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他者への観察癖の効用について~村松友視著『老人のライセンス』を読んで~

 2019年1月31日付けの当ブログ「プロレスって、プロのレスリングのことではないの?」と題する記事で、作家・村松友視著の初期プロレス3部作の一つ『私、プロレスの味方です―金曜午後8時の論理―』を取り上げたことがあったが、もともと私は直木賞受賞作『時代屋の女房』を読んで以来の村松友視ファンである。最初は、男と女の間における虚実皮膜の世界を、軽妙な筆致で描く著者独特の世界観に魅入られた。また、祖母に育てられた特異な家庭環境を背景にした私小説的作品も好きで、特に泉鏡花文学賞を受賞した『鎌倉のおばさん』は家族関係における愛憎が濃密に交錯した私好みの作品である。さらに、市井の人々の人間味溢れる日常を、著者独特のアングルでさり気なく描く芳醇なエッセイ集も味わい深い。今回、本記事で取り上げるのは、老年になった著者が「老い」を題材にして人間の醍醐味を魅惑的に描いたエッセイ集の中の一つ『老人のライセンス』である。

 

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 本書に編集されているエッセイ群は、2016年4月5日~2017年12月19日の「夕刊フジ」に「老人のライセンス」として掲載されたものである。そして、その中身はとうに後期高齢者の年齢を過ぎた著者が、宿病とも言える他者への観察癖をもって「老人の心のライセンス」所得者の愛すべき人間の幅広い味を描いたものである。私は本書に所収されている各エッセイを、生き物に模した自然の流木を磨き上げて作った置物を一つ一つ愛でるように鑑賞する気分で味読した。

 

 そこで今回は、著者の他者への観察癖の効用が表われているエッセイの中でも私が特に気に入ったエッセイ「蓮っ葉な女の読書に翻弄される」の内容概要を紹介しつつ、私なりの簡単な所感を綴ってみたい。

 

 電車に乗っていた著者は、向い側に座っている赤い口紅の艶っぽい若い女性が気になっていた。先細のジーンズに銀色のサンダル、偽物らしい毛皮のコートの内側には赤のVネックセーターという身なりは、著者の故郷である清水みなとを思い出させる蓮っ葉さ。足元に化粧ケースを置き、手には読み耽っている本をもっている。著者はストーカー直前の神経で彼女の表情や仕種を観察し始め、いったい何の本を読んでいるのか気になって降りるべき駅でも降りられぬという気分のまま。…ここまで読んだ私は、著者の陥った心情に共感してしまう。決してスケベ心ではなく、蓮っ葉な感じの外面と読書という知的な感じの内面のギャップの謎を知りたいという好奇心が彼女を観察対象にしてしまう。ついついその謎を解明したくなるものなのだ。

 

 ある駅で止まった電車が走り出す直前、その女性は慌てて立ち上がった。その拍子に彼女の手を滑り抜けた本が著者の足元に落ちたので、それを拾って彼女に渡す。その際にそっと覗き見た本の見開きページには、枠目と白黒の丸の組み合わせがあった。彼女は囲碁教則本を熟読していたのである。著者は、この白昼夢的けしきの残像とともに、次の駅で電車を降りたという、「蓮っ葉な女の読書に翻弄される」という顛末。…知ってしまえば、ある種の期待を裏切る、何とも面白みのない事実であった。

 

    しかし、このエッセイには書かれていないが、私はこの事実が判明する前に著者の頭の中には様々な種類の本を想定していたのではないかと想像する。地方都市の繁華街で殺伐と生きているヤクザと蓮っ葉なホステスの逃避行を描く物語とか、小さな劇場の舞台で端役しか回ってこなかった女優の卵が、様々な出来事を経験しながら実力派の女優として花開いていく物語とか…。もし結果的にそんな内容の小説を読み耽っていたのであったら、著者はますます彼女の成育歴や境遇等に思いを馳せていたであろうし、ワクワクした気分で次の駅に降り立ったであろう。

 

 でも、結果はあまりにもあっけないものだった。読んでいる私まで気落ちするような展開だったが、ここで私は考えた。いや、この事実だったからこそ、著者が宿病とも言える他者への観察癖の対象とした蓮っ葉な女の読書に翻弄されたこと自体が面白いエピソードになったのだ。そうなのだ。著者がこのような題材でエッセイを書くことができるのも、「宿病とも言える他者への観察癖」のおかげなのである。このエッセイ集は、著者独特のセンスの独壇場になっていて、ファンの私にとっては何とも心地よい読書時間を提供してくれた本になったのであります。