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約30年前、この本が「学びの総合化」へ向けた教育研究推進の後押しになった!~日沼頼夫著『新ウイルス物語-日本人の起源を探る』を再読して~

 日中少し汗ばむような陽気になった日に、私は久し振りに自転車で市内の古書店巡りをした。その中で、教職最後の勤務校の校区内に当時開店した古書店を6年ぶりに訪れた時、思わぬ本と再会した。それが、『新ウイルス物語-日本人の起源を探る』(日沼頼夫著)である。地元の国立大学教育学部附属小学校に勤務し始めて5年ほど経った頃だったと思うが、私は現在の学校のカリキュラムに位置づけられている「総合的な学習」の先行実験的な教育実践研究に取り組んでいた。そして、その実践研究を推進する上で私が常に念頭に置いていた問いは、「なぜ総合的な学習が必要なのか?」であった。だから、私の教育研究のアンテナは、総合的な学びの必要性に関する問いに答えてくれそうなことに敏感に反応するようになっていた。そのアンテナに偶然引っ掛かってきたのが、本書だったのである。

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 教育に関する実践研究はもとより理論研究にも没頭していた30代の私は、本書をむさぼるように読み、その内容に知的興奮を覚えた。そして、同僚の研究熱心な先生たちに対して、本書の内容がもつ教育的な意味や価値等を興奮した勢いのままに語った。その後、私の話に興味を持ってくれた先生の中の一人に、本書を貸したところまでは覚えている。しかし、しばらく時間が経過して気が付いた時には私の書棚から本書の姿が消えてしまい、現在に至ってしまったのである。その本書に、今回の古書店巡りの中で奇遇にも再会したのである。私はもう一度あの濃密な時間を取り戻したくなって改めて入手し、ここ数日間当時を思い出しながら読み耽った。

 

 そこで今回は、本書の中で当時の教育研究的な問いに関連する内容について要約した上で、現在の学校で実施されている「総合的な学習」の教育的な意味や価値等について綴ってみたいと考えている。

 

 ところで、絶望的だと思われていた東京五輪代表を決め、「奇跡の復活劇」を見せた競泳の池江璃花子選手が発症したのが、血液のがんである白血病であったことはよく知られている。当時18歳だった池江選手を襲ったのは「急性リンパ性白血病」であったが、本書で扱っているのは同じくリンパ球ががん細胞になる「成人T細胞白血病(ATL)」であり、本書の内容の骨格はその原因になっているATLウイルスの血清疫学の仕事である。ただし、本書は単なる医学的な研究だけに留まらず、意外にも“日本人の起源”という人類学的な研究にまで進んでしまった経緯についても記述されており、この点が私にとって「総合的な学習」の必要性についての教育的な意味や価値等を実感させることになったのである。まず、この点に関連する本書の内容を要約してみよう。

 

 1977年、当時、京大病院第一内科で診察と研究に従事していた高月博士が、今までに世界で報告されたことのない新しい型のリンパ性白血病に「成人T細胞白血病(ATL)」という病名を与えた。この病気は40代から60代の大人に最も発病し、成熟したT細胞が白血病細胞になるという特徴がある。感染経路のルートは、母子間と夫婦間という家庭内に限定されているため、まるで遺伝のように子々孫々伝わってきている。患者の多くは、発病すると急速に悪化の一途を辿り、衰弱が進んで、最期には肺炎等を併発して死亡する。患者の約50%は半年以内に、残りのほとんども2年以内には亡くなる。ただし、感染から発症までの潜伏期間が長いため生涯に発症する確率は5%程度とされている。

 

    1981年、著者たちの研究室からこの白血病の原因となるATLウイルスというレトロウイルスの発見が発表された。そして、このウイルスに感染している系統の人たち(キャリアという)の分布を調べてゆくと、九州・沖縄に圧倒的に多いが、他の地方、例えば北海道・東北・四国の一部にも見つかった。また、これらのキャリアは都市部には少なく、離島・海岸僻地に多いことも分かった。そのような調査結果に基づき、著者は次のような仮説を提出した。

