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「構想」と「実行」の分離が及ぼす労働者への影響とは…~「100分de名著」におけるカール・マルクス著『資本論』のテキストから学ぶ~

 昨年末から本年にかけてずっと、職場における人間関係や業務内容等、また、それらと関連して変化してきた仕事に対するモチベーションなどの問題について悩むことが多かったので、いつの間にか時間的な感覚が鈍化していた。そのため、気が付くと暦は1月も下旬に入っていた。しばらく休眠状態にしていたTwitterを久し振りに閲覧していると、今月の「100分de名著」で取り上げられているのがカール・マルクス著『資本論』だということを告知するツイートを目にした。しかも、最近刊行され早くも7万部を突破した『人新世の「資本論」』の著者で、若き俊英と言われている経済思想家の大阪市立大学准教授・斎藤幸平氏が、講師役を務めているというではないか。これは遅ればせながら、当番組のテキストを購入して学習しようと思い立ち、既に録画予約していた番組を連続して視聴しながらここ数日間で読み通した。

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 そこで今回は、現在の私の職場環境にも関係している第3回の放送内容の中から、資本主義社会において資本家が生産力を増大することによって必然的に惹起する、労働者の「構想」と「実行」の分離という事態が、労働者にどのような影響を及ぼすかについてまとめ、私なりの簡単な所感を綴ってみたい。

 

 講師の斎藤氏は、資本主義がもたらす生産力の増大に関連して、資本家の労働者に対する「支配」の強化を、マルクスは最も問題視していたと述べている。具体的には、生産力が上がれば上がるほど、労働者はラクになるどころか、資本に「包摂」されて自律性を失い資本の奴隷になると、マルクスが指摘していることを挙げている。では、一体なぜ、生産力の向上が資本による支配の強化につながるのか。斎藤氏は、おおよそ次のような説明をしている。

 

 人間は「意識的かつ合目的な」労働を介して自然との物質代謝を営んでいるが、この労働のプロセスは大きく分けて2つに分けることができる。「構想」と「実行」である。まず、「構想」とは、何かを生産する時にどのような材料でどのような形の物を作ればいいか、どのようにしてその機能性を高めるかなどと頭で考える作業で、マルクスは「精神的労働」と呼んだ。次に、「実行」とは、実際に自身で身体を動かして構想を実現する過程で、マルクスは「肉体的労働」と呼んだ。本来、人間の労働は、「構想」と「実行」、「精神的労働」と「肉体的労働」が統一されたものであった。

 

 ところが、資本主義のもとで生産力が高まると、その過程で「構想」と「実行」が、あるいは「精神的労働」と「肉体的労働」が分断されるとマルクスはいう。「構想」は特定の資本家や、資本家に雇われた現場監督が独占し、労働者は「実行」のみを担うようになるのである。では、どうやって「構想」と「実行」を分離するのだろうか。

 

    一番簡単なのは、生産工程を細分化して、労働者たちに分業させるという方法。これによって労働者は、「構想」する機会を奪われてしまう。また、分業化された工場では、労働者は決められた部分作業を毎日繰り返しやらせされるために、知識や洞察力が身に付かない。つまり、「実行」の面でも豊かな経験を積んで自分の能力を開花させることができないのである。

 

    したがって、この仕事は誰にでもできる単純作業なので、自分の代わりになる人は工場の外にたくさんいる。仕事を失いたくなければ不平・不満はぐっと飲み込んで、ノルマを達成すべく黙々と働かざるを得ない。そうなると、ますます資本家との主従関係が強化されてしまい、労働者はさらに「疎外」(資本主義社会において機械に奉仕する労働を行うことによって、自分たちの欲求や感性がやせ細り、貧しいものになっていくこと=自らの手で何かを生み出す喜びややりがい、達成感・充実感を味わえないこと)されてしまうのである。

 

    このような労働者の「疎外」という問題を、マルクスは何より問題にしていた。そして、人間の労働という豊かな「富」を回復するためにマルクスが目指したのは、「構想」と「実行」の分離を乗り越えて、労働における自律性を取り戻すこと。過酷な労働から解放されることだけでなく、やりがいのある、豊かで魅力的な労働を実現することであったと、斎藤氏は強調している。マルクスが思い描く将来社会の労働者とは、各人がその能力に応じて、「全面的に発達した個人」だったのである。だからこそ、斎藤氏は次のように力説する。本来イノベーションに必要なのは、労働者の「疎外」を克服することなのではないか。パラダイムシフトをもたらすような真のイノベーションのためには、労働者たち自身が絶えざる競争から距離を置いたり、自由にいろいろな発案や挑戦ができたりするような環境整備が必要となるのではないか、と…。

 

    第3回の放送分のテキスト内容の最後に記された、次のような斎藤氏の呼び掛けに私は大きく頷いていた。…若きマルクスが求めたように、「人間的および自然的存在の富全体に適応した人間的感覚」を取り戻しましょう。そのためには、「資本の専制」と「労働の疎外」を乗り越え、労働の自律性と豊かさを取り戻す「労働の民主制」を広げていく必要があるのです。

 

   「労働すること」や「仕事をすること」の本来的・民主的な意義について、現実の職場環境から目を反らさないでもう一度考え直す必要があることを、私は強く感じた。