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自分事としてとらえる在り方と資質について~「100分de名著」におけるフランツ・ファノン著『黒い皮膚・白い仮面』の放送とそのテキストから学ぶ~

 気が付くと、もう3月になっていた。先月中旬までは、退職後の様々な事務手続きに追われながらも蓄積していた心身の疲労を回復することに専念したが、下旬になると二人目の孫になる二女の第1子Mの子育てサポートを手探り状態でしていたので、あっという間に「逃げる」2月になってしまった。そのために、楽しみにしていた2月のNHK・Eテレ「100分de名著」の放送はもちろんそのテキストにも目を通す余裕がなかったので、先月末の土・日を活用して暇を見つけて、全4回のテキスト内容を回毎に読んでは、その放送録画を視聴するという学習を繰り返した。その番組中、講師の作家で早稲田大学教授の小野正嗣氏が的確な解説をしたり、司会者の一人である伊集院光氏が絶妙な話題を取り上げたりしてくれたおかげで、私は人種差別問題に対する認識を深めることができた。

 

 そこで今回は、「100分de名著」におけるフランツ・ファノン著『黒い皮膚・白い仮面』の放送とそのテキストの内容から私なりに学んだことの概要をまとめた上で、最後に第4回分の放送において語られた、差別問題一般を解消していく手がかりとして「自分事としてとらえる在り方と資質」について綴ってみようと思う。 

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 『黒い皮膚・白い仮面』は、1925年フランス領のカリブ海に浮かぶ島の一つ、マルティニークに産まれたフランツ・ファノンがまだ20代半ばの医学生だった頃、人種差別問題についてみずからの差別体験を出発点に、精神医学の知見を支えに、哲学や精神分析を参照し、例としてふんだんに文学作品を引用しながら考察した著書であり、ある意味でファノンの自伝的テキストでもある。(私はこの名著のことを今回取り上げられるまで知らなかったが…)本書は今から70年近く前の1952年に刊行されているが、未だに世界から人種差別はなくなっていない現実がある。例えば、昨年5月25日、アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、無抵抗の黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に窒息死させられる事件が起き、それをきっかけにして黒人の命の尊重と人種差別の是正を訴える「Black Lives Matter/ブラック・ライヴズ・マター」がアメリカ各地で、そして世界の様々な地域で展開されたことは耳目に新しい出来事である。特に女子プロテニスの大阪なおみ選手が、全米オープンにおいて人種差別の暴力等で犠牲になった黒人の名前が書かれたマスクをして試合に臨んだことは、読者の皆さんにも記憶に残っているのではないかと思う。

 

 では、ファノンは人種差別問題をどのようにとらえ、どのように解消しようとしたのか。講師の小野氏が放送やそのテキストで解説した内容の概要、特にファノンが人種差別問題に気付き、それを解消しようと迷いながら辿った思索の足跡について、なるべく簡潔に要約して示してみよう。

① 奴隷制に支えられた植民地支配が、被支配者であった黒人の間に支配者=白人のフランス語に憧れ、母語クレオール語を奴隷の言語として嫌悪するような自己否定的な言語観を植え付けていることを指摘する。そして、多くの白人たちが、黒人に対して決して対等な言葉遣いをせず、まるで小さな子どもを相手にするときのような片言で話し掛けるところに、ファノンは抜きがたい差別意識を見てとる。

② 「白乳化」の欲望(白人になりたいという欲望)に駆られ、「青い眼」を持つ者に魅了されること。白い肌や青い眼こそが美しいと信じること。「二グロの娘が白人の世界に受け容れられたいと渇望するのは、自分が劣っていると感じているからだ」とファノンは喝破し、そのような劣等感に病理的なものを見る。そのような神経症的なケースについて、その不安や行動の原因をファノンは社会の差別的な構造に見出す。

③ サルトルの「対他的存在」(他者の対象としての自己)という考え方を参照して、ファノンは白人の子どものまなざしにさらされた差別的体験を基に、白人という他者のまなざしこそが自分を「黒人」にするということを悟る。そして、そのことによって自分が主体的に世界の意味を構成する自由を奪われる(自己を切断される)ことを認識する。

④ ファノンは「ネグリチュード」(自分が「二グロであること」を引き受け、肯定すること)という文化運動の根幹にある態度の中に、疎外された自己を解放し、世界の意味を再構成する可能性を見出そうとする。

⑤ しかし、ファノンは「ネグリチュード」もまた、白人が自らの支配や優越性を強固にするのに貢献する、あるいは白人がいい気分になるのに役立つ道具にされてしまうのではないかと感じてしまう。この不安を決定的にしたのが、ネグリチュードはより高次の目標(人種差別のない解放された人間の世界)を実現するための通過地点であり、「手段」でしかなく、いずれ否定されるべきものと語ったサルトルの言葉であった。

⑥ 最終的にファノンが辿りついたのは、差別される人間を疎外的な状況から解放するためには、人種差別の社会構造そのものを変える方向(その一つが植民地支配から解放する方向)に行動する手助けをすることが自分の務めだと自覚する。後にアルジェリアの植民地解放運動に身を投じたのは、この自覚に基づいた行動である。

 

 このようなファノンの思索の足跡を見てみると、彼の虐げられた者への深い共感力、その絶望や苦悩を「内側から」感じる力が、人種差別問題に気付き、それを解消しようという原動力になっていることに思い至る。『黒い皮膚・白い仮面』を執筆した当時はまだ精神医学を専門とする以前の若き医者であったファノンであったが、同時期に書かれた『北アフリカ症候群』というテキストの中には、前述したような彼の資質を読み取ることができる次のような北アフリカ人に共感している記述がある。「彼は人間関係を持っているのだろうか。彼には友人があるのだろうか。彼は孤独ではないのか。彼らは孤独ではないのか。市電やトロリーバスの中の彼らは、無意識な存在に、いわば、根拠のない存在に見えないだろうか。彼らはどこからやって来るのか。彼らはどこへ行くのか。どこかの建築現場で働いている彼らを時々ちらっと見る。が、人々は彼らを見ない。」

 

 多くのフランス人は北アフリカ人を見ないが、ファノンは見ている。ただし、彼らを物であるかのように、医学的な知の対象として「客観的」に観察するのではない。それは「彼ら」が「自分」でもあるからであり、北アフリカ人の苦しさを内側から感じているからである。ファノンがその後、精神科を専門としていくことになるのは、この苦しむ北アフリカ人たちとの出会いも大きな一因になっているであろう。そして、精神科医として15か月間勤務したフランスの南部にあるサンタルバンの精神病院で、精神病院という制度を人間化しながら、疎外されてきた患者たちの人間的価値を回復させる取組を実践したことで、何よりも患者との人間性と尊厳を大切にするという自らの考え方をより強い確信へと変えたであろうと、講師の小野氏は推察している。私は、このように他者のことを「自分事としてとらえる」というファノン的な在り方が、全ての差別問題を解消する手がかりになるのではないかと思う。したがって、肌の色や言語・宗教・文化・習慣等の違いによって差別しない世界を実現するために、この「自分事としてとらえる在り方や資質」が、全ての人に求められる在り方であり、全ての人に等しく培われなければならない大切な資質なのではないだろうか。