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ストレス解消のためには、ミステリー小説を読むのに限る!~内田康夫著『汚れちまった道(上・下)』を読んで~

 新しい職場までの通勤時間は自転車で10分間ほどなので、身体的に大変楽である。しかし、まだまだ業務内容が分からないことが多いので精神的に疲れるため、帰宅したらぐったりとしてしまう。読書をしたりブログを書いたりする気力や体力が残っていない。夕食を取った後は、ぼーっとテレビの報道番組や2時間ドラマなどを観て、早めに就寝する日々が続いている。活字中毒気味の私にとっては、何とか読書時間だけは少しでも確保したいと思っていた。そのような中で、私の書斎の本棚で積読状態にあった『汚れちまった道(上・下)』(内田康夫著)を、仕事に少し慣れてきた数日前から就寝前の時間に読み継いで、やっと昨夜読了した。

 

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 そこで今回は、私が著者の作品群と出会った頃から今までの付き合い方を振り返った上で、本書の簡単な読後所感を綴ってみたい。

 

 まず、私が著者のデビュー作『死者の木霊』を読んだのは、今から25年ほど前に職場の同僚教員から紹介されたのがきっかけだった。当時、私は地元国立大学教育学部の附属小学校に勤務し、自分の教育実践研究の成果を論文にまとめることが多かった。私は従来の教育実践のパラダイムを相対化し、新たな視座を提起しようとして、結構難解な論文を書いていた。それに対して、さまざまな人から批判的な意見を浴びることもあり、自分としてはもっと分かりやすい文章を書く必要性を感じていた。そのような情況下で、その同僚教員から推理小説の読みやすさや面白さを聞いたのである。私は、分かりやすい文章を書くコツのようなものを得る手段として、『死者の木霊』を読んでみたのである。

 

 すると、読んでいる途中から、その目的と手段を忘れ、内田康夫氏の紡ぎ出すサスペンスの世界に夢中になってしまった。以前にも書いたが、私は学生時代に社会派推理小説家・松本清張氏の世界にハマっていたことがあったので、その読書体験に重なる懐かしい感覚が蘇ってきたのである。それ以来、私は数多くの内田作品を読んで来た。特に管理職に昇進して単身赴任をしていた頃は、夕食後から就寝するまでの読書対象の多くは、浅見光彦シリーズの旅情ミステリー「○○殺人事件」だった。今では私の書棚の一角は内田康夫コーナーになっており、100冊ほどの作品がきれいに並んでいる。そして、そのコーナーに最近並んだのが、本作品だったのである。

 

 本作品は、2012年に同時発売された『萩殺人事件』とともに、山口県を舞台にしているので「ヤマグチ・クロス」と銘打って刊行された作品で、御馴染みの浅見光彦の視点でストーリーが書かれている。一方、『萩殺人事件』は浅見の友人・松田将明の視点で浅見光彦の活躍ぶりが書かれており、双生児のような対の関係になっている。だから、本来はこの2つの作品を読んでから所感を書くべきところであるが、なかなか読書時間を取るのが難しい。この点、ご容赦願いたい。

 

 本作品『汚れちまった道(上・下)』のタイトルは、弱冠30歳で夭折した中原中也の詩集『山羊の歌』に収録されている詩「汚れちまった悲しみに……」から取られているが、それだけでなく中原中也の詩が綴られた遺書が出てくるなど事件の謎を解く鍵にもなっており、その趣向が作品全体のイメージを醸し出している。私は、「中原中也」については山口県出身の夭折の詩人であるぐらいしか知らなかったが、本作品の中に引用されている幾つかの詩の内容に興味を覚えたので、『汚れちまった悲しみに……/中原中也詩集』を馴染みの古書店で入手した。今後じっくりと読み味わってみたいと考えている。

 

 いつもなら本作品の簡単なあらすじを紹介してその所感を綴るところだが、今回は止めておく。本作品は浅見光彦シリーズ史上、類を見ない難事件と言われているので、ぜひ読者には浅見光彦と共に、萩・防府長門・山口の闇を繋ぐ“道”を奔りながら自分でその真相を探っていってほしい。私は、本当に久し振りにハラハラ、ドキドキしながら浅見光彦の活躍ぶりを堪能することができ、ここ2週間ほど仕事に追われてきたストレスを解消することができた。やっぱりストレス解消には、ミステリー小説を読むのに限る!