪失者の行為は、罰しない。②心身耗弱者の行為は、その刑を軽減する。)の是非について、今の私なりの考えを示してみたい。

 

 まず、本作品の簡単なあらすじから。新聞記者の小坂広樹は、一人息子で2歳の貴史をシンナー中毒の通り魔に殺された上、その貴史の葬儀後に妻の奈緒を自殺で失った。犯人の江守真人はシンナーの常習吸引者で、通常の倍近い量を吸った挙句に起こした犯行であった。そして、裁判官が下した判決は、刑法第39条の二項を適用した「心身耗弱」と判断され、懲役6年。小坂は到底納得できる量刑ではなかった。その小坂が、平沼克則という大学准教授の家を見張っている中山貞子という老女性に出会った。実は、准教授の妻・香織は11年前に、我が子2人を殺しながら刑法第39条の一項を適用した「心神喪失」と判断され、無罪判決を受けていた――。過去が動き、事件は新たなステージへ。本作品は、「刑法第39条」をモチーフにして被害者、加害者双方の苦悩と葛藤を描いた心理ミステリーである。

 

 本作品の中で、「…小坂は第39条など刑法から削除すべきだと考えている。刑罰は、どういう人間が罪を犯したかではなく、どういう罪を犯したかで決めるべきだ、と考えている。」という記述がある。これは、犯罪被害者の遺族である小坂の「刑法第39条」に対する考えである。それに対して、「…削除すべきだという声が少なからずあることは知っている。だが、平沼はそうした考えには与しない。責任能力のない触法精神障害者は、罰するよりも病を治すことに力を注ぐべきだからだ。その方が犯罪の再発を阻む上でも効果があり、結局は社会のためになるはずである。」という記述がある。これは、犯罪加害者の人権を尊重する平沼の「刑法第39条」に対する考えである。

 

 ただし、平沼は「刑法第39条」の単なる肯定論者ではない。それは、「刑法第39条は必要だと考えても、平沼の支持は無条件ではない。自分の意思で覚醒剤を打ったりシンナーを吸ったりして事件を起こした犯人にまでこの法律を適用することには反対である。」という記述からも分かる。この傍線部の考え方は、法学的な言葉で言えば「原因において自由な行為」理論と言われているが、この一般常識がなかなか司法では通用しない現状があるらしい。その理由は、「犯罪を行うつもりでそうした状態を作り出したのか、それとも、酒を飲んだりシンナーを吸ったり覚醒剤をうったりした結果、たまたま責任能力のない状態になり、犯罪を引き起こしたか」で、判断が違ってくるからだと言う。また、このような解釈は、本来保護されるべき「心神喪失者」や「心身耗弱者」が誤解されて、冷たい眼で見られてしまう原因になるかもしれない。

 

 「刑法第39条」の是非について、今のところ私は被害者感情を考慮すれば「否定=削除」の考え方であるが、冷静に近代刑法の理念を尊重すれば「条件付き肯定」の考え方になるという、アンビバレントな立場をとっている。というのは、「刑法第39条」を削除すべきという意見の理由が、単に被害者感情を考慮するというだけでは根拠が薄弱なので、もう少しその根拠を整理してみたいと思っているからである。そして、その是非については、その知見を広め思考を深めた上で、もう一度自分なりの判断を示してみたいと考えている。読者の皆さんも、私と一緒に「刑法第39条」の是非とその根拠について問い直してみませんか。