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「にんげん」の生き方や「じんかん」の在り方について考える~今村翔吾著『じんかん』から学ぶ~

 本年7月14日付けの当ブログの記事で今村翔吾著『童の神』を取り上げて私なりの所感を綴った際に、彼の歴史小説『じんかん』が第163回直木賞を受賞するだろうと予想した。また、その『じんかん』を<羽州ぼろ鳶組シリーズ>第4巻『鬼煙管』より先に読みたいという願望も記していたが、結局そのどちらも実現することはなかった。

 

    直木賞の方は残念ながら次点に甘んじ、その後、諸般の事情が絡んで私が先に読んだのは『鬼煙管』の方であった。私が『じんかん』を読んだのは11月下旬から12月初旬にかけて。読書場所はそのほとんどが私の寝床。時間帯は就寝前と起床後の各30分ほどであった。だから、一気に読み通すのではなく、途切れ途切れの読書になってしまった。しかし、本書を読み進めながら何度も枕を濡らしてしまった。予想に違わぬ、いや予想以上に壮大なスケールで描かれた感動的な歴史小説だった。 

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 本書は、戦国時代に「余人にはなしえぬ三つの悪事」(主君の暗殺、将軍の殺害、東大寺大仏殿の焼き討ち)をなした稀代の悪人と呼ばれている松永久秀の生涯を、最新の研究事情を踏まえて「三悪」の裏に隠された真相を大胆な新解釈で読み解いて描いた509ページにも及ぶ超大作である。過酷な体験を経て孤児になった少年期(九兵衛)から、知識と教養・リーダーとして必要な素養を培った青年期、さらに三好元長の「民のための民による自治を」という理想に共鳴して抱いた想いを遂げられぬまま自死を選ぶ壮年期へと繋がる久秀の半生を通して、著者は現代社会にも通じる「人間」(個人)の生き方や「人間」(社会)の在り方についての問いを投げ掛けている。特に本書の中で久秀が何度も自問する「人は何のために生まれてくるのか。儚く散るためだけに生まれてきたとでもいうのか。」という言葉が、私の胸に深く突き刺さってきた。まさしく実存としての「にんげん」の生き方を問うものである。

 

 「人間」という字は「にんげん」と読めば一個の人を指すが、「じんかん」と読めば人と人が織りなす間、つまり「この世」という意味である。(p114)久秀は、「この世」の常として「人は本質的に変革を嫌う」(p341)「本当のところ、理想を追い求めようとする者など、この人間(じんかん)には一厘しかおらぬ、残りの九割九分九厘は、ただ変革を恐れて大きな流れに身をゆだねるだけ」(p377)と語っている。このような「じんかん」の中で、人はどう生きていくべきなのか。これは、まさしく関係としての「にんげん」の生き方を問うものであり、さらに「じんかん」の在り方を問うものでもある。

 

 戦国時代に「いずれは民が政をみる」という民主主義的な考え方をもっていた理想主義者の三好元長。その理想に共鳴し志を引き継ぎ、ままならぬ現実との狭間に翻弄されながらも「じんかん」の中で己の志を貫こうとした松永久秀。そして、時代の先駆者としての久秀の生き様を理解し尊重していたからこそ、久秀の二度にわたる謀反にも寛容であった織田信長。元長は道半ばにして志が終わってしまったが、その想いを久秀に託した。また、久秀も結果的に悪名だけを残して自死を選ぶことになったが、その遺志を信長に託したのであろう。大事を為すには、人の人生はあまりにも短すぎるが、その大事は心ある一厘の人から人へと引き継がれていくのである。ここに「じんかん」の奥に秘められた善や正義の実現への道筋を見出すことができる。己だけの自己実現を図ることが、幸せな生き方ではない。限りある時空間の中で、大事を成し遂げるために自己の能力や才能を生かし切ることが、本当の意味での自己実現ではないか。本書を通して、著者は読者にそう問い掛けているように私は思った。

 

 この物語は、信長が小姓の狩野又九郎に松永久秀の人生を語り伝えるという、趣向を凝らした構成になっているが、その又九郎が久秀に邂逅した際に、次の言葉を久秀から投げ掛けられる。「夢に大きいも小さいもない。お主だけの夢を追えばよいのだ」(p505)私は、この言葉に勇気をもらったような気がした。すでに満66歳の老齢になった私だが、それでもまだ自分なりの細やかな夢を持ち続けている。当ブログでも何度か綴ったことがある「哲学対話」や「こども哲学」の実践である。今年、思わぬコロナ禍に遭遇してしまったために頓挫しているが、我が国でもワクチン接種を多くの国民が受けることができ、新型コロナウィルスの感染拡大が終息する兆しがはっきりと見えてきたら、ぜひその夢を実現しようと決意を新たにすることができた。人と人のつながりやかかわり合いが希薄になってしまった今だからこそ、この小事を成し遂げることに大きな意味を見出だすきっかけを与えてくれた本書に、そして著者の今村翔吾氏に心から感謝したい。