 

    日本列島の北海道・本州・四国・九州および沖縄に広く分布するATLウイルス・キャリアの先祖は、日本の先住民であろう。これが古モンゴロイドであり、ウルム氷期中央アジアから東進して東北アジアに到り、その一部は日本列島に到った。これが日本の先住民(縄文人)であり、この人たちはATLウイルスを保有していた。その後、弥生時代あるいは縄文時代末期に新たにモンゴロイド弥生人)が大陸から直接に、あるいは朝鮮半島を経て九州に上陸し、山陽道を経て大和(近畿地方)に到った。この人たちはATLウイルスを保有していない。そして、稲と鉄という当時のハイテクノロジーを持ってきた。彼らは大和に朝廷を立てて北へ進んだ。それは東北にも到る。南へも進んだ。それは九州に到った。北の北海道、南の沖縄へも大和の人々が移動してきたのは16世紀以降である。この間に、この渡来者であった大和人(弥生人)は先住民(縄文人)と混血をしながら、その勢力を拡大していった。現在のATLウイルス・キャリアのコロニー(集落)の人々は大和の人々との混血が比較的少なかったものであろう。北海道および東北地方の僻地、辺境にコロニー状に散在するキャリアの集団には、古モンゴロイドたる先住民の血が濃く伝わっているであろう。これは南でも同様である。九州と沖縄にはキャリアのコロニーが多数残っている。特に沖縄の人々は、ほとんどが濃くこの先住民の血を残している。したがって、北海道・東北の先住民も九州・沖縄の先住民もATLウイルス・キャリアであるから、これらは同じ先住民であったに違いない。

 

 私は当時、この仮説内容に唸った。それと言うのも、当時、哲学者の梅原猛氏が、言語学的な知見に基づいて「アイヌは原日本人である」という仮説を提案していたからである。いわゆる「梅原古代学」なるものに、私は魅入られていた。また、他の人からも「琉球語アイヌ語は原日本語である」という仮説も提出されていたと記憶している。だから、このような仮説と、著者が提起した上述の仮説はほとんど同じであることに驚いたのである。そして、その後、これらの仮説を支持する重要なデータが提出されたことで、私はさらに驚嘆の声を上げた。それは、アイヌの人々のATLウイルス抗体陽性率が非常に高いことが分かり、その陽性率は琉球人をも凌いでいたのである。このデータは、ATLウイルス・キャリアは日本の先住民という仮説を強く支持するものであった。

 

 私は、このような本書の内容から「私たちを取り巻く事物・事象の奥に潜む真理をつかむためには、たこつぼ型の学問研究だけではなく、各学問分野を超えた学際的なアプローチが不可欠になることがある。自然科学や人文・社会科学という区分も研究の入り口においては必要だが、その真理探究の過程ではそれらの区分を取り払って総合的に探究する学びが求められることがある。」ということを学んだのである。このことは、学校教育における学習でも同様のことが言えるのではないか。確かに各学問体系を背景にした教科という学びの枠組みは必要かもしれないが、様々な事物・事象に出会った子どもが、そこから素直な疑問をもちそれを学習課題として主体的に醸成した場合は、その課題解決過程においては各教科の枠組みを超えた総合的な学びが必要になることもあるであろう。そのような学習過程を構想することができる場合は、教科という枠組みではなく、「総合的な学習」という枠組みの中で学習に取り組ませる方が効果的なのではないか。当時、私の念頭から離れなかった問いである「なぜ総合的な学習が必要なのか?」の有力な答えを、本書から教えてもらったのである。本書こそ、「学びの総合化」へ向けた教育研究を精力的に推進していた当時の私の後押しをしてくれたのである。

 

    今回、本書を再読して、当時の教育研究への熱い思いが蘇ってきて、本当に久し振りに知的な興奮が再燃してきたような気がした。老年になってくると、このような読書も心身の活性化を促す上で必要なのかもしれない…。あ~、楽しかった!!