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「人生・生き方」「教育・子育て」「健康・スポーツ」などについて考え、雑学的な知識を参考にしながらエッセイ風に綴るblogです。

やっと第二の人生のセカンド・ステージに立ちました!

 私は本年3月末で第二の人生のファースト・ステージを閉幕し、4月以来ずっと自宅において読書に励んだりブログの記事を書いたりして過ごしながら、セカンド・ステージに立つための就活をしていた。というのは、私は今のところ心身共に健康なので、70歳までは公共性の高い仕事をしたいと常々考えていたからである。4月~5月上旬頃の就活においては、教職経験を生かすことができる公立小学校の休職者の代員や、民間の発達支援教室の児童支援員等の募集内容を検討してみた。しかし、勤務条件や私の体力等を鑑みると、適切な勤務先を見つけることはできなかった。

 

   そこで、5月中旬に入ってからは他の職種にも範囲を広げてみようと考えて、ハローワークで紹介してもらった地元国立大学の事務補助員の応募に挑戦し履歴書を送ってみたが、年齢制限に引っかかり面接の機会も与えられなかった。65歳という年齢は多くの業種で定年年齢になっていたり、さらにコロナ禍によって有効求人倍率が下がったりしていて、希望に沿うような就職先はないのである。仕方がないので、私は6月上旬には本市のシルバー人材センターに登録してみようと、特別入会セミナーに参加してみた。ところが、シルバー人材センターで取り扱う仕事は、「臨時的かつ短期的な就業」または「その他の軽易な業務に係る就業」だということが分かった。私は手詰まりの状態になった。

 

 そのような時、ハローワークで高齢者の就業支援のために催される「キャリア人材バンク登録相談会」があることを知り、私は試しに参加してみた。この相談会は、公益財団法人・産業雇用安定センターの業務の一環で開催され、自らの能力・経験を生かして働くことを希望する60歳以上70歳以下の在職者または離職後1年以内の者を対象とした個別の相談会であった。私は早速、個人登録をすべく事務所を訪れて、最初に求職票、続いて履歴書や職務経歴書・職務能力記述書用のキャリアシートを作成した。そして、2回目の訪問日に、本市の公益財団法人・男女共同参画推進財団の嘱託職員の募集について情報提供してくれた。丁度、訪問前日に市民ガイド紙にもその募集記事が掲載されていて、私も目を通していたので、相談活動はすぐに合意に達した。

 

 私は課題が提示されていた小論文(800字程度)をその夜には一気に仕上げて、産業雇用安定センターの担当者にメールで送信した。担当の方は、事前に私が作成していた履歴書や職務経歴書・職務能力記述書用のキャリアシートとその小論文を、翌日の午前中には本市の男女共同参画推進財団の総務係へ直接出向いて提出してくれた。そして、私は7月中旬までに行われた第一次の書類選考を経て、7月下旬に行われた第二次の面接選考に合格して、晴れて8月1日(土)から当財団に採用されることになったのである。

 

 初出勤の日は、当財団が指定管理している男女共同参画推進センターの施設案内や男女共同参画財団の各係の事業内容や年間事業計画案等について担当者から説明を受けた。また、私が担当するファミリー・サポート・センターの具体的な業務内容の概要についてセンター職員から説明を受けた。これらの説明によって、私は勤務場所の施設や当財団の全般的な業務内容や年間スケジュールなどの概要を把握することができた。さらに、当財団のほとんどの職員とも挨拶を交し合うことができ、職場の温かい雰囲気を感じ取ることができた。私はこれからこの職場で何とか頑張れそうだと確信することができ、帰宅した時には肩の力が自然と抜けていた。

 

 それから約一週間、私はこれからペアとなる先輩職員の言われるままの業務内容をこなすことに追われ、あっと言う間に時間が過ぎ去った。そもそもファミリー・サポート・センターは、地域において育児や介護の援助を受けたい人と行いたい人が会員となり、育児や介護について助け合う組織である。私はそのセンター職員になったのである。したがって、その主な業務は育児や介護の援助を受けたい会員(依頼会員)の依頼内容と行いたい会員(提供会員)の提供内容を正確に理解・把握した上で、それらをうまくマッチングすることである。しかし、私が初日から担当したのは、会員の方が安心して育児や介護に関する相互援助を行えるよう、会員を対象に育児または介護に関する知識・技術を身に付けるための研修会を開催したり、提供会員から提出された報告書の内容をパソコンに入力したりする業務であった。私は自分の体力を考慮するとこの一週間の当センターの業務内容はやや過重負担かなと感じて、先行きに不安を覚えた。でも、それらの業務をほぼ終えた今日は、ほとんど急を要する業務はなく、ゆとりある業務内容だったので、少し安心した。これなら何とか続けられるかもしれないなあ…。

 

    先々のことははっきりと断言できないが、やっと第二の人生のセカンド・ステージに立ったのだから、できるだけこの仕事を続けていきたいと思う。この業務内容の公共福祉的な価値を自覚しながら、少しでもセカンド・ステージを充実させていきたいものである。ただし、私にとってより意味がある公共性の高い仕事が見つかれば、その新たな仕事を選ぶかもしれないが…。とにかく私は70歳までは現役で働き続けたい!!