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「♯教師のバトン」プロジェクトって何?教職はブラックな職業?…~井岡瞬著『教室に雨は降らない』の中に教職の魅力を見た!~

 3月下旬から私のTwitterのタイムラインに、「♯教師のバトン」というハッシュダグを付けたツイートが散見されるようになった。その内容を読むと、教職のブラックな面について綴られたものが多い。しかし、私はそのような内容で「♯教師のバトン」を付けるのは何だか不自然だなあと思い、インターネットで検索して調べてみた。すると、意外にも「♯教師のバトン」というのは、本年3月26日に文部科学省が教員の声を「学校の働き方改革」の一助にしようという取組のために掲げた官製ハッシュタグであった。そして、この「♯教師のバトン」プロジェクトは、文科省が2月に発表した「『令和の日本型学校教育』を担う教師の人材確保・質向上プログラム」を踏まえて、Twitterを主軸に開始した新たな「学校の働き方改革」関連施策だそうである。

 

 では、なぜTwitterが主軸なのか。それは2016年頃からTwitter上で、「教員の部活動負担の軽減」を出発点にした「学校の働き方改革」についての議論が一気に高まったという事実が背景にある。教育現場の教師の苦悩の声が吹き荒れて以来、「学校の働き方改革」の聖地とも言われるようになったTwitter空間。そこに文科省が、公式Twitterアカウント「♯教師のバトンプロジェクト【文部科学省】」を立ち上げたのだから、そのツイート内容は教職のブラックな面に偏るのは、当然と言えば当然の話であろう。

 

 一体、文科省による本プロジェクトのねらいは、どこにあったのだろうか。文科省のウェブサイトを開いてみると、次のような目的が示されていた。

○ 本プロジェクトは、学校での働き方改革による職場環境の改善やICTの効果的な活用、新しい教育実践など、学校現場で進行中の様々な改革事例やエピソードについて、現職の教師や保護者等がTwitter等のSNSで投稿いただくことにより、全国の学校現場の取組や、日々の教育活動における教師の思いを社会に広く知っていただくとともに、教職を目指す学生・社会人の方々の準備に役立てていただく取組です。

 

 投稿は、教師や教職志願者のみにとどまらず、児童生徒や保護者、地域住民からも受け付けている。また、Twitterだけでなく、noteでの投稿も推奨しており、それぞれの公開アカウントを有していない場合でも、特設フォームで意見を表明することができる。さらに、ウェブサイトには次のような「投稿の留意点」まで示している。

① 児童生徒等の個人情報漏洩、個人の特定につながる投稿は禁止です。

② 投稿にあたり、所属長からの許諾等は不要です。

③ 寄せられた投稿のうち、文部科学省の判断でより広く教師や学生に知っていただきたい内容を選び、紹介します。

④ 本フォームは、文部科学省への意見や質問を投稿し文部科学省が回答するためのものではありません。

この中の②の留意点は、現場の教師にとって大きな安心感を与えるものだが、逆に教職のブラックな面やネガティブな情報等を投稿しやすくする要因にもなってしまった。そのために、本プロジェクトは文科省が「教職の魅力向上に向けた広報の充実」の施策の一環に位置付けていたにもかかわらず、多くのツイート内容はそのねらいと随分異なるものになってしまった。さて、どう対応するつもりなの?文科省

 

 ところで、ここ最近の私の就寝前後における読書対象は、『教室に雨は降らない』(井岡瞬著)であった。上述の「♯教師のバトン」のツイート内容に影響を受けてか、何となく学校現場を舞台にした小説を読んでみたくなり、馴染みの古書店で入手したものである。主人公は、公立小学校で音楽の臨時講師として働く森島巧、23歳。本作品は、腰掛け気分で働いていた森島が、学校で起こる予想外の様々なトラブルに巻き込まれる中で、モンスターペアレントやいじめ、無気力教師、学級崩壊等の問題にぶつかり、手探りで解決していく連作ミステリーなのだが、その問題解決の過程で森島が次第に教職の魅力に目覚めていくという、爽やかな青春小説仕立てにもなっている。

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 私は、拙いながらも真摯に子どもたちのあるがままの実態を見極めようとする振る舞いや、音楽教育を通して子どもたちの自主性や主体性を育てようとする森島先生の教育観に、リアリティーのある若年教師の姿を想像することができた。また、管理職や同僚の教師たちの複雑な人間関係の中で、半人前扱いをされながらも少しずつ経験を積み重ねつつ成長していく姿に、私自身が青年教師であった頃の出来事を思い出し、今更ながらその至らなさに恥じつつも教育にロマンを感じて取り組んでいた自身と重なり合うことがあったので、共感をしながら読み通すことができた。

 

 確かに森島先生はフィクションの世界の教師であり、現実の教育現場は長時間労働を強いられ、疲れ果てて理想の教育とは程遠い教育実践しかできていない教師が多いのではないかと推測し、リアリティーがあると言っても所詮ある種の理想的な教師像を造形していると思う。本作品には具体的な場面として描かれていないが、教師の日常においては日々の授業実践やそのための教材研究や準備等、教育評価や成績処理、個別の生徒指導、教室掲示物の張り替え、担当する校務分掌における事務処理、学校内外における公的研修会や研究会及び学年会等の会合への参加と報告書等の作成、保護者や地域の方々への具体的な対応等の夥しい量の業務内容があり、本当に多忙なのである。元教員の私は、このような実態を十分過ぎるほど分かっているつもりであるが、それでも「しかし…。」とつい呟いてしまう。

 

 そうなのだ。しかし、教職には教職に就いた者にしか味わえない喜びや楽しさがある。もちろんどのような職種であっても、その職種に従事した者にしか味わえない手応えがあると思う。だから、教職だけが特別だと言いたい訳ではないが、「個人や社会の未来を拓いていくために、人間形成や学力向上を図る日常的な営みを行うことで、確かに成長・発達していく子どもたちの姿を身近で実感することができる手応え」はやはり大きな充実感や成就感を味わうことができる。そのような教職の魅力を多くの人々に知ってもらいたいし、これから教職を目指そうと考えている学生や社会人には分かってほしいと私は念願している。

 

 そうはいっても、現実的な教職のブラックな面を放置しておいてよい訳はない。文科省には、「♯教師のバトン」を付けたブラックでネガティブなツイートに対しても真摯に向き合い、それらの問題点を一つ一つ具体的に解決する手立てを講じてほしいと切に願う。実は今、文科省は自身が学校に直接課している負荷を削減しようという取組を始めた。本年3月12日、萩生田文部科学大臣中央教育審議会の第128回総会において、「教員免許更新制度についての抜本的な見直し」を検討するよう諮問したのを始め、文科省は学校や教育委員会から特に要望の多かった「部活動の見直し」(地域への移行等)や「教育課程の見直し」(標準授業時数の削減等)、「学校向け調査の削減」(調査設計の削減や統合等)、「学力学習状況調査」(学校にかかる負担の軽減等)も、思い切った削減や廃止を実施する方向で検討している。これらが具現化されていけば、森島先生のように教職の魅力に目覚め、教職を目指そうとする学生や社会人の準備に役立つようなポジティブな「♯教師のバトン」のツイートが増えてくるのではないだろうか。

 

   では、私も現職の時に実施した「学校の働き方改革」の細やかな実践例でも、Twitterで「♯教師のバトン」を付けて呟いてみようかな。…