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深い森の中へ入るようなピアノの調律師の世界!~宮下奈都著『羊と鋼の森』を読んで~

 自宅を新築する前に住んでいた借家は手狭だったために、妻のグランドピアノは実家に置かせてもらい、その代わりに実家に住んでいる義姉のアップライトピアノを借りて板間の廊下に置いていた。そうまでしてなぜピアノを置くことにこだわったかというと、妻は長女が生まれる前に音楽教師だったこともあり、長女に信頼できる講師を招いてピアノレッスンを受けさせるためであった。その後、私たち夫婦には年子の次女も授かり、二人とも幼児期から自宅でピアノレッスンを受けさせたのである。

 

 そのような事情から、娘たちが小学校低・中学年頃に新築した我が家には、防音装置を整えた8畳ほどのピアノ室を作った。そこには、義姉のアップライトピアノと入れ替わって、妻のグランドピアノが置かれた。そして、二人の娘はアップライトピアノからグランドピアノへ変わっても、レッスンを受け続けた。

 

    新築した自宅で、趣味で習いたい大人や近所の子どもにピアノのレッスンをしていた妻によると、長女は幼い頃からピアノを弾くセンスが豊かだったそうで、その長所を生かして高校生までレッスンを受け続けて、県外の公立芸術大学音楽科コースへ進学し、今は音楽教師をしている。次女の方は長女ほどピアノが好きではなかったが、それでも小学校高学年まではレッスンを受けていた。しかし、その後はほとんどピアノを弾くことはなく、得意にしていた理系の勉学に励んで、県外の私立薬科大学へ進学し、今は薬剤師をしている。

 

 さて、妻のピアノレッスンを受けに来る人がいなくなった現在、そのグランドピアノは誰が引いているかというと、学校行事で歌う曲や校歌の伴奏練習をするために時にやって来る長女ぐらいである。今や我が家でほとんどピアノの音を聴くことはなくなった。地元国立大学教育学部に入学し、初めてピアノ実技のレッスンを受け、バイエルの80番台までやっと弾けるようになった私にはよく分からないが、その程度の使用頻度であってもピアノの調律は定期的にしないといけないらしく、先月中旬に我が家にも調律師が来ていた。私はピアノの調律という作業はどのようなことをするのかほとんど知らないが、単に音程を整えるぐらいかなと思っていた。

 

 ところが、そんな単純で機械的な作業ではなく、ピアノの状態や依頼主の要望等に柔軟に対応しなくてはならない、とても繊細な作業なのだということを私は初めて知った。それは、『羊と鋼の森』(宮下奈都著)という作品を読んだからである。カラオケ以外に音楽にはあまり関心のない私が、なぜ本作品を手にしたかというと、本作品が2016年第13回本屋大賞を受賞し、2018年には新米調律師の主人公を山﨑賢人が演じた映画が公開されて注目を浴びたことを知っていたからである。立ち寄った古書店で何気なく目にして、たまには普段とは異なる作風の小説を読んでみようかなと思って購入し読んでみたのである。

 

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 本作品は、ピアノの調律のとりこになった一人の青年が本物の調律師を志し、さまざまな人々との交流や挫折を経験しながら成長していく姿を、温かく静謐な筆致で描いた感動作である。私にとって初めて出会ったピアノの調律師の世界は、深い森の中に入っていくような不安を抱きながらも、とても新鮮なものであった。主人公の外村青年が、愚直なほどに音と向き合い、人と向き合いながら、調律の森へと深く分け入っていく物語の展開は、適度な強弱をつけながら清らかなメロディーを奏でていた。普段、音に対して無頓着な私だが、視覚で文字を追いながらも聴覚を敏感にして文章を味わうという不思議な読書体験をした。

 

 作中、私の心に強く印象付けられた言葉があった。それは、「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにしたたかな文体」という、小説家の原民喜の言葉である。ただし、この言葉を作中で外村青年に語ったのは、高校生の彼を魅了して調律師の道に引き込んだ調律の天才・板鳥である。文体を音に替えるように語ったのだ。この言葉は外村の心に根を張り、内なる森と共鳴しながら、育っていくのである。私自身は、この言葉通りの文体に対して憧れを抱いた。自分の文体をいつかは「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにしたたかな文体」にしたいと思った。

 

 また、作中で解説されていたピアノの音やその調律に関する蘊蓄も、素人の私には面白かった。例えば、ピアノの基準音となるラの音は、学校のピアノなら赤ん坊の産声と同じ440ヘルツ(ヘルツとは1秒間に空気が振動する回数)と決められているとか、モーツアルトが作曲していた頃と比べると今の基準音は半音近く高くなっているとか。また、一オクターブの中に、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シの7音と半音も入れた12の音程を取る音律の主な方法には、一オクターブを均等に12に分ける「平均律」と、音の響きを優先する「純正律」の2つがあるとか。さらに、名前を付けられ、星座のように輝く12の音を、膨大な音の海の中から正確に拾い上げ、美しく揃え、響かせるのが調律師の仕事だとか…。

 

 最後にもう一つ私の心に残った蘊蓄…。それは、古代の中国では神への生贄にしていた「羊」が物事の基準だったこと、そして「善」や「美」という字は「羊」から由来していることなど。本作品名が「羊と鋼の森」であることの奥行きを、垣間見たような蘊蓄であった。本作品を通して、今までの自分では分からない世界を描く小説を読む愉しさを実感するとともに、心が透き通っていくような読後感を味わうことができた。しあわせ、シアワセ…。