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「疎外」と「パワハラ」から脱し、「生命」と「人権」を守るために退職しました!

 前回の記事で1月のEテレ「100分de名著」を取り上げ、『資本論』の中でカール・マルクスは、資本主義社会における生産性の向上によって「構想」と「実行」が分断されることで、資本家が労働者に対する「支配」を強め、そのために労働者が「疎外」されるという事態を最も問題視していたことについて綴った。そして、「構想」と「実行」の分離を乗り越えて、労働における自律性を取り戻すこと、言い換えれば、やりがいのある、豊かで魅力的な労働を実現することをマルクスが目指していたことにも触れた。また、結びには講師役の斎藤幸平氏が、労働の自律性と豊かさを取り戻す「労働の民主制」を広げていく必要性を訴えていることに私が共感したことを述べ、自分自身の職場環境を見直す決意を示した。その結果、私は昨年の8月から勤務していた当市の男女共同参画推進財団内にあるファミリー・サポート・センターを、この1月末をもって退職することにした。わずか6か月間の勤務であった。

 

 そこで今回は、私が退職するに至った経緯とその要因等について、具体的な事例も絡ませながら綴ってみたいと思う。このことは、無意識に閉じ込めた負の感情を顕在化する作業も伴うと思うので、私としてはなるべく冷静に客観的に述べるように配慮しつつ言葉を紡いでいこうと考えている。

 

 私がアドバイザーとして勤務していたファミリー・サポート・センターとは、地域において育児や介護の援助を受けたい人(「依頼会員」と呼ぶ)と援助を行いたい人(「提供会員」と呼ぶ)が会員となり、育児や介護について助け合う組織である。当センターの業務内容は、育児と介護に分かれており、各二人ずつが担当している。私が担当していたのは、育児に関する業務であった。当初、私は育児担当の先輩女性職員(以後、K)から業務内容とその遂行手順等を教えてもらい、手習い的な仕事をすることから始まった。その際、Kは細かい業務内容や手順等を教えてくれたので、私としては有難いと思っていた。ただし、その指導口調はややきつく、陰険なものであったが…。私としては指導を受ける立場なので、少しぐらいは我慢しなければいけないと謙虚な姿勢を崩さずに、その指導を甘んじて受け入れて業務内容を忠実に遂行することに専念していた。

 

 そのような情況が約2か月続き、私も次第に育児担当の業務内容や手順等にも慣れてきたので、自分なりに見通しをもって自律的に仕事をするように心掛けた。しかし、担当業務を遂行する中で些細な事務的ミスを犯すことがたまにあった。その時、Kからそのミスを厳しく指摘され、他の職員たちの前で感情を露わにして叱責されることがあった。正直、この事態が私には信じられず、自尊心が大きく傷つけられたが、ここで言い争いをすることは職場の雰囲気を乱すとともに来客にも不快な思いをさせることになると思い、その場では穏やかな口調で抗議しただけで自分のミスを素直に謝罪し業務の円滑な遂行を優先した。この時の私は、Kの言動に特別な悪意はないだろうとやや甘く見ていた。

 

 ところが、それ以後も同様なことが度々起こった。また、それだけではなく、Kはその場にいない他の職員や上司に対する悪口を平気で言い募ったり、介護担当の二人の職員に対しても高圧的な態度で接したりすることが目立つようになった。さらに、業務上の諸課題を解決しなければならない場面では、口ではみんなと相談して決めようと民主的なことを言いながら、実際は私が意見を表明しようとすると他の二人の職員を言いくるめて発言を封殺して、自分の考えを押し通そうとする言動を取ることもあった。私が勤務していた当財団は公益財団法人なので当然民間の営利企業ではないが、Kは前回の記事で触れたような「資本家に雇われた現場監督」そのものであり、私を含めた他の職員たちにとっては労働における「構想」と「実行」を分断させるような存在だったのである。特にKは育児業務を担当する先輩職員だったので、私は指示された業務内容をただ遂行するという「実行」のみの労働を強いられていた。

 

 このような職場環境の実情を、私は館長との面談の際に訴えた。館長は私の言い分に理解を示し、財団内の全職員が集まるミーティングの席で、上司によるパワハラはもちろん、同僚による人権侵害的な言動を慎むようにという主旨の指導講話を行ってくれた。しかし、Kの態度は改まらなかった。だから、私はそれ以後も何度か抗議の意思を伝えた。ただし、Kと同じ土俵に立つような言動ではなく、あくまでも相手の人格や人権を尊重した穏やかな言動で…。それでも、態度が大きく改善することはなかった。否、今まで以上の「パワハラ」的な言動を示すことが起こった。それは、今月中旬頃、ある依頼会員と提供会員の間に子どもの体調不良の原因をめぐるトラブルが発生し、その解決過程における対応の在り方について私とKとの考えに違いがあることが表面化した。その際、私はKから職務能力や人格を否定するような暴言を受けたのである。私の我慢の限界は超え、仕事に対するモチベーションも一気に低下した。また、その後、不眠や動悸等の症状が起きてきた。

 

 このような「疎外」と「パワハラ」が常態的な職場環境にこのまま身を置いていたら、大袈裟に聞こえるかもしれないが、私は自らの「生命」と「人権」を守ることができない。私は、この実情を再度、館長に訴えた。そして、この職場環境の実態を認識してもらうために、関係職員への事情聴取を要請した。すぐに館長はこの件を事務局長へ伝え、すぐさま事情聴取が行われた。その結果、Kの「パワハラ」的言動についての事実が一部認定された。しかし、Kに対する何らかの処分が下されることはなさそうだった。また、私が主張した労働における「疎外」的現状については十分に認められなかった。これでは、職場環境をよりよく改善し「労働の民主制」を確立することは困難だと私は判断して、自らの「生命」と「人権」を守るためにこの1月末をもって退職する道を選んだのである。

 

 私には職場環境を改善するために留まるという選択肢もあったが、もうこの時点ではKに対する生理的な拒否反応が強く、それに逆らうことはできなかった。だから、私はこの決断について何の後悔も未練もない。ただし、私の労働意欲そのものはまだ衰えていないので、しばらくはこの半年間の職場でのストレスによる心身の疲労を癒すことに専念した上で、いずれはボランティア的な活動も視野に入れて、何らかの社会的・共同体的意義のある公共性の高い仕事に再度、挑戦したいと考えている。今回の勤務経験を通じて、改めて子どもを教え育むという教師という職業が私の天職だと再認識することができたので、できれば教育という営みと関連性の深い仕事を見つけたい。

 

    それまでは、2月11日に満4歳の誕生日を迎える孫(長女の第1子)のHや、2月下旬に生まれる予定の二女の第1子(私にとっては二人目の孫)の子育て援助、つまり「孫育て」の役割を全力で果たそうと思っている。そのためにも、心身の健康の保持・増進を図って低下した免疫力をアップさせ、万が一、新型コロナウイルスに感染した場合にも重症化しないような抵抗力を付けることを最優先にした日常生活を送りたい。早くワクチンも接種したいが…。